お金のためならどんな手を使ってでも - 4
数日後のこと、出勤すると店長に呼び止められた。店長から直接声がかかる時はあまりいい話をされることはない。またクレームでも増加したのかなと思いながら話をする。
「ところで副店長、マンションのほうは落ち着いたかい?」
「落ち着いたような、落ち着いていないようなという感じです」
「そうか、最近はクレームのメールも激減したし落ち着いたとばかり思っていたけど、そうでもないんだな」
そう言えばマンションでも苦情の手紙がまったく入らなくなったし、ということはやっぱり苦情やクレームは主流派の仕業ということだ。
「それで本題だけど……」
秋の異動は回避できたけど来春の異動はほぼ確定のようで、この店は店長と副店長が同時に抜けることになると言われた。僕は管理職ではないチーフとほぼ同格の副店長がもっとも合っていると自分では思い、このまま副店長で十分だと店長に言うと、
「そうはいかんだろう、どうしても本社は君を引き抜きたいようだから、その覚悟は今のうちにしておくほうがいいぞ」
「はい……」
支社勤務ならば今のマンションから電車通勤できるから良いものの、本社となると転居を余儀なくされる。それにチーフ格の副店長が異動となると間違いなく管理職にされてしまう。中間管理職なんてサンドイッチ状態で本当に嫌なんだけどな。
転勤が現実味を帯びてきて、しかも東京の本社勤務というお客様とは遠い場所での仕事を受け入れざるを得ないという、絶望感を漂わせて帰宅したからか、
「何だか元気ないね、何かあったの?」
妻は僕の顔色の変化にかなり敏感なようで、少しの異変に気付いていつも先に声を掛けてくる。来春の異動はほぼ確定的で、今日聞いた感じではやはり東京本社勤務のようだと話した。
「そうなんだ、春ってことはこのマンションの大規模修繕工事もほぼ終わるころだよね。綺麗になったマンションでは住まずに出ていくことになるのかな」
僕なんて足元にも及ぼないほど妻はこのマンションの主流派と戦闘を繰り広げている。その戦闘結果がほぼ現れる時期の転勤と転居。妻は僕が本社へ異動することをどう思っているのだろうか。
「仕方ないよ、サラリーマンだもん。転勤は付きものだしさ、出世するためには仕方がないよ」
「そうだけど、僕は出世なんて興味はないんだけどなあ」
もしも僕が出世に興味がある人間だったら、傍若無人な振る舞いをする〝客もどき〟に対して、今のように排除目的で強く接することはない。うまく立ち回れる僕の同期たちはすでに店長やエリアマネージャーとして活躍しており、副店長に取り残された僕は出世とは無縁の〝脱落者〟だ。
でも僕にとっては今の職場環境はギリギリ許せるラインであり、だからこそ何とか心が潰れずにやっていけるのです。店長など管理職になれば僕は心が潰れるか、別の人種に化けて生きていくしかない、そんな気がする。
「〝なるようになれ。どうでもなるようになれ。流れろ。流れろ〟」
「佳奈、随分冷たいなあ」
妻は今の一節は宮沢賢治の「書簡」からだと言う。妻は何か困った事が起きたときには、少しでも気持ちが楽になるようにとこの一節を思い出しているという。世の中にはどう頑張っても抗えないことがある、頑張って変えたいけど変えられないことがある。会社の人事なんてまず抗えない。流れに逆らわずに行きつく所に行き着くのも悪くはないと。
妻にそう言われて、たしかに会社の人事なんてこちらがどうにかできるものではないし、嫌ならば辞めればいいやって、そのくらいに構えていないと身が持たないと思った。しかし妻は時々こちらがドキッとすることを、核心を突くような言葉で覆い被せてくる。
「そう、私は〝ズバッと参上、ズバッと解決。人呼んでさすらいのヒーロー! 快傑佳奈ちゃん!〟だからね」
セリフは決まったけど、なぜかもぞもぞと動く佳奈。
「佳奈、どうしたの?」
「えっとね、ズバットってどんな変身のポーズだったか忘れちゃったの……」
「解決ズバットって変身しなかったんじゃない? ギターの中に強化服をしまい込んでいて、瞬間的にその服を着るだけだったような……」
「あれ? 勝、知ってるの?」
「この家に来る前に、佳奈といっしょに見たからだよ」
「そっか、〝どうもすんずれいしました!〟」
このボケ方も妻らしくて良いのだが……。
