第7話 雪中の少女
「ガキの足跡があっただと? 見間違いじゃないのか?」
「違う。消えかかってはいたがあれは子供の靴の足跡だ」
すぐさま呼び寄せたヘンリクを連れて子供の足跡があった場所を捜索する。
「少年兵か?」
ヘンリクのつぶやきに俺は頷いた。ここは王国と連邦の国境付近。民間人はいない。住んでいる人もいただろうが、それらの人たちは両国が責任を持って退避させているはずだ。
足跡は一人分。大人と一緒ならいざ知らず、ここは子供一人で歩くような場所ではない。
遭難という線もなくはないが、現実的にはヘンリクの発言が正しいように思えた。
「それなら、復生体が殺された理由も納得できるか……」
「……まぁ」
例え生きるか死ぬかの瀬戸際でも、躊躇いなく子供を殺すことは不可能に近い。結果的に殺したとしても、ほんの一瞬動きが止まる。その一瞬が命取りになると頭では理解していても、子供という守るべき存在を殺すことを心が躊躇うのだ。
「ただ、もし少年兵だとしても、おかしいんだ」
「なぜ?」ヘンリクが訝しむような目つきを示した。
「子供は殺したくない。が、殺せないわけじゃない。少年兵なんて昔から腐るほどいたし、その驚異もわかってる。もちろん復生体なら全員な。実際に今の俺が納得してないってことは、殺された奴もこうだったはずなんだ。でも、死んでる……それに新兵器の件もある」
付近を調べ回るうちに太陽の位置が低くなり、オレンジ色になった。
撤収を宣言するヘンリクと共に屋根の無い車に乗り込む。
ヘンリクが車を発進させてしばらく経つと、気の合うことに一緒のタイミングでため息を吐いた。
「なぁ、ヘンリク」
「どうした?」
「俺は、ルーンディア(王国)とジェロン(連邦)のどっちが戦争に勝ってもいいと思ってたんだ。俺としては知ったこっちゃないしな」
「でも、もしジェロン連邦が少年兵を使うような国だったなら、もう少し頑張って戦おうかなって」そう、エンジンの音で聞こえるか聞こえないかの声量で言った。
それでも彼には聞こえていた。「そうか」と、ため息と言葉の中間のような声色で、ヘンリクは返事をした。
実際はどこの国も相応に汚いことをしている。
王国だって酷いものだ。復生体を千年間も働かせて、どうせ増えるからと戦場へと投入している。比較してみれば、子供を兵士にすることくらい可愛いものだろう。
わかってはいるがやりきれない。
唯一の救いはその決定的な証拠がないことだ。憂鬱な気分になっても、考えすぎだと思える。
不意にあくびが出た。
「コーヒー飲んどけばよかったかな。——止まれ!」
「うお!」俺の声に驚いたヘンリクが慌てて急ブレーキを踏んだ。シートベルトを引っ張り体がつんのめる。
俺はスイッチを乱暴に押してシートベルトを解除すると、足元に携えていた小銃を軽く構えた。
「どうした⁉」
「静かに」
ヘンリクの声を左手で制して見つめるのは車両の前方。よく伸びた枝葉とその上に積もった雪に隠れてちょうど見えにくくなっている。
困った。ここまでのアクションを起こしたのに、暗闇の中の相手の方から微かな金属音がした。
「銃を構えないでくれ。状況的に撃つしかなくなる」
すでに安全装置は外していた。
銃声は二回短く響いた。次に聞こえたのは二人の兵士が崩折れる音と、吐き出された薬莢が車内で跳ねた音だった。
「……なるほどな」
「ああ」そう、あえて短く答えた。でも、俺の口はひとりでに次の言葉を並べ始める。
「残念だ。銃を構えようとしなければ話し合えたのに……」
本当にそう思っているのだ。けれど自分の口から漏れたその言葉は空虚で。きっと本心とは思ってもらえない。
「ひとまず、こいつらを連れて帰るぞ。ここにいた理由も知りたい」
「そうだな。持ち物からでも……」
車内は行きとは違い四人になった。血で汚れた荷台が人の命を奪った重さを俺に教えてきている気がした。静かな夜だなと、今更ながらに気がついた。
「流石だな」
「ん?」
次に口を開いたのはヘンリクだった。その口調からは普段の快活さが消えていた。
「あの時俺は銃を持っていなかったし、状況もわかっていなかったから援護もできなかった。だから、助かった」
「別にいいよ。これくらい」
「そうか」
寒冷地だ。当たり前に夜は冷え込む。屋根もない車内ではそれが顕著だ。だから、まぁ寒いのは当たり前だ。でもたまに、暖かくなるときもある。
気づけば日が落ちていた。
