第5話 ヘンリク・ソンク
グレースとの再会から十数日が経った。
もらった毛布がなかったら危なかったかもしれない。毎夜、それ程の冷え込みだ。極寒の夜を耐えて迎える朝にはなんとも言えない達成感がある。
朝の支度を手早く済ませて隷民用の兵舎を出る。しばらく歩いて志願兵用の兵舎へと向かうと、門の前にヘンリクがいた。
雪のように真っ白な髪を短髪にした青年だ。後頭部の自然な形で刈り上げている。
そして、ここでは数少ない志願兵でもあった。
初日、外をぷらぷらしていたら声をかけられたのだ。
ヘンリクは体を伸ばし、冷える朝の空気で目を覚まそうとしているらしい。もしくは日課か。
「おはよう」
そう投げかけ、ヘンリクが俺の存在に気づく。手を振った。
「おう。眠れたか?」
「ぐっすりだよ」
「嘘つくなよ。目の下に隈があるぞ」
「まぁね。寒くてなかなか眠れなかった」
「隷民は辛いな。そっちには暖炉もねぇだろ」
「そっちにはあるのか。いいなー」
「寝不足のところ悪いが、今日も仕事だ」
「だろうね。しかし、俺もヘンリクも生傷が絶えないな」
数日前の塹壕での激戦を思い出し、やれやれと頭を振る。二人とも命があることは奇跡としか言いようがない。
「今日は何をするんだ? 塹壕でも掘るのか? 前の塹壕は大分浅かったぞ。随分な突貫工事だったな」
「そうじゃねぇ。調査だ」
ヘンリクは白髪頭を右手で掻いて、偵察なんて気乗りしねぇが、とぼやきながら事情を説明してくれた。
復生体の遺体が見つかったらしい。戦場であるから、それは当たり前なのだが、一見するとその遺体に外傷はなかった。しかし、調べてみると胸のあたりに火傷の跡があった。
解剖して判明した死因は感電死だったという。
感電死と聞いて思い浮かぶのは、もう顔も思い出せない神能者たちだ。電気を操る神能を持つ者は何人も居たが、どいつもこいつも厄介な敵だったのを覚えている。復生体を数千人用いて倒したこともあった。
誰かが言った。神とは自然そのものだと。人類がどれだけ強固な壁を、城を築こうとも、その気まぐれによって、壁は波や土砂によって打ち破られ、城は大地の揺れによって崩壊する。
自然現象そのものを神としたとき、それらを操れる神能は神そのものといっても良い。
少なくとも、暴力的な影響力に言及するのならば。
もし神能者が世界に一人しかいなかったなら、神を騙っても誰もが信じただろう。
だが、神能者は何人もいた。その中には、神権と称してそれを振りかざす者も現れた。自分は、自分たちは神に選ばれ、他者を支配する権利があるのだと——。
そこから生まれた宗教も、組織も、俺は根こそぎ潰した。ときには物量で、ときには聞いた者が吐き気を催すような策を持って、完膚なきまでに。
ヘンリクから、電気を操る兵器をジェロン連邦が作ったのではないかと聞いたとき、感慨深かった。人類の進歩は、かつては神の領域だった自然現象の操作に手をかけたのだと。長い年月が過ぎてしまったことに思いを馳せるには十分だった。
昔見た景色はすでにないのだろう。あの山々は、森は、人間の開拓の手から逃れることができているだろうか。遠い記憶だ。オリジナルが見た景色は記憶だけを俺に残して、そのときの感情までは伝え切ってはくれない。
「つまり、電気の神能者と戦ったことのある復生体に白羽の矢が立ったってわけか。でも、どうして俺なんだ? ここには復生体が山程いるだろう。それに殺されたのが復生体なら、俺はどうすることもできないんじゃないか?」
「さあな」ヘンリクはわざとらしく肩をすくめた。「ただ、まぁ、おれたちは姫さんと仲良くしすぎたのかもしれねぇ。気に食わないってんで、消そうとしてくる貴族や王族も出てくるんだろうな。間違っても臣民や隷民と関係を持たれたらコトだ」
ヘンリクの想像した理由があんまりだったので俺は眉を下げた。
「理不尽すぎる。仲が良かったなんて、俺には記憶もないのに」
「おれと姫さんにはあるんだ。残念だったな。忘れねぇよ」快活に笑うヘンリクは最後にこう付け加えた。「それと、何もない日は最低でも一日に一回は姫さんに会いに行け」
その声は落ち着いていたが、穏やかさの中に有無を言わせない意思があった。
どうして? なんて聞いたら途端に怒鳴り声が飛んできそうな程の気迫。何が彼をそうさせるのか。
「わかった。そうするよ」
俺は正直なところ、自分の回答に満足していた。ヘンリクが望むそのモノの回答だったと。
そんな俺が、当てが外れたのを理解したのはヘンリクが俺の胸を拳で叩いたからだ。
どん、と痛くはないが確かな衝撃が胸を貫いた。そこそこの衝撃と重みに息が一瞬止まる。
「今はそれでいい」
驚いて顔を見ると、ヘンリクは笑っていた。余計に意味がわからない。
だけど、随分悲しそうに笑うから、俺は何も言うことができなかった。
俺にとって、初対面であったはずのヘンリクの印象は大体そんな感じだった。
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