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マンション大戦争~35年ローンで買ったのに  作者: 光島吹


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清掃員はスパイだった? - 1

 まだ希望する条件のパートが見つからない妻ですが、せっかく三五年ローンで買ったマイホームだからと毎日せっせとお掃除に励み、お買い物などで外出する以外はほぼ一日を家の中ですごしています。元々運動が嫌いで本を読んだり映画を見るのが好きなので、一日家にいてもまったく苦痛に感じないのだとか。


 それでも転居して二〇日を過ぎるとマンション住人の中に知り合いができ始めた妻は、いろいろと情報交換もできるようになっていった。特に同じ階の七〇四号室の牧落(まきおち)さんとは親しくなったようで、お互いの家を行き来するようになりました。


 ある日わが家へお招きして二人でお茶を楽しんでいると、話題は自然と僕が管理員とやり合った話になり、そしてこんな話を耳にする。


「七一一号室の前の住人の方は、角畑さんの執拗な攻めに奥さんが参っちゃって、それで不動産会社に安値で買い取ってもらって出て行ったんだよ」


「そうなんですか? それってやっぱり夜八時以降は入浴するなとか、テレビの音がうるさいとかですか?」


「そうそう、竹盛さんと同じなのよ」


 角畑さんの常套手段だということがわかった。僕は仕事で頻繁にクレーマーと対峙しているから折れはしないけど、そんな理不尽な人に対する免疫がなければ家を出て行きたくなるだろう。最近の人は直接相手の家へ出向き口論となったり、中には凄惨な事件に発展することもあるから、対峙しないほうが身のためだとは思うけども。


「古くからの住人の中には管理員を取り込んじゃって、自分たちが生活しやすいように上手く使って動かしているみたいなのよ」


「角畑さんもその一員なんですね」


「うん、でもね、管理組合の理事の話なんだけど、本当は持ち回りなのにいつしか同じ人がずっと理事に居座ったり、その人たちが管理員を巻き込んで好き勝手をしているのではないかって、そんな噂があるのよ」


「好き勝手ですか?」


「竹盛さんもやられた、駐輪場にバイクを置かせてもらえないとか。ああいうのも理事の意向だって聞くわよ」


 このマンションの管理組合の理事は二年交代で一年ごとに半数ずつが交代する。一年目に副理事長になった人は二年目は理事長になり、三年目はオブザーバーとして残ることになっている。こうすることで、例えば大規模修繕の計画や実施そして終了までの間、前期の理事会で決められたことが次の理事会でも反映されやすくなり、スムーズに引継ぎが行えるメリットがあるのです。


 ただ理事会は月に一回おもに日曜日に行われるのですが、サービス業や運輸業など年中無休の仕事も珍しくはなく、そういった方たちは理事会に出席すること自体が難しい。そこで代わりの人に理事をお願いしても良いというルールがこのマンションにはあり、この制度を悪用してずっと理事に居座る人が出てきてしまった。現理事長は理事を一〇年以上続けているという。


 管理員にとって困るのは住人同士のトラブルやクレームで、一歩間違えれば通常の管理業務にまで支障が出てしまうことも。そこでこのマンションで長年理事を続けている人や古くからの住人たちによって、反発しそうな住人たちを先制攻撃で黙らせてしまい、管理員が働きやすい状態を作り出して取り込んでしまう。


 こうすることで管理員は悩みの種である住人同士のトラブルやクレームから解放され働きやすくなり、その見返りとして古くからの住人達からの要望が叶うように動くと言う。駐輪場や通路に置かれた大型バイクもこのような手法によって認められ、新しい入居者は何があってもバイクを止めることが許されないのだと言う。


「でも前の管理員と管理会社の支店長がうちへ来て、バイク置き場を作って駐輪場は自転車だけ置けるように管理組合に提案するって言ってたわよ」


「その話ねえ、先日から来ている池太(いけだ)って言う管理員さんが、管理会社に必要はないみたいなことを言って話自体がなくなったみたいよ」




 妻が牧落さんからいろいろと情報を入手した二日後の一〇月初めのこと。仕事から帰るといつものように妻から今日の出来事をいろいろと聞いていたのですが、その話の中で清掃員がまた外廊下に立って、部屋の中の様子をうかがっていたということも聞いた。


「買い物帰りにエレベーターから降りたら、清掃員さんが牧落さんのお宅の前にジッと立っていたから、私も外廊下の曲がり角から清掃員さんを見ていたんだけど、一五分は立っていたのよ。変でしょ?」


「見張られているわけだろ、気持ち悪いよな」


「〝家政婦は見た〟の清掃員バージョンで〝清掃員は見た〟って感じなのよ」


 何の目的があって清掃員は居住者のお宅を見張っているんだろう。情報を調べ上げてどこかに流している?