翌日は仕事が休みだったので、朝早くから妻と二人で紅阪工事事務所の詰所へ工事責任者の岡田さんを訪ねた。詰所へ出入りするのは主流派の人たちが通勤のために家を出る前の早朝がいい。多くの人が通勤や通学のために行き交う時間帯に詰所へ入れば、その様子が主流派の人たちに見つかり何を言われるかわからないからだ。
それに作業員たちとは違って、現場の責任者でもある岡田さんや山本社長はかなり早い時間に来られていることが多く、早朝に動くのは理にかなっている気がするのです。ただし一〇月になると朝はそこそこ寒いので、本当はもう少しお布団の中で暖まっていたいのですが。
「岡田さん、おはようございます」
「ああ、どうも、おはようございます竹盛さん」
「あれからは理事会の方が訪ねてきたりとか、何か動きはありました?」
予想どおりでしたが、一部の理事が反対してまだ正式に契約を結んではいないが、近々素山建設設計と契約することになる。今後は素山建設設計の指揮によって工事を進めるようにと伝えてきたそうです。ただし駐車場の建設に関しては、素材や工法などすべてが元請けであるメーカーの指示。コンサル会社の指示には従わないし、もし変更する必要があるならばメーカーに言ってくれとすべて拒否したという。
「その反対した理事は私なんです」
「やはりそうでしたか、うちとしては騒音などに関しては言われればもちろん対処しますが、工事の内容についてはメーカーの指示以外は受け入れません」
「あの、また……」
「ええ、竹盛さんが来たことは内緒にしておきますよ」
「本当にいつもすみません、これいつも同じで飽きているかもしれませんが……」
今日は勤務する店で特売していた、大きめののペットボトルに入った飲み物を差し入れた。
「こちらこそ、いつもすみませんね。作業員みんな喜んでいますよ」
いったん家に戻って差し入れの品を取りに行き、今度は条川工務店の詰所に山本社長を訪ねた。
「おはようございます」
「竹盛さん、おはようございます」
山本社長にも岡田さんと同じ質問をぶつけてみると、コンサルタント業務は素山建設設計が引き継いだから、これからはそちらの指示どおりに動くように言われたし、山下さんと横江さんの二人がお金を手渡してきたという。
現場監督を社長自身が務めているという規模の会社にとって、今回の案件は相当大きな仕事。それだけに失えば損失は大きく、会社の存亡にかかわるかもしれない。主流派理事に従わなければ仕事を失い、雇っている職人たちを路頭に迷わせることになる。でも山本社長のポリシーでは不正に関与することは何があっても拒絶する。職人たちの生活と自分自身が持つポリシーとの狭間に心は揺れ動く。
しかし経営者として何を優先するのが普通なのだろう。やはり会社の存続と従業員へ給料を遅れることなく支払うことかな。そう思うと不正だとわかっていても主流派理事からの〝指示〟に従うのも仕方がないような気はするから、何も告げずに黙って主流派理事の指示どおりに動くという選択はあり得ることだと思う。
または何があっても不正には加担しないとポリシーに従って主流派理事にノーを突き付ける。そして、しばらくの間は仕事がなくなり迷惑を掛けるかもしれないと、従業員に頭を下げる。それでも付いて来る従業員はいるだろう。
山本社長は今のところどちらを取るのか悩んでいる状態だし、そのことを僕に素直に話してくれた。自分の中で葛藤している状態で揺れ動いているのだろう。
社長は封がされたままの封筒を僕の前に出してきた。それは主流派理事が置いて帰った〝袖の下〟だ。
「まだ一つも封を切っていないんだ。本当は突き返したいけどそれができない弱い社長なんだよ。でもこの封を破ると僕はもうこの職業を続ける価値のない人間になり下がる気がする、本当に苦しい……」
「社長、僕ごときでは頑張ってくださいという言葉しか出ません。こういう会社こそ世のために頑張ってもらいたい、このマンションには不正を冒してでもお金を得るという考えの理事たちがいることが恥ずかしいです。本当に微力ですが力になれればと思います」
「竹盛さんありがとう、一人でも良識のある住人がいるとわかれば心強いです」
条川工務店の詰所から家に買ってきた僕と妻は、コーヒーを飲みながら話をした。
「ねえ、勝、山本社長ってかわいそうよね」
「本当に大変だと思うし、主流派理事の圧力に屈したとしても責められないよな」
「それがわかっていて、主流派の人たちは山本社長に圧を掛けるのかな?」
