妻は一人ぼっちだから - 2
梅雨入り以降も晴天が続きますが今日は珍しく雨模様。六月の第二日曜日第四回の理事会が行われました。臨時総会の総括と、三つの工事の同時施工の具体的な話を行います。
「土尻さん、珍しいですね、いつもはご主人が出席されているのに」
理事長の問いかけに土尻さんの奥さんが、
「今日は主人にどうしても外せない用事がありましたので、代わりに出席しています」
「そうですか、管理規約で理事会には理事と同居しているご家族の出席を認めていますから。欠席されることを思えばどなたか一名が出席いただければ十分です」
「そのことでお話しがあるのですが」
「土尻さん、何でしょうか?」
多くのマンションで理事会は休日に開かれています。日曜日は仕事がお休みだから参加しやすい、という理由で日曜日に設定する傾向が強いようですが、現実には土日祝日は仕事と言う方も多く、理事の順番が回ってきても出席することが難しいというご家庭も多くなっています。
マンションによっては理事会に参加できない理事宅に〝罰金〟を科すという所もあるようですが、マンションブリーザ幕路ではあらかじめ理事選出辞退届を提出すれば、理事長に理事の選任を一任できる制度があります。本当は居住している区分所有者は管理組合・理事会に参加して、自分が居住するマンションを守っていく権利と義務があると思うので、本筋で言うとダメなことだと思います。
だから比較的参加しやすい平日の夜八時とか九時から理事会を開けば、会社帰りの人だって参加しやすくなります。同様の考えを持つマンションの管理組合ではわりと古くから平日夜間の理事会開催を行っていて、居住する区分所有者全員が参加しやすい理事会を目指しています。
管理規約では月に一回の理事会開催は決められていますが、曜日や時間の決まりはなく、平日に理事会を開催するかどうかは住人の意思次第と言うことになります。
ただこれまで多選に多選を重ねてきた前理事長の藤本さんをはじめ、渋い顔をする主流派の理事たち。このマンションでは理事は輪番制と決まっていますが、理事選出辞退届の制度を使って長年理事を続けてきた主流派の人たちにとっては死活問題。
出席しやすい時間帯に理事会開催日時を変更されると、これまでよりも理事になりにくくなるかもしれません。
「出席しやすくするのは良いことだと思います。しかし、理事会の理事を引き受けること自体に難色を示す区分所有者も多く、それほど平日開催にメリットはないと思いますが、いかがでしょうか」
理事長が必死で現状の維持を訴えたのですが、
「平日の夜間でしたら主人がすべて出席できます」
「うちも旦那が理事会に顔を出しやすくなってありがたいのですが」
土尻さんの奥さんと妻が、理事長の発言をすぐに消し去るように発言したのに続き、
「平日の午後のほうが助かります、日曜日だと用事を潰さなければいけないことがありますから」
「私も今日はプライベートなお誘いを断っていますので、平日のほうがいいです。それにあまり行きたくない飲み会も理事会を理由に断れますし」
監事をしている松尾さんのほか、意外にも主流派の方からも賛同の意見が飛び出し最後に牧落さんが、
「アンケートで多数決を取ればいいんじゃないですか? 賛成が多ければそれだけ需要があるわけですし、これまで無理して休日に参加している方の負担を軽減できるかもしれません。もちろん曜日とか時間に関係なく理事会活動なんて面倒と言うお宅も多いでしょう。とにかくこちらから理事会活動がしやすい状況を作ることも重要だと思います」
この発言でアンケートで賛否を問うことになったのですが、これまで理事の座を死守し続けてきた主流派理事たちの落胆の色は隠せません。ただ理事会活動自体に興味がない人や、面倒なことには巻き込まれたくはない人も多く、その効果は限定的かもしれませんが。
「では次に大規模修繕工事担当の横江さん、大規模修繕工事の施工会社が決まったばかりですが、進捗状況など報告する事項があればお願いします」
