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マンション大戦争~35年ローンで買ったのに  作者: 光島吹


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管理員と古くからの住人の連合軍 - 3

 入居から一週間が経ったが、いまだに管理員から消防法についての説明もないし、条文をコピーしたものも渡されない。このまま放置しておけば何事もなかったかのように月日だけ過ぎていくはず、そんな風に思っているようだ。


 仕事から帰宅すると妻が、


「ねえ、掲示板にもこれと同じ物が張ってあったけど見た?」


 妻は管理組合からのお知らせを僕に手渡してきた。そこには騒音に注意するようにと書かれており、次のような苦情が寄せられたとして、夜遅い時間の入浴に注意すること、うっかりであっても床に物を落とさないように緊張感を持って生活すること、などが書かれていた。


「ねえ、勝、うっかりであっても床に物を落とすなって、かなり無茶なことを言うなと思ったんだけど、どう思う?」


「管理組合からの命令で、全員がロボットになりプログラムされたとおりに動いて、うっかりをなくせと言いたいんだろう」


「ガンダムみたいになれればいいけど、ロボコンみたいにハートマークが一つだったら、また角畑さんに文句言われちゃうのかな」


 わざと物を落としたとかではなく、注意していてもうっかり物を落としてしまうことなんて誰にだってある。それに自宅なのに緊張感を持って生活しろというのも、何だかおかしく感じてしまうが。


「自宅ってくつろげる場所よね? なのに緊張感を持ってうっかりを防げってちょっとねえ。忍者みたいに、抜き足、差し足、忍び足で歩けって言うこと?」


「変わったマンションを買っちゃったよな」


 このマンションで起きていることを小説に書いたところで、あまりにもリアリティが無さすぎだと怒られてしまいそうだ。


「ごめんね、この綺麗さに舞い上がっちゃったから……」


 妻は片膝をつき、僕の肩に片手を乗せて〝反省〟とつぶやいた。


「佳奈、お猿さんじゃないんだから……、それに佳奈が謝る必要なんてないよ」


 妻はこの部屋の見た目と、共有部の掃除が行き届いた綺麗さに惹かれて購入に至ったわけだが、妻が謝る必要はない。誰もこんな変わったマンションだなんて気付くわけがないのだから。




 翌朝出勤前に掲示板を見ると追加で紙が張られていて、夜早く就寝される方や朝早く起きられる方、勤務の都合で昼寝をされる方もいるので、もう一度生活音について考えてください。特に夜間の入浴時の排水音と浴室で椅子を引きずる音、日中であっても掃除機を掛ける時は周囲の方に配慮してください。マンション内では足音を立てないように静かに歩いてください、小さな話し声であっても昼寝している人には騒音になるので話さないでくださいなど、本当に事細かく〝文句〟が書いてあった。


 ただ追加で張られた紙は手書きで、住人の誰かが腹立ち紛れに書き殴った字のように感じた。妻はこの張り紙のことは何も言っていなかったから、昨夜から今朝の間に誰かが勝手に張ったのかもしれない。それにこの字体には見覚えがある。


 管理員が出勤すると撤去するはずだと思い、スマホで何枚か記録しておいた。




 九月も一〇日を過ぎると少しは秋らしさも感じるはずが、まだまだ暑い日が続きます。今日は店長が休暇を取っていたので、僕がその代わりとして約一三時間の勤務に就いていました。店長になったら毎日のようにこんな生活を送るのかと思うとぞっとしない。僕の性格では管理職なんて向いていないから、できるだけ長く一般社員でいるほうが自分のためだろうな。


「おかえり、勝。今日ね、管理員が来ていろいろと言われたんだ……」


 妻はよほどの急用ではない限り、仕事中の僕に連絡をしてくることはない。その分、帰宅してから吐き出すようにたくさんの話を聞くことになります。今日がそのパターンで夜一一時少し前に帰宅すると、管理員に言われたさまざまな〝文句〟を口に出します。でも僕にぶちまけているから妻の精神状態は安定しているので、怪獣が暴れたような廃墟と化した部屋にならずに済んでいるわけです。


