新管理員エルキュール・ポアロ登場 - 3
条川工務店の社長や紅阪工事事務所の工事責任者は、朝七時を回ると詰所に来られていることが多い。最近は僕の出勤時間に余裕のある日に妻と二人で訪れていろいろと話をする。やはり気になるのは素山建設設計が監理業務で加わってからのこと。
理不尽な要求をされているのではないか、無理難題を押し付けられているのではないか。これらの会社が素山建設設計の要求を受け入れれば、それは僕たち区分所有者への負担が増えるということであり、主流派たちがほくそ笑むということになるのだから。
今朝も妻と一緒に条川工務店の詰所を訪れると、紅阪工事事務所の岡田んさんもおられた。
「おはようございます、朝はかなり冷えるようになってきましたね」
「竹盛さん、おはようございます」
「おはようございます、竹盛さん、聞いてくださいよ」
条川工務店の山本社長がこちらからは何も聞いていないのに話を始める。噂では耳にしていた、素材を粗悪な物に変えろという指示がさっそくあったそうです。
三日前の夕方の事、素山建設設計の十川さんと理事長や大規模修繕担当がやってきて、仕様書を指差しながらこんな高価な素材は必要ないからもっと低廉な物に変えろと、何カ所も指摘してきたと言う。
山本社長は仕様書に沿って発注しているのでどうすることもできないと突っぱねると、在庫として持っていれば済む話だと言い出し、契約打ち切りまでちらつかせてきた。
当然ですが条川工務店だけではなく紅阪工事事務所の岡田さんにも無理難題を押し付けてくるのですが、こちらはメーカーが指定した設計や仕様書そして材料によって施工するのですが、もっとグレードを下げた材料でも問題ないとか、作業員の増員が必要だとメーカー側に請求して工賃を引き上げろとまで指示してくる始末。そこまでして工費を吊り上げて金を抜きたいのかと憤りを感じるとも語った。
「あの理事の連中と素山設計が組むとこんなことになるんだ……」
「理事の連中も酷いとは思うが、素山建設設計の十川って人はその上を行く酷さだと思いますよ」
「その十川っていう人はどういう人なんですか?」
「素山の部長らしいですよ」
岡田さんが答え、山本社長が聞いた話だと付け加えるように、実質的に素山建設設計を取り仕切っているのがその十川さんで、あちこちのマンションで理事長などと結託しては工事費を吊り上げる。そして裏金を分け合っているという。
「そうなんですか……」
「やっぱり手遅れなのかなあ……」
先週管理員の寺間さんが詰所に来て、理事の一部の人が管理費を不正に横流ししている件や修繕工事に絡む不正を調査しており、何を言われてもお断りして管理員に報告するように二人とも言われたらしい。また岡田さんによると寺間さんは立体駐車場のメーカーの監査を担当したことがあり、不正はすべて見抜けると豪語するほどのやり手な人だと言う。
「うーん、でもそんな人が管理員なんてするのかなという疑問が……」
「私もそう思うんだよね、信用できる人なのかな……」
山本社長と岡田さんの話を聞いても半信半疑な僕と妻に、
「これまで小さいながらもなんとか荒波を乗り越えて会社を引きいてきた勘ですが、私は信用できる人間だと感じています。理事会の人たちに比べればはるかにマシですよ」
「山本社長に私も賛成です、あの管理員を信じて失敗した時の損害よりは、理事連中や素山建設設計の十川の指示どおりに動くほうが損害ははるかに大きくなります」
二人は管理員を完全に信じ切り、そして藤本さんたち主流派理事や素山建設設計の十川さんの要求には屈しない事がよくわかった。
「少し安心しました、もしも理事や素山建設設計が揺さぶりを掛けてきたらうちに連絡ください」
「ええ、管理員にもそう言われています。管理員と竹盛さんの耳に入れてほしいと」
「山本社長、管理員がそんなことを?」
「私も同じことを言われていますよ、竹盛さん」
「岡田さんもですか?」
「管理員曰く、このマンションで数少ない真っ当に悪党と戦っている人だからって」
「佳奈、山本社長や岡田さんはあんなことを言っていたけど、安全な人だと僕自身が確信を持てるまでは、あの管理員とは距離を取るつもりでいるんだ」
