イカロスの悪魔
アレンとハーデスはほぼ同時に動き出した。両者、右の拳を握るとそこへ大量の魔力を集中させた。
超高速で互いに接近、拳が顔面目掛けて繰り出された。
アレン、ハーデスは、ともにそれをノーガードで受け止めた。常識はずれした威力を物語るように、余波が背後の大地を削った。
直後、ダメージなどまるでないかのように上空へ飛びながらの連撃の応酬。互いの全てを出し切り、受け切る。そこに防御という概念はない。肉を切らせて骨を断つ、二人に共通しているのはこの点だけだった。
だが、そんな闘い方をしていても付帯が倒れることはない。アレンには《血の記憶》の能力が、ハーデスには純粋な魔王の血脈と、それぞれ強力な治癒能力があるからだ。
――骨を断つでは埒が明かない。
目指すのは、その先。限界の向こう側。
ドクン、と。魔王の血が滾った。やはり何処まで行っても、魔王には戦いの宿命が待ち受けているらしかった。
二人は一旦距離を取った。
「《血の記憶》――俺を含む百八の魔王、計八十七種の能力の中から……さらに八つを厳選する」
「抗え――魔王の剣バアル」
アレンが覚醒させた能力の概要は単純明快。
長い歴史の中で王と言われた、百八人の魔王血統たちの固有能力をその身に宿す。能力の総数は、重複したものを除いて八十七種。
そこから使い勝手の悪い物(召喚魔法なしでは使いどころに困るアレン自身の能力など)も除くと、アレンが中心的に使う力は八種に絞られるという訳だ。
それらの能力を推測するのは、ハーデスからすれば簡単だった。
まず、傷を癒やす能力。そして、風を除いた六属性の魔力を無尽蔵に操る能力。百七代アレクサンダーの、雷を操る能力などがそれに分類される。
――あと一つは、何だ。
微かな疑問はあるが、目の前の戦闘に比べれば些細な事だった。血の滾りに、そんなものは掻き消された。
「《エレメントドラゴン》」
虹色の龍に乗り、アレンはハーデスの元へ飛び込んだ。
「さっさとくたばれ! ハーデスゥゥゥ!」
「まだ終わらせないよ、《フェンリル》!!」
ドラゴンとほぼ同サイズの黒い狼を生み出し、ハーデスは対抗した。狼とドラゴンの激突と同時に、アレンとハーデスも再び接近戦を再開した。
しかも今度は、上級以上の強力な魔法を交えながらの激しいものだった。辺りは焦土と化し、空気は震え、その余波は遥か遠方の戦場までも届いていた。
他者の介入など許さない、超次元の戦闘だった。
「まさに二つ名の通りだね! 『天変地異の魔王』!」
「そんなこと言ってる余裕があるのかよ!」
アレンは雄叫びながら力いっぱいに魔法を繰り出した。ハーデスも魔剣の魔力を頼りにそれ以上の魔法を繰り出す。相殺しきれなかった分を甘んじて受け、アレンはハーデスに拳の一撃を加えた。
互角だった。
アレンが《血の記憶》に目覚めると一緒に、ハーデスも敗戦を糧に急激な速さで成長しているのだ。加えて、ハーデスには魔剣バアルがある。
このままの調子では、三日三晩闘い続けたとて決着はつきそうになかった。
ハーデスはそれでもよいが、アレンはそういう訳にはいかない。
「いろいろと忙しい身でな……! 悪いが早めに決着を付けるぞ!」
「決着ぅ? 面白いね! 何をしてくるのかな!」
アレンは腰を低くすると、ただ一点のみを狙い猛然と駆けだした。
――狙うはその首一つ!
いかにハーデスと言えど、首を斬れば死に絶える。力比べではキリがないのなら、急所を狙って勝負を仕掛けるしかない。
――許せハーデス。不本意だろうが、俺には時間がないんだ!
「契約神ミスラの名において――」
アレンの左目に紋章が浮かび上がった。決着へのカウントダウンが始まろうとしていた。
「『強制契約』を行う!」
ハーデスは攻撃を止め、じっとアレンの言葉を待った。
「なんでもいいよ。ボクは負けない……!!」
「これより、両者に魔法の使用を禁じる!!」
意思は共有された。
不退転の覚悟を決め、アレンは駆けた。
対するハーデスは剣を鞘に仕舞い、居合の構えを取った。
「おおおおおああああ!!」
アレンがさらに加速し、ハーデスの間合いに突入した。
刹那――
ヒュッと、風の音が瞬いた。
「手ごたえ、アリだ……!!」
必殺の感覚を掴み、ハーデスは血を吹き流すアレンを見た。
「……ぐぅ!」
見て、ハーデスは驚愕した。
「まだ、だあぁぁぁ!」
「なんで動ける! 脳に傷がいってるはずだろ!」
「その剣よこせえええええ!」
アレンはめいっぱい吠えて、ハーデスの手を蹴り上げ魔剣を離れさせた。
「終わりだ……ハーデス!」
骨を断つでは足りない。目指すのはその先。
空中に打ちあがった剣を手に取り、アレンは振り抜いた。
――骨を断たせて……命を砕く!
