強化合宿
アレンがシモンとの戦闘を開始していたころ、ハーデス、ドロシー、クイントの三人は北の大迷宮、《バベル》を目前にしていた。
「……いやあ、やっぱり寒いねえ」
「と言う割には、薄着過ぎる気がしますが」
「そうかな? いつもと同じ感じだけど」
「クイントは、それがおかしいと言っているんですわ」
この地の平均気温、実にマイナス七十三度。不用意に生物が足を踏み入れれば、極寒の環境が瞬く間に命を刈り取ってしまう。
そのため、防寒着でがっちり固めるのが常識であり、ドロシークイントの両人も例に習っているのだが、ハーデスだけは違った。動きやすさを重視した軽装で、傍から見ればただの変態だ。
「まあ、ボクほどになると環境がどうとかは関係ないんだよ。そんなことより、早く中に入ろうよ。時間は限られてるんだし」
時計を見て、ハーデスは入り口に近付いた。そして不用心にドアを蹴り開け、二人を手招きした。
「……全く、規格外にもほどがありますわ」
「本当に、恐れを知らないというか……」
ただ、それもしょうがないことなのかもしれない。歴史的に見ても最高レベルの才能を持つが故に、努力や敗北と言うものを数えるほどしか味わったことがない。デモンチョイスの時も、ほんの少しの風の吹き回しで魔王に就任していたかもしれないのだ。
「まあ、ここでぶつくさ言っててもしょうがないですわ。行くとしますわよ」
「そうですね。時間がないのは確かですし」
二人は溜息を吐き、ハーデスの後に続いて『バベル』に足を踏み入れた。
――その次の瞬間。
「グァアァ!」
と言う奇声と共に、鳥形の魔獣が襲ってきた。突然の事態だったが、二人は素早く反応し、分かれるように左右へ跳躍。
ドロシーは爪を伸ばし、クイントは翼を広げそれぞれ中空で呟いた。
「引き裂け――《ストームエッジ》」
「灰と化せ――《フレイムグングニル》」
嵐を纏った爪でドロシーが切り裂き、怪鳥が痛みで硬直したところをクイントの放った炎の槍が貫く。
文字通り灰と化した亡骸を一瞥し、ドロシーはクイントに言った。
「怪我はありませんこと?」
「おかげさまで。しかし、いきなりでしたね」
「全くですわ。ただ……」
ドロシーはクイントの背後を指差した。
「これで終わり、なんてことはないみたい」
視線の先にあるのは、さっきと同じような鳥形の魔獣。ただし、大きさは二回りも上に見える。ちなみに、その数は四匹。
「家族、ですかね」
「どうでもいいですわ。こんな有象無象」
「それもそうですね。そういえば、ハーデスさんはどこに行ったんでしょう?」
「先に進んでいるか、どこかで見ているか……構えなさい。来るわよ」
会話は怪鳥が襲ってきたことで中断された。素早い動きで攻撃をかわしながら、ドロシーは一匹に狙いを絞った。
腹の下の滑り込み、すれ違いざまに一太刀を浴びせる――が、薄皮が切れただけで致命傷には至らない。
「……っ、堅い」
「ドロシーさん! 油断しないで、後ろです!」
「っく……!」
重い突進に突き飛ばされ、ドロシーは後ろへ吹き飛んだ。何とか受け身を取ることは出来たものの、その隙に三匹はクイントへ攻撃を仕掛けて、魔法の発動を許さなかった。
残った一匹は、ドロシーへの牽制。ただ、クイントの方を警戒しているようにも思える。これから言えることは、一つ。
「クイントの魔法を恐れているようですわね。なるほど……」
ドロシーはフッと笑った。その時、怪鳥の爪で長い髪を数本切られた。
「良かったですわ。恐れと言う感情を持っているようで」
――二、三秒、持ちこたえてもらえますか?
