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マンション大戦争~35年ローンで買ったのに  作者: 光島吹


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8/20

我が家に理事の座だけは渡したくはない - 1

 天気も良くてぽかぽかと暖かい一〇月中旬の公休日、妻とのんびりコーヒーを飲みながらくつろいでいた午前のやや遅い時間にインターホンが鳴った。モニターには角畑さんが映っていて妻が仕方なしに応対する。


「すみません、下の角畑です」


「はい、何でしょうか?」


「少しお話がしたいので出て来てもらえませんか?」


 インターホンを切ると妻が、


「勝、下のおばあちゃんが話がしたいから出てくれないかって」


「佳奈が言ってた市長選の投票依頼だな。しかし勝手だなあ、こっちが行ったら足が悪いとか言って、出て来ずに追い払うくせに! そもそもうちは投票できないんだけどなあ!」


 適当に追い払おうと思って僕も妻といっしょに玄関口へ行きドアを開けると、


「あの、来週の日曜日に市長選挙がありますので、まだ投票される方を決めていなければぜひこの方に一票を投じてもらいたいと思って、お願いに参りました」


 角畑さんは選挙用のビラを僕たちに見せながら投票依頼をしてきた。


「公職選挙法一三八条、〝何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない〟との規定があって、今行っている行為が一三八条に抵触していますけど」


「難しくてよくわかりませんが、とにかく市長選にはこの候補者に一票をお願いします」


 本当に知らないのかもしれないが、特定の候補者や政党に投票するようにお願いするために家を訪問する行為を「戸別訪問」と呼び、公職選挙法で禁止されています。


「部屋の中を動くのも大変だと言ってるのに、選挙になると動いてこれるのですね。便利な体だ。佳奈、警察に電話して! 市長選で戸別訪問に来ている人がいると言ったらわかるから」


 角畑さんは血相を変えながら玄関のドアを閉めて立ち去って行った。




「ねえ、勝、本当に警察へ電話しても良かったのかな?」


「警察がいちいち動くとは思えないし、選挙管理委員会のほうがいいのかな……、よく知らないけど」


「でも、勝、条文をすらすら話していたじゃない?」


「前に角畑さんが戸別訪問に来るって佳奈に聞いただろ、それでこの条文だけ暗記したんだよ」


 条文を聞いても本当に何を言われているのかわからなかったのか、角畑さんを撃退できた言葉は〝警察に電話〟するだった事実。選挙違反なんて微塵も考えていないのかな。


「私は無理、印籠を見せて〝この紋所が目に入らぬか!〟ってやるくらいだよ」


「もしも、印籠を見せても〝それは何ですか?〟って、とぼけられたらどうする?」


「その時は〝助さん、格さん、懲らしめてやりなさい〟って言って、勝に任せるの♪」




 午前中は簡単に追い返せましたが、その日の夜八時過ぎにまた角畑さんがやってきた。部屋から玄関口まで出るのが大変そうなことを言っていたのに二回も我が家へ来た角畑さん。今度僕や妻が角畑さんの家へ行きインターホンを鳴らした時に〝足が悪くて〟なんて言ったら絶対に怒鳴り付けるだろうな。


 モニターに映った角畑さんを見た妻は、


「勝、下のおばあちゃんだけじゃなくて、他にも何人か来てるみたいなの」


 僕もインターホンのモニターを見たが、たしかに角畑さん以外に女性が三人後ろに立っているのが確認できた。


「角畑さんが追い返されたから、その敵討ちでやってきたのかな」


「主君の角畑のおばあちゃんが討たれたから、その敵討ちでやってきたんだ。忠臣蔵みたいね」


 そんなことを妻としゃべりながら僕が玄関のドアを開けると、挨拶も何もなく一斉に口撃を仕掛けられた。


「角畑さんはただ個人的に候補を応援したいからお願いに来ただけなのに、公職選挙法に違反しているだなんてちょっと言いすぎじゃないですか!」


「個人的に応援していて、どうしても当選してほしいからお願いしただけ、それ以上の思いはありません!」


「個人が勝手に動くことまで選挙管理委員会や警察だって見てはいませんよ。私たちみたいな一般人が選挙のことで警察に押し掛けたって相手にもされませんよ」


 角畑さんは黙って聞いているだけで、お付きの女性たちがまくし立てるように話してくる。五〇代から六〇代とおぼしき女性たちが、玄関ドアを開けた瞬間に口撃してくるのでさすがに頭に血が上ったので、怒気を込めて尋ねました。


「人にあれこれ言う前にあなた方は名乗らないのですか! それで、どこのどちら様!」


「私は五〇三号室の山本です、とにかく、投票してもらいただけで他意はありませんから!」


「二〇二号室の金村です、とにかく私たちがお願いしている候補者に投票してください、何も問題ないでしょ?」


 賃貸住宅に住んでいた時も同じように選挙の投票依頼で家に来た人がいましたが、それは中学校の同級生で、在学中そして卒業してからも接点もなくほぼ話をしたことがない人だった。〝久しぶり!〟なんて言いながら来たものだから、すぐに追い返したこともあるのですが。


「だから、誰であろうと戸別訪問して投票依頼することは法律に違反しているんですよ。それに今は個人ではなく四人で来ていますよね、それもまるで恫喝するように話しておられる」


「今のどこが恫喝ですか? ただ純粋にお願いしているだけじゃないですか!」


「一〇〇一号室の者ですが、あなたの言葉遣い自体が私たちに対して攻撃的ですよね。私たちの推しをあなたにも推してもらいたい、ただそれだけのことでしょ、何か問題ありますか!」


