修羅場な理事会 - 2
「今日は理事会に出るつもりだったのに、売り出しと重なったからどうしようもできなくて、佳奈、本当にごめんね」
「それは仕方がないよ、だってお仕事してもらわないとローンを払えなくなって、理事会どころじゃなくなっちゃうもん。今日は天気も良さそうでお客さんも多そうだから、気合を入れてお仕事頑張ってきてね」
一回目の理事会から約一カ月経過した三月の第三日曜日、僕は理事会に出たかったのですが、勤務先の店舗で全館一斉セールの中日と重なってしまい、開店前の準備から閉店作業の時間までの勤務となりました。
売り上げ、シフト、商品の管理が主な業務ですが、セールとなるとてんてこ舞いの忙しさで猫の手も借りたい状態に。午前中はマンションの理事会に出てきますとはとても言える状態ではありません。でもこんな僕の仕事がきっかけで妻が激怒する……。
「では第二三期第二回目の理事会を開催します、まずは大規模修繕担当の横江さんからお願いします」
「横江です、大規模修繕工事のコンサルタント業務を行っていただいている設計から修繕委員会へ推薦する三つの施工業者の提示があり、修繕委員会では予算や実績などから工務店を推したいとの打診がありました。特にご意見などがなければ予算案などを含めて臨時総会に諮りたいと考えております」
我が家がこのマンションに入居する少し前にコンサル会社が決定し、すでに大規模修繕工事の方向についてはほぼ決まっているようでした。前回の大規模修繕工事では建設設計がコンサルタント業務一式を担いましたが、土尻さんなどの反対から今回は主流派理事が折れて敷上設計と契約したと耳にしています。
次に大規模修繕工事を行うにあたり、今現在の不具合箇所等のアンケート結果が修繕委員会から理事会へ回ってきた。その中で意外に多かったのが各階のエレベーターホールの暗さ。今は二〇ワットの蛍光灯が一本だけで、特に気温が低い日はかなり暗い。
「今は二〇形の直管蛍光灯が一つですから、冷え込んでいる日の朝晩はたしかに暗いです」
「でもそれは、蛍光灯の交換時期に合わせて直管タイプのLEDに付け替えれば良いだけですね」
「わかりました、直管タイプのLEDランプを管理費で購入します」
理事長と管理員の会話に管理会社の田割さんが、LEDにただ付け替えるだけではダメだと釘を刺します。
安定器が使われている機器なのでバイパス工事が必要。その安定器を含め器具自体がマンションができた当初から使われているので二〇年を超えており老化は避けられない。電気工事士などに見てもらうほうがよいが、おそらく器具は取替えになるだろうとのこと。
「器具の交換ですか、エレベーターホールだけ変えるにしても一階から一三階までの一三カ所ですから、ある程度の金額は必要ですね」
「そうですね、エレベーターホールだけではなく外廊下の蛍光灯もさすがに二〇年超ですから、大規模修繕を機に一斉に交換するのも良いと思います」
「器具自体の経年劣化もありますし、すみませんが田割さん、全館の器具取替の概算を出してもらえませんか。金額と劣化状態を考えてすぐに更新するか、大規模修繕で交換するのかを決めたいと思います」
「わかりました、見積りはすぐに出るので、わかり次第管理員の池太に送ります」
管理会社の田割さんと理事長とのやり取りが終わり、アンケートの結果に戻ります。
「マンションの立体駐車場をミニバンが入庫できる大きさのものに替えられないのかという意見です。当理事会でもここ数年議論が続いておりますが……」
そう言えば、うちの車も入らないから外で借りてるんだよなあ。入れられたら便利なのに――。
そんなことを考えながら黙っていた妻に対して主流派は、高さの制限が一五五センチと低いので外部の駐車場を借りており替えてもらえたらありがたいが、大規模修繕工事が迫っているので議論も後回しにするほうがいいといった意見が占める。
