絶望と選択
夜明け前、俺たちは山腹に半ば埋もれた旧研究施設に辿り着いた。
コンクリートは苔と蔦に侵食され、扉の鉄は赤く錆びている。ここはかつて、モンスターを「理解しよう」とした人間たちの最前線だったのかもしれない。
物資を調達しようと中に入った俺たちを迎え入れたのは、たった一人の研究者だった。
白衣はすでに灰色に変色し、目の下には深い影が落ちている。
彼は名乗らなかった。名を名乗る意味をもう失っているようだった。
研究所の中は異様なほど静かだった。
機械は止まり、照明は半分以上が死んでいる。それでも、机の上の書類やホワイトボードの数式はつい最近までここが使われていたことを示していた。
奥の部屋で研究者は椅子に座っていた。
こちらに気づいても立ち上がらない。ただ、疲れ切った目で三人を見る。
「……君たち、何日生き延びた?」
突然の質問に俺は言葉に詰まる。
真白が指を折りながら答えた。
「……1年くらい」
研究者は小さく笑った。
馬鹿にした笑いではない。むしろ懐かしむような、諦めたような笑いだった。
「長いようで短い1年だった」
彼は立ち上がり、ホワイトボードの前に歩く。
そこには歪な曲線が何本も重なって描かれていた。
「ちょっとした講義をしようか」
「私たちは……といってももう私だけになってしまったが、ずっと外の化け物共を観察してきた。時には危険を犯してフィールドワークに勤しんだ」
「モンスターは倒すと消える。
だが生き延びた個体は……変わる」
研究者は一本の線を指でなぞる。
「戦闘回数、生存日数、環境への適応。
条件によって伸び幅は変わるが共通点がある」
彼はチョークを置き、俺たちを振り返った。
「あいつらは、生き続けるほど強くなる」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
「……学習みたいなものですか」
俺の問いに、研究者は首を横に振る。
「違う。あれは単なる成長だ。人間と戦おうと戦わまいと、時間とともにモンスターは強くなる。より速くより頑丈に、より力強く」
空気が凍りつく。
「詰んでいるのさ、我々人類は」
彼は研究データの束を力無く机に叩きつけた。
俺の喉がひくりと鳴った。
俺たちに与えられた力、職業は成長しない。
戦い続ければ強くなった実感を得ることはあるが、それは俺たち自身の技術と経験によるものだ。
分かりやすく言えば、どれだけ戦っても、健人の腕力が今の三倍になったりはしないし、真白の魔法の威力が上がることもない。
健人は声を震わせながら研究者に掴みかかった。
「ふざけんな!信じられるか!」
真白が慌てて止める。
「だが事実だ」
研究者は白衣の乱れを直した。
袖口には縫い直した痕と血の染みが残っていた。
「人間は成長しない。
職業と装備、そして知恵で延命するだけだ」
しばらく沈黙が続く。
誰も反論できなかった。
俺は絞り出すように聞いた。
「……じゃあ、希望は?」
研究者は、少しだけ間を置いた。
「あるとすれば——
人間側も、変わることだ」
彼は立ち上がり、よろよろと歩く。大きな棚に手をかけ、引き出しを開ける。彼は一本の杖を取り出し、こちらに差し出した。
骨らしきものと、ドクドクと脈打つ結晶のようななにかで組まれたそれは、見るだけで嫌な予感を抱かせた。
「これは、モンスターでいう“成長”を無理やり人間に流し込む道具だ」
真白が息を呑む。
「代償は?」
研究者は即答した。
「まだ分からん。
分かっているのは——」
彼は、俺を真っ直ぐに見据える。
「使い続ければおそらく人間ではなくなるだろう」
重い沈黙が落ちる。
それでも俺は杖に手を伸ばした。
逃げ道がないことを、もう理解していたからだ。
研究者はその姿を見て、目を閉じて呟いた。
「……これが私の選択だ、どうか……」
この世界は優しくない。
だが、それを知ってなお進み続けるもの、
茨の道を歩く者だけが生き残る。