「横江です、総会お疲れさまでした。先週の土曜日にコンサル会社の敷上設計と大規模修繕工事を行う条川工務店の方がお見えになられて、修繕委員会の方のほか私や理事長、副理事長も加わり、条川工務店と正式に契約を結びさっそく打ち合わせなどを行いました……」
大規模修繕工事は八月から工事前の調査に入り、九月には本格的な工事に入ることが確認されました。バイク置き場に関しては管理会社が依頼して作った設計図のまま工事に入ることになり、こちらは許可が得られ次第条川工務店と契約を結びます。着工から完成までは一カ月程度で、早ければ一〇月から使用が開始されます。
バイク置き場の工事費用などから計算した場合、一二五ccまで月額一〇〇〇円、四〇〇ccまで月額二〇〇〇円、四〇〇ccを超える排気量は三〇〇〇円の使用料が管理会社から示され、理事会としても了承した。
正式にはマンションブリーザ幕路の使用細則に「バイク駐車場規則」を設けて料金だけではなく、禁止事項なども盛り込んだ規則を制定しなければいけない。重要事項なので全区分所有者の四分の三以上の賛成が必要で、再び総会の開催が必要になります。またバイク置き場の予算や施工会社に関する賛意も四分の三以上が必要で、こちらも総会で問うことになります
「すみません、管理員さんにお聞きしたいことがあるのですが」
中立派の大久野さんが管理員に対して質問をする。
「はい」
「今日最初に議題として上ると思っていましたが、四日前に駐輪場へ続く通路に止められていた大型のバイクに触れたお子さんが大やけどした〝事件〟がありましたが、これは理事会では取り扱わないのですか」
「個人的な出来事かと思いまして……」
この管理員からの返答を聞いた大久野さんはさすがに怒りだし、そもそも通路は駐輪場ではなく共有部で個人で勝手に使ってよい場所ではない。以前から一部のお宅から、勝手に止められているバイクについての苦情が管理員へ入っているはずだがどうなっているのか。
これまで通路に置かれているバイクのことについて理事会で取り上げられたこともない。もっと早くに理事会や管理組合、そして管理員が対処していればお子さんだってやけどをしなくて済んだ。管理員だけではなく理事会、管理組合としては今回の事件をどう考えているのかと迫った。
やけどをした子供は塾から自転車で帰ってきたばかりで、通路を塞ぐように止められていたバイクのマフラーに太ももの辺りが接触して大きなやけどを負い、家に帰ってきた子供を見て驚いた母親が救急車を呼んだ。
泣き声に気付いた大久野さんは事情を聞き、通路に止めてあってバイクの写真を何枚も撮影し、その写真をプリントしてお隣さんに手渡した。翌朝お隣の奥さんが管理室を訪れ、通路に止められたバイクのマフラーで子供が大やけどを負い救急搬送されたこと、そして大久野さんが撮ったそのバイクの写真も手渡した。
ここまでの話を聞き、監査役の松尾さんが怒りに声を震わせながら、
「通路に置くバイクの件は池太さんにも前の管理員にも何度も申し入れがあったはずです。やけどされた方が出た以上管理員としての責任もありますし、そしてこの理事会の場で何の話も出ていないこともさすがにおかしいですよね。本来ならば今日のこの理事会の冒頭に出すべき話でしょ!」
「あの、すみません、お子さんが通路に置かれていたバイクのマフラーでやけどし、それは池太に伝えたのですね。それだけではなく、これまでにも通路に置かれたバイクについて申し入れがあったのですね……、すみません、ちょっと社に電話をしてきます」
管理会社の田割さんは明らかに怒りを露にしながら集会室を出ていき、管理員の池太さんは顔を真っ青にして下を向き、なぜか副理事長の川田さんもあたふたしている。
「池太さん、駐輪場の通路など駐輪場所以外に止められているバイクは何台で、どこのお宅なのかは把握しているのですか?」
土尻さんの奥さんが質問すると、
「あの……、申し訳ありませんでした」
大久野さんに向かって土下座を始める池太さんでしたが、
「私は被害者ではないので土下座されたところで何の意味もありません。まずは質問に答えてください」