妻は検討は今からでも良いが修繕工事で多額のお金がかかるし、修繕工事が終わってから駐車場の取替えに着手するのが現実的と考えたようです。
それに対して反対派の土尻さんのご主人は、今の機械式立体駐車場は経年劣化によって補修費がかさんでいるので、建て替えを先延ばしすればするほど補修費がその分膨らむ。いずれ必要な出費だから早めに取り換えた方がトータルで見ると安くなる、との意見です。
妻はこの意見を聞き、なるほどトータルで見た時のコストの違いがあるから、早目に建て替えた方が得なんだと感心しながら聞いていたようです。
「土尻さんのご意見ももっともですが、大規模修繕が終わる来春以降に検討しても良いのではないですか?」
理事長が土尻さんのご主人の意見を否定しましたが、
「その間にかかる補修費用を抑えられるんですよ、そして大きめの車を持つお宅がたくさんあるんですよ。早目に建て替え、駐車場の増収をはかるほうが得策だと思いますが」
「理事長としては先に送った方が……」
土尻さんのご主人は駐車場だけではなく、バイク専用の駐車場となるバイク置き場の新設も訴えます。
我が家のことを引き合いに出し、後から入居したお宅は管理費は同様に負担しているにもかかわらず、駐輪場にバイクを置くことができない。不公平是正のためにも大規模修繕工事と並行してバイク置き場の新設工事をするべきだと主張。
牧落さんが言ってたけど、今の管理員さんが必要ないと管理会社に報告したんだよね――。
そう思っていると管理会社の田割さんが、
「バイク置き場の件は管理員の池太から必要がないと社へ報告が上がっていますが、どうなっているのですか? 新しく入居された方と前任の管理員とでトラブルがあって気になってはいるのですが」
「今回理事として参加されている竹盛さんのことですね」
土尻さんが妻に話を振り、理事長が妻に対して、
「竹盛さんのお宅は今はバイクはどうされているのですか?」
そう聞かれたので、妻は僕の同僚に預けていると答えたのですが理事長は、
「本当ですか? 最近の入居者はどなたもバイクを持っていないと聞いていますが」
「あの、前の管理員さんにきつく言われました、前の管理員さんが赴任するまでに止められているバイクは撤去を要請できないけど、それ以降のバイクはすべて置かないように言っているって」
妻が前の管理員に言われたとおりに答えると、
「公平公正に管理していた前の管理員がそんなことを言うはずがない、お宅のその言いがかりのせいで辞めちゃったんだぞ!」
副理事長の川田さんが妻に挑発的な言動を投げ掛けてきましたが、
「言いがかりではなく実際に竹盛さんに言ったもので、当社の支店長が直接竹盛さんに謝罪をしていますので……。前期の理事会で報告もしています」
田割さんが先に発言して終息を計りましたが、怒りが収まらない妻は、
「うちの言いがかりで辞めたとはどういうことですか! 消防法の規定でガソリンによる引火があるから止められない、でも以前から止めているバイクに対してそこまでは言えないと言ったんですよ!」
「法律でダメならば仕方がないし、言いがかりでもないでしょう?」
「法律でダメならばすべてのバイクの撤去が必要でしょ? 一台も止めちゃいけないことになるでしょ? 違いますか?」
「途中で法律が変わったのかもしれないでしょ」
「すみません、そういう法律はありません。ガソリンによる引火があるから止められないとなると、駐輪場にオートバイは一台も止められなくなりますから。あの発言は前管理員の勇み足でして、そのことも含めて当社として謝罪してお許しいただいた話ですので……」
田割さんが恐縮しながらも、これ以上の対立を招かないように発言した。妻は我が家がどれほど主流派の人たちから嫌われているのかがよくわかったらしい。でも妻が本当に激怒したのはこの話ではなかった……。
土尻さんが話を元に戻し、どうせならば大規模修繕工事と駐車場の建て替え、そしてバイク置き場の新設工事を同時に施工しようと提案する。先送りにすればするほど工事費が高くなる、今現在のニーズが確実にある、そして同時施工によって工事期間の短縮が見込まれると主張しました。