「佳奈はその清掃員を見張っていたのか」


「うん、私はあんパンと牛乳を持って見張りをしている刑事さんみたいな感じだったよ。牛乳はあったけど瓶じゃなく一リットルのパックだし、あんパンはなくて食パンだったけどね」


「佳奈はあんパンと牛乳を持ってジッとする感じじゃないだろ?」


 妻は運動が苦手な文系の人間でジッとしているのも苦にならないのですが、少し冗談めいて話をした時は必ず突っ込むことにしています。すると必ず妻はボケてきますから。


「じゃあ、真っ黒のティアドロップのサングラスを掛けてスーパーZで乗り付けて、マシンガンを派手に撃ちまくるほうが似合うかな?」


「佳奈、動画配信で昔の刑事ドラマを見すぎだよ……」


「だって、昔の刑事ものって派手に車を壊したりして、見ていてスッキリするんだもん」


 運動が苦手な人ほど、アクション系のドラマを好むような気がする。自分自身で派手に動き回ることは苦手でできないから、アクション系のドラマを見てスカッとしているように思うのです。(あくまで僕調べ)


「牧落さんって佳奈が仲良くしてもらっている奥さんだよね」


「うん、このマンションの闇をいろいろと教えてくれるんだよ」


 ここでもう一度ボケてくれるかもしれないと思って、妻に話を振ってみることにする。


「だから清掃員さんに見張られているんじゃないか?」


「そっか、下手したら清掃員さんに口封じでバキュン……、明日牧落さんに教えてあげなくちゃ」


「そうなってくると〝清掃員は見た〟って感じではなくなるね」


「うん、殺し屋よね。ミスター&ミセス・スミスのジェーン・スミスってところかな」


「と言うことは、あの清掃員さんはアンジェリーナ・ジョリーなのかい?」


「うーん……、どちらかといえば〝まいうー〟って言いそうな気がするけど……」




 翌日の午後、妻は早速牧落さんのお宅へ行ってお茶しながら昨日の一件を話したようです。


「やっぱり立ち聞きや盗み見されているのか。廊下側の部屋でパソコンを触っているんだけど、最近は人影が気になって、昼間でもカーテンを閉めることが多いんだけど……」


 牧落さんは以前から、清掃員が盗み見しているのではないかと思っていたようです。引越してくる前にあちこちの寸法を計っていたら、窓の外に清掃員が立っていたことを妻が話すと、


「そうそう、法的に問題になるとかじゃないけどね、あの清掃員はごみ置き場に出されたごみの袋を全部開けて、中身をチェックするのよ」


「そんなことしていいんですか?」


「ごみとして出した時点でもう所有権は放棄しているから、中を見られても文句は言えないそうよ」


「そっか、たしかに要らないから出しているんだもんね」


「普通ごみで出しちゃいけない物とかをチェックするのよ。でもねえ、たまに紛れちゃってる時ってあるでしょ。すると清掃員か管理員が家までやってきて、これは捨てられませんって持ってくることがあるのよ」


 すごいなあと思いながら聞いていた妻ですが、すぐにおかしなことに気付いた。


「え? どうしてそのごみを出した人が誰なのかがわかるんですか?」


 牧落さんによると、管理組合などからの議事録など通知文書の裏面に小さく部屋番号を書いてあったり、郵便物や勤務先に関する書類などから簡単にバレるらしい。


「私、ダイレクトメールとかそのまま捨てているのに……」


「竹盛さん、それはダメよ。清掃員じゃなくても変な人に目を付けられて、竹盛さんの捨てたものをすべて拾われたりしていたら気持ち悪いわよ」


「そんなこと考えたことなかった……、旦那の給料明細もパソコンに画像で取り込んだあとはそのまま捨てているのに……」


「絶対にダメ! 手回し式の安いシュレッダーでも買ってきて、裁断してから捨てるようにしなきゃ」


「はい、後で買ってきます!」




 仕事から帰ると、今日牧落さんと話したことを詳しく報告してくれた。その中で気になったのは、ごみとして出されたごみ袋をすべて開けて中身をチェックすることです。


「本当に清掃員によるスパイ活動みたいだな。ごみ袋の中を全部調べるのも本当にスパイみたい。名前がわかるような物を迂闊に捨てられないな」


 妻は笑いながら手動式のシュレッダーを棚から出してきて、僕の目の前で回し始めた。ごみ袋の中身をチェックするのはある意味管理員や清掃員の業務の一環とも言える。とにかく書類の類は妻が買ってきたそのシュレッダーですべて裁断して捨てることにした。


