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マンション大戦争~35年ローンで買ったのに  作者:


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35/35

マンション大戦争終結、そして - 2

 大規模修繕工事は三月中旬に終わり、足場もすべて片付けられて暗かった部屋の中に少しは明かりが差し込むようになりました。まだ肌寒くて春爛漫と言う気候ではないが、妻と二人でマンションのあちこちで記念写真を撮りまくりました。またこの日は夕方に西日が綺麗に部屋の中に差し込み、内覧の時に見た綺麗さによく似ていたので、部屋の中でも何枚か収めました。


 鍵を受け取った日も、部屋に西日が差し込む中で記念撮影しようと妻はカメラを持ってきていたのですが、あの日はあいにくの曇り空であまりにも暗く、今日まで一度も部屋の中での写真は撮っていませんでした。


「ここに引越してきて一年半が過ぎたんだな、本当にいろいろあったな」


「普通じゃ経験しないことが目白押しで本当にすごかったね。でもこんなマンションだとは夢にも思わなったよ、今日みたいにオレンジ色に差し込む夕日と部屋の中の綺麗さに騙されてしまった」


「騙されるも何も誰にも絶対にわからないよ、管理費や積立金が横流しされていたなんてさ」


 その管理費や積立金の横領を行っていた藤本さんは義父の会社を退職し、自宅を売却して賠償金に充てたようです。今どこに住んでいるのかは僕も妻も知りません。また山下、川田、横江の三氏も転居したようで見掛けなくなりました。自宅を売却したのか、賃貸物件として貸し出しているのかは知りません。


 理事会活動が二月で終了して以降は土尻さんのご主人と顔を合せることはほとんどなくなり、妻も結局は土尻さんの奥さんと話をしなくなりました。牧落さんの奥さんとは会釈程度はしているようですが、やはり話をする機会はなくなったようです。




「勝、行ってらっしゃい」


「行ってくるね、佳奈」


「今日って帰りは遅くなる?」


「ううん、普通に帰ってくるよ」


 今日で学校卒業以来勤めた大手スーパーでの勤務を終了します。本社へ行って経営戦略部勤務となればおそらく出世コースでしょう。でもその道は僕が進みたい道ではありません。ひょっとしたら僕には合っている道かもしれませんが、好きな道ではなかったから。


 結局は今勤務しているスーパーには、僕自身が選ぶべき道がありませんでした。




 帰宅すると妻に、


〝一六年間、本当にお疲れさまでした〟


と声を掛けられた。そうか、あの会社に一六年もいたのか。一六年と聞くと長いように思うけど、実感としてはあっという間だったなという思いのほうが強い。


「お別れの挨拶はしてきたの?」


「異動を断って会社を辞めると伝えた時に、できるだけ内緒にしてほしいと伝えていたから知らない人のほうが多かった。だから二、三人かな挨拶をしたのは」


「じゃあ、明日朝一番に一斉メールを送信だね」


 驚く人のほうが多いのかな、それとも無反応でスルーされるのかな。この一六年間の会社での本当の通知簿を渡される気分です。そういえばロッカーの上にヘルメットを残してきたけど、それを見ても僕を思い出すような人もいないだろうな。


「この部屋どうしよう? やっぱり不動産屋さんに任せてしまうしかないか」


「その話なんだけど、お父さんの知り合いの方がぜひ購入したいと言ってるらしくて、その方に売却すればと言っているんだけど、どうする?」


「ローンが綺麗さっぱり消える金額ならいいんだけどな」


 そんな話をしながら、退職のお祝いを兼ねた夕食を妻といただいていた。夕食自体はいつもと変わらないメニューだけど、食後のデザートにケーキが付いているらしい。〝僕の退職祝い〟を利用してケーキを食べたい妻の発案でした。




