マンションの闇が暴かれた - 4
本当に慌ただしかった一年が終わり新年を迎えた。昨年の疲れを流し落とそうと、妻と二人で元日から温泉旅行にやってきました。お正月とは思えないほどぽかぽかと暖かく、時期は違いますが小春日和と言う言葉がピッタリ。妻は子供のようにはしゃいで大浴場で泳いだらしく、夕食時には小さな子供に交じってソフトクリームの機械の列に何度も並び、コーンにソフトクリームを巻いていた妻。
「勝、見て、もうプロ並みにソフトを巻けるようになったよ!」
僕も自分で巻こうと思ったけど、拒否されて妻が巻いた物を三個は食べたし、妻はおそらく五、六個は巻いて食べたと思う。そりゃあ、巻くのも上手になるだろう。妻が巻いている様子を、後ろに並んだ親子連れが呆れたような顔して見ていたけど。
二日はホテルをチェックアウトした後はケーキ屋さんを巡りながら帰宅と、妻は妻らしいお正月を堪能していました。
三日の朝は去年と同じように電車に三〇分ほど揺られて、有名で大きな神社の周りへ。
「よし、たこ焼きと焼きそばとイカ焼きとりんご飴は食べたし、パチンコとヨーヨー釣りとくじを引いてピロピロ笛を当てたし、あとは綿菓子とベビーカステラを買って帰還だ!」
「今年もここの神社にはお参りしないんだな」
「だって、こんなに人がいっぱいだったら、神様は私の願い事を忘れるでしょ? 忘れないように大枚をはずんでも願いを叶えてくれる保証がないもん」
妻の目的は有名で多くの初もうで客を集める神社の周りの屋台。屋台の数が多くて目移りして困るほどだけど、妻はそれが楽しくて昨年に続いてここへやってきたのだ。そう、最初からここの神社へお参りする気なんてありません。
「お参りは家の近くの神社へ行って、そしておみくじを引くのよ」
「そう言えば去年のおみくじ、結構当たっていた気がするなあ」
妻は〝初めは苦労するがやがて願いは叶う〟そして僕は〝今は種をまくとき、やがて実る〟昨年はこのおみくじどおりに事が運んだ気がする。
「でしょ? あのご近所の神社すごいわよ。やっぱり空いているから、お賽銭が少なくてもお参りした人みんなを神様が見ることができるんだよ」
「なるほど、実績があるだけに佳奈の説明にもうなずいてしまうよ」
ただし妻はご近所の神社に不満な点が一つあるらしく、屋台が出ていれば完璧な神社なのにと嘆いている。でも妻が納得するような屋台が出る神社になると、今より絶対に参拝者は多くなる。それを指摘すると、
「それは困るよ! 一〇円のお賽銭でもきちんと叶えてくれる神様じゃなくなっちゃう!」
そんな話を正月早々しながら大きな神社の周りの屋台巡りを続ける。あとは持ち帰って食べるためのベビーカステラと綿菓子を買うらしい。しかし歩きすぎてふくらはぎがパンパンになり、すでにかなり疲れているのだが、
「勝!〝立って歩け、前へ進め。勝には立派な足がついてるじゃないか〟かわいい佳奈のために、勝は立って歩くんだ!」
「そりゃあ、歩かなきゃ帰れないから歩くけどさ……」
ベビーカステラと綿菓子を買うために僕と妻は三〇分以上歩き回り、ここだ! という屋台で無事に購入して電車に乗り、三〇分掛けて自宅の最寄り駅へ帰ってきた。
電車には何とか座れたので、棒のようになった足のだるさは少しましになりましたが、妻のスマホでの歩数計では二万歩を軽く超えている。そりゃあ疲れるはずだわ。
「〝美味しいごちそうを求めて屋台に向かって一歩でも進もうとしている限り、勝と佳奈の魂が真に敗北する事など断じて無い〟だからあと少し歩こう!」
「今日は朝から絶好調だね……」
「だって、三日間も続けて勝とゆっくりすることなんて、ほとんどないじゃない……」
「そうだね、マンションの問題と仕事に振り回されてばかりだったからな」
こうしてご近所の神社へやってきて、手を合わせてからおみくじを引いた。僕はお賽銭に一〇〇円を入れたが、妻は去年に続いて一〇円。ここは一〇円でも願いを叶えてくれる良い神様がいると妻は言っているが、神様にしたら迷惑なんだろうな。
「私は上上吉か、えっと去年がたしか中下吉だから2ランクアップだ! 1UPキノコを二つ取ったみたいだ!」
社務所に張られた一二段階のおみくじのランクを見て妻が喜んでいる。
「僕は大上吉だから1ランクアップだね、どれどれ……、惑わされず己を信じるが吉か」
「勝も私も去年は惑わされることが多かったもんね、私はね、近くの人を信じ、まっすぐ進むが吉だって」
「二人そろって去年よりいいおみくじを引けたね」
