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マンション大戦争~35年ローンで買ったのに  作者:


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34/35

マンション大戦争終結、そして - 1

 節分から数日過ぎた底冷えする二月の第一日曜日に開かれた通常総会。管理規約の改正で理事の任期を一年にすることや、理事選出辞退届を出して理事への選出を断り、理事長に理事選出を一任する制度の廃止などが含まれたマンションブリーザ幕路管理規定の改正案が提案可決し、即日施行となった。


 これにより現在の理事会メンバーは全員が今期で退任となり、次期理事の選出が行われた。


 これまでは人任せにできていた理事という役職を回避する術がなくなり、中には不満の声を漏らす人もいましたし、中には事前に欠席届を出しておき一切理事会に参加しない人も出てくる可能性も指摘されました。


 それらの意見に対して、マンションブリーザ幕路での管理員業務を終えて税理士法人へ戻る寺間さんが、今回の横領や裏金と言った様々な問題点は、マンション自治に対する住人の意識の希薄さが生んだもの。面倒だから誰かに任せればいいという、その考えの蓄積によって今回のような事件に発展した。失ったお金がすべて戻ることはなく、その無関心のために住人の経済状況にも影響している。


 理事会には子供が小さいから参加できないという方もいるだろうが、気にせずに子供を連れてくればいい。だいたい一時間ほどで理事会は終わるが、どうしても家に居なきゃいけないこともあるだろう、そういう時は一〇分だけ顔を出して帰ればいい。どうすれば参加しやすい理事会や管理組合の活動になるのか、住人全員で考えましょう。


 寺間さんの発言に会場は本当に静まりましたが、痛い所を突かれて黙ってしまったのではなく、参加者全員の心に沁みたから黙ってこれまでの自分の行動を反省しているはず、そう思いたいところです。


 予算と決算の報告があり、問題となった消耗品雑費や防災費などいくつかの項目は大幅に予算が削られ同規模マンションと同水準となった。また駐車場やバイク置き場、駐輪場の契約件数が予想よりかなり上振れたため収入が大幅に増加。それでもこれまでの定期総会とは違い予算と決算への質問が多くなりましたが、少しは無関心な状態が改善されたと喜ぶべきでしょうか。


 この後は大規模修繕工事の進捗状況と、今回は追加の工事費用は発生しなかったことなどが報告されて、定期総会は終了した。




 総会出席のために有給休暇を取った僕は、総会終了後は家で妻とくつろいでいた。


「ねえ、勝、これでようやく心落ち着くマンションライフを楽しめるわね」


「うん、ようやく解放されたな」


「ところでさあ、転勤の事だけど、勝はどうするつもり?」


 正直に言って断る気持ちと受ける気持ちはちょうど半々。今回理事と言う役割をして思ったが、僕は意見やアイデアを出し合うことは苦手だ。意見と言うかアイデアは思い浮かぶが、これでやりましょうとその場の人たちを引っ張ることも苦手。誰かの意見に枝葉を付けて完成に近付けるということには苦を感じないのだが。


 異動先とされる本社の経営戦略部は、言ってみればこれからの会社・お店の方向性を決める部署。意見とアイデアが飛び交う部署だと思うが、僕にとって最も苦手な仕事になるだろう。おまけに普段はオフィスにこもってパソコンの操作ばかり。やっぱり好きな仕事ではない。


 それに比べて店舗で不特定多数の人と接する仕事は腹が立つこともかなり多いけど、お客様の笑顔を垣間見れれば、この仕事をやっていて良かったと思える楽しさがある。だから本当はこのまま店舗勤務が良い。


 でも妻に言われた、好きな仕事と合っている仕事は別と言うのもうなずける。僕にとって本質的に合っている仕事はオフィスでの仕事で、合ってはいないが好きな仕事は接客だ。


 異動の話は断っても良いのですが断ると地方のお店へ行かされ、入った店舗でようやく慣れ落ち着いた二、三年先にはまったく別の地域のお店へ異動させられたり、監連会社への異動が待っている。僕一人ならばそれでもかまわないけど、妻がいるからそうもいかない。この先子供ができれば異動は避けたいけど、今回の話を断れば一生転勤生活が待っている。


 それを考えると断る気持ちと受ける気持ちはちょうど半々になるのです。


「あのね、勝、お願いとかじゃなくて、ちょっと頭の片隅に置いてくれたらいいんだけど……」


「何?」


「実はね……」


 僕は佳奈に子供ができたのだと思った……。




 金曜日の昼下がり、妻が家でくつろいでいる時にインターホンが鳴った。玄関前に寺間さんが立っている様子が映っている。


「はい」


「寺間です、ご挨拶にうかがいました」


 妻は受話器を置いて小走りで玄関口へ向かい、玄関ドアを開けると、


「短い間でしたが、竹盛さんには本当にお世話になりましたし、ご迷惑をお掛けしました。今日でこちらでの管理員業務は終わりなのでご挨拶に」


「寺間さんが来られたからこのマンションも正常になったわけですし……」


「そう言っていただけるとありがたいです、でも竹盛さんには本当にご迷惑をお掛けしました。臨時総会の仕掛け人が竹盛さんみたいなことを言ってしまい、本当に申し訳ありませんでした」


