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冬の童話祭2015

寂寥燦然

作者: 田中ケケ

 夜七時。今年のクリスマスは雨。ざまぁみろだ。今頃、駅前のクリスマスツリーは無意味に輝いていることだろう。


 私は帰宅の途中でそう思っていた。別に私にはクリスマスとかは関係ない。予定なんて最初からない。

 仕事に向かう時、雨に打たれているクリスマスツリーが、人間にこき使われている傘よりも悲しそうな表情をしていたのを、私は知っている。

 充実感、クリスマスツリーとしての役割。そういうことを考えて、クリスマスツリーはあんな表情。雨が降れば、傘には充実感も役割もある。私の差している黒い傘もそうだ。


 まあ要するに同族嫌悪。傘の下で冷たい都会のアスファルトに晒される私。誰かの見えない足跡の上から足跡を重ねていく私。無意味だと思う。何をやっているんだろうと毎日思う。充実感なんて、今まで感じたことはないと思う。


 それでも、そんな毎日を続ける。続けなければならない。私はもう、大人だから。立派でも何でもないクズの仲間入りを果たしているから。

 子供から見たら、どこにでもいるような立派な大人なんだろうけど。


 駅前へと続く商店街を早足で歩く私は、ため息を吐き出さない。不満だと思ったことはない。すべては仕方ないこと、そういう風に世界は回っている。


 私には、これがやりたい! などと思った経験は一度もない。堕落したまま生きてきた。

 もちろん、そこらへんの堕落した人間たちとは少し違う。勉強した。中学、高校と頭がよく、大学だって比較的難関だと言われている国公立大学に行った。


 そして、四年過ごして、就職して今に至る。他人からすれば、結構勝ち組の人生なのかもしれない。私の悩みは傲慢だと言われてしまうかもしれない。

 実際、そんなの言われ慣れてきた。勉強できていいねと、頭がよくて羨ましいと、何度も。


 責任転嫁。勉強できる私がさも特別みたいに、そいつらは言う。こんなの誰だってできる。嫌いだからとか、やる意味が分からないとかむちゃくちゃな理由を付けて勉強しなかった方が悪いに決まっている。何の夢もなくたって勉強してきた、私という実例があるのだから言い訳は無意味だし、そもそも勉強というものは無駄なことだ。無駄なことをどれだけ投げ出さないか、そういう能力を見極めるためのものが勉強なのだ。

 でも、私はそれを努力という言葉で片付けて欲しくない。私は努力という言葉が嫌いだ。


 私の黒い傘に雨は音を立てて降り注ぐ。少し耳障りだ。黒いスーツの袖が湿ってきている。私はさらに足を速めた。


 そう言えば、一日のうちで無言の方が多くなったのはいつからだろう。夏休みに興味がなくなったのはいつからだろう。私が大学を目指した理由は何だっただろう。


 ……そっか。その大学に行けたからだ。私の偏差値で軽く入れるところだったからだ。そこにどうしても行きたかったという訳ではない。だから、大学に入って、その分野に興味がないことを悟り、結果発表の日に泣いて喜んだという大学の同級生と温度差を感じ、やりたいことをやるために大学に入ってきたんだと熱弁する同級生に現実を知れと不快感を抱いたし、少し羨ましくなったし。


 自分はそういう人間が嫌いなのだろう。夢に向かって努力することが絶対的に良いことで、努力をしていない人は悪い人、ダメな人間。努力をしている自分は誰に対しても誇れる自分で、みんなから羨望の眼差しを浴びて当然だという人が嫌いなのだろう。自分で自分のことを努力していると思うなんて、最高レベルのナルシストだというのに。


 しかもその努力が、本当に努力といえるものなのか確かめもせずに。


 まあ、私は大人だったから、そこでは表向きに不快感を示さなかった。夢ってそんなに醜いクズな自分を美化させてくれるものなの? 自分がクズだと思い知らされるものが夢じゃないの? とは言わず、そいつを心の中で嘲笑った。

 きっとそこで私が、私はやりたいこともなかった、ただそこに入れるから入ったと言ったらどんな言い争いになっていただろう。私は大人だから我慢した。


 だけど私にだってストレスはあった。意地悪い言葉が漏れてきたこともあった。そんな能天気お嬢様に我慢ならなくて。


 いつだったか、私は大学入試で上位だったと、軽く入れたと、それとなく大学で言ってみたことがある。どうしても入りたかったわけでもなく、ただ入れる学力があったからで、もうこの学科でやっていることに飽きたと、試しに冗談っぽく。


