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マンション大戦争~35年ローンで買ったのに  作者: 光島吹


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2/18

新居での生活を始めるための準備だけど

 内覧の二日後に妻が物件価格の一割に相当する手付金をお店で支払い、その翌週は夫婦そろって売買契約を結ぶために不動産屋へ行きました。ローンの審査もスムースに進んだことで売買契約から一カ月後の八月初旬の今日、鍵を受け取ることに。登記簿の登記申請(記載変更)は司法書士にお任せして、権利書などは家に送ってもらうことになっています。


 念願のマイホームを手に入れるという記念日なので夏の非常に暑い日にもかかわらず、僕も妻もスーツ姿で午前中に不動産屋へ。車の納車の時だとお店によっては店員が全員並び、拍手の中を手に入れた車で颯爽とお店を後にするなんてこともありますが、不動産屋ではかなり淡々と鍵の受け渡しや書類に署名するだけ。なんだかすごく事務的な感じでしたが、家が売れればそれでいいんだよって感じが如実に表れています。


 鍵を受け取ったその足で〝新居〟へ向かいました。実は内覧の時は担当の山田さんの後に付いて歩く程度であまり細かいところまで見ておらず、今日改めてマンションへ来ると植え込みってこんなに幅を取っていたんだとか、エントランスへ入るには階段だけかと思っていたら、横には緩いスロープが設けられていたんだとか、ロビーにはソファーまで置かれていたんだとか、とにかく何も見ていなかったことが発覚。


 内覧の時って自分が気になる部分だけを見てほかの部分は見た記憶がない、そして住み始めてからようやく気付くことがあって、家選びに失敗したんじゃないかっていう残念な気持ちを味わいます。僕は毎回住み始めてから後悔しているわけですが、さすがに今回は三五年ものローンを抱えていますから後悔だけはしたくないのですが……。


 鍵を受け取って自分の家になったという晴れの日ですが、実際の天候は曇っています。七一一号室のドアの鍵を開け、部屋の中を見ると何だか薄暗い。内覧の時とは別の家にすり替えられたんじゃないかという気分になりました。玄関や廊下の電気を付けてから家に上がり、廊下を歩いてリビングに入りましたがやっぱり暗い。


「今日はあまり天気が良くないから薄暗いわね」


「内覧の時は日差しが差し込んで明るいリビングだと思ったんだけど、ちょっと薄暗いなあ」


 妻はカメラを持ってきており、日の差し込むリビングで二人並んだエモい記念写真を撮るつもりだったようで、かなり残念がっていました。それも仕方がないことで、この部屋の窓は西向きで今は午前中、お昼をすぎないとお日様を見ることもできないのです。


 寝室に充てることにしている八畳の洋間はさらに暗い。外廊下に面し窓もあるのですが、凵の字の内側に面しているのでリビングよりさらに暗い。内覧の時は天気が良くやや薄暗いかなと思った程度でしたが、今日のような曇りの日はとにかく暗くて明かりがないと見づらいのですが、照明器具はまだ取り付けられていない。おまけに部屋から出ようとした時に廊下との段差を忘れていて足の小指を痛打してしまった。もちろん八畳間の前に位置する六畳間も同じように暗い。


「ねえ、勝、このお(うち)ってこんなに暗かったんだね、内覧の時は全然気付かなかった……、何だか買え買え詐欺に遭ったみたい」


「ここまで暗くなるとは想像しなかったよな。もうローンも組んでいるし、ここに住むしかないからな……」


 購入の申し込みからローンの審査を無事通過し、今朝、鍵をもらうまでは本当に幸せいっぱいな夫婦だったのに、いざ我が家に入ってみると何とも言えない重い空気が夫婦の間に充満した。それでもこの先この部屋に住むことに変わりはないから、スマホのライトで照らしてあちこちの細かい寸法をメジャーで測ってはメモ書きしていく。カーテンや新しく買う家具などはこの家に合せなければいけませんから。