ドロシーは水魔法、《ウォーターチェイン》で水の鎖を創りだし、怪鳥を縛った。
「――『獣化・爪・脚」
獣人族は本来、とても弱い種族である。妖精族のように魔法が上手く扱えるわけでも、龍人族や吸血鬼族のような、強靭な肉体も持っていない。
ただ、『獣化』の力を使い、獣の力を百パーセント発揮すれば、中には他種族を凌駕する者もいる。
しかしこの力、強力だが三分しか持たない。
――素人が使えば、の話だが。
熟練者ならば、部分的に力を宿すことで、時間を延ばすことが可能だ。今の様に、爪と足だけならば四十分ほど保てる。
「……もし少しでも恐怖と言う感情を持っているなら、理解るでしょう?」
ドロシーから放たれる何かを感じ取り、怪鳥の動きが止まる。クイントに襲いかかっていた三匹の視線も、ドロシーに向けられる。
「怖いでしょう? でも、それが普通なのよ。何故なら私は、獣人族の中でも特異な存在。奇跡の体現者だから」
ゆっくりと、一歩ずつドロシーは歩いて行った。
「父は剣歯虎、母は白獅子。そうね、言うなれば私に宿る獣の力は『ホワイトサーベルライガー』。これ以上ないくらい女王と呼ぶにふさわしいでしょ?」
血統だけで言えば、ドロシーに勝るものは恐らくいない。例えるなら、魔王や覇王、子に力を遺伝させる勇者のDNAを受け継いだ存在のようなもの。
「女王の御髪に手を触れて良いと思って? 下劣が」
突然、糸が切れたように怪鳥たちが暴れ出した。本能が怯えを通り越してしまったのだろう。
ドロシーは生ごみを見るような冷酷な眼で言った。
「五月蠅いのよ。有象無象共」
刹那、一陣の風が吹いた。ドロシーの爪に切り裂かれた怪鳥は、血飛沫を上げた。が、血は一瞬で凍りドロシーに汚れ一つ付けることはなかった。
「今度こそ終わりですわ」
「す……ごい、ですね」
「怖がる必要はなくってよ。私、あなたのような可愛い者は嫌いじゃありませんから。それより……」
ドロシーは室内の一点を見つめた。
「出てきたらどうですか? ハーデス」
「分かる? いやはや、なかなか強かったね」
「『獣化』中は色々と敏感になりますので。それで、一体何を?」
ひょこっと出てきたハーデスは、張り付けたような笑みで言った。
「君たちが何処までやれるか、お手並み拝見ってやつさ。まあ、そこそこ戦えることは分かったからさ、一つ言わせてもらうね」
「なんですの?」
「君はしばらく『獣化』を使えなくなる」
「え……」
唐突に告げられた言葉だったが、ドロシーは言葉の意を理解した。『獣化』を試みるが、出来なくなっている。
「《学者泣かせ》ですわね。どういうつもりで」
「今回の迷宮攻略はね、言わば君たち二人の為の強化合宿だ。この先の闘いで通用するよう、鍛える必要がある」
ハーデスは親指と中指を合わせ、指を鳴らすと同時に言った。
「だから、相当無茶なこともする。それこそ、死にかけるぐらいの」
「……うぅっ!」
「お、重……!」
「上級闇魔法、《グラビティハイ》」
二人の体に重力場が発生し、約二トンの質量がのしかかった。
「その状態で、迷宮を攻略してもらう」
「こ、この状態でって、その前に、死にますよ!」
「だったら、そこまでだったって事さ」
ハーデスはスタスタと歩き、上の会へと続く階段に足を掛けた。
「……早くしないと、戦争終わっちゃうよ?」
「こ……の。上等、ですわ」
「……やってやります、よ」
重い体を引きずり、二人は上層階に向かった。一階層と同じように魔獣が襲いかかって来たが、苦戦しつつも何とか勝利。
次の階も、その次の階も同じだった。度重なる連戦で、二人の肉体は異常な速さで破壊と再生を繰り返していた。しばらく同じような階が続いたが、変化は突然訪れた。
酸素も少し薄くなってきた第三十階層。そこにあるのは、巨大な掛け時計だった。この階層で、二人はこの迷宮の不可思議な点に気付くことになる。
「……ここに入って、まだ一時間しか経っていない?」
クイントが時計を見て、そう呟く。だが、それはおかしかった。明らかに四時間は経っているはずだ。
「壊れているのでしょう。そうとしか考えられませんわ」
「ですよね。これだけしか時間が経ってないなんて、そんなこと」
「あり得るんだよね。これが」
いつの間にかそこに居たハーデスが、大荷物を抱えながら割り込んできた。何を拾ったのかは突っ込まず、ドロシーは質問した。
「この時計は正しいと、そう言いたいのですか?」
「そうだよ。その証拠に、ほら」
ハーデスは時計を投げて渡した。見ると、確かに時刻は目の前の巨大時計と一致している。
「それってつまりさ。ここに何かあることを示してるよね」
「……魔剣、ですか」
「ご名答。こんなところに眠る伝説の武器なんだからさ、時間への干渉くらい容易くしそうじゃない?」
「まあ、確かに」
「それとさ……」
ハーデスは二人の体を指差した。
「気付かない? 傷の治りが異常に早いってことに」
「……確かに」
「随分都合のいい場所だよね。修行するには打ってつけだ」
「厳しい環境に、手強い敵に、何故か遅く進む時間、そして治癒力の促進効果」
「ノース君は、このことを知っているのかな? まあ、後で聞けばいいね」
時計をちらりと見て、ハーデスは続けた。
「残された時間は、体感的に一週間程度。それだけあれば、君たちは今の倍以上強くなれる。特に、成長期真っ盛りのクイントちゃんなんかはね」
歩き出して、ハーデスは顔だけ向けて告げた。
「一つアドバイスすると、戦略の軸になる独自の武器を見つけると良いよ。ボクの『悪魔還り』や、アレン君の《万物一体化》みたいなね」
「自分だけの……」
「……武器」
「ま、イメージは闘いの中で固めていくものさ」
ドロシーとクイント、二人の強化合宿はここから更に熾烈を極めていく。