 寺間さんはそう言うと大きな箱を妻に手渡した。


「お好きだとうかがっておりますので、お礼とお詫びの意味を込めまして……」


「そんなにお気を使わなくても……、すみません」


 ケーキの箱を受け取ると寺間さんは帰って行った。




 総会から一週間後の月曜日、寺間さんの後任に新しく管理員に応募した方が就くようで、しばらくの間は管理会社の社員が指導のために在中する。管理員の指導を行う方が田割さんの後を継いでこのマンションの担当となるそうですが、二、三年で配置換えになることが決まっているらしい。


 そしてこの寺間さんが管理員として来るきっかけとなった横領や裏金の件。田割さんは結果として刑事告訴されて警察による捜査が始まっており、大筋で認めているという。管理会社は弁済が第一との考えで動いていたのですが、他のマンションの管理組合から告訴が相次いだための結果です。


 短縮勤務で昼過ぎに帰宅した僕は掲示板に張ってあったお知らせを見て、ついにマンションブリーザ幕路でも動くことを知った。損害を被った金額を賠償してもらえばそれで良いと僕は思っていたのですが、他のマンションでの動きを知った一部の住人が管理会社の顧問弁護士と相談して、管理会社の元社員田割さんのほか藤本、山下、川田、横江の四氏についても刑事告訴をするとともに、弁済と慰謝料を求めて裁判所に提訴したようです。


「総会でだいたいの事実はわかったのに、何だか遅いような気がするんだけど」


 他のマンションの動向を見てから動きだしたのだから、妻がこのように考えるのは自然なこと。臨時総会は去年の一一月で今は二月中旬だから告訴や裁判までに随分時間がかかった気はする。しかし確実な証拠を集めてほぼ容疑は確実という段階にならないと、訴えても負ける可能性があるからもっと時間がかかっても不思議ではないのですが。


 これまで絶大な権力を握ってきた藤本さんとその仲間の主流派たち。刑事、民事ともに訴えられてその権力を失うことになるが、これまで藤本さんを信じて付いてきた人たちはどうするのだろう。また誰か新しいリーダーが出てきて、その人を信奉して生活していくのかな。それともいわゆる中立派の方たちのように、マンションの運営には無関心なまま生活するようになるのかな。


「マンション裏金事件みたいに取り上げられて、テレビによく出ている有名なレポーターがやってきて〝藤本さんはどのような人でしたか〟みたいにマイクを向けられたりするのかな」


「マスコミが嗅ぎつけても、週刊誌の記者とカメラマンが来るだけだと思うけどなあ」


「なんだあ、せっかくテレビデビューのチャンスかもって思ったのに……」


「テレビでインタビューなんてされたら恥ずかしいだろ?」


「私はインタビューは断るけど、誰かがインタビューを受けている時に、後ろで飛び跳ねながらピースサインしようと思っていたの」


「いやいや、テレビの取材が来ないことを祈るよ……」




 まだ寒いけど少し春めいてきた気がする二月の末、公休で休みのはずが午後から出勤となった日の朝に、条川工務店の詰所に山本社長を訪ねました。工事が始まってからはほぼ週に一度は足を運んでいることになる。


「山本社長、おはようございます」


「おはようございます、竹盛さん」


「いよいよ工事も大詰めですね」


「騒音や振動でご迷惑を掛けたと思いますが、住人の方からの苦情が少なくてやりやすかったですよ」


 一般の住人からの苦情は少なかったかもしれないが、一部理事たちのほか、一時期だけ監理業務を引き継いでいた素山建設設計による圧力のほうがもっと大変だったとは思いますが。


 でも今でも僕たちの行動が本当に正しい選択だったのかは疑問に思う部分がある。藤本さんたち主流派理事が行ってきたことは許されることではないけど、そこにくさびを打ち込んで悪事は行えなくはなった。しかし藤本さんを中心に何とか回っていたこのマンションは、これまでとは違い元主流派対元反対派の構図が鮮明になり、どこがギスギスしたようにも感じられる。


 山本社長にはその選択で正しかったのだと言われましたが、果たしてどうなのか。


「そう言えば奥さんって榊下グループの創業者のお孫さんだそうですね。セレブって感じを出さないところがいいですね」


 妻はセレブ扱いされること、榊下グループの令嬢だと言われることを好まない。事実だから仕方はないが、すごいグループに育て上げたのは祖父やおじや父であって、自分はそこで育っただけで何もしていない。グループに対して一円の収益も上げていないのだから、チヤホヤされる筋合いもないと考えています。