「勝、それでいいと思うわよ。だって、話し上手な詐欺師かもしれないしさ、山本社長や岡田さんは会社の今とこれから先を考えた上での判断だけど、うちはお金の問題以外に悪徳理事たちと同じマンションで生活しなきゃいけないもんね」
条川工務店の詰所から部屋に戻ってきた僕と妻は、まだ管理員を信用するには時期尚早との結論出していた。山本社長や岡田さんの意見は理解できるし、藤本さんたち主流派理事や素山建設設計の十川さんと比べればはるかにましなこともわかるけども……。
寺間さんを信用したまではいいけど例えば、我が家が条川工務店や紅阪工事事務所と結託し藤本さんたち主流派だけではなく、管理員やその他の居住者を陥れようとするために嘘の情報を流した、なんて吹聴されるとこのマンションに住み続けることなんてできない。
今の時点で寺間さんが藤本さんたち主流派や素山建設設計とは何の関係もないという証拠すらない。証拠がない段階では迂闊に人を信用するべきではない、このマンションに住むようになって学んだ教訓だ。
寺間さんが管理費の不正使用などに藤本さんたち主流派が絡んでいて、その証拠をはっきりとみんなにわかるように提示してくれれば良いのですが、今のところは調査段階らしく詳細がわからないので僕たちの勝手な判断と行動は危険すぎる。
そうは言っても、条川工務店や紅阪工事事務所の人たちのことは信用しているわけですから、信用できる出来ないの線引きはかなりいい加減なものですが。
僕がお昼過ぎに仕事に出掛けた後、探偵ミス・ジェーン・マープルこと〝まいうー〟な清掃員の西杉さんが訪ねてきて、短く要点だけを話してすぐに帰ったそうですが、妻の頭の中には「?」マークだらけになったとか。仕事を終えて夜一〇時過ぎに帰宅した僕は、日課の妻の話を聞いていました。
「管理員さんがうちへ来ると迷惑かもしれないと言って、西杉さんに言伝を頼んだらしいのだけど……」
管理員が調査している大規模修繕など工事に関わる積立金の不正支出や、日常的に管理費の不正請求が行われている件の首謀者は、藤本さんたち主流派の一部の人でもなければこれまでの管理員でもない。そして、このマンションの居住者でも区分所有者でもないし、素山建設設計でもない。誰もが想像していない人が首謀者、つまりは黒幕。近いうちにこのマンションで行われている不正の全貌が明らかになると西杉さんに伝えられたという。
「西杉さんが言っていたように黒幕が存在しているのか。でもこのマンションに住んでいないし所有者でもなく歴代の管理員でもないとなると、元居住者とか元所有者とか?」
「でもその黒幕の人って、どうやって藤本さんたち主流派の人たちに指示を出しているのかな? 主流派の誰かと知り合いとか親戚とか?」
「そうなると完全に警察に任せなきゃどうしようもないな」
「本当に、それだけ広がっていくと事件だもんね」
〝事件〟となると僕たちでは手を出せるはずもなく、寺間さんが疑義を解明し、その後は損害賠償の請求だとか横領罪で告訴と言った流れをただ見ることしかできない。妻はこれまで悪戦苦闘してきたのに、素人の我が家では手の届かない〝事件〟になりそうということで溜息をついた。
しばらく沈黙の時間が流れ、お風呂に浸かりに行こうかなと思った時に妻が、
「ねえ、管理費とか積立金の口座の通帳ってどこにあるのかな?」
「通帳?」
「うん、管理員さんが頻繁に消耗品とか買うでしょ、そのたびに下してくるのかなと思って」
「キャッシュカードでサッと下すとか?」
「でもそんなに簡単に下せらたら怖いよね? 普通に考えたら理事長の承認とかいるんじゃない?」
「たしかにそうだな、しかし管理費や積立金がどのように保管されているのかは知らないよな」
「西杉さんに聞いてみようかな、このマンションのお部屋を三つも持っているし、詳しそうだし」
「僕たちはマンション管理の基礎的なことがわかっていないから、まずは聞いて理解するほうがいいかもな。マンションの管理費をどのように管理しているのかなんて考えたこともなかったよ」
「〝三流は人の話を聞かない。二流は人の話を聞く。一流は人の話を聞いて実行する。超一流は人の話を聞いて工夫する〟らしいよ。ただ聞くだけでは何にもならないんだろうね」