 そしたら、さっきの友達が、それは受験生に対して失礼だと言ってきた。罪悪感はないのかと言われた。あなたのせいでどうしても入りたかった人が落ちたんだよと言われた。やりたくないなら辞めればいいと言われた。

 大学には勉強しに来てるんでしょ? 大学に何しに来てるの? とか正論過ぎるくらいのムカつく綺麗事も。


 あなたは正論を言えるような資格を持った人間ですか?

 そんなにも正しい生き方を選んできた人間ですか? 


 私は何も言わなかったが、反論の言葉なんてすぐに思いついていた。


 まず、そんなことで失礼だとか罪悪感はないのかとか、ありえない。論外すぎる。敗者にそんな感情を抱くわけがない。そもそも、そんなことを言ったら、私はどこの大学にも行けなかった。行きたい大学がなかったのだから。

 それに大学入試は勝負だ。最近ではセンター試験をなくそうなどといっている政府がいるそうだが、あんな一発勝負で、やるなとさんざん言われてきたマークミスをしたり、緊張で実力が発揮できない奴は、一年浪人しなければいけないと思う。そんな程度の緊張で実力が発揮できないのなら、この先の人生でよく発生する一発勝負に、大体負けるだろう。


 話は逸れたが二つ目、私のせいで大学に落ちた人がいるということを考えろ、と。反吐が出そうなほど気持ち悪い質問だ。そんなの当然である。大学入試はそういうものだ。勝負に負けたのだから、妥協するなり浪人するなりして当然。それに、本当に入りたいところなら、何故ギリギリで入ろうとする? 一位を狙って入ればいい。


 それに大学入試なんてものは、きついなどなんだの言われているが、大抵足掻いているのはギリギリで入ろうとしている連中だ。大学生の半分、成績が上位組はその入試を楽勝で通過しているという事実を、そいつらは知らない。下位で足掻いている連中が必死こいてやっているつもりだった努力は、上位組の普通にやっている程度の勉強にすら届いていなかったということだ。どれだけ自分が頑張っていると見栄を張りたいのだろう。そんなやつらの心配なんてするだけ無駄だ。


 本当、才能って大事だよ。


 そして三つめ、やりたくないなら辞めればいい? これを聞いた時は殴ってやろうかと思った。自分の人生なんだから好きなことを……なんてどれだけ自分勝手なんだ。自分の人生という言い方自体嫌いだ。じゃあ、お前は今まで自分の力だけで生きてきたのか? 絶対違うだろ。


 大学に入れるために親がどれだけ頑張ってくれたか。自分が勉強した結果だと思っているなら大間違いだ。自分の人生ではなくて、自分が関わってきた人すべての人が考える自分の人生だ。そこをはき違えてもらったら困る。


 大体、私の好きな事って何だよ? ない人はどうしたらいいんだよ? 好きなことがあって、目標を持って自分で努力していると言い張っているお前には、私を見下す権利があるんだろうな。そう思ってるんだろうな。本当に、お前はとても出来た、素晴らしい人間だよ。


 まあ、私に言わせれば、大学生にもなって、そんな正論を恥ずかしげもなく言える神経を持っているやつは、やっぱりナルシストで、クズだ。自分は努力しているという虚栄心から、何もしていない誰かに優等生ぶって、上の立場から説教できると思っている。その優越感は、そんなにも気持ちいいのか?

 そんなことでしか救われないなんて、哀れなやつだ。


「……やっぱ私って、クズだなぁ」


 自然と零れてきた。おかしくないのに笑ってしまった。


 信号待ちをしながら、過去の自分を思い返してみたけど、やっぱり私は相当のクズだ。多分結構上位の暮らしをしているはずなのに。アベノミクスの恩恵を受けるタイプの人間のはずなのに。

 信号が青に変わると私は歩き出す。そう言えば今日は何人の人とすれ違ったかな? カップルが多いとは思うが、あんまり人がいないのは……雨が降っているからか。室内に避難しているのか。