 今日からは残った有給休暇を使っての休みですから、まだスーパーの副店長の肩書は有効です。でもそれもあと十数日で消滅し、退職金を受け取って完全に縁が切れるわけです。


 朝コーヒーを飲みながら妻とくつろいでいるとインターホンが鳴る。妻が出ると清掃員の西杉さんで、家の中にお邪魔しても良いかと聞いてきたらしい。


「竹盛さん、お休みの日にごめんなさいね」


「はあ……」


「このお部屋の購入希望の話、敦夫さんか裕子から聞いた?」


「はい、父の知り合いの中に購入希望者がいると聞きました」


「それ、私なのよ」


 聞くと西杉さんは六月いっぱいで清掃員の仕事を辞めて、年金と家賃収入でのんびり過ごしていくことにしたという。今は少し離れた場所に小さなマンションを借りて生活しているらしいが、自身の居住用としてこのマンション内の部屋をもう一つ取得したいらしい。


「何度もお部屋にはお邪魔しているし、日当たりなどすべてわかっているし、室内も本当に綺麗に使われているからほとんど手を入れずそのままで住めそうね……」


 そう言うと西杉さんはメモに数字を書いて、僕と妻に見えるように渡してきた。


「このお値段でどうかしら?」


 その数字を見て僕と妻は本当に驚いた。なにせ購入した時より高い金額で、差額で小さな車くらいは買えそうなのだから。なのでその旨を伝えると、


「そんなに安く購入できたの? 私はこれでも少し低めに提示したのに……。まあ、いいわ、この価格なら即決よ、どうでしょうか?」


「もちろん助かりますけど、いいんですか?」


「本当に、私も主人もマンションを売って儲けようだなんて思ってもいないのに……」


「本当にあなたたち二人は儲けようという欲がないわね、じゃあこの価格で決まり、いい?」


 僕も妻も異論があるはずもなく承諾して取引自体は成立した。不動産なんてスーパーで買い物するのとは違い、売値のお金を受け取って鍵を渡して終わりというわけにはいかない。この後はどうすれば良いのかなと思っていたら、義父の会社の不動産部門の方がすべての手続きをしてくれると言う。


 この日の午後に不動産部門の方がやってきた。なんでもすべての手数料は義父が負担すると言ってくれているらしい。




 翌日の夜、珍しく土尻さんがご夫妻で我が家へやってきた。おそらく西杉さんから我が家が転居予定だということを聞いたのだろう。土尻さんのご主人は僕が転勤のために転居すると思ったらしい。普通はそう考えるでしょうね。でも異動を拒否して退職したと伝えるとかなり驚かれていました。


「会社自体は好きですよ、スーパーの店頭に立つことも本当に好きです。東京の本社への異動が打診されて……、いわゆるビジネスマンっていうのは性に合いませんから」


「それで、これからはどうされるのですか?」


「しばらくの間はノンビリとします。充電が完了したら始動します」


 僕も最近はあまり土尻さんのご主人とは話をしないこともあって、話が弾むというようなことはありませんでした。でも僕以上に妻は、


「佳奈さん、あの、いろいろと……」


「もう、いいです……」


「本当に馬鹿なことをしたと思ってます、あの……」


「もういいです、本当に……」


「そうですか……」


 結局妻と土尻さんの奥さんとは和解もできず、この先も二度と会うこともないでしょう。僕も土尻さんのご主人には複雑な感情を持っていて、個人の感情を優先せずに素山建設設計を訴えるなどしていれば、今回の大規模修繕工事に絡むドタバタ劇は起きていなかったのに、そんなことを思ってしまうのです。


 だから僕も妻も土尻さんにはどこへ転居して、今後はどのような仕事を行うのかも話しませんでした。取りあえずこのマンションからは出ていく、その事実だけを伝えただけです。


 土尻さんご夫妻も居心地が悪いと感じたのか、一〇分ほどで帰られました。


 妻は心に引っ掛かるものがあり、土尻さんの奥さんにもっと普通に接してお別れしたほうが良かったのかなと思う部分と、これまで一度も妻にも妻のご両親にも謝罪の言葉が無かったことから、会わずにそのまま転居しても良かったのではと思う部分があるようです。


「何だか後味が悪くて……」


 妻が気にする必要はない。あくまで土尻さんの奥さんがしたことで、謝罪の言葉だってなかったわけだから妻がいい顔をする必要はない。今、妻が持つ感情をどんな相手にも持たれないような生き方をしていく、今回の件は反面教師として勉強させてもらったと思えばいい。しかし引越して少し落ち着いたらハガキだけ送ればいいと思う。


