マンションの闇が暴かれた - 1
臨時総会が開催される一一月第五日曜日まで、とにかく連日苦情の嵐でした。以前だったら下の角畑さんからの苦情以外は管理員を通して口頭で伝えられたり、管理員名で苦情の手紙が郵便受けに入ることもありましたが、今回は名前の記入がない苦情が郵便受けに入れられているだけ。
テレビがない我が家にテレビ放送、特にコマーシャルの音量が大きすぎて安眠を妨害されるとか、咥えたばこでマンション内を歩くな、吸い殻を廊下に捨てるな、自転車置き場に自転車以外の物を置くな……。
すべての苦情がうちには該当しない内容で、しかも毎回同じパターンの苦情だから辟易してしまいます。
ただ管理員として寺間さんが就任して以降は、通知文書などに使われる用紙は一貫して光沢があってやや厚みのあるものばかり。以前のように用紙が変わることは今のところなく、また苦情で用いられている用紙とは明らかに別物。主流派と管理員との密接関係に終止符が打たれたようです。
また臨時総会の開催の是非を問う通知書に、工事に関わる裏金問題についての記載があったことから、条川工務店の山本社長や紅阪工事事務所の岡田さんへの圧力がなくなったそうです。
臨時総会の数日前に条川工務店の山本社長にお話をうかがったのですが、これまでは週に一度は理事の山下さんや横江さんと素山建設設計の十川部長がやってきては、材料を見直せ、工費を見直せ、施工方法を見直せと迫られていたものが、臨時総会の話が出たここ一カ月ほどは詰所に来なくなったと言います。山本社長にすれば、作業員を路頭に迷わせることもなく、仕様書のとおりに作業もでき費用も高くならずに済むので助かるとのこと。
ただ山本社長によると、臨時総会は我が家が仕切っているのに清掃員の西杉さんの名前を借りて動いていると、管理員の寺間さんに聞いたというのです。誰かが管理員が我が家へ出入りする様子を見て広まったのかと思いましたが、実は寺間さんが吹聴していた……。
そうか、管理員が妻の仕業だと吹聴するから、牧落さんのように妻が今回の騒動の黒幕だと思う人が出てくるわけだ。さすがにこれは文句を言いに行かなきゃ!――。
そういうこともあり、翌日妻と一緒に管理員へクレームを入れに行きました。妻は精神的なダメージがかなり大きかったので、黙っていることはできませんから。管理員は悪気はなかったと平謝りでしたが、正義のつもりで動いていても傷付く人を新たに生み出す行為は正義ではなく悪だと感じました。自分自身も気を付けないと、良かれと思ってしたことが結果的に誰かを傷つけていたら、その人から見た僕は悪ですからね。
特に仕事の時には気を付けなくちゃ――。
二日後からは一二月になるという今日一一月の第五日曜日。僕はわりと薄いコートを羽織ってきたのですが、妻はニットの帽子と手袋にダウンジャケットと真冬のような恰好をして臨時総会の会場までやってきました。総会は九時から始まるのですが、僕と妻は八時を少し回った時間に会場に着きました。テーブルやいすのセッティングなどはすべて管理会社の社員が行っていて、僕と妻が会場に着いたときにはすでに準備が終わっていた。
通常は理事会のメンバーは会場の前方に横並びの席に着き、相対するように区分所有者が座るのですが、今回は理事はサイドに席が設けられ、前方の席には管理会社の方が座るようにセッティングされています。それもなぜだか管理会社の方用の席が五つも用意されており、職氏名が書かれた書かれた紙が机の前に垂れ下がるように張られており、
「佳奈、真ん中の席には管理会社の社長が座るのかな?」
「うん、社長に部長に支店長に……、何だか変よね」
「よくテレビで見る謝罪会見みたいなセッティングになってるよな」
通常の総会の時にも管理会社の方が来られて、会場のセッティングのほか受付などの業務もされるのですが、さすがに社長や支店長が来られることはないし、今日はやたらと多くの社員が来られているようです。そのせいか会場内の雰囲気もいつもとはまったく違う。
「管理会社の人たちがやたらと私たちにペコペコするよね」