 管理員は午前中に来たらしく、角畑さんは夜八時以降は入浴しないでほしいと言っているのだから、後から入居した人はそれに従えとか、消防法で決まっていなくても管理員の言うことに従うのは居住者の義務だと、かなり強い口調で偉そうに言われたようです。


「言われたのはそれだけじゃないのよ、夜中のテレビの音がうるさいから音量を下げろって言われたの。コマーシャルの音がマンション中に響き渡って迷惑だって言われてさあ」


 テレビのない我が家にテレビの音がうるさいという〝濡れ衣〟まで着せてきたのか……。


「核を保有しているという噓をでっち上げて、それを理由に攻め込んでくるなんて、どこかの国が巻き起こした戦争と同じじゃない。防戦一方ではダメよね、こっちも反撃に出なきゃ!」


「明日は休みだから、朝から管理員室へ行ってくるよ。テレビの音量なんて濡れ衣もいいところだ」


「〝勝、怒りの鉄拳〟だ、アチョー!」




「ちょっといいですか? 私がいない間に妻にいろいろと言ってくれたそうですね」


 秋雨前線が南下してきて雨模様の朝九時、妻と一緒に管理員室を訪れ出勤したばかりの管理員を捕まえた。平日の朝から来られるとは思っていなかったようでかなり驚いていた。


「夜八時以降の入浴はダメと言うのはどういうことですか? 説明してください」


 この言葉から反撃を始めました。


 「角畑さんは早く床に就くので、睡眠の邪魔にならないように、入浴時間の制限のお願いに上がっただけです」


 片側の意見だけを聞いてこちらに命令することがおかしいし、そもそもで言えば管理員から命令される筋合いはなく、それほど強い権限も与えられてはいない。もしも我が家があまりにも非常識な行動を取り、ほぼ強制に近い注意を受けるにしても、それは管理員の口頭ではなく理事長の署名捺印入りの書面で行うものです。


「長く住んでいるお宅の意見を尊重するほうが、マンション管理や運営は上手くいくんです」


 あとから入居した人は我慢し、先に住んでいる人の意見を聞けと言ったわけです。管理員はこのマンションでは年功序列ならぬ〝在住序列〟が優先され、住人全体ではなく一部の人を優先することで、管理員自身が仕事がしやすくなると宣言したわけです。先に入居した者の意見が優先されるなんて、いったいいつの時代のどこの住居なのかと思ってしまう。まるで江戸時代に長年牢屋に放り込まれている牢名主がいて、囚人はもちろん見回りを行う役人も、牢名主の言うとおりにしたほうがみんながおとなしくなって管理しやすいと言っているのと同じです。


「夜遅い時間の入浴は排水音などで迷惑を掛けることも事実ですから、管理員個人の見解として、竹盛さんのお宅にだけ夜八時以降の入浴は遠慮してもらうという考えに至ったわけです」


 やはりこの管理員は自分には居住者に対して命令できる権限があり、管理規約にある午前〇時以降の入浴や洗濯などは控えるようにという、お願いを超える命令を出しても問題がないと思っているようです。


 個人をターゲットにした八時以降入浴禁止ではなくマンションのすべての住戸、それが無理ならば六一一号室から上、七一一号室から上の住戸すべてに八時以降入浴禁止を通達するのかを聞くと、我が家への規制だけで十分だと管理員は言った。つまり角畑さんにお願いされたから、我が家を黙らせられればそれで良いという考えなのでしょう。そこで角畑さんが数日前に我が家の集合ポストへ入れた苦情を管理員に読んでもらいました。


「竹盛さん宅が夜八時以降に入浴しなければ何も問題が起きない、そうとわかる手紙ですね」


 こういう感想を管理員が述べるだろうと予想して読んでもらったのですが、この苦情の前日は僕は仕事が早く終わり夕方六時には入浴を済ませ、夜八時以降は誰もトイレにも行かず水を流さなかった。しかし外の排水管からは八時を過ぎても排水音が聞こえたという苦情だから、八階から上のお宅が水を流したからですよと指摘した僕。