 本当に、ざまあみろだ。クリスマスが雨で。


 私は横断歩道を歩く。白い部分も黒い部分も気にすることなく。気にするのは、道路の端に出来た水たまりだけ。仕事もそつなくこなして、上司からの受けもいい。何だかんだで理想の大人になったのかもしれない。


 私が横断歩道を渡り終わると、雨が少し強まった。アスファルトにぶつかる音がひどくなった。電車は込んでいるだろう。人の傘の水滴が私を不快な気持ちにさせるだろう。

 私はそんな惨劇が恨めしく思えてきて、近くにあったコンビニに避難し、店内から空を睨み付けてやった。舌打ちもしたかったけど、それは流石に辞めた。

 今よりもっと、虚しくなるだけだから。


 結局、コンビニの赤と緑とチキンを基調とした装飾に嫌気がさして、すぐにコンビニを出た。傘を差して歩いて、思い出す。そう言えば、私も少しだけ、夢を描いたことがあったなと。


 あれは大学二年生の時だったか。大学四年生の姉は就職活動を突然辞め、役者になりたいと言って養成所に入ってしまった。そんな将来成功するかも分からない、先の見えない職業。親は反対しなかった。

 私はそんな姉の状況が、少しだけ羨ましくも、恨めしくもあった。そんな姉の存在が私にとって、自由人に見えたのだ。

 ただのフリーターなんだけど、私には歩めない人生だと思って。


 実はその時、私も少しだけ役者に興味があった。ただ、姉がそんな道をえらんだので、私はその夢を即座に諦めた。だって、姉がそんな職業なのだから、妹の私はちゃんとした職業につかないと、親がなんて思うか。もし、図々しいけれど、仮に私が役者として成功して、姉が失敗したら、姉は何て思うか。その逆だったら、私は何て思うか。姉が私も役者を目指すと知った時に、私と同じように、自分の夢を諦めてしまったら、私の周りの人間は何て思うか。


 つまり私が諦めざるを得なかった。今までの人生で姉に迷惑をかけてきたという自負もどこかにあったし。私は、色々とそういうところを変に気にする。早い者勝ちの理論で納得する。

 そういう人間。私はそういうクズになった。


 親には感謝している。親の育て方は間違っていなかったと、それは確実に言える。私がおかしかっただけなのだ。生まれた時から、どうしようもないほどクズだったのだ。


「電車は八時七分だから」


 駅前にたどり着くと、腕時計で時間を確認する。


「あと、二十分……」


 早く着きすぎた、早く歩きすぎた。私は辺りを見渡す――と目の前にクリスマスツリーがあった。


「…………」


 私は無言のまま、クリスマスツリーに近づいて行った。

 私の周りには土砂降りの雨、疎らな人通り。

 クリスマスツリーは雨に濡れて、それはそれは惨めな姿だった。装飾品の星も靴下も赤い長靴も全部惨め。私と同じ惨め。


「……あなた、やっぱり私と似てる。枯れてるみたい」


 私はクリスマスツリーへゆっくり歩み寄る。引き寄せられる。懐かしい気がする。


「私に似てるなんて、あなた、最悪なクリスマスツリーね」


 私はクリスマスツリーを見上げる。葉の先から落ちてくる水滴が少し羨ましい。その木は泣いているみたい。


「……あなたも、私を蔑むんだ。そうやって、突き放すんだ」


 私は悲しくなって、靴の先端で木の幹を弱々しく蹴飛ばした。

 その木は、私とは違ってまだ大人になってない。子供だ。人前で泣けるなんて子供だよ。

 まあ、もともとクリスマスツリーは子供のものだし。

 枯れているから今は私と同じように見えるだけだし。


「……駅、入っておこう」


 私は見上げるのを辞めた。傘で自分の視線を遮り、クリスマスツリーを視界から外した。

 雨はそれでも降り注ぐ。

 私は、その足で駅の構内へと向かう――向かおうとして辞めてしまった。私の目の前に表れた、薄汚れた私をこの世から排除しようと言わんばかりに輝いている夢の塊を、見つけてしまったから。


「サンタクロースなんて、いないのに……これだから子供は」


 私はそれを見つめた。クリスマスツリーの足元、ショーケースの中に張り出されていた、子供たちの欲しいものリスト。子供たちが習いたての文字や漢字を使って一生懸命書いた、サンタさんへの願い事。