「だろうね、小さな会社なんだから仕事が一件なくなるだけでも大変でしょ? と、わかっていて圧を掛けていると思うよ」
藤本さんたち主流派理事たちには成功体験があるから、条川工務店くらいの会社ならば自分たちの要求に屈するはずだと高を括っているのだろう。その圧に抗うべきか否かで悩む山本社長、やはり気の毒だ。
僕たちにとっても山本社長が主流派理事たちに屈することがあれば、大規模修繕の工事費がどんどん増加し、その増加を僕たちが負担しなければならなくなる。笑うのは主流派理事たちとコンサル業務の素山建設設計だけで、他の住人や工事施工会社は泣くしかなくなる。
「ところで、佳奈、このマンションの会計の帳簿を会計に詳しい人に見てもらうって、本気で言ってるの?」
「理事会の時は勢いで言っちゃったけど……」
主流派理事たちの悪行を洗いざらい明白にするには、マンション会計から調べていく必要がある。でも僕や妻では帳簿を見たところで何もわかるはずもなく、会計士や税理士、または弁護士に依頼して調査するしかない。義父ならばそう言った専門職の方との繋がりもあるだろうし、紹介はしてくれるはずだ。
それに今は前回と現在進行中の大規模修繕工事だけをターゲットに考えているわけですが、実際にはそれだけでは済まず、日常の管理業務だってかなり怪しい。これまで管理員は主流派理事たちの手足となって動く人たちばかりだったので、日常的な横領も無いとは思えないから、調べればかなり黒い部分が出てくるだろう。
ここまで考えはするのですが、ではなぜ我が家がそこまで動く必要があるの? と、妻は考えてしまうようだし、土尻さんのご主人のように、前回の大規模修繕工事の見積もりや実際にかかった工事費がおかしいと声を上げながら、弁護士に相談するとか、どこかの相談窓口にたずねると言った行動をしなかった点も僕はおかしいと思ってしまう。
「本当にこのマンションの住人や区分所有者、全員に対して疑心暗鬼になってしまうよ」
「そうだよねえ……。ねえ、素山建設設計の社長の妹っていったい誰なのかな?」
「佳奈、今こそ清掃員さんに聞けばいいんだよ!」
「そっか、探偵ミス・ジェーン・マープルに教えてもらえばいいんだ! 明日はごみの日だから教えてもらおう」
「西杉さん、おはようございます。いつも朝早いですね」
まだ夜が明けきっていない朝、妻は白い息を吐きながら清掃員に声を掛けた。
「竹盛さん、おはようございます。五時を回るとごみがそこそこ出ているから、早めに来て分別しないとごみの収集車が来ちゃいますからね」
「あの、西杉さん……」
「聞きたいことがあるのね、お昼前にお宅へうかがいますね」
「いつもすみません」
「もっと早く聞かれるのかと思っていたんだけどね」
妻はペコリと頭を下げてから家へと戻ってきた。
一一時を少し回ったころに清掃員の西杉さんがお見えになった。
「西杉さん、すみません、またお呼び立てして。玄関先ではあれですから、上がってください」
「玄関先でいいわよ」
「いえいえ、そうはいきませんよ。お茶くらいしか出せませんけど、どうぞお上がりください」
「では、遠慮なく、お邪魔します」
清掃員の西杉さんは部屋の中をあちこちチェックしながらリビングまで歩きます。さすがは探偵ミス・ジェーン・マープルです。また我が家の中の様子をあちこちで広めてくれるのだろうか……。
「早速ですが……」
「素山建設設計のこと?」
清掃員の西杉さんによると、素山建設設計の社長の妹は七〇一号室の谷川さんで、結婚して素山から谷川に変わった。ただし藤本さんたち主流派とは直接の関係はない。谷川さんは多少心の病もあって、ほとんど部屋からは出ない。出るとしても早朝か夜だけで、ご主人がいれば日中でも出歩かれることはある。
こういった事情もあるので、彼女が素山建設設計を利用するように推すことは考えられないし、利用してもらったお礼に金品を渡すといったこともない。彼女とは関係なく誰かが素山建設設計を何かで知って、大規模修繕工事で契約したのが真相だと思うと話した。
藤本さんたち主流派が素山建設設計を利用して裏金を受けているという噂、あれはおそらく真実だろう。ただ先ほども言ったように、谷川さんはそう言った疑惑にも関わっていないはずで、おそらくは主流派側が話を持ち掛けると素山建設設計が乗ってきたと言うことだろう。
