奥琵琶湖グランドパークホテル
GWの次の週末、つまり5月の半ばに家族旅行を計画していたのだけど、どうやら中止になりそうだ。
理由は夫婦喧嘩だ。子供が生まれてからは喧嘩ばかりしていた。
「旅行だけど、どうする?キャンセルする?」
夕食の時に思い切って聞いてみたものの、妻には無視された。最近何を話しかけても答えてくれない。
「いまキャンセルしたらお金かえってくるけど、前日だと80%取られるって」
私はスマートフォンで旅行の予約サイトを見ながら話しかけ続けた。返事はない。
1歳の娘は隣の和室でスヤスヤと眠っている。リビングルームはピリピリとした空気が漂い、緊張感があった。
私はそれでも、今回の旅行は行きたかった。それは、これが最後の旅行になる気がしていたからだ。
自分には、夫婦関係はもう破綻しているという確信が有った。だからつまり、私たちの家族はあと少しの間しか一緒にいられない。
「行くだけ行ってみないか?気乗りしないかもしれないけど」
無言で洗い物をしていた妻が、首を縦に動かしたように見えた。でもOKだという確信は無かったし、聞き返す勇気もなかった。
そして週末の土曜の朝を迎えた。本来なら旅行に行く日だ。
私はなんだか出発前から、疲れていた。精神的に少し参ってもいた。それに妻が一言「行きたくない」と言ったら止めるすべがないのだ。なんとも不安定な気持ちだった。そして結婚してからはずっといつも、そんな気持ちでいた気がする。
いつの間に用意したのか、玄関にはトランクケースと、ベビーバッグが置かれていた。妻は自室で子供と遊んでいる。どうやら、出発はできるらしい。
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天気予報では出発する今日が雨で、明日の帰りが曇り、という事だった。
でも今は何とか天気は、曇りで持ちこたえている。
曇ってくれたおかげて、逆に気温が上がらずに助かったともいえる。天気が曇りというのは、今の時期に旅行するのにはベストだった。
琵琶湖の護岸道路をドライブしつつ、北に向かう。
妻は後部座席に娘と並んで座り、黙って外の景色を眺めている。どうやらそんなに心楽しくは無い様子だ。
娘はチャイルドシートにシッカリと固定されながらも、表情は楽しそうにしていた。娘は乗り物が好きなのだ。車が動いていると上機嫌で「アー」と声を発した。信号などで止まると、泣いた。幸い琵琶湖沿いの護岸道路には、信号が少なかった。
1時間半ほどドライブしたところで、休憩も兼ねてランチをとる事にした。
出発前に場所を調べてきた湖畔沿いのファミレスは、ホテルを改装したような建物で、ファミレスにしては上品だった。席の窓辺からは芝生のある庭園を眺めることが出来て、その奥には、ほんの少し琵琶湖が見えた。
クルマのトランクに、ベビーカーも積んできていたのだが、その上に荷物を乗せすぎていて、取り出せなかった。店で、ベビーチェアを借りた。
ファミレスに入ると、娘はぐずって泣いた。それは私たちの夫婦仲の悪さを感じ取ったのかもしれないし、または木製のベビーチェアが気に入らなかったのかもしれない。
隣の席にいた外国のご婦人が、「ハウアーユー?」と娘に話しかけてくれたが、娘はベビーチェアの中で斜めに反り返り、ぐずっていた。
とりあえず食事を注文すると、私は駐車場までミルクを取りに戻った。
ミルクを飲ませると、娘の機嫌が少し治った。
ランチを終えて、再び1時間半ほどドライブすると、ホテルに着いた。緑豊かな奥琵琶湖の、うっそうと茂る草木の合間に建つ、年代物のホテルだった。
とりあえず受付をする前に、ホテルの駐車場から琵琶湖畔に出られたので、先に湖畔に行ってみた。娘に琵琶湖を見せてやりたかった。
娘を抱きかかえながら、生まれて初めての琵琶湖を見せた。
湖から心地よい風が吹いていて、曇っていたせいで気温もあまり高くならず、過ごしやすい気候だった。
娘は「えヴぁ」と、一言つぶやき、眩しそうに眼を細めた。
やはりホテルは相当年代物ではあった。
受付を済ませて部屋に入ると、予約の時に見ていたホームページの写真より年季が入っていて、部屋の入口のフローリングは、踏みしめるたびにキイキイと音をたてた。
ただ清潔ではあり、全体的にブラウンの色調で統一された内装はそれなりにオシャレではあった。そして広くて、天井も思ったより高い。
娘は気に入ったのか、フローリングの上をゴロゴロと機嫌良く転がっていた。娘が泣かないことが一番有難い。
間接照明もオシャレだった。室内からは琵琶湖が一望出来た。柔らかな日差しが部屋を照らして、とても開放感のある部屋だった。
妻はしばらく、室内で娘と写真を撮っていた。私はその間に、クルマに積んだ荷物を部屋に運んだ。哺乳瓶の消毒セットとか、娘がフローリングの上で眠れるようにベビーマットも持ってきていた。
荷物を全て運び入れた頃、妻に勇気を出して「3人で写真を撮らないか」と言ってみた。嫌とは言わなかったので、自分のスマホで何枚か写真を撮った。
そしてしばらくの間、3人で部屋にいた。私は少し疲れていて、軽く眠った。一時間ほど眠ってから、ホテル内のレストランに夜ごはんを食べに行った。
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予約サイトの口コミの評判が高かったこともあって、料理は通常のコースより一つグレードを上げた、近江牛のコースを予約していた。
もっとも、妻はいまだに全く喋らずにいて、私も料理の味を美味しく感じることができるのかは、分からなかった。
ホテルの1階にあるレストランに着くと、お客さんは、私たちの他に老夫婦が二組ほどいた。店内では洋楽スタンダードナンバーをオルゴール調にしたメロディがゆっくりと流れていた。
レストランからも琵琶湖が一望出来た。夜の6時を過ぎて、湖畔は紫色に染まりつつあった。
外を眺めていると、若いカップルが寄り添いながら、桟橋で写真を撮ったりしていた。妻と結婚前に過ごした時間を、少し思い出した。
BGMで、ビートルズの「インマイライフ」のオルゴールがゆっくりと流れた。私はその旋律が、家族三人での、最後の旅行の、少し寂しい雰囲気にとても似合っていると思った。
ほとんど会話も無く、食事をして、途中娘が泣いたので、抱っこしてあやしたりした。
近江牛は柔らかくて美味しくて、満足度が高かった。そして白ご飯がとても美味しかった。なんでも琵琶湖の西側、高島地方のコシヒカリなんだそうな。
そうこうしている内に陽が落ちて、琵琶湖の景色も、真っ暗になって、もうすぐ私たちのこの、少し寂しげな旅行の時間も終わろうとしていた。
久しぶりに小説を書いたので、アップしてみました。
フィクションです。