「私の素地が庶民派ですから」


 山本社長が言うには、仕事柄各地のマンションで仕事をしてきたが、大半のマンションの住人は工事関係者や作業員を見下すような人が多い。でも妻は分け隔てなく作業員にも声を掛けていた。〝寒いですね〟といった一言だけど、その一言をもらうだけで作業員たちのモチベーションが違ってくるものだと。


「山本社長、あと少し、よろしくお願いします」


「はい、任せてください。あと、いつも差し入れすみません」


 もう理事の任期を全うしたので僕や妻が詰所へ行く必要なんてないのですが、こうして人との繋がりを保つことは決して無駄にはならない、そんな気がして訪れていました。




 この日僕は午後二時過ぎに勤務先で私服から着替え事務所へ入ると、店長が呼んでいますと若い社員に告げられた。


 二月の末だし、そろそろ異動の可否を聞いてくるんだろうな――。


 そう思いながら店長室に店長を訪ね、


「店長、お呼びですか?」


「おお、副店長、そこに掛けてくれ。もう察しは付いているだろ?」


 僕は異動を断った。


 ただ本社行きを断っても、すぐに地方の関連会社の店舗への異動を打診すると支社から伝えられているらしく、そちらの異動はどうするのかを聞かれたが僕はそれも断った。


「店長、僕からも話があるのですが……」


 僕には本社への異動、本社への異動を断って地方の店舗への異動、そしてもう一つの選択肢があった。そして僕はもう一つの選択肢を選ぶことにし、そのことを店長に話しました。


「すみませんが、内緒にしておいてください。会社から提示された異動をすべて蹴っての判断ですから騒がれるのもいやですし、できるだけ静かに、お願いします」


「そうか、わかったよ。竹盛君の判断だから私は尊重するよ」


 ついに言ってしまった、僕にとっての重大な決断。この選択が本当に正しいのかどうかはわからないが、でも僕自身の考えを尊重しつつ妻のことも考えた時、今の僕にはこの選択が最適だと思ったのです。




 異動を断ってどことなくスッキリした気分で仕事をした僕。帰宅するとすぐに妻に報告した。


 今日正式に本社への異動の内示を伝えてきたが、お断りした。その異動を断ると関連会社の地方店舗への異動の内示がありそうだと伝えられたので、それもお断りした。妻が提案した案に乗っかる事を店長にも伝え了承された。


「本当に? いいの?」


「うん、佳奈からの提案が今の僕が選びたい道に一番近い気がしたから」


「私のことも考えた?」


「そりゃ考えたよ。でも今の僕が理想と考えている条件に一番近いから、これが最適解だと思ったからな」


「あ、お母さんに電話していい?」


「ああ、いいよ」


 妻はすぐに僕が妻の提案に乗っかったことを電話で伝えていた。


 もしもし、お母さん? あのね、勝さんがあの話を受けてくれるって……。え? お父さんいるの? じゃあ、代わって……。もしもし、お父さん……。そうなの、受けてくれるって……、異動を受けるかどうかを聞かれて断って……、うん、そういうことだと思う……、勝さんと電話代わる?……、うん、わかった、じゃあね、バイバイ。


「お父さん、本当に喜んでいたよ」


「そっか、それは良かった」


「でも本当にいいの? 本当に勝がベストだと思った選択だった?」


 正直かなり悩んだ。学校を出てからずっとお世話になった会社だし、僕みたいな人間には不相応なほどのお金も払ってくれている。会社からの異動の提案を断るのはある種の裏切り行為だけど、しかし自分が進みたい道ではないのに無理して進むのは違う気がする。本当に進みたい道にかなり近いようだからそちらを選んだ。今の僕にとってはこれがベストな選択だ。


「そっか、でもそうなるとこのお部屋はどうしよう。いくらなんでもここからは通えないし、困ったわね」


「それに佳奈は実家から遠くなるから、お父さんやお母さんに会う機会が激減しちゃうよ」


「それは大丈夫よ、今でも実家へ行くより電話で話すだけのほうが多いから、あんまり変わらないもん」


「そっか、じゃあ、これで話を進めていこうか」


「〝進路を決めるのは風ではない、帆の向きである。人の行く手も海を吹く風に似ている。人生の航海でその行く末を決めるのは、なぎでもなければ、嵐でもない、心の持ち方である〟」


 妻はアメリカの詩人のエラ・ウィーラー・ウィルコックスの一節の後に続けて、


「勝は進むべき道を見つけて、その風に乗るために帆の向きを変えた。この先は嵐が待ち受けているかもしれない、船が故障して進めなくなるかもしれない。でも勝はそんな恐怖を一切感じずに進むことを決めた」


「佳奈、その詩の後半部分は有名な人が詠んだものなの?」


「後半部分は私がオリジナルで付け加えてみたの。変だった?」


「いや、いい詩だったよ。佳奈って詩人のセンスがあるんじゃない?」


「〝いやあ、それほどでもぉ〟」


 妻は最後はいつものようにおどけて見せていた。

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