「そのあたりに鍵があるのかと思っていたけど、見当違いだったのか……」
「でも竹盛さんほど真剣にマンションのことを考えてくれる人は他にはいないわね」
「だって、管理費や積立金でこちらに跳ね返ってくることですから、心配になるし真剣にもなりますよ」
「そうやって声を上げてくれる人がいると、私としても安心できるわ」
実はこの清掃員はマンションブリーザ幕路に部屋を三つ所有していて、すべてを分譲貸しとして貸し出しているという。この話はマンションの中では有名な話らしく、おそらく我が家だけが知らない事実だったのでしょう。
ではなぜ三部屋も所有し、賃貸収入だけで悠々自適な暮らしができるのに清掃員としてなぜ働いているのかと言うと、貸し出している部屋の様子がわかることのほか、マンション内で何が起きているのかもわかるかららしい。
「三室も! すごい、大富豪なんですね!」
「何が大富豪よ、敦夫さんに比べたら大したことないわよ」
「そうだ、私の父と知り合いなんですか?」
「学生時代の同級生よ、高校と大学が同じだったのよ」
「じゃあ、私の母とも……」
「ええ、もちろん裕子も知っているわよ、同級生ですから」
「そうなんですね……、驚きを通り越して腰が抜けてしまいそうです……」
探偵ミス・ジェーン・マープルこと〝まいうー〟な清掃員の西杉さんは大金持ちで、しかも両親の同級生だった。妻は冗談抜きで腰が抜けて、へなへなとなってソファーに何とか腰掛けている状態になった。
藤本さんたち主流派が悪いのは間違いない。管理費や積立金、さらに追加の工事費を各戸に出させて自分たちはキックバックを受けているのだから。でもそれを知っているのに、弁護士やマンション管理センターなどに相談しないお宅が何軒かある。もしもほぼ不正で間違いないと思った時にすぐに相談していたら、今のように藤本さんたち主流派が蔓延ることはなかったかもしれない。
特に土尻さんは前回の大規模修繕工事で、相場よりも高い見積もりが最初から提示されたことがおかしいと主張していた。他社で見積もりを取るようにも進言していた。なのにそれ以上の行動を起こさなかったのはやはりおかしい、西杉さんは率直に妻に語った。
妻は土尻さんのご主人の勤務先について西杉さんに尋ねてみたのですが、明確に建設会社勤務だと答えたのでちょっと驚きました。兄がゼネコンで勤めていて、その関係で前回の大規模修繕の時に見積もりを取ったと聞いたと答えると、土尻さんは一人っ子で兄はおらず、奥さんには兄はいるがその方は商売をされていると聞かされた。
「聞いていた話と全然違う……」
ショックを覚えたが今は素山建設設計のことを聞かなきゃと気を取り直し、牧落さんがやたらと素山建設設計を推すが、以前働いていたなど何か関係があるのかを尋ねたのですが、おそらく牧落さんは直接の関係はないと思う。ご主人は商社勤務で接待の日々を送り、奥さんはフリーライターで雑誌などに投稿しているという。普段は編集者との会議をパソコンで行うことが多く、西杉さんの知る限り、牧落さんは素山建設設計とは何も関係がないと思う。
「そうなんですか……、何だかこのマンションって複雑怪奇で、何が本当で何が嘘なのかもわからないです」
妻はマンションって昔ながらの団地のような雰囲気が少しは残っているものだと思っていたが、マンションを選ぶ人は周りとの繋がりを遮断して快適な生活を送りたいとの思いが根底にあり、個を大切にする方がほとんど。もちろん中には仲の良いお宅を行き来する方もいるがそれは少数派。マンションって干渉されたくはない人にとって居心地がいい住居。自分の事や家族の事は知られたくない人が大半。中にはご主人の勤務先でマウントを取る奥さんもいるけど、それ以上のことは周りの人に知られたくはない、そんな人が多い。
今ではマンションだけではなく、団地でも一戸建てでもあまり変わりはない。個人や家族単位でしかモノを見ないし、自分たちが良ければ他人は関係ないという考えに支配されている。時代は昔のような集団から個へと移り変わった。
「だから竹盛さんのようなお宅は珍しいし、多くの住人からは目障りな存在になっているのかもしれないわね」
「我が家は目障りなんだ……。そりゃあそうよね、個人の利益を最大限にしようと考えているのに、それを邪魔している存在なんだもん……。馬鹿らしくなってきちゃった……」
