父を呼ぶ声
最初に聞こえたのは怒鳴り声だった。
モンスターの咆哮じゃない。
人間の、必死な声。
「来るな! 来るなって言ってるだろ!」
瓦礫だらけの住宅街。
半壊した二階建ての家の前で、少年が金属バットを構えていた。
中学生くらいだ。
制服はもう原型を留めていない。
膝が震えているのが遠目にも分かる。
その前にいるのは――モンスター。
人型。
だが腕が異様に長く、背中が歪んでいる。
顔は潰れた仮面のようで、かろうじて人間だった痕跡が残っていた。
「……あれ」
健人が低く言った。
「変化が浅い」
モンスターは少年に向かって一歩踏み出した。
「やめろ!」
少年が叫ぶ。
「父さん……やめろって言ってるだろ!」
俺はライフルを構えた。
だが、引き金を引かなかった。
少年の声が、あまりにも――必死だったからだ。
戦い方は拙かった。
バットを振るが、距離が合っていない。
当たっても浅い。
モンスターの爪が、コンクリートを抉る。
それだけで少年は後ずさる。
「……初めてかな」
真白が小さく言う。
少年は、まだモンスターを倒したことがない。
だから力も得ていない。
ただの――子どもだ。
「父さん!」
少年が叫ぶ。
「分かるだろ! 俺だよ!」
モンスターがぴくりと動いた。
一瞬だけ。
その動きに俺は息を止めた。
だが次の瞬間、モンスターは吠え、腕を振り上げた。
「危ない!」
健人が飛び出す。
鉄パイプで腕を弾く。
衝撃で、健人が数歩下がった。
「……お前は手出しするなって言いそうだな」
健人は俺を見て言った。
「でも」
真白が少年を見る。
「このままじゃ、死ぬ」
少年は腰が抜けていた。
それでも、バットを離さない。
「俺が……俺がやらなきゃ……」
震える声。
「母さんは、もう……。だから……」
その先は言えなかった。
「なあ」
俺は少年に声をかけた。
「倒し方は選べる」
少年が、こっちを見る。
涙と汗でぐちゃぐちゃの顔。
「……何?」
「正面から殴り合えば、戦士になる。逃げながらそいつを投げれば狩人だ。罠なんてのもある。」
一瞬、少年の目に迷いが浮かぶ。
「でも」
俺は続けた。
「どれを選んでも、相手が誰だったかは変わらない」
少年は、唇を噛んだ。
「……父さんは優しかった」
モンスターが再び動く。
少年は叫んだ。
「家族を守る人だった!」
そして走った。真正面から。
バットを振り上げ、全力で。
健人と真白が同時に動く。
致命傷にならないように手加減し、モンスターの動きを抑える。
最後の一撃は少年だった。
鈍い音。
モンスターが、崩れ落ちる。
光は、派手じゃなかった。
ただ、少年の身体に静かに何かが染み込む。
「……戦士、か」
健人が呟く。
少年は立ち尽くしていた。
バットを持ったまま。
「父さん……」
モンスターだったものは、もう動かない。
少年は泣かなかった。
泣くには、疲れすぎていた。
「これからどうするんだ」
俺が聞く。
「分かんない」
正直な答え。
「でも」
少年は顔を上げた。
「逃げない。もう、逃げない」
戦士らしい言葉だった。
真白がそっと包帯を渡す。
「痛みは消えないよ。でも、生きてれば……」
少年は頷いた。
「……ありがとう」
俺たちは去る準備をする。
その背中に、少年の声が飛んだ。
「ねえ!」
振り返る。
「父さんはさ……最後に俺のこと、分かったと思う?」
俺は少し考えてから答えた。
「ああ。きっと」
それが真実かどうかは分からない。
でもこの世界では。
生きるための嘘は、
時々、必要だ。