 やはり公選法をまったく知らないようで、候補者を応援するのと好きなアイドルを推すとか、好きなスポーツ選手をいっしょに応援することを同列に考えているようだ。法律に触れているという認識もないし、本当に困った人たちだ。


 しかしこの女性たちのペースに巻き込まれて僕の言葉使いがどんどん荒くなっている。この手の人たちにはとにかく冷静に対応しないと、いつまで経っても話が終わらない。でも僕もかなり頭に血が上っているし、このままではさらに(ののし)り合いになって長期戦になってしまう。話をすぐに終わらせようと思い胸ポケットに忍ばせている物を取り出して、


「ここまでの会話はすべて録音しています。これを持って出るところに出ますね。あなた方以上に困るのは立候補されている方ですよ、思いっきり足を引っ張っているのですから。万が一あなた方の応援のおかげで当選しても、この証拠によって公選法違反で当選無効になりませんかね?」


 ボイスレコーダーを見せると先ほどまでは好戦的だった女性たちは顔がこわばり、黙って帰って行った。




「勝、あの人たちって何者なの?」


「あの人たちが支持している候補者って中高年の女性に人気があるんだってさ。SNSや動画投稿サイトで人気が出てアイドルの追っ掛けをしているノリ。だから〝推し〟なんて言葉も使うみたいだよ」


 政治的信条や公約、さらに政治実績や経験なんて関係なく、SNSや動画投稿サイトで誰かが推しているのを見て、自分もそれに乗っかるって言う軽いノリで候補者を推す。それが良いのか悪いのかは僕には判断できません。


「でも、角畑さんって選挙のたびに誰かの応援の依頼をするらしいけど、どういうこと?」


「自分だけのアイドルを発掘している感覚なんじゃないか?」


 あまり世間には知られていない自分だけのアイドルを発掘して応援する。その人がそこそこ売れ始めれば自分の手柄だ、自分が育てたのだと嬉しくなる。地下アイドルを推す感じなのでしょうか。


「立候補者の追っ掛けか、そのうち大きなうちわにデコして、おそろいのTシャツなんて着てキャーキャー言いそうね」


「そういう人たちだから法律に違反している意識もないし、反発されると〝私たちの候補者が汚される〟みたいなノリで押し掛けるのだろうな。そもそもだけど、転入届を出して三カ月以上しないと投票権なんてないのに、それもわからず来るんだからなあ、呆れるよ」


 世の中で最も怖い人たちって、違法という認識が無い人かもしれません。世の中のために動いているのだと言う〝良いことをしている〟という発想だけで動くから、それは違法行為ですよと言われると自分が否定された、自分の推しが認められないとして反抗的な態度に出る。今ってそういう人がかなり増加しているように感じます。


「でもさあ、良いか悪いかはわからないけど、私みたいに政治に無関心でいるよりはいいのかなって思っちゃう。少なくとも、今の政治ではダメだという意識を持っているわけだし」


「政治に関心を持つのはいいんだけど、一人の人間、一つの考え以外は認めない、その結果自分の考えは何があっても曲げないから暴走してしまう、それは怖いと思うけどな」


「下のおばあちゃんなんて自分の考えや思い以外は絶対に認めず、攻撃してでも相手に認めさせる、みたいな部分がかなり強いよね」


 同じような考え方を持つ人だけが集まるとその考えは絶対的な正義となる、いわゆるエコーチェンバー現象に陥ります。盲目的に信用するようになった人たちを〝信者〟と呼ぶのが正しいのかはわかりませんが、その信者たちが集まりグループや団体になった時には、自分たちの考え以外は排除する流れとなり、場合によっては暴走することもある。


 アイドルから政治家までが多くの信者に支えられて成り立っている面は否定できません。何があっても信じて支え続けることが悪いとは言えないけど、間違いを一切受け付けず跳ねのけてしまうのはどうなのかなとは思います。


「ということは、暴走した人たちがまたわが家へ押し掛けてくるのかな」


「来ると思うよ、どうやって僕を打ち負かそうかと考えたうえでね。僕がいない時はインターホンに出なくてもいいからね、妄信的信者に佳奈は勝てないだろ?」


「うん、絶対に無理です。ワタシニホンゴワカリマセンって言って逃げるしかないかな……」




 翌日も午前と午後の二回、同じ四人組で家に来たそうだ。妻は午前の時は買い物に出ていて、午後の時は牧落さんのお宅にいたので接触はなし。その後も選挙当日まで頻繁に押し掛けてきた四人組。


 市長選が終わり自分たちの〝推し〟が落選すると、翌日からはまたわが家の集合ポストに苦情の手紙を入れ始める。しかもこれまでよりきつい言葉が並ぶようになり、まるで我が家が票を投じなかったために落選したのだと言わんばかりでした。


 我が家に直接投票依頼に来ていた人たちは、みんな古くからのこのマンションの住人。日常のマンションでの生活に閉塞感を感じ、さらにさまざまな鬱憤(うっぷん)が蓄積し、さらにこれまでの七一一号室の住人とは違って思いどおりに動かないことから、角畑さんのイライラの度合いが増している。だからこその暴走なのかもしれない。


 だからと言って我が家の側が折れる必要なんてないと思うし、理不尽な要求や横暴な態度に対してはこれからも徹底的に戦っていく。ただしあくまで専守防衛に徹するし、こちらから先に攻撃を仕掛けることはない。こちらから攻撃を仕掛けるほど暇ではないし、そんなことにパワーを使うほど余裕もない。


 そんなくだらないことにパワーを使うより、妻と馬鹿な話をして過ごすほうが楽しいですから。

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