 管理員は少しマズいという顔はしたが、僕なんて握りつぶせるとでも思っているのか姿勢はまったく崩さない。そこでこれでも我が家にだけ〝命令〟するのかと聞くと、


「そう言ったことがあるのならば、あの、竹盛さんのお宅だけにお願いはできないし……」


 角畑さんからのリクエストを受けて、妻に一方的に夜八時以降の入浴禁止を言い渡した。そして今こういった事情を知り、角畑さんからのリクエストに応えるのならば、最低でもうちから上の階の居住者宅に夜八時以降の入浴は禁止だと伝えるべきだから、僕が代わりに八階から一三階までのお宅に夜八時以降入浴禁止の手紙を入れましょうかと言うと、


「いえ、あの、トラブルの元だからやめてください……」


 管理員は少しトーンを下げて話しました。形勢が逆転したわけです。そこで個人宅へ手紙の投函はやめるように言ってきたので、管理組合の掲示板に個人の意見を張るのはどうなのかを聞いた。


「管理組合が認めたもの以外はダメです。緊急の場合は管理組合の事後承認となることもありますが、それ以外は見つけ次第撤去しています」


 先日その掲示板に手書きの苦情が数日間張られたままになっていた事を聞くと、管理員として有益なものだと思いそのまま掲示し続けたが、数人の住民から指摘されて撤去したと、完全に前言とは違う行動をしたことを本人が暴露。


 そして誰が書いて張ったのかはわからず、その掲示物も捨てたと言うので、確たる証拠もなく疑われ命令された我が家の一方で、規約に違反した掲示物に関しては調べもせずスルーはおかしいと言うと、こいつは何が言いたいんだと言わんばかりの目をしながらも管理員は黙り込んでしまった。


 そこで先ほど管理員に見せた我が家あての苦情と、スマホで撮影しプリントした掲示板に張られていた張り紙を見せ、筆跡が酷似していますが角畑さんには注意しないのですかと尋ねたが、


「似ているというだけでは何も言えません……」


「我が家には証拠もなく入浴禁止なんて言ってきたのに、随分対応が違いますね」


 管理員はまた黙り込んでしまいましたが、続いての攻撃に移っていきます。駐輪場にスクーターを止めさせてもらえない原因として挙げられた消防法についてです。該当部分のコピーを見せてほしいと頼んで以降梨の礫(なしのつぶて)。結局は半地下駐車場にガソリンが入ったままのオートバイは止められないなんて条文はないから、黙ったままなのだろうと尋ねると、


「いえ、あの、私の勘違いでして……」


 世の中には勘違いだと言えば許してもらえると考える人が多いのか、勤務先のスーパーでもたびたび聞く勘違いという言葉。本当に頻繁に耳にするのでこの言葉に嫌悪感を持つのですが、


「勘違いですか、何とも便利な言葉ですね。それに謝罪もなしか、まあいいや、とにかく角畑さんからの苦情をきっかけに、妻に対して管理員の指示に従うことは居住者の義務だと言い放ったわけですね」


「そんなことは一言も言っていません!」


 さすがにマズい言葉だと認識しているから否定しましたが、僕は攻撃の手を緩める気は毛頭ありません。ボイスレコーダーをズボンのポケットから出して、再生しましょうかと管理員に尋ねた。管理員は目が点になって無言になってしまった。実は購入後まだ一度も使っておらず、家を出る時に箱から出してきたボイスレコーダーなのですが。


 次にテレビの音量の事、我が家にはそもそもテレビというつまらないものはなく、動画の配信を見るためにモニターはあるがコマーシャルは流れないし、そもそもモニターなのでスピーカーはない。だから必ずヘッドホンを使用していると言うと、ついに管理員は口を真一文字に結び伏し目がちに下を向いてしまった。