「やはり一度に多額の費用の出費となると……」
「理事長、でも駐車場の建て替えに関しては積み立てていますよね、そして補修費も抑えられるんですよ、すると結果的には安く上がりますよね、悪い事なんてまったくないですよ」
「あくまで管理会社の意見ですが、土尻さんのご意見、そして竹盛さんのお宅の一件を考えると、ここは総会で所有者全員から三つの工事を一体で行うことの賛否を問うほうがいいですね、理事長どうですか?」
「そうですね……、わかりました。五月に予定されている臨時総会で意見をうかがうことにします」
今日の議題の話し合いを終えたあとの理事長の発言から、思わぬ方向へ飛び火して……。
「理事会は理事をされているご家庭から一人出ていただければ良いのですが、いつも男性が多いですね。牧落さんのお宅は?」
「今日はゴルフに出掛けているので私が代わりに。ゴルフを口実にして理事会に参加しようとはしませんけどね」
「そうですか、どなたかが出席していただければそれでいいんです。竹盛さんのお宅は? 前回も奥様が出ておられましたよね」
「主人の仕事は休日は忙しいので、私が出席することが多くなると思います」
「そうですね、たしかスーパーの勤務でしたね。総合職ではなく現業で働いていると仕方がないですね」
理事長のこの発言には発火点になるような言葉もないし、冷静だった妻ですが、
「我々のために休日も働いておられるとは、言っちゃあれですが我々ののようですね。我々のために働いておられるおかげで、我々は休日に理事会に出席して自分たちのを守ることができる。なのに働いておられる方々は自分の住処を守ることもできず、奥さんに任せっきりですか」
前理事長の藤本さんによる挑発的な発言で、妻に怒りの炎が点火した。
「今なんて言いました? 下僕? 随分下に見るのですね。土日に働く人がいるから快適な生活を送ることができているのに……」
「下僕は言いすぎましたね。まあ学生時代にたくさん遊ばれて、スーパーの店舗で働くのが精いっぱいだったのでしょうね。我々と違って学生時代はさぞかし有意義に過ごせたのでしょうから、今の職業に就いていても文句は言えないですな」
藤本さんの度重なる挑発的な言動に、妻の怒りが爆発してさすがに抑えることができなくなり、
「藤本さんがどれほど偉い方なのかは存じ上げませんが、そこまで下に見られる筋合いもありません。さぞかし人も羨むようなご立派な職業に就かれているのでしょうね」
「たいしたことはありません、グループ直下の会社の副部長です」
藤本さんが勤める社名を聞いた妻は、さらに頭に血が上り、
「こちらにお住まいと言うことは支社勤務ですね」
「支社ですが何か?」
「年齢からいっていまだに副部長職で支社勤務でしたらもう先は見えていますし、それほど偉そうに言われる筋合いはありません」
「支社勤務を馬鹿にするのか!」
「あなたが先に休日に働く者を馬鹿にしたんですよ! 偉そうに言うのならば、休日に働く方々のサービスを一切受けずに過ごしてみてはいかがですか? 下僕とまで言われるのですからそんな人のサービスなんて受けたくはないでしょうし、受けなくても快適な生活を過ごせることでしょう!」
藤本さんもここまで言われるとは思ってもみなかったのか、顔を真っ赤にして震えながら、
「我々ホワイトカラーのおかげで生活が豊かになっているんだ、ブルーカラーはホワイトカラーの指示を受けて動いているだけ。結局は下僕なんだよ!」
妻はこの言葉で我を失い、言葉ではなく立ち上がって藤本さんへ歩み寄ろうとした。目は血走り、手はぎゅっと握られた状態で全身に力が込められていた。
まずいと思った土尻さんのご主人と牧落さんが妻をなだめながら制止し、理事長は慌てて、
「今日の理事会はこれで終わります、ありがとうございました」
今日の理事会を強制的に終了させた。