「もともと今回の横領や裏金の件は管理会社が気付いて動き出したんだよな、調査で管理会社が何かをしでかしていたことがわかったとか?」
会場の隅っこで妻とひそひそと話しをしていると、管理会社の支店長が近付いてきて、
「竹盛様、以前バイクの件で当社管理員がご迷惑をお掛けしました」
「いえいえ」
「あの時にもっと調査しておれば良かったのですが、まさかあの一件も含めて今回の事態に繋がっていたとは思いもせず、表面的な謝罪だけで済ませた私どものミスです、本当に申し訳ありません」
支店長が深々と頭を下げてきたが、何の事だかさっぱりわからない僕と妻はただおどおどするだけ。
僕たちから遠ざかって行った支店長を見たあと、僕と妻は顔を見合わせて、
「管理員が横領や裏金にも関与していたから?」
「今回の件の首謀者は主流派の人たちやこれまでの管理員でもないって言ってたでしょ。もちろん管理員の協力がなければそういった不正は成り立たないと思うけど……」
「佳奈の言うとおりだな……、だとすると管理会社の中に首謀者がいたとか?」
「それだったら、社長がこの総会に出席する意味もわかるわよね」
「竹盛さん、このたびは本当にご迷惑をお掛けしました」
謝ってこられたのは土尻さんのご主人で、奥さんが義父の会社に手紙を送り付けたことへの謝罪です。
「もう済んだことですし、今後何もなければそれでいいですから」
僕が土尻さんのご主人にそう話したのですが、妻は僕の横で黙ったままです。
「奥さん、本当にご迷惑をお掛けしました」
土尻さんのご主人が今度は妻にだけ頭を下げたのですが、妻はやはり無言。裏切られた気持ちが強く、まだ心の整理もついてないので返答もできませんでした。
土尻さんのご主人が僕たちから離れていくと妻は、
「聖子さんはまだ謝ってない。それに私にだけ謝るんじゃなくて、私のお父さんやお母さんには謝らないの? でも謝られても仲良くお話しすることなんて絶対に無理だし、正直に言って近付いてほしくないわよ」
妻は怒りの矛先を収めることができず、区分所有者たちが座る席の一番後方に一人歩いて行った。
「本日はお集まりいただきましてありがとうございます、私は管理会社の……」
総会と言うよりは管理会社の謝罪会見のような始まりを見せた臨時総会。これだったら臨時総会ではなく、はじめから管理会社主催の集会にしても良かったのにと、僕は区分所有者の席から見て左手の理事が並ぶ席でそう思いながら眺めていた。
本来の総会だと各区分所有者は一名しか出席できず、管理規約でその他の家族は発言できない見学者としての参加は認められているが、今日の臨時総会については、管理会社が司会進行する部分については全員に発言権が与えられています。
「管理会社の社長の斎藤です。この度は当社の元社員、田割誠による収納口座からの管理費の横領、保管口座から積立金等の横領、工事業者からの裏金授受など、貴マンションの区分所有者、居住者の皆様には大変なご迷惑をお掛けしましたことを、ここに謝罪いたします。大変申し訳ございませんでした」
出席している管理会社の人たちは全員が立ち上がり、およそ二〇秒ほど頭を下げ続けた。
田割さんが首謀者なの? あの人が黒幕? 藤本さんたち主流派理事と結託して悪事を働いていたのは田割さんなの? 信じられないよ――。
僕は理事席に座りながらこんなことを思っていたが、
あの田割さんが? 本当に? ショック、もう誰も信用できないよ――。
妻は僕以上にショックを受けたようだ。
「まず、今回の経緯についてご説明し、その後に質疑応答の時間を設けさせていただきます……」
田割さんが横領などに手を染めるきっかけは、前回のマンションブリーザ幕路の大規模修繕工事でコンサルタント会社に素山建設設計が選ばれたことだった。噂で工事の受注のために裏金を渡すと聞いていた田割さんは、素山建設設計の十川さんに要求するとあっさりと受け取れてしまった。十川さんからさらに儲けないかと誘われ、施工業者に費用の圧縮と請求する工費のアップを要求し、その差額を十川さんとともに受け取っていた。
