統率者
湯は、思っていたより熱かった。
俺は肩まで沈み込み、息を吐いた。白い湯気が山の空気に溶け、すぐに薄れていく。周囲は山、山、山。切り立った斜面がぐるりと村を囲み、空は細く、遠い。
「……生き返るな」
誰に向けたでもなく呟くと、隣で健人が同意するように短く息を吐いた。真白は縁に腰掛け、湯に足だけを浸している。
「源泉かけ流しなんて贅沢」
真白は久々の温泉でリラックスしているようだった。
「油断するなよ」
そう言いつつ、俺も気が抜けていた。
温泉は村人にも開かれていて、数人の年配の男や女が一緒に浸かっている。視線は向けられるが、怯えも警戒も薄い。
「旅の人かい?」
「ええ、少し休ませてもらえれば」
「なら、統率者様に礼を言いな。あの人のおかげでここは守られてる」
話しかけてきた年配の女性は当然のことのように言う。その声に誇りが混じっているのが分かった。
統率者。
昼間、村に入ったときから何度も耳にした言葉だった。
「統率者ねぇ。職業なのかわからんが偉そうだ」
健人が風呂上がりの格好のまま言う。
「あまり大きい声でそんなこと言うなよ、俺たちはお邪魔してる側なんだから」
「そうだな、わりぃわりぃ」
でも確かに偉そうだ。統率者。どんな人なのだろう。
そんなことを思いながら真白に冷やしてもらった水を飲んだ。
夕方、角笛が鳴った。
村の空気が、一瞬で変わる。
人々は慌てない。叫ばない。武器を手に取り、それぞれの持ち場へ散っていく。その動きに、迷いがなかった。
俺たちは、少し離れた高台から様子を見る。
統率者は、村の中央に立っていた。中年の髭の男だ。
大きな声ではない。腕を振り回すこともない。ただ、短い言葉を、順に落としていくだけだ。
「二体。右は囮で十分だ。左を先に潰す」
「距離を取れ。焦るな」 「今だ」
まるで、盤面を見下ろすような視線。
人々は彼の声に従い、滑らかに動いた。剣を振るう者も、投擲する者も、魔法を使う者もいたが、全員が一つの意思を共有しているようだった。そして強い。
戦いは短かった。
モンスターが倒れると、誰かが歓声を上げるわけでもない。ただ、全員が統率者を見る。
統率者は頷くだけだった。
「見事なもんだな」
健人が賞賛を隠さずに言った。確かにここまでの連携はなかなか見れるものじゃない。
翌日、村人と食事を共にした。
質素だが温かい。子どもたちは外から来た俺たちに興味津々で、健人に旅の話をねだり、真白の魔法に目を輝かせる。
「統率者っていうのは職業の名前ですか?」
何気ない質問だった。
一瞬、場の空気が止まる。
だが、すぐに年配の男が笑った。
「世界が終わった日にさ、みんな勝手に戦って、死にかけた。そこであの人が叫んだんだ。“聞け”ってな」
別の女が続ける。
「誰が何をするか、全部決めて、全部背負った。そういう職業よ」
モンスターを倒したのは、統率者自身ではない。
倒させたのだ。それで、職業が定まった。
「だから、あの人がいる限り、私たちは強い」
「間違えない」 「迷わない」
その言葉には強い信頼が感じられた。
夜。
霧が出た。
山間では珍しくない。だが、濃すぎた。唐突で、意図的な濃さ。
角笛が鳴る。
しかし、いつもより短く、切羽詰まっていた。
モンスターが現れた。数が多い。
そして、動きがおかしい。
まるで——誘導されている。
「この霧……あの時の」
俺は低く呟いた。
名前も正体も分からない。ただ、知っている。
人を使い、モンスターを使い、何かを試す連中。
霧の向こうで、空気が裂けるような音がした。
羽の音だ、と気づいたときには、もうそこに居た。
霧の奥から現れたのは、巨大なモンスター。
翼は確かに鳥の形をしているが、羽毛はまばらで、ところどころ剥げ落ち、皮膚が露出している。皮膚は灰色で、引き攣ったようにひび割れていた。骨が外側に突き出している箇所もある。
頭部は異様に大きく、嘴は裂け、上下が不自然にずれている。
その内側には歯が並んでいた。鳥のものではない、人間の歯に似た歯列。
脚は長く、節が多すぎる。その先には凶悪な爪。
翼を広げると、村の広場を覆い隠すほどの影が落ちる。
「……飛ぶモンスターなんて初めて見たぜ」
健人が呟いた。
これまで見てきた巨大モンスターとは違う。
重たいのに、軽やかだ。空と地上の両方を支配できる体をしている。
統率者は一瞬で判断した。
「上を警戒しろ。散るな。羽を狙え」
声は冷静だった。
モンスターが鳴いた。
喉を引き裂くような、不快な音。空気が震え、霧が押し流される。
モンスターが大きく羽を広げて着地する。
風圧だけで、人が吹き飛んだ。
「耐えろ! 次の合図まで動くな!」
統率者の声に、村人たちは踏みとどまる。
恐怖で足が震えているはずなのに、誰も逃げなかった。
鳥型モンスターは跳ね、地面を蹴り、再び空へ舞い上がろうとする。
「今だ!」
投擲、魔法、銃声。
一斉攻撃が叩き込まれる。
だが、致命傷にはならない。
羽毛の下にある皮膚は異様に硬く、弾かれるものも多い。
モンスターは怒っているようで動きに激しさが増した。
嘴が振るわれ、家屋が砕ける。
その瞬間、統率者が前に出た。
「——力を貸してくれ」
村人たちが息を呑んで頷く。
彼の周囲で、何かが変わった。
言葉にできない感覚。彼に村人たちの意志と力が集まり、束ねられていくのを感じた。
統率者は、武器を持たない。
それでも、一歩ずつモンスターに近づいた。
鳥型モンスターが統率者を認識し、首を傾げる。
次の瞬間、翼が振り下ろされる。
彼は避けなかった。
衝撃。
地面が抉れ、土煙が舞う。
統率者は、まだ立っていた。
彼はモンスターの脚目掛けて凄まじい威力の蹴りを見舞う。脚の関節が砕け、モンスターが体勢を崩す。
咆哮。
統率者は走った。
人々の力を背に受け、刃のような意志となって。
跳躍。
嘴が迫る。
統率者は、胸元に飛び込んだ。
同時に、モンスターの爪が彼を貫いた。
血が飛ぶ。
統率者の身体が、モンスターの胸に深く沈む。
そして、爆ぜた。
鳥型モンスターは悲鳴とも鳴き声ともつかない音を上げ、倒れた。
そして、統率者もまた——動かなくなった。
静寂。
霧が、ゆっくりと晴れていく。
誰かが駆け寄り、誰かが泣き、誰かが叫ぶ。
だが、指示はもう降りてこない。
俺たちは目を合わせ、何も言わずに村を出た。
背後で、山に囲まれた村がざわめいている。
強い統率が失われた場所がどうなるかは分からない、が、彼の代役は誰にとっても荷が重いだろう。
ただただ持ち直す事を祈るばかりだ。
俺たちは振り返らず、歩き続けた。
鳥モンスターの描写にこだわったらちょっと長くなってしまいました……