「そうだね、そうするよ。土尻さんと牧落さんにはハガキを送るよ。もう会うこともないとは思うけど」


「本当に遠いからな……」


「〝どこでもドア〟があれば一瞬で移動できるのにね」




 桜が咲き誇る三月の末、いよいよマンションブリーザ幕路とはお別れです。今度の転居はかなり遠くなので総合物流業者の最大手の会社に転居荷物の輸送をお願いした。ここへ転居してからはやや荷物が多くなったが、それでも三時間ほどですべての荷物の搬出が終わった。


 荷物がすべてなくなった元我が家を見ると内覧で訪れた日の事を思い出す。住宅設備はほぼすべてが最新式で、とにかく広いリビングに圧倒され、午後だったから西日が差し込み本当に綺麗に見えたこの部屋。今見るとそのすべてが日常の風景になっていて、憧れの我が家から別れるのが寂しい我が家へと変わっていることに気付かされる。


 妻と二人、空っぽになった部屋を眺めていると西杉さんがやってきた。


「鍵を受け取っておくわ」


「簡単に掃除だけしようと思っているので、そのあとで……」


「いいわよ、掃除なんて。私はずっとお掃除の仕事をしているんだから、自分でやっちゃうわよ」


「本当ですか、すみません」


 もうしばらくの間、妻と感傷に浸りながら本当にいろいろとあった元我が家を眺めていた。妻がシンクに軽く手を触れ軽くポンと叩くと、


「勝、行こうか」


「うん」


 元我が家に鍵を閉めてさよならした。




 管理員室で座っていた管理員に荷物の搬出が終わったことを伝え、管理員の後ろに立っていた西杉さんに挨拶をした。


「西杉さん、いろいろとありがとうございました、それと、部屋の鍵です」


「いいえ、こちらこそ。敦夫さんと裕子の間にできたお嬢さんとこんなに楽しくてスリリングな時間を過ごせて、本当に楽しかったわよ」


 ニコニコしながら西杉さんは鍵の受領証を僕に手渡してきた。


 西杉さんに頭を下げてマンションをあとにしようとした時、エレベーターホールのほうから女性が近付いてきて妻にぶつかってきた。


「アリガト」


 その女性は睨みながらそれだけ言うとそのままスーッと僕たちから離れて、エレベーターに乗って消えて行った。


「今の人、私を睨んできたけど、あの人って……」


「竹盛さん、あの人知らないの? 素山建設設計の社長の妹の谷川さん、七〇一号室の方よ」


「思い出した! 管理員室の横のトイレから出てきて、私にぶつかっておいて睨んできた人だ!」


「谷川さんはね、六一一号室の角畑さんが排水音の事で文句を言っていることを知ってからは、夜から明け方までは管理員用のトイレを使うのよ」


「そうだったのですか」


「でも、〝アリガト〟って言ってたわよ」


「素山建設設計が十川さんのせいでおかしくなっていたけど、竹盛さんのおかげで正常に戻りつつあるからじゃないの?」


 こうしてマンションブリーザ幕路でのマンション大戦争は終結した。




「ここから新居までは何キロくらい離れているの?」


「五〇〇キロくらいかな」


「一〇時間くらいかかるんだよね?」


「サービスエリアで休憩しながらだから一〇時間を越えるかもな。誰かが休憩のたびにソフトクリームを食べているだろうし」


「当たり前だよ! 高速のサービスエリアはソフトクリームや焼きとうもろこしにフレンチドッグ、あとはたこ焼きとか唐揚げなんかも食べなきゃいけないっていう、佳奈ちゃん憲法があるんだから!」


「だよな……」


 マンション外に借りている駐車場に止めている車の中で、妻は遠足前日の子どものようにワクワクしているようです。しかしいつものことながら、これだけ食べるのになぜ痩せているのかが意味不明なんだけど、僕がいない時に古いDVDでブートキャンプに入隊しているようでした。


