訪れる終幕
――――あたしゃを殺してくれ。
その言葉の真意を、アレンは翌朝になっても理解することが出来ていなかった。しかし直感的に、この世界へ居座ることのできる時間は、残りわずかだという事を感じ取っていた。
どうにも煮え切らない気分のまま朝を迎え、ラスクの用意した朝食を食べていたアレンは、向かい側に座っている先祖に聞いた。
「昨日の言葉って……あれはそのままの意味で受け取っていいのか」
「んー、そうじゃが。まあ、それは試練と言うよりは『形見』に近いかもしれんが」
「形見ぃ?」
アレンが聞き返すと、ラスクは一つ頷きポケットから一つのスイッチを取り出した。それを投げ渡し、お茶を一口すすると、話しはじめた。
「詳しい原理は省くが、そのスイッチを押すとあたしゃが死ぬようにできてる。アレンにはそれを押してもらうぞ」
「押してもらうぞって……何でだよ。死ぬ必要あるのか?」
ラスクはしばらく押し黙っていたが、やがて、一言呟いた。
「《コンバート》。あたしゃが作った属性魔法――『記憶魔法』の奥義にして、魔法研究者としてのあたしゃの研究の集大成でもある。その効果は、自らの知識を他者に受け渡すというもの」
そこまで言って言葉を切ると、しかし、と前置きし言葉を繋げた。
「発動条件が一つだけある。……それが、そのスイッチの意味じゃ。お主にもわかってきたじゃろう」
アレンは手元のスイッチを一目見て、微かに震える声で答えを口にした。
「……知識を渡すためには、対象に殺害されなければならない……? そういうことか。あんたを殺すってのは……俺に自分の、百年近くに渡って積み重ねてきた知識を渡すってことか」
ラスクはもう一口お茶を口に含むと、軽く笑って返した。
「まあ、そういうことじゃ。案外無駄な知識も多いから、役に立つか分からんが、風魔法についての知識は重宝すると思うぞ」
「風魔法? 俺使えねえけど」
「それが使えるようになったりするんじゃよ。昨日の晩、寝ている間にある物へちょいと細工しといたからな」
「細工? いったい何に」
ラスクは懐から、今度は指輪を取り出した。銀色の鈍い輝きを宿すそれを見て、アレンは思わずあっと声を上げた。指を指して、大きめな声で言った。
「その指輪! 母さんのやつ、いつの間に掏ったんだよ!」
「落ち着け。これはもともと、夫からあたしゃに送られた物なんじゃけどな。人間界へ行く直前、形見のつもりでショコラに渡した物がこんな形で巡ってくるとは思わんかったぞ。とにかく、これに細工しといたからな」
アレンは指輪を受け取り、よく観察した。すると、今まで見たことのない模様が刻まれているのが分かった。龍のような模様は全体的に広がっており、かなり複雑に作り込まれている。
「それには、あたしゃの風魔力を封じ込めた。指に嵌めることで、お主にも風魔法が使えるようになるはずじゃ。あたしゃの知識と合わせて使えば、強力な武器になるじゃろうて」
ラスクはそう言い、一口でお茶を飲みほした。立ち上がり、外に出ていき、アレンにも来るよう伝えた。微かに躊躇いを見せるアレンだったが、スイッチを手に取ると一度強く歯軋りをしてラスクに続いた。
「さあ、一思いに押してくれ。準備は良いぞ」
アレンはスイッチに親指を当てた。緊張からか、痙攣したように震える手を宥めるため深呼吸し、力を加えていく。
だがしかし。
あとちょっと、もう一グラムでも力を加えれば作動すると言ったところで、アレンの指が動かなくなってしまった。突然、アレン自身でも訳が分からないほど急に、力が入らなくなってしまった。
――何で……俺はこんなところで止まっちまってるんだ!