「あの……、把握しています……」
「では、通路など共有部に勝手にバイクを止めることに対して、住人から苦情が出ていたことを管理組合としては把握していたのですか?」
土尻さんが理事長に向かって質問をすると、
「あの……、実は把握していました。大型バイクのマフラーに接触してやけどする危険性があることも認識していました……」
「ではなぜ放置していたのですか?」
「それは……、バイク置き場がない現状から、今、駐輪場やその周りへバイクを止めることを禁止すると、止められているお宅への影響が大きいと判断して当分は先送りにすることに。数年来の理事長の判断で……」
理事長の答えに今度は妻が激怒した。
「ふざけないでよ! だったらなぜもっと早くバイク置き場の設置を考えなかったのですか! 今回だって大規模修繕が終わってからなんてあなた方は言ってたけど、こういう話が以前からあるとわかっておきながら、なぜバイク置き場の設置を先に延ばそうとしたのですか! 答えてください!」
理事長の山下さんは妻の顔をじっと見ながらフリーズ状態になり、川田さんも藤本さんも主流派理事はみんなが黙って一言も発せない状態になって、集会室は静まり返りました。そんな中へ会社への報告の電話を終えて戻ってきた管理会社の田割さんは、
「みなさん、すみません。あの、通路にバイクを置く件で苦情が出ていたことは社へ報告が上がっておらず、お子様がやけどした件も今ここで知った状態です。このマンションで勤務していた管理員が報告を怠っていました。社としては重大事態であると認識しており、関係者の処分等を行うと社のほうでは明言しています。この度は本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる田割さんに大久野さんは、お詫びはまた後でいいがその前に、通路など駐輪場所以外に止めているバイクの所有者は誰で、やけどを負わせたバイクの所有者は誰か。そしてなぜ何度も苦情を申し入れているのに無視し続けたのか、その部分が知りたいと冷静ゆえの怖さが漂う発言をした。
田割さんはすぐに管理員に通路に止めているバイクのリストを持ってくるように指示。
数分で慌てて帰ってきた管理員に田割さんは、やけどを負わせたバイクはどれで所有者は誰だと強い口調で問いただした。管理員が震える小さな声でこの方ですと、リストに書かれた名前を指差した。
「みなさん、本当に申し訳ありません……」
頭を深々と下げたのは川田さんです。会社からオートバイで帰って来たがすぐにまた乗るからとカバーもかけずに、しかも通路の大半を塞ぐように止めていた。そこへ通りかかったお子さんの腿のあたりが当たって、かなり酷いやけどを負ったようです。
翌日お隣の奥さんが管理員へ大やけどしたことを届け出た際、どこのお宅のバイクなのかを聞いたのですが、
「勝手に止められているので、こちらではどのお宅のバイクかわからない」
と告げられたという。どこの誰のものかわからなければ張り紙するなどして持ち主を探し出してほしいと依頼。また通路に止めている他の車両へも張り紙を張り期限を切って撤去を促し、それでも撤去しない場合は不審な車両が止められていると行政機関等へ届けるべきだと言ったようです。
管理員は、バイクへの接触で子供がやけどを負ったことを川田さんに知らせていたが、川田さんはいまだに謝罪へ訪れてはいないと言う。
「元々大型のバイクを共有部の通路に勝手に置いているのですから、置き場所に困るといった意見は無視してもいいですし、また負傷した居住者が出た以上直ちに撤去するように、管理組合全体として動かないといけないと思います」
牧落さんが至極まっとうな意見を発言しました。
牧落さんってやっぱり主流派ではなさそうだけど、立ち位置が見えてこないなあ――。
理事長は藤本さんや川田さんの顔色をうかがいながら、
「さすがに放置はできませんので、今日すぐに通路に止めているバイクに張り紙をするようにしたいと思いますが、反対の方はおられますか?」