「佳奈、照明器具はちょっと凝ったものにしない?」


「いいけど、何か考えでもあるの?」


「どうせ暗いのならばその暗さを生かして、ちょっとお高いホテルみたいな黄色っぽい明りで揃えたらどうかなと思ってさ」


「普通の白くて眩しいくらいに明るい照明器具じゃなくて、落ち着いたスタンドみたいな照明のこと?」


「うん、ランプみたいな照明器具とかさ、ちょっとムーディーな感じとかさ」


「それいいわね、こっちの部屋は勝のイメージで洋風にして、六畳間は少し長いローソク立てに碇型の和ろうそくを立てて、鉄兜を飾らない?」


「佳奈、あっちの部屋は武家屋敷にでもするの?」


 こうして僕たちは少しでもポジティブな思考になるように、計画を立てていった。




「ねえ、勝、外廊下に誰か立ってない?」


 六畳間であちこちの寸法を図っていると、妻が小声で僕に話し掛けてきた。


「さっきからずっと、窓のすぐそばに立っているみたいなんだけど……」


 妻がそう言うので、そっと玄関のドアを開けてみると、


「どなたですか?」


 僕が言ったのではなく、窓のすぐそばに立っていたやや年輩の女性が僕に話し掛けてきた。


「どなたって、この家を買って今日鍵を受け取った者ですけど」


「そうなんですか、てっきり不審な人が侵入しているのかと思って……」


 そう言うとその女性は、モップとバケツを手に持ち立ち去った。


 部屋に戻り清掃員の人のようだと妻に伝えると、窓の外からずっと中をうかがっていたようで、妻が気付いてからでも一〇分は経過していたという。空き家のはずなのに人影を感じて見張っていたのかもしれないと妻に話すと、


「なんだあ、刑事さんがあんパンでも食べながら張り込みしているのかと思ったから……」


 僕はそれほど気にも留めず、各部の寸法を測り続けた。




 内覧の時には部屋の中なんて雰囲気を見る程度で、各部の寸法なんて気にして見る人はほぼいないだろう。僕も妻もまさしくそれで、洗面所兼脱衣場兼洗濯機置き場兼浴室の入り口のドアの幅を今日改め見たが、どう見てもかなり狭い。これだとうちのドラム式の洗濯機の搬入はまず不可能。


「全自動の洗濯機と衣類乾燥機をセットで買えば設置できるのかな」


「今あるドラム式の洗濯機を運んでもらうのはいいけど、引越し屋さんに入れられません! なんて言われたら恥ずかしいし、買い替えだな」


 これは僕ではありませんが、同僚が最新式のドラム式洗濯機を購入し電器屋さんに運んでもらったのはいいけど、玄関は何とか通過できたけど、洗濯機置き場のある洗面所は微妙に通過できず、仕方がなく洗面所のドアまで外したけど結局搬入不可能で、謝りながら返品したなんて話を聞いたこともあります。


 洗濯機と乾燥機を別々で買い、エアコンはリビングが二台で洋室が一台ずつで四台、照明器具もいる。冷蔵庫や電子レンジは今の物を使うとして、などと妻と話をしていると、


「今うちには無いけど、テレビはどうする?」


 そう我が家にはテレビなんてありません。今は古くなったパソコンのモニターで動画配信を見ています。ニュースも動画配信で見ることができるし、テレビ番組を受信するための装置であるテレビを必要だとは感じません。それにバカらしくて受信料なんて払いたくもないし。


 妻からの提案はチューナーレスのテレビか大きめのモニターにしないかというもの。たしかに現状は一九インチのモニターだから迫力には欠ける。せっかく大きなリビングで見れるわけだし、妻の提案に乗って大きめのモニターを買うことにした。


 他にも家具類の中には独身のころから使い続けている物もあるし、予算が許す範囲で買い替えようということになった。これも仲介手数料が不要だったおかげです。




 そんな楽しい会話の後は部屋の中を簡単に掃除して、遅めの昼食をお店で済ませてから電器屋さんへ行こうと思い、玄関ドアを開けると、


「うわっ!」


 先ほどの女性に加えて中年の男性も立っていたことに驚き、つい大声を上げてしまった。


 その男性は管理員らしく、いつ入居するのかを尋ねてきたけど、今朝鍵をもらったばかりでまだわからないと答えると、大きな荷物を入れるなど他の居住者に少しでも影響する行為の前には、必ず数日前までに管理員へ届けるように言われた。引越しの時など何か届けは必要なのかなと考えていたので、まあいいタイミングで教えてもらえたと考えておこうか。管理組合の規約や白紙の入居者名簿などを受け取ると、管理員と清掃員は去って行った。


「管理員さん? シャイニングでドアの亀裂から顔をのぞかせてるシーンを思い出しちゃった、ホントに怖いよ」


 たしかに短時間の間に二度も玄関前に立たれていたのだから、いい気持であるわけがない。管理員がこの部屋の鍵を持っているとは思えないがさすがに気持ちが悪いし、この部屋の以前のオーナーがスペアキーを持っている可能性も捨てきれない。妻に鍵を交換することを提案すると二つ返事で賛成したので、マンションを出る前に管理員に鍵の交換を申し出ることに。