一瞬の静寂の後、ハーデスは首から血を流し後ろによろけた。
「が……ぁ……」
まさに首の皮一枚で何と繋がっているが、もはや助かりそうにはなかった。
――ここで終わるのか。
そんなことが頭をよぎった。
「ハーデス、もういい。もう、お前は終わっていい」
頭から血を流しながら、アレンが泣きそうな声で言った。
――そう言えば、何でアレン君は無事なんだろう?
その疑問にはすぐに合点がいった。アレンから『魔導』を使って傷を急速に塞いでいる気配を感じたからだ。強制契約の条件は、『魔法』の使用を禁止する、と言うものだった。魔導と魔術は制限されないというカラクリだった。
――これはやられたね。ボクの負けだ。
「……ぁ」
何か言おうと思ったが、声が出なかった。声帯がやられているからだろう。
――まあ、いいか。
どのみち、これが当初からの計画だった。最後にアレンと闘い、すべて出し切ったうえで死ぬのだ。むしろ、理想と言える。
――本当に? これで終わるのか?
薄れゆく意識の中、その問いかけが五月蠅いほどに鳴り響いた。
――お前、まだ死にたくないだろ?
夢か幻か、自らの姿がまぶたの裏でそう言ってきた。
「……あ、あ」
――そうだよ。
ハーデスは再び目を開いた。
「ぼ……く、は……」
「……おい、嘘だろ?」
――まだ終われない。
死ぬその直前になって、まだ生きたいという強い欲求が溢れ出てきた。
――何故だ?
それは――
「ま、だ」
まだ、全てを出し切ったわけじゃない。まだやれることはある。
生存欲求の理由。突き詰めるとそれは――
「ボクは闘う事でしか生きられない……! まだやっていないことが一つあった……! まだボクは死ねない……!!」
「何の冗談だ。傷が、塞がってるだと……?」
この状況からの逆転。
起死回生の一手は、ハーデスには一つしか浮かばなかった。
しかし、それを行うには契約神ミスラの強制契約が邪魔をしてくる。
――邪魔だ。
ハーデスから溢れ出る魔力に、アレンは嫌な予感を感じた。
「本当に来るかよ……俺と同じ領域に」
――そこを退けろ神とやら。
「ボクの前に立ちふさがるな……!!」
悪魔は顔をもたげた。
「契約破棄だ!! 《デッドエンジン》!!」
ハーデスを中心に、死と破壊の衝撃波が広がった。
一部始終を見たアレンは呆然として呟いた。
「神殺し……」
「今なら自信を持って言える! ボクは歴史上最強の生物になった!」
「ああ、今のお前には初代魔王でも叶わねえかもな……けど……」
アレンは強く拳を握り、震える声で言った。
「そんな力……俺たちには扱いきれない」
明らかに過ぎた力だった。
乾電池にロケットを打ち上げるようなエネルギーは存在しない。同じように、魔族や人間と言った存在では、それだけの力を扱いきれるはずがない。
オーバーヒートでその身が朽ち果てるのは、眼に見えている。
「なあ、ハーデス。最後に答えてくれ。結局どうだった? お前に守りたいと思う何かはあったのか?」
「……そうだねえ」
ハーデスの体のいたるところから、血が流れ始めた。大きすぎる力に身体が耐えきれず、崩壊を始めたのだ。
「…………」
「ハーデス、答えろ!!」
「変な話だよね。ボクみたいなやつが、こうやって心配されて死んでいくなんて」
「ハーデス……!」
ハーデスは笑顔を見せた。それは恐らく、ハーデスがこれまで見せてきた笑顔の中で最も純粋で、晴れ晴れとしたものだった。
「じゃあね、アレン君」
――そして、みんな。
死の間際、ハーデスには確かに見えていた。魔界で共に戦った者たちの姿が。
――自己満足でもいい。それでもいい……
「ボクの仲間を……平和な世界へ導いてあげてくれ」
――あれは多分、ボクが守りたいと思ったものだ。
「……ハーデス、魔剣は貰っていく」
アレンはそう言い、魔剣を鞘に納めた。
立ち止まっている暇はなかった。
「待ってろリーシャ。今、行くぞ」