「でも私は応援しているわよ。今の状態だと積立金は絶対に足りなくなるし、かなりの追加が各区分所有者に課せられるけど、そうなった時には遅いから」
「あの……、普段から管理費を横流ししているとかはあるんですか?」
「横流しというか……」
西杉さんは一呼吸置いてから、このマンションでの消耗品や備品の購入の仕方は異常で、清掃員が使うモップなんて傷んでもいないのに毎週新しい物に取り替えられる。バケツや雑巾、ボールペンやコピー用紙も頻繁に購入している。それらの物品は管理員が立て替え払いして購入し、理事長の決済印がもらえたら口座から支払われる。そこにどのような不正が潜んでいるのかはわからないが、ただ怪しいとは思う。しかし、物品を購入した証拠として領収証が保管されているはずだから、不正は働きにくいと思うのだが……。
「あと、西杉さんが調べた各ご家庭の情報って、管理員室で保管されていたりしますか?」
「さすがにそんなことはないと思うけど、何かあったの?」
「理事を辞退してほしいと依頼された時なのですけど、届け出ていない主人の情報を管理員から聞いたと言って、主流派の人がうちへ来たことがあって……」
「そうなの? 不愉快な思いをさせてごめんなさい……」
金輪際誰にも情報を流さないことを約束した西杉さんだが、
「でも、竹盛さんがこのマンションを良くするために知りたい情報は教えるから。本当に応援しているからね」
「あは、どうも……」
「ごちそうさまでした。美味しかったわこのケーキ、竹盛さんって舌も肥えていらっしゃるのね」
「私の唯一の楽しみですから……」
探偵ミス・ジェーン・マープルこと清掃員の西杉さんは一時間ほど話をして帰って行った。
仕事から帰宅するとリビングにいる妻がソワソワしながら、今にも一気に話したい! そんな様子が見て取れた。
「佳奈、ただいま。清掃員の西杉さんにいっぱい聞いたっていう顔をしてるね」
「うん、いろいろと聞いて解決した部分と、よけいにわからなくなったことで結構ごちゃごちゃよ」
最初に妻が話したのは、西杉さんはこのマンションを三室も所有するお金持ちだという話と、妻の両親と高校と大学で同級生だったという話。
「清掃員の西杉さんってこのマンションの部屋を三軒も所有している資産家なんだな。人は見かけによらないんだな」
「それ以上に私のお父さんやお母さんと高校や大学で同級生だったってねえ、いったいどんな人生を送っているんだろう。小説にでも書いたら面白い作品になりそうよね」
その次に話したのが、西杉さんが調べた個人情報が管理員室内で保管されていたことを知らなかったという話。西杉さんは主流派の人間だから、主流派のために個人情報を集めては管理員や主流派に話し、そのデータを管理員室で保管しているのだと思っていた。今後は〝個人の趣味〟の範囲で調べるけど、もう誰にも話さないと約束した。
「じゃあ、佳奈が教えてほしいとお願いしても、西杉さんはもう何も教えてくれないの?」
「私には教えてくれるって言ってた、マンションを良くするためだから応援してるって」
ここから本題をいろいろと聞いていったのですが、素山建設設計の社長の妹の事、牧落さんの事、そして土尻さんの事。今のところ素山建設設計の社長の妹は藤本さんたち主流派とは直接の関係はなさそうだし、牧落さんも素山建設設計と関係があるという話は出てこなかった。土尻さんのご主人はかなり意外だったし、どうして兄がゼネコン勤務でなんて嘘を話したのか、ちょっと謎が深いのかもしれない。
大規模修繕工事に関しては新しい事実は出てこなかったけれど、消耗品や備品の購入ではかなり疑わしい事実がわかってきた。掃除のモップなんて毎日のようにマンション内の床掃除に使ったとしても、一カ月で使用不可能な状態にはならないはず。それが週に一度は交換されるというのはさすがに怪しすぎる。
「こんなだから、頭の中がごちゃごちゃになっちゃうのよ。だから、面白いセリフが浮かばないの……」
「セリフはいいんだけどさ……、しかし闇深いマンションだなあ」
「〝どんなものでも、暗やみの中ではおそろしいものに見えるのよ〟だから、闇からあぶり出さないと真実は見えてこないのって、ムーミンのママが言ってたよ」
「ムーミンのママってどことなく佳奈に似ているよね。共通して天然だし……」
「〝私の集めたセリフを褒めてくれた勝がいた〟今度はフリーレンの言葉よ」
「褒めてなんかいないよ、やっぱり佳奈は天然だな……」