「その張り紙には撤去期限を当然記載しますよね? 書かなければ無視するお宅があるかもしれません。期限を決めて、撤去しない場合はどうするのかも書いてください!」
バイクの件で我が家もひと悶着あったので、妻が強く理事長に迫り、
「一週間以内に撤去するように要請することと、応じない場合は不審車両として届け出ると記載します。反対の方は挙手をお願いします」
さすがに誰も手を上げず、全員一致で通路に置かれたバイクを撤去する方向へ動き出した。それでもまだ怒りが収まらない妻は、
「バイク置き場の工事を早めることはできないのですか? やけどを負うという負傷者が出た以上、今までのように逃げて何とかなるというレベルではないですよね? 今回契約した業者さんが無理だというのならば、別の業者さんを探してでも早急に工事に入ってくださいよ!」
多くの方からの賛意を得たのですが、なぜか理事長をはじめ主流派理事たちは要求を阻みます。
「竹盛さん、気持ちはわかりますが、今からすぐにコンクリート製のバイク置き場を作ってくれる業者はそういないですよ」
やんわりと田割さんに断られてしまい、通路へバイクを止めないようにすることだけが決まった。
会社から帰宅して、郵便受けに入っていた理事会の報告書を見ながら妻に今日の理事会のことを聞いた。もちろん、自転車置き場へ続く通路に置かれた大型バイクの話も。
「結局はあれか、主流派で今は副理事長をしている川田さんがバイクを止めているから、他の住人からのクレームを無視し続けたと言うことなのか」
「通路だけではなくて、駐輪場のスクーターにもクレームが多いんだって。斜めに止める人がいて隣の方が自転車を止めにくいとか、よそのお宅の駐輪場所にスクーターを止めちゃう人もいるんだって」
我が家をはじめ、あとから入居したお宅が駐輪場にバイクを置けないのは、元から苦情が多い中さらに駐輪場に止めるバイクが増えれば苦情もさらに増えて、バイクを止めている人の既得権益が脅かされるから。つまりはバイクを取める場所を失うのが困るからということでしょう。
今日の理事会の報告書とは別にお知らせが入っていましたが、そこには通路へバイクを置くことは禁止しますとの文言はありましたが、駐輪場に止めるバイクに対して斜めに止めると他の居住者の迷惑になるとか、よそのお宅の駐輪場所に勝手に止めないようにといった注意喚起の文言は一切入っていなかった。
結局は駐輪場に止められているバイクにまで注意喚起の文言が入れば、主流派の人たちが止めづらくなるとの配慮が働いたのではないか。つまりは主流派の人たちが住みやすければそれでいい、そのような感じにしか受け取ることができません。
「〝主流派のやることはくせえッー! ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーッ!〟」
「バイク置き場の工事は一カ月くらいで完了するってこのお知らせに書いてあるけど、だったらすぐに工事を始めればいいのになあ」
「それ、私も言ったのよ。そうしたらね、田割さんにそんな簡単に業者は見つからないって言われて……」
「そんなすごい工事じゃないと思うんだけどな……」
「それよりさ、管理員の池太さんはやっぱり何らかの責任を取らされるのかな」
「救急車が出動するほどのやけどを負ったのに報告していなかったのだろう、クビになってもおかしくはないし、管理会社で再教育して別のマンションで働くって感じだろうな」
「そっかあ、このマンションには戻ってこれないのか」
「そのやけどの話が出るまでは平和な理事会だったの?」
「うん、でも最後のほうはね、〝燃えないゴミが嫌いなんだよ、なんだよ燃えないって、単純にやる気がねえだけじゃねえか。主流派だってホントは燃えられるんだぜ! ダリィーからサボってるだけなんだよ!〟そんな気分だったの」
「よくわからない締めの言葉だな……」
「だって……、主流派の人たちは自分で燃えるように頑張れるのに、ダルクてサボって燃えようとしないだけなんだもん」