 それは、私の目の前で光り輝いていた。

 だから私はその光を、私の目の前から消そうとした。

 子供たちの願いだけは、ショーケースの中に大事に封印して雨から守ろうとする。こんなにも子供と私を差別する。子供だけ特別扱い。苛立つ。


「……へぇ。CD。ああ、今はやりのアイドルのか」


 一人の女の子が書いた願いを見て、私は鼻で笑う。クズな大人だから。


「一回無駄にしてるなこいつ。クリスマスプレゼントがCDとか。二千円もあれば買えるものなのに。もっと計画的に使えよ。絶対後悔するんだから」


 その時私は、何故親が子供にサンタクロースの正体を教えないのかが、分かった気がした。子供が頭を使って、高いものばかりねだられると困るからだ。

 そしてそう思った時、その子の願いの輝きは、私の目の前から消え去った。ざまあみろ。

 虚しさなんて幻想。私が今感じている虚しさは、蜃気楼みたいなもの。


「なるほど。こいつは頭いいな。ゲーム機か。確かこれ三万近くするはずだから……これ、親買うのかな? 他のがいいんじゃない? サンタさんも重いだろうしとか言って安いもの薦めたんだろうな……可哀想に」


 私はこの輝きも、消し去った。私の目の前に入ってくるから、こういう運命になるんだ。

 気が付けば傘の柄が震えていて、私の手の力で折れそうなくらい。

 何でだろう? 別にそんなこと思っていないのに。

 私は、慌てて手の力を緩めて、傘を普通に持った。

 でも、私にはもう、傘の普通の持ち方が分からなくて、慌てて、妙に納得してしまったから、知らぬ間に自嘲気味に小さく笑っていた。


「……えっと、次は――」


 私は視線を止め、体の動きを止め、呼吸を止め。口を開けたまま、雨と傘の殴り合いを聞いていた。

 その子の願いは、ピンク色のマフラーだった。


「……ピンク」


 その輝きに、動揺してしまった。唇を噛みしめてしまった。

 悔しかった。

 私は自分の持っている傘の黒色を見た。着ているスーツの黒色を見た。履いている靴の黒色をみた。家にあるマフラーの黒色を思い出した。

 傘がまた静かに震えだした。


「ピンクなんて……子供っぽいな。そんな色、すぐ恥ずかしくなるんだから」


 私は遠い冬の日を思い出していた。ピンクが好きだったころ。全身ピンク色が恥ずかしくない年だったころ。雪が降って、遊んだこと。思い出していた。

 ピンク色の輝きが、目の前で私の視界を眩ませ霞ませるからウザい。心の中に入り込んでくるからウザい。雨を忘れさせるからウザい。


「こんなの、こんなの、千円も出せば買えるんだよ……」


 私がそう呟いても、その輝きは消えない。逆にどんどん大きくなる。

 私にはそのピンク色の輝きは消すことが出来なかった。出来るはずがなかった。

 私の視界を霞ませるだけの――こんなの、思い出したくもなかった。


「……私だって、私だって、どうしたらいいか分からないんだよ」


 傘で顔を隠す。見られたくない。誰にも見せたくない。こんな姿、見せたくない。


「どうしようもなかったんだよ。私だって、またあなたに会いたいんだよ……」


 私は見上げる。雨に濡れて、宝石のようにキラキラと輝くクリスマスツリーを。


「私は、私は、もう会えないんだ。そうなっちゃった、なっちゃったけど……私は、あなたに会える私のままでいたかったんだよぉ……」


 私は小さな声で、そっと叫んでいた。誰にも聞かれない、誰にも見せたくない、意地とか見栄とかがはっきり表れてしまったから。

 

 私の頬を冷たいものが伝って、アスファルトへと落ちていく。上を向いているのに、涙流れてくるじゃん。

 傘を差し続けている意味はなかった。

 

 だから、私は上を見上げ続けていた。

 必死で止まれと思って、上を見続けて。

 きっと地球上の誰よりも一番初めに、気が付いた。

 それは、奇跡だと思った。

 クリスマスツリーの前は賑やかで、笑顔があふれ始めていた。

 私は放心状態で上をしばらく見続け、微かに含み笑いを浮かべて、駅へと歩いて行った。 


 翌日、窓の外には降り積もった雪と子供の足跡が、輝きながら散りばめられていた。



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