 これまで言われ放題だったから管理員を許す必要はまったくない。今すぐ殴りつけるか、出るところに出て戦って賠償金を取ってもいいと思うほどだ。しかしおとなしく穏便に管理会社に報告して終わりにしても別にかまわないし、ここから先はいろいろな選択肢がある。そこで僕はこの管理員に最後のチャンスを与えてみた。


「私は仕事柄、理不尽なクレームを受けることに慣れていますし対処法も心得ています。たとえ相手が客であっても、私は今のようにとことん追い詰めます。ただし自分や会社側に非があればこれでもか! というくらいに、そしてもういいですと言われるまで頭を下げて謝罪するんですよ。わかりますか?」


 僕は最後のチャンスとして頭を下げるように誘導してみたのですが、管理員は一ミリたりとも頭を下げなかった。見つめ合うような時間が数分過ぎ、らちが明かないなと思って家に帰りました。妻とは一言もしゃべらずにすぐに管理会社へ電話して、後始末はそちらでしてくださいとお願いしました。




 夕方に管理会社の支店長と管理員が謝罪に来られ、この管理員は今日以降勤務を外すとのことでした。排水音に限らず夜間は音が響きやすいこともあり、夜二二時以降はお互いに注意するように、テレビ等の音も夜間は響きやすいので窓を閉めたり音量を日中より絞ったり、できればイヤホンやヘッドホンを使うなどの注意喚起の書面を、管理組合の許可が得られ次第各戸に配布する。


 駐輪場のオートバイの問題は管理員の勇み足ではあったが、現状でも各戸に割り当てられた区域以外に止めるなど問題が認められるので、バイク置き場の設置や駐輪場へバイクを止めることを禁止するなど、抜本的な対策を管理組合に提案すると支店長から話があった。


「あの、竹盛さん、大変失礼な言動ばかりして申し訳ありませんでした」


 管理員は僕と妻に頭を下げた。そして会社からもペナルティを受けるので、僕がこれ以上攻撃を行う必要はない。僕はスーパーで働いているので、誠意を見せろと言って金品を要求されることも多い。僕はこの支店長の立場や何を思っているのかががよくわかるので、これで振り上げた拳を下ろすことにしました。


「竹盛さん、これはお詫びの品です……」


 支店長が何かを差し出してきましたが、


「何もいりませんよ、謝罪してもらったし、今後の対応も十分納得できるものでしたからもう結構です。わざわざご足労いただきありがとうございました」


 何度か断っても支店長はお詫びの品を差し出してくるので、僕は仕方がなく受け取りました。受け取ってもらわないとあとで現金や商品券を要求してくる人も多く、何とかこのお詫びの品で勘弁してくださいという支店長の気持ちが強く伝わってきましたから。




 取りあえずは古くからの住民の角畑さんと管理員の連合軍に勝つことができた。無事に奇襲作戦を跳ね返して返り討ちにした。あの管理員は管理会社で再教育を受けて、別のマンションで管理員として働いていくのだろう。


 ところであの管理員は結局何がしたかったのだろうか。あくまで僕の想像だが、このマンションには角畑さんみたいな人がほかにもいて、管理員はそちらの意向に沿わないと業務もできない状態なのかな。だとすれば角畑さんの言い分だけを聞いていた管理員の言動も説明ができる。


「ねえ、本当は角畑さんみたいな古くからの住人の戦争だけど、管理員に武器を供与して代わりに戦ってもらう、みたいな感じかな」


「だとしたら、次の管理員に武器を供与して、また代理戦争を仕掛けてくるかもしれないな」


「えー、このマンションに住んでいると平和は訪れないの?……」


「角畑さんってしつこそうだろ、それにあの人一人だけが古くからの住人ではないしさ」


「よし!〝勝はとうにマンションのためなら心臓を捧げると誓った兵士! その信念に従った末に命果てるなら本望〟その心意気で自分勝手な住人たちの考えなんて打ち砕いてね、勝、頑張って、応援しているよ!」


「佳奈が戦うんじゃないのか……」

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