この二年間の記憶が、今この瞬間は不必要なはずなのに脳裏を掠める。視界の焦点が揺らぐ。あと少し、ほんの少しでいいのに、その少しが途方もなく大きい。
「……く……そぉ」
今まで、魔獣は数えきれないほど殺してきた。ダウトやハーデスを、殺そうとして闘った。
それでも、アレンは今まで、本当の意味で殺したことはなかった。
知らなかった。いや、知りたくなかった。誰かを殺すのが、これほどまでに怖いことだとは。酸欠になりそうな脳へ、心臓が必至で酸素を送ろうと暴れる。
――動けよ……俺の指。あと少し押せばいいんだよ。
「…………魔王になるって…………決めただろ…………!!」
カチ、と。スイッチが押されたことを示す音が耳に入った。空間にひびが入り、綻びが出始める。アレンは霧の様にだんだんと薄れていくラスクを見た。
手を二、三回振ったラスクは、砂のような結晶となり消えた。空間を維持していた存在が消えたことで、本格的に壊れていく空間でアレンはか細い声で呟いた。
「……試練クリアしたんだから、質問させろよな。……話が違うじゃねえか」
崩壊していく世界を眺めているこの瞬間にも、ラスクの知識が脳内へ流れ込んできている。魔法の基本的な知識、専門的なものから、あらゆる体術のいろはといった戦闘に関すること。美味しいコーヒーやお茶の入れ方、世界各国の方言、料理、特色。
そして最後に、どういう訳か花言葉の羅列。アレンは何の気なしに、ラスクのいた場所を見つめた。するとそこには、一輪のピンク色の花が咲いていた。
アレンは今さっき得た知識から、該当するものを探した。あった。目の前に咲く花はボタンの花のようだ。
花言葉は――『王者の風格』。アレンは俯くと、小さく、それでも力強い声で言った。
「ったく。増えちまったじゃねえか…………魔王になる理由が。ああ、やってやるさ。魔王になってやるよ」
世界の終幕と共に、アレンは静かに涙を零した。
視界に広がる暗闇を払拭するかのように、アレンは目を開いた。眩しい太陽の光が、そしてそれによって異常なまでに高くなっている気温が、アレンに不快感を与えさせた。周りには、生い茂る木々。そして、獰猛な魔獣。
――ああ、戻ってきたのか。
そう、ここは『決別の森』だ。二年ぶりだが、全く変わっていない。相変わらず暑いし、魔獣はわんさかいる。
そんなことを考えているうちにも、魔獣たちは襲いかかってきた。敵と見なすや否や襲いかかるところも、同じだ。
「少しは学習しろよな」
右掌が見えるように、顔の前へ持ってくる。中指に付けた指輪が、光っている。
――婆さん。あんたの力、貸してもらう。
「《リッパーストーム》」
アレンを中心に、大規模な嵐が巻き起こった。飲み込まれた魔獣、木々、大地が切り刻まれる。数秒して、アレンが腕を右に振るうと、ようやく風が収まった。
視線を上にあげ、いつの間にか戻っていたセバスに言った。
「俺からすれば昨日会ったばかりだけど、まあ二年ぶりか」
「よく、戻られましたね」
「まあ、色々あったけどな」
と、その時だった。突然、遠方から女の声が聞こえた。よく聞き取れなかったが、何かを叫んでいる。
「……誰かいるのか?」
「ああ、まあ。そんなところですね。行ってみれば、分かるかと」
微妙に言葉を濁らせたセバスを不審に思いながらも、アレンは声のする方へ向かった。木々を掻い潜り進んでいくと、女の声がはっきりと聞き取れるようになってきた。
その少女は、肩の辺りまである黒髪を揺らしながら叫んだ。
「爺さーん! メガネがどっか行ったんだけど探してくれへんかー!」
アレンは近くの岩を見た。そこには赤いフレームの眼鏡が置いてあるので、この少女の物で間違いないだろう。とりあえず、声をかけてみることにする。
「おい、これか?」
「ん、どれや。ちょっと貸してみ。……お、これやこれ。ありがとな、えーと……」
「アレンだ。お前、黒髪に黒目ってことは魔王候補だよな。ここで何やってんだ」
少女は眼鏡をかけると、アレンの問いには答えずじっとアレンを見つめたかと思うと、知的好奇心が強そうな顔を寄せ、口を開いた。
「アレンってまさか、アレン・アヴィスか? ランク百、最弱の魔王候補でええんか?」
「そうだよ。お前は? あと、顔近い」
少女は少し離れると、手を差出してこう告げた。
「細かい話はあとや。とりあえずアレンはん。『同盟』組んでくれへんか?」