「管理員さんに言わなきゃいけないの?」


「分譲マンションの玄関ドアはたしか共有部になるので、管理組合の許可が必要だと聞いたことがあるんだ」


 管理員室へ寄って鍵の交換について話をすると、鍵交換に関する書類を出してきたのでその場で記入して許可をもらった。このマンションのエントランスのドアはオートロックだけど、各戸の玄関ドアの鍵とは違いタグをかざして開けるタイプ。エントランスと玄関ドアの鍵は連動ではないので交換はそれほど手間ではなく、家電製品を搬入する日に合わせて交換することにした。




 マンションの周りには小さな電器屋さんしかないので電車で移動し、遅い昼食の後に大きな電器屋さんで家電製品を買い、インテリアショップにも寄ってハイチェストやカーテンを買い、金物屋さんで鍵の交換を依頼。ついでに街をブラブラしてからファストフード店で軽い夕食をを取っていると、妻がもう一度マンションへ行きたいと言ってきた。夜のマンションの雰囲気を見てみたいそうだ。


 電車に乗って再びマンションへ戻ることにしたのですが、夜の帰宅ラッシュで電車は混雑しています。最寄り駅に着くとかなりの人数が降りて改札へ向かって歩いて行く。ホームから乗ってきた電車を見るとかなり空いていて、この駅を利用する人ってこんなに多いんだと実感した。


 駅を出てから僕たちが歩いて行くのと同じ方向へ歩く人、駅前のバスターミナルでバスを待つ人、駅の隣にある地元の小ぶりなスーパーマーケットにもたくさんの人が吸い込まれていく。


「勝の会社もこの辺りに出店すれば儲かりそうなのにね」


 あの盛況ぶりを見ればたしかに儲かると思うけど、とにかく土地の値段が高くて出店は難しかったらしい。マンションなどビルの一角にテナントとして入ることはできるが、それだと小規模店しか出せない。僕が勤める会社は小規模店の出店は関連会社に任せていて、大規模店だけを手掛けたいらしい。


 ゆっくり歩いても一〇分ほどでマンションに着いた。エントランスへ行く前にマンションの周りを一周してみた。機械式の立体駐車場が北側にそびえるが、それでもまだ敷地には余裕がある。何とももったいない敷地の使い方だが、何か理由があってわざと使わないようにしているのだろうか。


 マンション周囲にはぐるっと囲むようにやや広めの歩道があり、歩道とマンションの建物との間には、こちらもかなりの幅を使った植え込みがある。その植え込みの合間からは建物に向かってライトが照らされており、ちょっとした高級ブランド店のようにも見える。高級感を演出しようとしているので、とても築二三年の古いマンションには見えない。妻はその様子に感動したのか、仕切りにデジカメで撮影を繰り返した。




 一周してエントランス部に戻り、階段を昇ってカーテンが閉ざされている管理員室の前を通り、オートロックのドアをタグで開けてロビーへ入る。我が家となる七一一号室の集合ポストを見るとチラシが大量に詰め込まれている。出して捨てたかったが、ダイヤル錠の番号がわからず開けることができない。これも管理員に聞かなきゃわからないのだろう。


 エレベーターが上階から降りてくるのを待っていると、数人のスーツを着た人も僕たちの後ろで同じように待っている。いわゆるサラリーマンという風体ではなく、管理職とか取締役といった少し貫録を醸し出すような感じの人たちだ。僕も今日は我が家の鍵を受け取る日だからと少し気合いを入れてスーツを着ているけど、見比べると差は歴然としている。


 七階に着きエレベーターのドアが開く少し前に、一緒に乗り込んだ貫録を醸し出して難しい顔をしている人たちに軽く会釈をしたら、会釈を返してくれた。最近はこういうシチュエーションでも無視する人が多いから、会釈を返してくれるだけでもなんだか嬉しく思えてしまう。


 エレベーターを降りると妻が話し掛けてきた。


「このマンションってちょっとお金持ちというか、裕福そうなぽっちゃりさんが多いのかな?」


「いかにも裕福そうなスーツを着ていたよね」


「うちはどちらかと言うと庶民派でしょ? 呉服問屋を営む人と奉公人くらいの差があるもん」


 本当にうちは庶民派だろう。僕も妻もブランド物なんて一切興味がなく、持ち物の大半はディスカウントショップかホームセンターで購入した物ばかり。でもさっき見た人たちも初めからお金持ちだったわけではなく、もっと若くて会社での地位が低い時にこのマンションを買い、二三年経って地位も雰囲気も、そしてこのマンションや周辺地域の価値も変わったのだろうと思った。