「去年は本当に大変だったもん、今年は去年より少しだけいい年になればいいのにね」
「そうだな、やっと少しはゆっくり過ごせるかもしれないしな」
四日は今年の初仕事。通常より開店時間が一時間遅いのですが、いつもと同じ時間に出勤して店内をくまなくチェックしたり掃除して開店準備を行います。
開店時に店頭でお客様をお迎えして一段落ついたところで事務所に戻ると、レジ係のチーフ社員に店長がお呼びなので店長室へ来てくださいと伝えられた。
何だろう、新年の挨拶はしたしなあ。新年早々異動の話?――。
そう思いながら店長室へ入ると、
「竹盛君、そこに座ってくれ」
「はい」
店長の同期で本社勤務の人から店長宛のメールで、僕を本社へ異動させる計画が進んでいると伝えてきたと言う。はっきりと、副店長の竹盛勝を本社の経営戦略部へ配置してと書かれている。
「それは決定なのですか?」
「決定ではないけど、ほぼ既定路線だな」
「それは断ることはできますか?」
昔の多くの会社では、意向など一切聞かずに紙切れ一枚で異動と言うスタイルが多かったけど、今は当該社員が家族のことなどを考慮して断ることもできる、そういう時代にはなってきている。ただし、断ったあとの人事面での扱いは悪くなり、店長の話では昇格なしで地方の店舗を渡り歩かされたり、子会社や関連会社への出向も多く、結果的には最初に打診のあった異動話がもっとも良い内容だった、と言うことも少なくはないようです。
「まだ噂の段階だが、ここまで具体的な話として出ているからそのうち正式な打診が来る、今からその心づもりをしておくほうがいいだろうな」
「わかりました、そういえば昨年、店長も異動になりそうだとおっしゃっていましたよね」
「ここからはかなり離れた、それも関連会社への転勤だよ」
「店長、それって……」
「ああ、私は去年、支社への転勤を断ったからな」
「そうなんですか……」
初出勤は毎年夕方四時ごろに仕事が終わり、家に帰るとまだ五時前。ゆっくり家で夕飯を食べるのが恒例行事になっています。
「おかえり、勝、新年最初のお仕事はどうだった? 元気ないね、何かあった?」
妻に具体的な異動の話が出ているようだと告げた。もちろんまだ辞令が出されたわけではなく、こういう話が本社で出ていますよと言った実話に近い噂の段階ですが、僕の顔は嫌なんだよという訴えを表しているらしい。
「そっか、やっぱり綺麗になったこのマンションに住むことはなさそうなんだね」
「まだ行くって決めたわけじゃないよ、本社で机に向かってじっと座っておくのは嫌だなと思ってさ」
元々はスーツをビシッと着こなしたできるビジネスマンが僕の憧れで、大学では経営学を専攻しいくつかの資格も取得した。期待を膨らませて入社した大型スーパーでは本社勤務のはずだと思っていたのですが、配属されたのは実家にほど近い店舗の総菜売り場。正直ショックだったし、なぜ僕がコロッケやサラダを並べなきゃいけないんだと自暴自棄になりかけた。
でも総菜売り場でお客さんと直接会話しながらの仕事がどんどん楽しくなり、機械相手ではなく人間相手の仕事にやりがいを感じ始めた。オフィスでスーツを着こなしてパソコンに向かっての仕事、それが格好いいと思っていたけどその仕事には人の心は一切介在しない。今は人と接点を作るほうが楽しく、時には腹を立てながら仕事をするほうが楽しいから、オフィスで座ってパソコンと睨めっこしてなんて仕事はできないんだ。
「そっかあ、だったら、断れるのだったら断ればいいじゃん」
「でも断ると子会社や関連会社への出向とか、全然違う地域のお店に左遷されたり。店長は去年支社への異動を断ったら、今回関連会社への異動になりそうなんだよ」
「別にいいんじゃない? 勝が思うように選べば。私は勝に付いて行くだけだもん」
「そうはいかないよ、住む所をはじめ生活面がガラッと変わるのだから、僕の一存だけでは決められないよ」
「うちには子供はいないから勝の一存で決めればいいんだよ。私はどこであろうと勝に付いて行きますから」
「そんな昭和レトロなドラマみたいな世界はいらないよ。家族の総意として決めなきゃいけないだろ?」
「ううん、仕事に関しては勝の思うように働いてもらって、その分、他で返してもらうのが一番いいんだもん」
「他で返すって?」
「例えばね、毎日ケーキを食べても怒られないとか、毎日アイスを食べてもいいよって言ってくれるとか、たまに両方をいっぺんに食べてもやさしく見てくれるとか」