「本当にそう思うし、悪くても二流、できれば一流になりたいね」
数日後のこと、買い物に出掛けようとマンションを出たところで、エントランス周りの掃除をしていた西杉さんを見掛けた妻は、
「お掃除の最中にすみません、西杉さん、また後でお話しできませんか」
「ええ、いいわよ、今度は何が聞きたいの?」
「集めた管理費ってどのように管理されているのかなって思いまして」
「ああ、あの話に絡んでですね、私は仕事は三時までなのでその後にお伺いします」
「いつもすみません、お願いします」
三時半ごろインターホンが鳴った。清掃員の西杉さんだろうと思ってインターホンのモニターを見ると、寺間さんもいっしょに立っている。
「すみません、管理員の寺間です、私もよろしいですか?」
「はい……」
どうして寺間さんまで来ているの? 私は西杉さんに話を聞きたいだけなのに! だいたいうちへ来たら迷惑がかかるかもしれないって自分で言ってたんじゃないの?――。
仕方がなく二人を部屋へ向かい入れた妻。西杉さん用にケーキを買って待っていたのですが、寺間さんの分がない。妻は仕方がなく西杉さんにもお茶だけを出し、二人が帰ってからケーキを二つ食べてしまおうと思った。
「呼ばれていないのに押し掛けてすみません、あの、管理費の管理について聞きたいということですので、一応専門なので私が説明します……」
マンションブリーザ幕路管理組合ではイの方法で管理費や修繕積立金を管理している。これは「マンション管理の適正化の推進に関する法律」の第八七条第二項第一号に三つの方法がイロハで示されており、マンションブリーザ幕路ではこの法律に則ってイの方法を採用している。
区分所有者は毎月口座振替により管理費や修繕積立金を管理組合が指定する口座に収めているが、この口座のことを収納口座と呼ぶ。当マンションでは管理会社名義になっている。この口座からさまざまな管理費用を支払い、支払い後に余った金額と修繕積立金は翌月末までに別の口座に移さなければならない。この別の口座を保管口座と呼び管理組合の名義となっています。
ただし日常の消耗品などの購入の際に、管理会社が保管している収納口座から出金して購入するのは何かと不便。そこで一定額を収納口座から管理組合が用意した別の口座(小口現金口座)にあらかじめ振り込んでおき、その口座から日常の管理業務で使用する消耗品を購入する。もちろん領収証の保管が必要で、使用明細を帳簿に記入することも求められている。
小口現金口座に振り込む金額は消耗品・雑費などとして年度初めに予算で決められており、毎月振り込まれている。本来は残額があれば翌月末に保管口座へ移すべきものだが、これまでに一度も移されたことがない。また予算として計上されている小口現金口座に振り込まれる金額がかなり高いうえに、年々上昇を続けている。
今回管理会社が調査対象としているマンションは当マンションと同様のケースが多く、小口の管理費の横領の疑いのほか、他のマンションでは駐車場や駐輪場の使用料が横領されているケースもある。
「だとすると、コピー用紙やボールペンを購入する時はほぼノーチェックで買えるということですか?」
「そういうことになりますね」
「さらに領収証が偽造されているということですか?」
「ええ、日付や金額の部分を書き換えた物が見つかっています」
清掃員の西杉さんもさすがにここまで酷いことが繰り返し行われているとは露知らず、寺間さんから話を聞いて愕然としたとか。清掃員をしているから管理員室には頻繁に出入りするので、区分所有者の立場として帳簿類を見せてほしいと言うべきだったのではと後悔しているというが、清掃員はもとより区分所有者とは言え一個人が帳簿を見せてほしいと言っても応じないかもしれない。管理組合を通じて閲覧の要請を出せば応じるはずだが、このマンションでは主流派の理事がそれも認めない可能性が高い。
「マンションブリーザ幕路で証拠だったり証言もかなり得ましたし、管理会社の内部調査も含めてほぼ全容が見えてきました。早くしないとバイク置き場や駐車場の使用料でまたおかしなお金の流れができそうで……、とにかく竹盛さんは間違ったことはしていません、それだけははっきりとお伝えしますね」