 我が家に入ると妻が、


「さっきの人たちはこのマンションの古くからの住人で、私たちを見る目はこのよそ者は誰だ? みたいな感じなのかな」


 マンションの住人ってどの部屋にどのような人が住んでいるのか、と言ったことには無関心だとよく聞く。あくまで自分の生活が良ければそれで良く、他人には無関心ではないのかな。だとすれば僕たちのことを見てもよそ者とも思わず、分譲貸しで入居しているとも思わず、ただ若い連中と思っているだけかなと思った。


「どう見られようが関係ないし、私なんて修正のしようがないけどね」


 それで良いし、自分の好きなように生活すれば良いと思う。もちろん迷惑を掛けない程度の配慮は集合住宅では必要だが、それさえ守っておれば文句を言われる筋合いはない。


「このマンションに賃貸で入っているってどういうこと?」


 どうやら妻は分譲貸しというものを知らないらしい。所有者が賃貸として貸し出しているお部屋です。


「ふーん、分譲マンションに住んでる人でも、そんなヒエラルキーがあるのかなあ」


 人は本能として人より少しでも上回っているものを見つけて安心したい生き物。本当に下らないことでもいいから上回りたい、SNSでイイねの数を多いと安心するのも同じかもしれない。


 照明器具は今日買ったばかりで配送や取り付けは後日なので、キッチンの直付けの明かりだけを点けてそんな会話をしていました。


 真っ暗な部屋から西向きのベランダへ出てみると、街が静かだから電車の音が聞こえてくる。内覧の時にもベランダには出ているけど、その時には電車の音なんて全然耳に入ってこなかった。住宅街の夜は静かだから物音が聞こえやすいのかな。


 周りにもマンションが建っているので、七階という高さでは夜景を楽しむこともできない。周りにマンションなど高い建物がなければ見晴らしも良いはずなんだけど、ベランダから見える南・西・北の各方向ともにマンションがそびえたって視界を遮ってくれる。




 外廊下に出て施錠したあと時計を見ると九時を回っていたので、一時間くらいは滞在していたようです。特に何かをするでもなくただ妻と話をしていただけですが。


 エレベーターに乗り込むと妻が、


「このマンションでは窓を開けてはいけない掟とかあるのかな? (おきて)を破ったら成敗(せいばい)されるとか?」


 妻は笑いながら話してきたが、我が家からエレベーターまでのお宅の外廊下に面した部屋は一軒も窓を開けていなかった。掟とか決まりではなく、プライバシーを守りたいとか防犯面を考えて、窓もカーテンも閉ざすお宅が多いのかもしれない。ひょっとすると花粉症やPM二・五の対策もあるだろう。夏でエアコンを使っているから閉めている、ただそれだけのことかもしれませんが。


 僕も妻も今までは部屋の空気の入れ替えのために、窓や玄関のドアをすべて開け放つことが多かったけど、このマンションではしないほうがいいのかもしれない。郷に入れば郷に従えじゃないけど、新参者が元からいる人たちとは違う行動をすると目立つし、変わった人扱いされて住みにくくなるかもしれないから。もちろん何もかも元からいる住人に合わせる必要なんてないし、限度を超えない程度に好きに生活をすればいいはずだ。


 エレベーターで一階へ降りると、管理員室のほうから女性が歩いてきて妻にぶつかってきました。なぜだかその女性に睨まれて、無言でエレベーターに乗り込んでいきました。


「何、あの女性(ひと)? 向こうからぶつかってきて睨んできて! すごく腹が立つんだけど! 何だかムカムカする」


「今の人、管理員が使用するトイレを無断使用していたんじゃないか? まだタンクに水が溜まる音が聞こえてくるぞ」


「ドアに業務用って貼ってあるから居住者の使用はダメなんだよね? 勝手に使っている場面を見られたから怒ってるわけ? 本当にムカムカするよ! 私もここを使って水道代とトイレットペーパー代を節約しようかな!」


 ぶつかられたけどケガはなく、文句を言う元気が妻にあったので胸を撫で下ろした。だってあの場面でさっきの女性がナイフを持っていたら、妻は間違いなく刺されて大けがを負う通り魔事件が発生しているわけだ。残念ながら今はそういう人が少なくないようで、無差別で襲われたという新聞記事もよく目にする。