ただ今回の大規模修繕工事では土尻さんのご主人による素山建設設計回避の主張が強く、他の区分所有者にも波及しそうだったので十川さんと計画の上、田割さんが修繕委員会に敷上設計を推し、理事会へもそのまま諮問されて契約となった。敷上設計を最初から切るつもりで契約へと動いたわけです。田割さんと十川さんはこの方法を他のマンションでも行い上手くいったので、マンションブリーザ幕路でも行ったのです。
日常の消耗品や備品購入の際の領収証の偽造は田割さんが思いついたことで、管理員にも横領したお金の一部を回すことで配下に置き、領収証の偽造を管理員にさせていた。消耗品費や備品の予算額が毎年一割以上増加していたのは、少しでもお金が欲しい藤本さんたち一部の主流派から要求で、田割さんが予算案を細部まで見る区分所有者は少ないという経験から、予算案を通すことで合法のもと収納口座から小口現金口座へお金を移していたようです。
自走式駐車場への建て替えを思いついたのも田割さんで、大規模修繕工事と同様にキックバックを受け取れると思ったのと、駐車場収入の一部を横領しようと企てたのです。他のマンションでは駐車場収入の一部を横領していたので、マンションブリーザ幕路でも行おうと考えたようです。バイク置き場も同様でした。
ではなぜ一部の区分所有者に便宜を図っていたのか。自身の犯行の口止めと、描いた筋書きどおりに事が運ぶように総会や理事会などで発言してもらうため。田割さんが受け取った金額のうち七割ほどが藤本さんたち主流派理事に流れていたらしい。
田割さんは十数棟のマンションを担当しており、すべてのマンションで同じような手口で横領と裏金を得ていた。その中で最も築年数が古く担当年数も長いマンションブリーザ幕路の被害額が大きいと判断し、管理会社が税理士法人に依頼して、さまざまな資格を持つ寺間さんを管理員として潜入させて調査をしていた。
田割さんは真面目そうな風貌とは裏腹に、かなり派手な生活を送っており借金も多額に上っていた。調査結果を大筋で認めた田割さんは懲戒解雇となった。
当然ですが区分所有者からは、マンションは総額でどの程度損害を被っているのか、その損害は取り戻すことができるのか、管理会社としてはどのような責任を取るのか、ここまでの説明では一部の区分所有者にお金が渡っていると言うがそれはいったい誰でどのように償わせるのか、刑事事件として訴えるのかなど非難が渦巻く荒れた総会になっていきます。
管理会社としては、裏取りできた前回の大規模修繕工事やこれまでの工事での不可解な上乗せ分は会社として補償する、ただし消耗品などは予算案を提示した総会で可決されていることから管理会社の責任は小さいと主張しました。所有者たちがきちんとチェックできていなかったのが原因だということです。
一般的なマンションでの消耗品費などの予算はどの程度で、マンションブリーザ幕路ではどの程度の額が予算化されていたのかという質問もあり、管理会社側は同規模マンションでの平均的な予算額を回答しましたが、
「そんな予算案を出したのは管理会社ではないのか! 管理会社に賠償責任があるだろ!」
このような発言が所有者側から出ましたが、マンションブリーザ幕路の管理を始めた最初の数年間は予算編成などで手伝ってはいたが、今は会計や監査役の方がおり必ず総会で区分所有者の賛否を問うた上で予算として執行されている。なので管理会社が補償する範疇ではないと突っぱねる。
多くの区分所有者が工事や設備の更新費用などに目を取られ、消耗品費など細部の金額まで目を通さずに予算案に賛成する。そのことを知っているから田割さんや藤本さんたち主流派はこの手口を利用し続けていたのです。実際大規模修繕工事や駐車場建て替え工事に要する多額の出費には目を光らせる方は多いのですが、コピー用紙やボールペンに使われる費用がこれほど高いだなんて誰も気付いていなかった。だから毎年すんなりと予算案が通っていたわけです。
「大規模修繕工事などの業者選びに、管理会社は関与していなかったのか」
「疑惑が指摘されている業者を管理会社はわかっていたのではないか」