寺間さんがそう言うと二人は部屋を出ていった。
仕事から帰宅すると、妻が何かを話したくてうずうずしている時の顔で出迎えてくれた。
「今日ね、西杉さんに管理費のことを聞こうと思って声を掛けたの。するとね、三時半ごろに寺間さんも一緒にやってきたのよ」
「そうなの? 何だかあの人は信用しきれないんだけどなあ……」
妻はこのマンションの管理費や積立金の管理方法を、聞いたままに僕に話した。
「コピー用紙やボールペンは割と自由に買えるんだ……」
「なんかね、まとめてドンと買わずこまめに買うことで領収証も多くなって、誤魔化しやすく感じるのかもしれないって寺間さんが言ってた」
こまめに買うことで一回当たりの使用金額少なくなり、そして領収証の枚数もその分多くなる。普通はバレちゃいけないという心理が働いてできるだけ回数を少なくすると思うのですが、このマンションでは日常的に行われているからか警戒心がかなり薄くなり、回数を増やして少ない金額で頻繁に管理員が購入するというスタイルになっているのではないかと言うこと。
「そう言えば消耗品とか備品の予算はいくらなのかな、予算の範囲で別の口座に振り込むって言ってたけど」
妻が言うので僕はマンションの管理組合に関する書類を挟んでいるバインダーを取り出し、ペラペラとめくって今年度の予算案と昨年度の決算を確認した。
「佳奈、これ見てみなよ!」
僕は妻に渡す前にざっと金額を見たのですが、正直なところこれは異常だという金額が計上されたいた。
「いろんな項目があるんだね……、へえ、収入って結構多いんだねえ……、うんと、消耗品雑費が前年度は五三〇〇〇円で今年度の予算は六〇〇〇〇円か、まあそのくらいはいるか……、防災費? 防災費って何だろう……、前年度は六二〇〇〇円で今年度の予算は七〇〇〇〇円か、そのくらいはかかっちゃうのかな……」
「佳奈、もう一度よく見てみろ」
「うん……、消耗品雑費が一、十、百、千、万、十万……、え? 五三〇〇〇円じゃなくて五十三万円、今年度は六〇万円? さすがに高すぎない? 防災費も〇が一個多いよ、何これ?」
「備品とかいろんな項目があるけど全部金額が高いんだ。理事会で予算案が決まり総会で可決されているんだよ。細かいところまで見る人がどれだけ少ないかを表しているし、僕も予算なんて気にしてないから賛成票を投じてしまったけど……」
「根本の原因はここなのか、今騒いだところでみんなが賛成して認めたから今になると文句も言えない。藤本さんたち主流派理事たちを生き長らえさせたのは、結局は私たち居住者や所有者なのね」
数字がいっぱい並ぶ決算や予算を見ても、どの程度の金額が適正なのかは正直なところわからない。おそらく大半の区分所有者はそんな感じだろう。だから総会で提案されても指摘するべき点もわからないし、そのまま賛成票を投じて可決してしまう。
マンションブリーザ幕路では日常的な費用からはコソコソとくすねて、大規模修繕工事など大きな金額が動くときは業者などと手を組んで裏金を受け取っている。それらのお金はすべて所有者が管理費や積立金として支払ったお金。それらのお金を滞納しないようにとせっせと働いて納め、一方ではそのお金を好き勝手に吸い上げているわけだ。
ここから先は調査のために潜入している寺間さんに任せるしかないが、結局は証拠が出そろってから藤本さんたちを告訴するという流れになるのだろう。そしてその時にようやく寺間さんを信用できるようになるわけだが、その時は調査を終えて寺間さんが去る時になるのかな。
「たぶん調査結果の公表の時に〝頭が高い、この管理員が目に入らぬか。ここにおわすお方をどなたと心得る。こちらにおわすは名探偵エルキュール・ポアロこと寺間さんであらせられるぞ。頭が高い、控えおろう!〟って、勝がお付きの人みたいなセリフを言うんだよ」
「寺間さんはアガサクリスティの小説に出てくる探偵なんだ。ところでそのセリフを僕が言うの? ってことは僕は助さんか格さんってこと?」
「うーん、勝は助さん格さんじゃないな……、風車の人かな?」
「じゃあ、佳奈は何?」
「もちろん、疾風のお娟よ。入浴シーンも見せちゃおうかな♪」
「うっかり八兵衛じゃないんだ……」