「引越しの荷物は明後日の朝に搬入なんだよね?」


「そう言ってたね、遠いから仕方がないな」


「だったら、高速じゃなくて下道を走って道の駅に寄りながら行かない?」


「時間はあるし、それでもいいよ」


 最近は当たり前のように高速道路を使うけど、昔は高速代を節約するために、妻と二人でただひたすら下道を走って旅行に出掛けたよな。妻もそうやって遊びに行っていたことを思い出していたようですが、


「人生も高速でビュン! って突っ切るのもいいけど、右に曲がったり左に曲がったり、たまに立ち止まりながら進んでいくのも悪くはないかもね」


「たしかにな、決まったレールの上を決まった時間に走る電車よりは、自由に休憩できるだけ高速道路のほうが少しだけ自由があるけど、下道だと自分で人生を作り上げながら進むことができるもんな」


「たまに通行止めを食らうけど、その回避方法を考えながら進んでいくのも人生のいい糧になるかもだよね」


「僕が選んだ道は高速道路かな?」


 妻は僕が考えていたこととほぼ同じ回答を口にした。これまでは高速道路を走ってきたけど、たびたびSAで休憩していたからあまり早くはないのに今回下道に降りてしまった。今は下道の高速道路の案内標識を見ながら、また高速道路へ乗入れようとしているところ。でも僕だからまた途中のインターチェンジで降りて下道を走る気がする。


「そうなったら車から降りて、一人で歩いて行く?」


「ううん、私は勝に付いて行かなきゃ迷子になっちゃうから……」




 妻のおじが社長を務める会社の新しい業態として、大型のスーパーやショッピングモールを展開することになり、その一号店の支配人をしてほしいと義父を通じて話があった。ちょうど異動の話の時期と重なっていたので比較検討することになったのですが、僕は支配人なんて肩書はまっぴらごめん。そこで売り場で直接お客さんと接する時間を勤務時間の半分以上は取りたい、そして支配人なんかではなく店長(本当は平社員のほうがいいのだが)として勤務したい、この二点の要求を出した。


 残念ながらショッピングモール全体の支配人という立場なので肩書は変えられないが、店長として直営スーパーのレジ打ちなどはまったく問題ないとの回答が来たので受け入れることにした。




「お店の開店は一一月の予定だけど、それまでの間も忙しいのかな」


 建物が概ね出来てからは忙しくなると思う。それこそどのような商品を入れてどのように配置するのか、バイトやパート勤務の確保も大変だし、本社との様々な打ち合わせなどもある。しばらくは妻のおじと会う機会が増えそうだ。


「でもなんとか時間は作って、温泉巡りくらいはしたいよな」


「ねえ、こんなに遠くのお店で働くのだったら、会社を辞めずに関連会社へ出向して遠くに異動させられて、あちこちのお店に立つのも良かったんじゃない?」


「たしかになあ、同じだもんな。でもあのケースを受け入れると二、三年ごとに転勤を繰り返すらしいから、もしも子供がいたらかわいそうだろ」


「でも、今度のショッピングモールだってお店が増えてくれば転勤もあるだろうし、逆にダメになればおじさんやお父さんといっしょに、オフィスでパソコン相手に働くようになるかもしれないわよ」


 今は成功するものとして新規スーパーの立ち上げから参加しようとしているけど、売り上げが芳しくなくてスーパー事業からの撤退とか、他社へ譲渡なんてことも当然あり得る。そうなったら義父と一緒に仕事……。


「そうなったらまた考えるよ」


「やっぱり勝は途中のインターで高速を降りちゃって、下道を走るんだね」


「いやか?」


「ううん、私は勝に付いて行かなきゃ迷子になるんだから、勝の服の裾を掴んで付いて行くの」


「チョコアイスのチョコが付いた手で裾を掴んでそうだな」


「大丈夫よ、口の周りのチョコも勝の服に擦り付けるから」


「仕方がないか、チョコまみれの服を着て下道をのんびりと進んでいくよ」


「よし、勝、〝しゅっぱつしんこー! ナスのおしんこ―!〟」


「最後はかなりベタだな……」


「えっと……、〝人生に往復切符はありません。一度出発したら再び帰って来ません〟だから、勝、後ろを振り返らずに突き進もう!」


「うん、最後の一節は決まったな」

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