「それって、いつもの佳奈そのものだろ?」
「だから、私は今好きなことができてるでしょ、だから勝も仕事に関しては好きなように選択してほしいのよ。別の会社に変わってもいいし、出世を拒否してずっとヒラのままでもいい。とにかく私は付いて行くから、勝は勝が思う選択をしてほしいのよ」
「そっか……、まだ内示でもないけど、とにかく自分の思うように選ぶことにするよ」
「うん、私はケーキとアイスさえ食べられれば何も文句は言わないから!」
日が暮れると一気に寒くなり、防寒着を着こまないと玄関から外へ行くのが辛いと感じる一月第二水曜日、夜八時からはじまった第一三回目の理事会。藤本さんに特に近い主流派理事は解任されましたが、それでも主流派理事はまだ二名残っています。ただ残っている主流派理事は言い方は悪いが〝挙手要員〟です。藤本さんたち主流派が提案した議題に賛成するために理事をしているような人で、その藤本さんたちがいなくなった理事会ではかなり存在感が薄くなっています。
土尻理事長が冒頭の挨拶の後、大規模修繕工事は予定どおに進捗しており三月末には完了する予定で、前回とは違って追加費用の発生もない。三戸のベランダの防水工事ができていない。それ以外のお宅に入って作業を行うことはないが、最終チェックのために足場側から一度だけベランダへ入るので、鍵の掛け忘れには注意してほしいという説明の後、管理会社の社員からは管理費滞納世帯への対応は裁判へ移ったとの説明がありました。
また管理員からは現在のバイク置き場や駐車場の契約台数と空き台数についての説明があり、想定以上の利用率になっていることが説明された。
「今期の理事会はまれに見る激務になったと思います……」
土尻理事長が今日の理事会の最後に、理事長職に就いて思ったことを語り始めた。
ただでさえ大規模修繕工事に関する話し合いが多い中、そこに輪を掛けて一部理事の解任騒ぎで落ち着いて議論できる場にはなっていなかった。それ以上に、理事長職を報酬もなく務めるにはかなり厳しいものだと思い知った。だからと言って横領や裏金の授受は認められないので、もう少し理事全員で業務を分担するべきだと感じた。
土尻理事長の言葉に管理員の寺間さんも続き、自分は次回の総会までの勤務、短い間だったが多くの方に迷惑をお掛けし大変申し訳なく思う。先ほど理事長からの発言にもあったが、もう少し役割を細分化して理事全員に何らかの役割を担っていただく必要性を感じた。一人の理事に権力が集中すればまた同じ過ちが起きる可能性が高まる。
来月には総会が行われ、管理規約の改定を諮り特別決議で五分の四以上の賛成で成立します。これまでの理事の任期は二年でしたが改定案では一年となっています。管理規約の改定が認められた後に来期の新理事の信任投票が行われ、そこで僕は理事から退くことになります。
なので理事会への参加は今日が最後。ただ理事会にはほとんど妻に出席してもらっていたので、お疲れ様なのは妻のほうですね。
理事会が終わり家に入ると時計は八時五〇分を示していた。
「ただいま、理事会終わったよ、佳奈は本当にお疲れさまだな」
「うん?」
「来月の総会に出れば、それで理事は終了なんだよ」
「そっかあ、理事会終わりなんだ、いろんなことがあったなあ。腹が立つことや、腸が煮えくり返ることや、こいつだけは絶対に許さないと思ったことや、こいつを殴らないと気が済まないと思ったことや……」
それだけ腹の立つことが多かった理事会ですが、妻が一生忘れないくらいに腹が立ったことは、僕の仕事を指して〝下僕〟と言ったことだと言う。そのほか数々のバトルが理事会や先日の臨時総会でもあったわけだし、やはりお疲れさまと声を掛けられるのは僕ではなく、明らかに妻ですね。
「今日は牧落さん何か発言した?」
「いいや、僕とも目を合せなかったし、臨時総会の前のことを引きずっているんだろうな」
妻も今はまったく牧落さんとは話をしないと言う。臨時総会開催の首謀者は我が家で、西杉さんの名前を借りただけだと牧落さんに直接言われた妻。その一件以降は牧落さんに避けられているという。
「明日牧落さんを訪ねてみようかな、追い返されたら仕方ないけど」
「またケーキを買っていくんだろ?」
「もちろん、ケーキを食べて心をほっこりさせて仲良くお話しするのが基本だもん」
「疑ってごめんね、清掃員さんとやけに仲良くしていたから、てっきり名前を借りて臨時総会に持ち込んだのだと思ったから」
