1.理想の崩壊
全身を覆う漆黒のオーバーコートから覗く群青の衣装は、国民の憧れの的だ。
厚底のブーツが立てる重厚な足音は、一般市民に真似できるものではない。かろうじて、首飾りが揺れた時に鳴る金属音は、幼少期にその辺の石を擦り合わせて誰の音が一番近いかと勝負した。今となっては、似ても似つかない音の違いに現実を突きつけられ、いつの日か石を探す人はいなくなった。
新聞記事に載るルクシア騎士団はいつも爽やかな笑顔を向けている。顔採用しているのかと思うほどに眩しいそれは自分を絶望の淵に立たせるのに十分なものだった。鏡を見ては冴えない凡人顔に辟易する。
いつか、あのマントで風を切る。訪れた先で黄色い歓声を浴びる。健全な国民なら一度は夢に見る光景だ。
十二歳になったらこの国の少年少女は、大半がルミナリア魔法学院に入学する。みんなの憧れ、ルクシア騎士団に加入するためだ。
国が管理する唯一の学校で、費用は一切かからない。就職難民にならないためにとりあえずで入学する人がほとんどだけれど、それでも三割くらいはグレるらしい。
日夜、活躍するルクシア騎士団への憧れは日を追うごとに強くなる一方だ。
そんな俺は来月、待ちに待ったルミナリア魔法学院生活がスタートする。
入学試験でのエピソードは、学院側に大きな印象を残したに違いない。形式上の面接だと分かっていても、溢れる情熱を止めることができなかった。ルクシア騎士団の歴史や現代社会への影響、偉大な功績、これらを語る俺を見る教員の目!あれは間違いなく、………ドン引きの目だった。やってしまったと後悔したのも束の間。見事合格を掴み取った俺は、晴れてルミナリア魔法学院の入学待機組に昇級したのだ!!
ルクシア騎士団を目一杯堪能するべく街へ出向いた時のこと。来月から着用を許可されている学院の制服を無許可で着ていた俺の元へ、一人の団員が近付いてきた。自分を売り込むチャンスだと思った。規律違反であったとしても、寛容な騎士団なら笑って許してくれるだろうと考えた。むしろ、意欲の高い少年の志に感激してくれると、期待した。
側に来た団員の顔を見ようと顔を上げた瞬間、瞼が濡れた。この人が誰なのかを言い当てようと上がった口角はそのままに、左目の視界がボヤける。何が起きたか分からず瞬きをしたからだ。
俺の顔に降ってきたのは、その男の唾だった。
「え」
引き攣った表情のまま形を崩せずにいた。右目に映る男は間違いなくルクシア騎士団の制服を着ていて、俺が恋し焦がれたアドン団員だった。憧れの爽やか団員。顔採用で記事に載る有名人。おかしい。なにかがおかしい。アドンはこんなことをする人じゃない。そうか、分かったぞ。誰かが魔法で成り代わっているのか。そうだ、そうに違いない。
「アドンの姿でなんてことをするんだ!!今すぐ謝れ!」
勢いよく掴んだ裾を振り払われ、体勢を崩す。
「呼び捨てに、命令に、規律違反」
聞こえる声は紛れもなくアドンのものだったけれど、口調がやはり別人であった。負けじと反論しようと拳を握ったが、それはすぐに力を失った。
「おめーみたいな、低脳で、カスで、ゴミが騎士団を目指すから、国の品位が下がるんだろうがっ!憧れるだけの、ルールも守れないクソが、ご立派に夢みてんじゃねーよ。二度とそのダサい格好で俺の前に現れるな」
胸ぐらを掴まれた拍子に制服のボタンが取れてしまった。きっと悪いやつが騎士団の評価を下げるために乗り移ったのだと、そう思った。現実から目を背けたくて、そんなはずないと思って、騎士団の本部を偵察した。
会議だなんだと市民を追い払い、裏門から出てきた団員はみんな酒を飲んでいた。俺は同年代の人に比べて、少しだけ魔法が使えるからちょっと壁を登って裏門へ行くことくらいは朝飯前だったりする。でもまさか、こんなことのために力を使うとは思わなかった。
いや、でも、たまたま今日はそういう日だったってだけで、毎日じゃないだろうから、明日も偵察してみよう。そうすれば今度こそ、かっこいい姿を見れるに決まってる。
次の日は本部じゃなくて、街の一角にある騎士団の拠点だ。事件を未然に防ぐために常駐する団員のための仮住まいのような場所。そこでならさすがに真面目に働いているはずだ。
日が落ちて人気が減った頃を見計らって、団員が出てくるのを待った。その隙にこっそり中を覗く算段だ。酒を飲んでいるかどうかの判断はできるだろう。ここでは時間ごとに当番が決まっていて、常に誰かが働いている。そんな仕事場で酒なんかを飲んでいるのは悪党のすることだ。酒は人をダメにするって、親父が言ってた。
我慢強く数時間待ってようやく、扉が開いた。団員が複数人出てきたその一瞬で中を覗こうと目を凝らした。ほんの一秒にも満たない刹那の瞬間に辺りが白く照らされた。真夜中の暗闇の中、ボヤける視界を凝らしたあの時に、誰かと目が合った。そして、撃たれかけたのだ。
寸分違わず明確な殺意を持って放たれた魔法の一撃は、俺の首根っこを掴んで額を拭っている男が跳ね返したらしい。遠くの空で一番星のような光となって消えた。
「ふぅー。あーぶね」
「え」
「少年、あいつに何したの?」
「俺は、ただ…騎士団のかっこいいところを…」
頭の中で崩れ去ろうとしている理想の騎士団の姿が涙を誘う。
そっと下ろされた身体を支えるための力がなかった。地べたに座り込み、絶望感が心を支配する。
「あぁ、そう?どう。かっこいいとこ、見つけた?」
「俺は、この国で活躍するルクシア騎士団に憧れて、あそこに入るんだって、かっこいい男になるんだって、決めたんだ…」
「うんうん、憧れは人それぞれあるさ」
「国を守るって…お母さんと約束じだの"に"」
「おぉ、立派なことだ。少年、名前は?」
「うぅ…ジャック。ジェーエーシーケー。トランプと同じ…」
「そうか、ジャック。守るってのは、守られる側の視点なんだけど、この話、分かりそう?」
「何言ってっか、わがんねぇ。つーか、おっさん誰だよぉおお」
俺を助けてくれた男はルークと名乗った。ノクス傭兵軍のリーダーで、なんとこいつも、国を守っているんだとか言う。
「俺はね、ジャックみたいな思いをする人を守るよ。騎士団の連中は勝手に防御するだろうけどさ、ジャックみたいな何も知らない子どもや、力を持たない者はどうする?誰が守る?」
「ルクシア騎士団が、守ってくれるもん」
「おいおい、ジャック。今、殺されかけたよね?」
「気のせいだもん」
「憧れって盲目的だよねぇ。よく分かるよ。でもそれじゃ、少年の命がいくつあっても、足りないよ」
「うぅうぅ、名誉な死ってことにしてよ」
「なかなか拗らせてるね?なんでもいいけどさ、その忠誠心と命を捧げる姿勢はもっと評価されるべきだと思う。俺ならジャックを、少年から英雄に育てることできるんだけど、どう?やってみない?」
「変な宗教に勧誘されたぁああ。助けてぇ」
「助けたじゃんか」
突如現れた怪しい男、ルークは終始ニコニコと笑顔を浮かべて夜通し話を聞いてくれた。
ルークは四年前にルミナリア魔法学院を中退した傭兵らしい。いわゆる、グレた三割だ。