 何気なくエレベーターを見ていると七階で止まっている。さっきの女性は同じフロアに住んでいるようだ。


「〝見ていろ佳奈! 辻斬りナギリの名と恐怖を思い出すがいい!〟って言われて逃げられたみたい、やっぱり腹が立つ!」


 管理員や清掃員も何だか変わった人のようだし、さっきのトイレ無断使用の女性はこちらを睨みつけてくるし。変わっているのはこの人たちだけで、他の住人はごく普通の人でありますように……。




 世の中がお盆休みから平日へと戻り、酷暑の中を出社へと急ぐ人たちを横目に、僕と妻は二人そろって休暇を取って新居へとやってきました。鍵を受け取って二週間後の今日、購入した家電や家具の搬入と玄関の鍵の取替工事を行うためです。


 荷物の搬入も鍵の交換もスムースに行われお昼までに作業は終了。今の家から持ってくる荷物は意外と少ないので、今すぐにでも住める状態になったなと思いながら、妻と二人で部屋の中を見渡しているとインターホンが鳴った。モニターを見ると管理員が立っており今日転居ですかと聞いてきた。


 面倒くさいなと思いながら玄関口まで歩いて行き玄関前に立つ管理員に、今日は購入した家電や家具類をお店から運んでもらうのと鍵の交換だけ。ここに住み始めるのは一週間後に今の家からの荷物を入てから。そのことは届出書二枚に書いて提出したでしょと言うと、真下の部屋の角畑(かどはた)さんが、挨拶もないのに転居作業をしているし、ドンドンとかなり大きな音が響いてきたと管理員へ苦情を入れたらしく、それで様子を見に来たのだと言う。


 そもそも電器屋さんやインテリアショップで購入した商品を運んできた人たちは、商品に傷が付かないように慎重に設置しているからドンドンと大きな音が響くことは考えられない。ここはマンションと名乗っているけど、本当は木造アパートなのかと考えながらも、管理員(あなた)に届出書を出しているのだから、他の住人に何か言われても届出がされていると言えば済む話のはず。でも管理員に文句を言っても仕方がないかと思い直し、


「転居の前日までに下の方へ挨拶にはうかがおうと思っていますけど、遅いですか?」


 とだけ告げると、それで十分です、今日は下の方へは私が説明しておくと言い残して去って行った。これでは事細かく届出書を書いて提出した意味がない。


「ねえ、勝、全部書いて管理員に出したよね?」


 妻は僕が届出書を出し忘れたのではないかと心配になったようだが、妻の目の前で書き、この部屋を出てから妻がいる前で管理員に出している。


 それに家具など大きな荷物は入れたけど、音が大きかったとすれば外廊下を荷物を乗せて動かした台車くらいだから、階下より同じ七階の人からの苦情ならばまだ理解できる。鍵の交換だって大きな音は立てておらず、作業をされた方と夜中でもこのくらいの音なら問題なく交換できますねと話したくらいなのに。


「ドンドンと響くようなことしていないよね? 私まだ踊ってないもん!」


 入居前から他の住人ともめるのも嫌なので、六階の角畑さんのお宅に二人で挨拶をしに行ったのですが、インターホンを鳴らしてもなかなか出ない。留守なのかなと思って帰ろうとした時に、


「どなた?」


「すみません、上の階で家電や家具を入れていた竹盛と言います」


「管理員さんに聞きましたから、用事はそれだけ?」


「はい」


 ガチャっという音が聞こえたので、インターホンを切ったようでした。妻に手ぶりで家に戻ろうと合図して階段を昇って新居に戻ってきた。




「普通はさあ、玄関口まで出てこない? 横着な人ね」


 ただ声から察するに年輩の女性のようだったから、足腰が悪くて玄関先まで出てくるのが大変だとか、何らかの理由があるのだろうと僕は思ったのですが、


「こいつらって気持ちがあって、私たちは下に見られているんじゃない?」


 たしかに僕もそれは感じていた。それにプラスして、後から入居するくせに生意気だという感情もあったのかもしれない。


「そんなに大した音とか響くようなことはしていないでしょ、なのに管理員に文句を言うって何様かなって思っちゃうのよ。このマンションでは私は角畑天皇か角畑将軍くらいに偉いとでも思っているのかな!」


 それに加えてインターホン越しであっても、荷物の搬入だけで転居ではなかったのですねといった、やんわりと謝る術くらい年を取っているのならば持っているはずなのに、それすらしないことから僕たちを下に見ていることは確実でしょう。


 とりあえずは新居に家電品や家具を入れ終わり、あとは今の家で使っていて新居でも使う物を来週の引越し作業で搬入すれば、ここでの生活が始まります。

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