・
「止まってくれ」
「ん?」ヘンリクは少し顔をしかめたが、先程とは違って驚くことはなかった。
「眼の前の藪に誰かいる。一人……多分だけど武器は持ってない」
「遭難者か?」
「さあ?」
車から降りて気配の主の元へと向かう。銃を持ってはいるがあくまでも保険だ。
「車から降りないでくれ。何があるかわからないから」
「わかった」
真っ暗だ。そして藪の中にいる気配の主はきっとこちらを見ている。もしかして今この瞬間、気づいていないだけで目があっているのかもしれない。薄気味悪い。
「出てこい。下手なことはするなよ」
静けさの中で、気配の主が言葉を発した。その声は小さく、微かで、後ろにいるヘンリクには聞こえていないだろう。
そんなことは問題ではない。その声を聞いた直後、俺の脳は思考をやめてしまった。
何かが肩に刺さった。——強烈な痺れと体の硬直。まずい。
「おい!」
一部始終を後ろから見ていたヘンリクは怒鳴った。傍らにあった銃を構えて、倒れたウィルの眼の前の藪に向けて鉛玉を連射する。
事を仕出かした何者かに弾が当たったかどうかは分からないが、反応がないのを見て急いで車から降りてリベルの側へと駆け寄る。
肩を掴み、体を仰向けにする。リベルは意識を失っていた。肩に金属の棒のようなものが刺さっている。それがリベルの意識を途絶えさせたことはわかるが、それ以外がヘンリクには分からなかった。肩を揺するが目を覚まさない。手袋を外してリベルの鼻に指を添える。
呼吸はしている。どうやら気絶しているだけのようだ。
藪を睨む。すぐにでも軍医に見せるべきだが、その前に確認しなければならないことがある。金属の針を見た瞬間に頭を過ぎったのは、昼間にリベルに聞かせたあの情報だ。
感電死した復生体には、不審な火傷の跡があった。
ジェロン連邦が投入した新兵器と推察されていたが、それには懸念点が多くある。寒冷地であるこの戦場では、バッテリーの消耗が激しい。そして何より人を殺すためなら意味のないコストだ。突然気絶したウィルの状態から察するに、藪の中にいるのは件の犯人とそれが使う兵器だろう。
しかし、リベルは言っていたのだ。武器は持っていないと。
リベルなりの確証があったのだろう。でなければ、そもそも近づいたりしない。呼びかけて反応がなければ撃てばいいのだ。事実、先程はそうしていた。
ここまでの事実を整理すると、藪の中にいる何者かは金属の針のようなものを除けば丸腰ということになるが、人ひとりを瞬時に気絶させることが可能ということだ。
そんなのまるで。
銃を藪に撃ったとき、何かが走り去った様子はなかった。となれば、この藪の向こうに復生体たちを殺した張本人がいる。その正体を確認しなければならない。
ライトを照らして藪をかき分ける。最初に見えたのは紫色の髪。
そして幼い子どもだった。紫紺の髪が特徴的な幼い少女が気を失っていた。
見たところ外傷はない。
少女は暖かそうなコートを着ているが、予想通り何も持っていなかった。背負っているのはリュックだけ。大方、焚付の道具でも入っているのだろう。
「こいつが?」
殺すべきか。子供とはいえ得体が知れない。未来の安全の為にここで始末するのも手だろう。捕虜は殺してはいけないという国同士の取り決めはあるが、捕虜になる前であれば問題にはならない。生かしておいて仲間に危険が及ぶくらいならこの場で。
ヘンリクは数秒ほど考え込んでいたが、すぐに頭を横に振った。
今はそんなことどうでもいい。
まずはリベルを治療しなければならない。ついでにこいつも基地へと連れて行く。
得体がしれないのであれば、その正体を暴かなければならない。そうすることこそが、本当に仲間たちのためになることだ。
ヘンリクはもっともらしい考えを思ついてすぐさま行動を開始した。ヘンリクは心の中で呟く。
自分に子供を殺すことはできない。
少女抱えて車へと担ぎ込む。
リベルの元へと戻り、まだ息があることを確認して同じように荷台へと寝かせた。運転席へと向かいかけ、ずっこけそうになりながら立ち止まった。荷台に積んでいた毛布を二人へとかける。随分と薄いものだが無いよりはましだろう。
「今夜はしばらく寝られそうにねえな……」
何一つ先の見えない中で、それだけがヘンリクにわかることだった。
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