「たかがスーパー勤務のくせに偉そうに!」
誰が言ったのかはわからなかったが、そんな声がはっきりと妻の耳に届いた。土尻さんのご主人や牧落さんが妻に声を掛けたのですが、怒りで妻の耳には何も入らなかったようで無言で集会室を後にした。
朝七時に家を出て帰宅したのは夜一一時過ぎ、三月中旬の夜はまだまだ寒い。僕以上に妻は疲れ切って寝ているだろうと思っていたのですが、帰宅するとテーブルに両肘をついて座っていました。
「佳奈、まだ起きていたの?」
「うぇーーーーん、悔しいよぉーーー!」
僕の顔を見ると一気に泣き出した妻。
「理事会で何かあったの?」
妻は心の中に溜めていたものを一気に吐き出した。
「佳奈、ごめんね。駐輪場の一件で管理員を辞めさせたのも、〝偉い〟人たちから下に見られる仕事を選んだのも僕だから……」
「勝が私に謝る部分なんてもないよ、勝は今の仕事をどう思っているの? 謝らなきゃいけない仕事なの?」
「僕は……、お客様に喜んでいただける、店から出る時には笑顔になっている、ただそれだけのために一生懸命に働いてる、それだけだよ」
「それの何が悪くて、どこに私に謝る部分があって、どこに下に見られる要素があるって言うの? 偉そうに言われる必要もないじゃない! それだけ偉そうに言うのだったらスーパーを使うな! あの前理事長の藤本さん、理事の座を譲らなかった私や勝のことを根に持っているのよ。私も少しは言い返したけど、全然言い足りない!」
日頃お客様と接していても下に見てくる人はいるし、金を払うのだから、利用しているのだからこっちは客だという態度を前面に出し、タメ口で偉そうに言われることも多い。これはスーパーだけではなく、個人を相手する仕事では必ず遭遇しています。いくら客だからと言ってそんな態度で出られる筋合いはない。
でも、それでも、多くのお客様が笑顔になって退店して行くその様子を見るから、また頑張ろうと思える。しかし仕事を離れた場所で、しかも住人からそんな風に下に見られていて、そんな人たちと同じマンションで暮らしているのかと思うと腹立たしいし、悔しい……。
妻はビルの一室にこもってパソコンを前にして仕事する人より、実際に動いている人のほうが偉いと思っているらしく、田んぼや畑で体を動かし働いている人、モノを作ったり補修する人、物や人を運ぶ人、人を助ける人、そんな人たちのほうが世の中の役に立っているし、そんな人たちがいなければ今の世の中は回らない。
もちろん頭を使う仕事も大事だし必要だけど、その人たちが一〇分の一に減ってもたいして困らない。でも体を動かして働く人たちがいなければ電気も水もガスも使えないし、食べることもできない。本当に必要な職業に就く人を下に見る風潮って大嫌い。
「でも佳奈、よく我慢できたな。主流派理事の連中はそういう目で僕たちを見ていることがよくわかったよ。だったら遠慮はいらないよな、徹底的に攻め抜いてやる!」
「悔しいけど……、やり返すとか復讐みたいなのはやめておこうよ」
「どうして? 僕たちをここまで見下し馬鹿にしている連中だよ、倍返しでも足りないくらいだ!」
「でもね、〝弱い人ほど人を許せない、許すことができるのは強い人の証だ〟って言うじゃない。相手が思っていることに反論したって相手からの憎悪が増すだけだし、それに反撃したらあの人たちと同類になる気がして。淡々と事実を積み重ねて、マイペースでいこうよ」
「佳奈、泣いて落ち着くことができたのか?」
「へへへ、勝が帰ってくるまでの間、いろいろと考えたんだよ。でもこの悔しさと腹立たしさは吐き出さなきゃと思ってさ」
「そうか……、それで今日は何個ケーキを食べたんだい?」
「今日は三つだけよ」
「だから心が潰れずに済んだのだな」
「食べなくても心は潰れなかったと思うけど、家具や食器は潰れたと思うよ。たぶん暴れまくって部屋の中はゴジラが街を破壊したみたいになってたはずよ」
「そうか……、ケーキを食べてくれて良かったよ……」




