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一話

 ――ガタンダタン。鈍く、軽快なリズムが耳を打つ。そのリズムに合わせるように祥子と栞奈の体も揺れる。

 長年、日にさらされて塗装が色落ちしてしまった年寄りの電車は、悲鳴を上げながら、重い荷物を乗せて線路をひた走っていた。


「こうやって二人で白蛇祭に行くの、久しぶりだね。」


 朗らかにはにかんだ栞奈を、祥子はちらりと一瞥しただけで視線を電車の外へと戻した。そんな祥子の反応に栞奈は困ったような表情をして、腰の無駄に鮮やかな色をした帯に目を落とした。



 窓の外の景色を眺める以外に娯楽のない時間は、ただ二人に退屈を呼ぶだけだった。

 都会と違い田舎だからか、あまり乗客が多いとは言えない状況だけれども、二人と同じように夏祭りへ出掛ける人は少なくはないのか、まばらに浴衣を着て乗車している人を祥子は何人か見かけた。それと同時に、夏祭りなんかに行きたくはない、とひどく億劫に思えた。


 (本当は来たくなかった。)祥子は折角母親に着付けてもらった浴衣が皺になることも構わず、苛立ちを紛らわすために袖をきつく握り締めた。


 昨日の夕方、唐突に鳴り響いた電話が感情のない声で読み上げた名前に、祥子はひどく動揺した。

 てっきり自分の家の固定電話の番号なんて脳内から削除されているだろうと思っていたのに、(削除済みでも学級連絡網からわかるだろうが)いまさら何の用でわざわざ電話をかけてきたのか。祥子は真っ青な顔で考えた。

 このまま留守電モードに切り替わったら、即刻履歴から名前を消してやろう。

 そう企んでいた祥子の願望も、母が受話器を取ったことによって無情に打ち砕かれた。


 甲高い声で嬉々として話す母は、けれども少し遠慮したような口振りで。祥子の恐れていた相手で間違いないのだろう。

 やがて受話器を置いた母は笑顔で祥子に振り返り、「明日の白蛇祭、栞奈ちゃんと行ってらっしゃい。」と非情に告げたのだ。

 祥子は一層顔を青くさせ、なんてことをしてくれたのだ、と母に詰め寄ったが、母はいいじゃない、いいじゃないと繰り返すばかりだった。何も考えていなさそうな無配慮な母に、祥子は苛立ちを感じた。


 次の日勿論拒否したものの、それよりさらに強引な母にお古の浴衣を着付けられ、これまたにこやかな表情で玄関から追い出されてしまった。

 いっそ夕立でも来て、白蛇祭なんて中止になればいいのに。実際にはとても晴れ渡った夕焼け空の下、祥子は下駄の音を鳴らしながら駅まで歩いたのだった。


 昨日は酷い雨だった。そのまま降り続いていればよかったものを、早朝にかけて雨は止み、昼間の天気で逆にすっきりと過ごしやすい気候になってしまった。

 なぜ今日に限って……。祥子は昨日に続いて、何度も自分の運のなさを恨んだ。



 白蛇祭が行われる神社は御幸線の終点にある。無人の駅で購入した黒曜石の切符を、祥子は投げ捨ててやりたかったが、最終的に他人の目が気になった祥子はそうしなかった。どうにも感情がたかぶると強気になる傾向のある祥子だが、それは内面のみの話で、最終的にはいつも外聞を気にしてしまう臆病な自分が勝っていた。


 電車のダイヤの時刻に合わせて踏切が鳴り始め、目の前でそのドアが開いた時に、祥子はいよいよ逃げられないと絶望した。

 これまた運が良いのか悪いのか、この時間の電車はボックス席だった。向かい合わせか、隣り合わせか。どちらに転んでも祥子は不満を言うに違いない。

 嫌だ嫌だとどうしようもないことを脳内で呟きながら、祥子は暗い陰を背負って窓側の席に詰めた。

 窓枠の錆は祥子の心を表しているようである。嫌なものを蔑むように祥子は錆を睨みつけた。睨んだだけではどうにもならないのに、祥子の性格がその行動に直結していた。



 数分の運行の後、ゆっくりと電車がスピードを緩めていった。車掌の鼻にかかったアナウンスが駅名を告げた。

 車両のドアが開く音を聞いて、祥子は身を固めた。視界の隅に入った人影に祥子は反射的に目を向けると、約束をしていた人がそこにいた。


「ほんとに来てくれたんだ。」


 合流した栞奈はほっとした顔で祥子の斜め前の席に座った。

 (その物言いだと、まるで来なくてもよかったようではないか。)祥子は出会い頭に嫌味でも吐いてやろうかと思ったが、家を出るまでの母との応酬を思い出し、口を閉ざすことにした。


 祥子と栞奈の最寄り駅は御幸線の始発駅近くにある。終点まで行くとなると乗車時間はだいぶ長くなる。これは拷問か何かかと、祥子は腹の内でぐつぐつと煮える怒りを帯で押し止めた。浴衣を着ることに乗り気でなかったが、この時ばかりは祥子は浴衣を勧めた母に少しだけ感謝した。


 二人は二、三駅分口を閉ざしたまま、黙って向かい合っていた。その間栞奈が何か話しかけようとしていたが、その意思を感じたうえで祥子は彼女を無視し続けていた。


「こうして二人で電車に乗っていると、まるでジョバンニとカンパネルラになったみたい。」


 やっと話しかけることができた栞奈は一瞬で祥子の怒りを強めた。


「物理法則に従い、電車はちゃんと地面を走っているけれどねっ。」


 苛立ちを隠そうともしない祥子は語気を荒げた。これほど、もしくはこれ以上不快を露わにしなければ栞奈は懲りずにまた話題を振ってくるに違いない。きつい口調は祥子の反抗の証だった。


 栞奈は『銀河鉄道の夜』の熱狂的なファンだ。今のように何にでもたとえに持ち出し、中学の読書感想文コンクールでは『銀河鉄道の夜』について原稿用紙の上で熱烈に語り尽し、感想を尋ねれば小一時間喋り倒してくれたほどだ。何が彼女をそこまで駆り立てるのか、理解できないし、理解したくもないと祥子は思う。

 とにかく、空想をこよなく愛する栞奈のことを、祥子は嫌っていた。それは嫌いなジョバンニを話に出されることがおもしろくないからでもあるし、祥子が理論主義者であるからでもある。

 いつだっていい加減にしてくれ、と祥子の心は叫びたがっていた。現に今もそんな状態である。空想を愛する栞奈と憎む祥子は、その点において意見が交錯しあうことはない。



 祥子にとって栞奈と二人きりのこの状況は苦痛でしかなかった。ぽつぽつと自分達以外の乗客が増えたとしても、ボックス席という閉鎖された空間に救いの乱入者は現れない。


 今日一日だけだ。一夜だけ、我慢すればそれでいい。祥子は無理矢理自身を納得させた。


 何か他のことを考えて気を紛らわせよう。そう考えついた祥子は、週明けに提出する課題は、と実に勤勉らしい学生の思考を巡らせた。ここでケータイを取り出さなかったのは栞奈への気遣いか、はたまた思いつかなかったのか。理由はどうであれ、知り合いと二人きりとなればおしゃべりに興じるはずである年齢の二人は、沈黙を保ったままであった。



 電車はまだ、目的の駅に到着しない。




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