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梅雨ですね。ジメジメしてて嫌な季節です。
十年ほど前、音楽界で『神童』と呼ばれた子供がいた。
独創的な旋律を紡ぎ、あらゆる楽器を使いこなす技術、枠に囚われない抜群のセンスと楽曲を憶える類稀なる記憶力、端麗な容姿から、
――いずれは、音楽界を背負う大物になるだろう。
と、その将来を大いに期待されていた。ただ、運命とは数奇なものである。
少年には、音楽に勝るとも劣らぬ『魔導』の才があった、いや、持ってしまっていた。
強い魔導士の素質を持つ人間は、国にとっての財産だ。ましてや、少年が生まれ育ったのは『魔導の国』ヘレン。奏剣アルカディアを所有するヘレンからすれば、少年のような人材は聖騎士にうってつけだった。その当時、聖騎士が急死したこともあり、国は早急に新たな聖騎士を育成する必要もあった。
何にしても、少年は国家指導の下、聖騎士にならざるを得ない運命にあった。
今まで通りの音楽はもう出来ない。これからは、闘うために、敵を殺すために音を奏でなければならない。
十三歳の少年に突き付けられた現実は、あまりに悲惨なものだった。
それでも、絶望はしていなかった。
彼には、心の支えになる唯一の光があった。
――それが、主君であるフウカだ。
ライルが聖騎士に就任するのとほぼ同時期、フウカもまた王位を継承していた。先代の魔導王には、かなりの老齢になってから生まれた五人の子供がいた。ただ、残念なことに、正当な王位の継承者である長男コウガは魔導の際に恵まれず、次男ヒョウガも才能、器ともに王のそれではない。
三男リュウガには、才能こそあったが如何せん武功派過ぎた。無茶な戦闘の末、あっけなくその命を散らしていた。
長女ルナに関しては論外だ。自由気まますぎる性格で、どこぞの魔族と駆け落ちをしてしまい、消息不明。
比べて、他の兄妹を犠牲にして生まれたかのように、フウカには王としての才能が備わっていた。
魔導国家、と呼ばれるヘレンだ。魔導の才能がない――もとい魔導を使えない長男、次男が王では面目が立たないと言っても過言ではない。
父親は苦悩の末、当時まだ六歳だったフウカを王に指名し、この世を去った。
そんな事情もあり、ライルに課せられた使命は、この幼すぎる王様の剣となり盾となり支えよ、というものだった。
年が近いこと、何よりフウカが幼いこともあり、両者の間にはすぐに絆が生まれた。それは忠義や恩義といった堅苦しいものではなく、かといって弱いモノでもない。
ただ、互いに信頼し、信用し合っているこの主従関係は、人間界一といっても差し支えないほどだ。
ライルはその関係の中で、フウカに対する恋心のようなものも、ほんのわずかにだが秘めていた。
――同時に、それが叶うはずのないことだという事も、理解している。
フウカの心は、カガリに傾いている。信頼感だけならば、ライルに対しての想いの方が強いかもしれない。しかし、それは肉親に対しての情に似ている。フウカから見たライルは『頼れる兄貴分』と言った感じだ。
だからこそ、ライルはフウカの騎士であり、頼れる兄であることに執着する。
「……俺を闘いから解放する、だと?」
キリクが言うことはつまり、自分に勝利する、ということだ。
――そうなれば、どうなる?