 確認のために、管理組合からのお知らせなどを綴じているファイルを棚から出し裏面をチェックしてみると、本当にすべての書類に小さく部屋番号が書いてあった。なるほど、こんなことをされていればシュレッダーを買いに行こうという気になるはずだ。


「本当に部屋番号を小さく書いているとは……、でもこれは配り忘れのチェックも兼ねていると思うから、文句は言えないし……」


「〝ハハハ、よくぞ見破ったな、勝くん〟」


「見破ったんじゃなくて、佳奈が教えてくれたんだよ」


「〝真実を語るのは、機知のない人間だけである〟勝が見つけたことにしてくれたらいいのに」


「あ……、ドストエフスキーさん、ごめんなさい」


「仕方がないなあ、ケーキ一〇個で許してあげるわよ」




 二日後のこと、妻が買い物から帰ってきて、玄関ドアに鍵を差し込んだ瞬間に清掃員に呼び止められた。


「竹盛さん、竹盛さんのご主人って大手のスーパーにお勤めなんですね」


「はい、そうですけど」


「年齢のわりにお給料をたくさんもらっているし、だからこのマンションを買うことができたのね」


 唐突に清掃員に呼び止められ僕の勤務先や給料のことまで指摘され、驚く以上に恐怖心を感じた妻。


「大手スーパーの大きなお店の副店長さん。お給料が多いと言っても、このマンションの中では平均より少し上くらいね。なんとか奥様が働かなくてすむギリギリの線って感じね」


「は?」


 このマンションの居住者全員の手取りを知っているのか、マンション内での手取りランキングもわかるということだろうか。この清掃員に我が家のことがすべて筒抜けになっていることに、恐怖を超えて呆然と立ち尽くす妻。


「でもねえ、竹盛さんのお宅くらいでは理事にはかなわないわよ。管理員を一人飛ばしていい気になっているのかもしれないけど、おとなしく理事や昔からの住人の言うことを聞いておけば快適な生活を送れるわよ」


 えっ? どういうこと? 何それ? 理事にはかなわないってどういう意味? いい気になってるの、私と勝が? 理事や古い住人の言うことを聞け? え?――。


 何とも言えない恐怖を感じた妻は、珍しく仕事中の僕にメールを送ってきた。


〝うちのことがすべて清掃員に筒抜けになってる、怖いよ。まるでずっと監視されているみたい〟




 仕事が終わり大急ぎで帰宅した。よほどの急用でない限り連絡してこない妻がメールで怖いと送ってきたのだから。いつもは玄関を開けると飛んでやってくる妻が、今日はテーブルに両肘を付いたままじっとして動こうとはしなかった。


「勝……、あのね……」


 妻は清掃員に言われたことをそのまま僕に話した。


「勝、ごめんね、給料明細とかそのまま捨てていたから……」


 こんなことをされるとは僕も思っておらず、妻だけの責任ではないと真剣に思った。


「それはもう仕方がないけど、前の管理員とのいざこざを持ち出してきて、おとなしくしていたら快適な生活ができるって、完全に脅しだぞ!」


「ビッグ・マム海賊団のシャーロット・リンリンに脅されているみたいで本当に怖かったよ……」


 妻が家に一人でいる時に脅されたわけだ、怖くないはずがない。清掃員に限らず、これまでにも管理員や角畑さんとの〝戦争〟を経ているわけだから、今後また何か言われる可能性が高い。だから誰かと話をするときは常にボイスレコーダーを回し、証拠を保存できるようにするほうが良いと思った。


 まだ一度も使っていないボイスレコーダーを妻に渡して操作方法をレクチャーした。でも何だか嫌だな、買ったばかりのマンションなのに、ボイスレコーダーで会話をすべて録音しなきゃいけないって。こりゃあ本当に緊張感を持って生活しなければいけないのかも……。


「なんでこんなマンションに来ちゃったんだろ、三四年以上ローンが残っているのに……」


「佳奈、まだ一回もローンは払っていないから、三五年のローン全額が残ってるよ」


「そうか……、ムンクの叫びのポーズ!」


 妻は僕に吐き出して少し落ち着いたようで、ムンクの叫びの絵と同じポーズを取っていた。

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