「いえ、管理員の寺間さんがそう吹聴していたらしいですね」
翌日の午後三時ごろ、妻はケーキを買って牧落さんのお宅を訪ねていた。
「ところで竹盛さん、竹盛さんも私のことを疑っていない?」
「疑うって、何をですか?」
「私と素山建設設計の関係」
「疑うっていうよりは、何か繋がりでもあるのかなって思いはしましたけど……」
「もう今は何の関係もしがらみもないから、すべて教えてあげるわね。実は……」
そう言うと牧落さんはどうして素山建設設計を推していたのかを話し出したが、妻にはにわかに信じがたい話で、その後には何も話せなくなったという。
仕事から帰宅し、妻に牧落さんの話をいろいろと聞いた。ただ妻はかなり複雑な心境らしい。
牧落さんの奥さんがまだ独身だった二十年以上昔、雑誌社の記者として素山建設設計の取材を行い、その時に素山建設設計側の担当が十川さんだった。十川さんの熱のこもった話し方や、将来を見据えた考え方に興味を惹かれ、やがて深い仲へと発展していく。まだお互いが独身だったため何の問題もなく順調に交際していたが、牧落さんは社命により海外へ旅立ち二人の仲は終わる。
渡航先で海外赴任中の日本人男性と親密な関係になり、数年後二人そろって帰国して牧落さんは雑誌社を退社して結婚、そして専業主婦へ。結婚して六年が経過したころ、かつてのクライアントから直々に記事執筆の依頼を受けたことを機にフリーライターとして復帰。そのことを知った十川さんが接近していつしか愛人関係となった。
牧落さんは立地の良さからマンションブリーザ幕路の七〇四号室を中古で購入したが、十川さんから仕事になるような建物の情報が欲しいと懇願されていたことから、マンションブリーザ幕路が大規模修繕工事に入ることを教えた。まだ主流派も元管理会社の社員田割さんも素山建設設計の存在を知らず、匿名で素山建設設計のことを投書し、ほぼ同時に十川さんと田割さんが接近し今に至る。
ただ牧落さんは主流派の考えとは相反しており、あくまで愛人十川さんのために、素山建設設計が大規模修繕工事の監理業務を受注すれば良かっただけだった。今回のマンションブリーザ幕路での一件で十川さんは牧落さんから離れていき、一応は関係は終わったらしい……。
「それにね、牧落さん、ご主人とはあまりうまくいっていないみたいなの。たぶんご主人が十川さんとのことに感付いていると思うって言ってた」
「しかし、素山建設設計に関係のある牧落さんと土尻さんの奥さんの二人が一緒に大規模修繕工事に関する話をするって、真実は小説より奇なりっていう感じだな」
「しば漬けは特に食べたくはないけど、気分は〝ケーキ食べたい〟って感じ」
「ケーキはお昼に食べたんだろ? それより、しば漬け?」
「しば漬けはね、古いコマーシャルだけを集めた動画にあったんだよ。ケーキはね、今日はまだ二個しか食べてないし、それにね、今は心が疲れているから甘いもの食べたいの」
僕は仕方がなく、売場で売れ残っていたので買って帰ってきたスイーツをカバンから取り出し妻に手渡した。妻が普段食べているケーキとは違って、庶民的な味とお値段だから妻の口に合うかどうかはわからないのですが。
「うわっ! ケーキとプリンとクリームだ!」
ケーキのスポンジの上にプリンが乗り、たっぷりのホイップクリームで彩られたそのスイーツを見ると妻はそう言い、すぐにふたを開けてほお張り始めた。
「佳奈は本当に美味しそうで幸せそうな顔をして食べるね」
返事もせずにすぐに食べ切った妻。
「珍しいね、最近はあまり買ってこないのに」
「佳奈、そのセリフは食べる前だろ? まあいいか、本当は僕が食べようと思って買ってきたんだけどな」
「いいって、そんな照れなくても。かわいい佳奈ちゃんのために買ってきてくれたのでしょ?」
「いや、本当に風呂上りに食べようかなと思って買ってきたんだけど……。後でこそっと食べれば良かった」
僕は本当に風呂上りに食べようと思って買ってきたのですが、心が疲れて甘い物が食べたいという妻の言葉に負けて出してしまったので、本心からこそっと食べれば良かったと思ったのですが、
「そんなことしたら離婚するからね! 私に甘い物を与えずに自分一人で食べるなんて卑怯よ!」
「え?」
「当然だよ、甘い物の恨みは怖いんだからね!」
先ほどまでの牧落さんの話は完全に頭から消えたのか、一つでは足りないからと牧落さんのお宅へ行くときに余分に買ったケーキを冷蔵庫から出してきて、妻は満足気な顔をしながらほお張り始めた。