管理会社として工事業者について相談されれば紹介することはあるが、特定の会社を一社だけ紹介することはない。紹介した業者の中から修繕委員会で一、二社選び、理事会に諮問の上理事会での話し合いや住人投票で選ばれている。適切な助言を与えるべき場面でできなかったのであれば申し訳ない、しかし最終決定はすべて区分所有者の判断だと回答した。
工事費が世間の相場より高く、さらに追加の費用が請求され結果的に二、三割は高くなった。それでも前回のコンサル会社を支持した主流派の住人は多かった。今その支持した人たちが管理会社に食ってかかる。本当に滑稽な光景です。
「私は区分所有者になってまだ一年と少しなのですが、消耗品雑費の科目が今のように高くなったのは何年前くらいからでしょうか?」
僕にはわからないのでたずねてみると、
「デフレ下において一〇年以上は消耗品などの予算は、ほぼ横ばいのマンションが大半です。しかしマンションブリーザ幕路では一一年前の予算案で倍増されており、以降毎年増額されています」
「その時期から田割さんがマンションブリーザ幕路を担当していたのでしょうか?」
「田割は一八年前からマンションブリーザ幕路を担当していました」
「長年同じ方を担当させるリスクを考えたことは?」
「今にして思えば、各マンションの収納口座を預かるわけですから、数年で交代させるべきだったと反省しています」
管理会社の方をこれ以上問い詰めたところで平行線になるだけだと思い、これ以上は何も聞かなかった。でも損を被ったことを前面に押し出し管理会社を問い詰め続ける人が多く、理事の席から見ているとそれらの多くは主流派の人たち。おそらく横領や裏金にはありつけなかった人たちなのだろう。
その様子はまるでお腹の空いた鯉が水面で口をパクパクしているように見えて、何だかおかしかった。普段は無関心で、主流派の言うことだから間違いないという根拠なき自信から支え続けてきた人が、現実を知って急に口をパクパクと開ける。
スーパーで働いているとこういう人たちを毎日のように見る。ネットニュースや動画配信、SNSで語られる〝良い物〟に群がり、売切れれば文句を言い、やがて大した効果がないと文句を言う。勝手に信じておいて、関係がない者にキレ散らかす。その様子も鯉が口をパクパク開けているようにしか僕には見えずいつも笑いを我慢していた。そんな態度が気に入らないのだろう、そういった場面で対応すると態度が悪いとの苦情が毎回寄せられる。だって見ているとおかしいと言うか、哀れだなと思ってしまうのだから仕方がないだろう。
約三時間の管理会社に対する詰問が終わり昼休憩に入った。僕と妻は家には帰らず、近くのカフェでランチを食べていた。
「ねえ、勝、勝はわりと冷静に質問していたね」
「あの場で声を荒げてどうにかなるわけがないし、聞くとすれば原因を探ることだろ?」
「でもほとんどの人たちは感情に任せて怒鳴り散らしていただけよね。原因やこれからの対策とかは誰一人聞かないんだもん、馬鹿みたい」
その怒鳴り散らしていたのは主流派の人たちが多かった。マンション会計の予算案や工事の予算、業者の選定などで自分たちで賛成しておきながら、いざ被害に遭ったら他者に責任を覆いかぶせて自分には非がなかったと逃げ惑う。いや、自分は悪くはないと自分に言い聞かせる。だから原因やこれからの対策なんて一切聞かない。
「前から見ているとね、大人が喚いているようには見えないんだよ。小さな子供がおもちゃを買ってもらいたくて必死で訴えているみたいで、面白かったよ」
「そう言えば下の角畑のおばあちゃんは黙っていたわね、お金をもらっていたのかな?」
「ひょっとすると、苦情の手紙を書くたびにお金をもらっていたのかもしれないな」
「そうだ、午後からは普通の総会っぽくなるのかな? 今日は私も発言できるんだよね」
「うん、大丈夫だよ」
「だったらうちに入れられた苦情の手紙とかは私が持っておくよ」
「佳奈が発言するの?」
「うん、そのつもりだよ。お父さんの会社に送られた苦情の手紙は解決したけど、うちへ入れられたたくさんの苦情の手紙は何も解決していないもん」
そして臨時総会の午後の部が始まった……。