フウカが動揺することは間違いないだろう。それどころか、勢いに乗る魔族に傷を付けられるかもしれない。
「そんなこと、俺が許さん。御前を悲しませるものは、たとえ覇王であろうと斬り捨てる……!」
ライルはアルカディアを形態変化させ、シンバルを手に取った。
「剛鎚のシンバル」
壮大な音を響き渡らせると、キリクの身をまるで巨大なハンマーで殴られたかのような、凄まじい威力のエネルギーが襲った。
一瞬の隙も与えず、ライルはさらに形態を変化させる。
「幻惑のハープ」
出現したハープの弦を弾くと、音に込められた覇道がキリクの脳を揺らし、意識を遠のかせた。
――まずい
咄嗟に、キリクは自らの体を水で包んだ。元を正せば、音は空気の振動。周囲の空気を水で遮断すれば、耳に届くことはない。
「――なめるなよ? 魔法王」
ライルの手には、既に違う楽器が握られていた。その手にあるのはフルート。
「茹でダコにしてやるよ、激震のフルート」
分子の超振動により、キリクを守っていた水は一瞬で沸騰。間一髪でそこを抜け出していたキリクは、地面に手を着いた。
水と土の魔力を混ぜ合わせるが、使う魔法は木属性ではない。水の比率を上げれば――
「沼魔法、《ガイアスカッシュ》」
一帯の大地が底なし沼に変わる。
足元を崩されれば、とても演奏などできるものではない。呑み込まれないよう必死に上空へ逃れ、ライルは反撃に転じた。
「形態変化、粒撃のオカリナ」
小ぶりなオカリナを吹いたかと思うと、直後に無数の攻撃魔導が雨あられの如く降り注いだ。
「我が身を護れ――《サンクチュアリ》」
光の障壁で難なくそれを封じ、キリクは火、水、土、風、闇、光、無、の魔力をバラバラに練った。
両の手を天に突き出し、キリクは叫んだ。
「降り注げ、終末の槍よ――《エレメントロンギヌス》!」
それぞれの属性を司る巨大な槍が、天から舞い降りた。
さしものライルも回避が間にあわず、軽くないダメージを負った。が、それを気にすることもなく、さらに攻撃を続けるべくキリクに迫る。
「その邪魔な障壁を破壊してやる――封魔の撥!」
太鼓などを叩くときに使うバチを、棍棒のように両手に握り、ライルはキリクを包む光の壁を粉砕した。
封魔の名の通り、魔力で形成された物体をいとも簡単に砕くことを可能とする。
「……やはり……強いな、お前は」
「当たり前だろう。御前の矛であり盾であるためには、何者にも負けない強さが必要なんだ」
「……っふ。私に勝てる、と?」
「客観的に見ても、互角以上だと思うが?」
キリクはほんのわずかに口角を上げた。
――笑わせるなよ、若造が。
「魔法王の真髄を見せてやろう。久しぶりに、全力をぶつけても大丈夫そうだ」
その刹那――
この世の物とは思えぬほどの衝撃が世界を襲った。使用者であるキリクですら無事では済まないほどの、恐るべき威力の攻撃だった。
その正体は、今まで魔族が長い歴史の中で培ってきた幾千もの魔法。
キリクはその全てをライルに向けて放ったのだ。しかも、時間魔法による時間短縮で不可避の攻撃だ。おまけに、空間魔法で余波までしっかりライルの体に叩き込まれるような使用だ。
無論、魔力の消費は尋常ではない。キリクの残存魔力は、ほとんど使われてしまった。
酷い息切れと虚脱感の中で、キリクは呟いた。
「……老いたものだ。一昔前なら、もう少し……ゲホッ」
口を覆った手を見てみると、真っ赤な血が付いていた。
――本当に、老いたな。
自嘲的に笑い、視線を前に向ける。
「まだ、死んではないだろう。というより、死んでもらっては困るが」
「……ああ。残念だが、俺は御前より先には死なないし、負けることもない」
ゆらりと立ち上がったライルは、ふらつく足取りでキリクの方へ進んだ。
「だが、流石と言わざるを得ないな、魔法王。よくもそれだけの技術を身に付けたものだ」
「……ふん。この程度でおどろいてもらっては困るな……」
「あれ以上のことが、出来ると?」
「……私にはできん。だが」
辛そうに立ち上がり、キリクは両手を広げた。
これ以上魔法を使うには、命を削る必要がある。MPではなく、HPを使って魔法を発動するようなものだ。
「私が認めた後継者ならば、あいつなら私を超えることが出来る。少なくとも、私はそう信じている」
「背水の陣、といったところか? 良いだろう」
――生半可な覚悟では、勝負にならんかもな。
ライルは体から流れている血を剣に付着させ、魔力を込めた。
「俺も覚悟を決めよう。もう、音楽という鎖は断ち切る」
「お前は、未来を背負えることのできる人間だ。そして、それと肩を並べるようにペルシアもいるはずだ。私には、そんな予感がしてならない」
「魔族と肩を並べるなど有り得ん」
「……っくく……不可能、か。ハハハハッ」
キリクは目を細くして笑った。
「ウチの魔王は、それを壊すことに掛けては天才的だ!!」
「悪いが、聴覚を遮断した。もう何を言っても聞こえない」
ライルの周りには、あらゆる楽器が所狭しと並べられていた。
だが、最早それを奏でることに喜びなど感じようもなかった。音が聞こえないのだ。自らの音を祝福される光景すらも見れない。
――構うものか。これが、俺の選んだ道だ。
互いの、最後の一撃が放たれようとしていた。
「フルオーケストラ!!」
「……ライル。お前の未来に、音と光を取り戻してやる」
迫りくる音の殺意に猛然と身を突っ込み、キリクは右手を懸命に伸ばした。
言い表せないほどの衝撃。体は叩かれ、殴られ、斬られ、苦痛以外の何でもない。
――それでも、もう引くわけにはいかない。
指がライルの体に触れる感覚を得ると同時に、キリクは生涯最後の魔法を発動した。
「D.C.(ダ・カーポ)」
数瞬後、ライルの攻撃は止んだ。
そして――




