第47話 少しだけ大切な矜持の話
窓から照らされる朝日とノックの音で目が覚める。
「どうぞ」
寝起きながら努めてしっかりした声を出すと、部屋の扉が開かれてマーガレットが入ってきた。
「おはようございます。本日も良い朝ですね」
「マーガレットさん、おはようございます」
「おはよう、でいいんですよ? リベル様はご主人様なのですから。それにマーガレットとお呼びください」
頬を膨らませたなが言われて思わず苦笑してしまった。
この状況に展開が早いなと思う自分もいれば、馴れてしまった自分もいる。
つまり、マーガレットはメイドになったのだ。
初めて出会った夜から一週間程でマーガレットからの連絡が来た。グレースが迎えに行き、表向きとしては王城の使用人としての手続きを済ませ、今に至る。
文章としては簡単だが、貧民街の住民が王城に入るなど前代未聞だ。幸いにも、マーガレットには神能があるという手札と、俺と王女の推薦があった。貴族の反発を押し付けて無事メイドに就任した。
ひとつ問題があるとすれば、俺の専属のメイドになったことか。
ことあるごとに尊敬の念を向けられて気が気じゃない。
悲しいことに俺は尊敬されるような人間ではない。結構格好悪いところ多いし。
朝の準備を終えたところで、マーガレットが一旦部屋を出る。しばらくしてワゴンを押して戻ってきた。
「朝食を準備しました。スープが特に自信作だそうですよ。」
王城には食堂があるが、俺は自室で取ることにしている。
貴族との諍いを防ぐ為だ。曲がりなりにも戦争を終わらせた復生体。面と向かって反感を表にする貴族はほとんどいないが。要らぬ争い事は避けるのが肝要だ。
マーガレットの方は、あまり日が経っていないのにも関わらず上手く周りと馴染めているようだ。先ほどの口ぶりからして料理人とは仲が良いのだろう。
暖かいスープを口に含み火傷しないように診療に喉へと送り込む。塩見と旨みが脳を痺れさせてくる。今日も美味い。こう、暖かいスープとパンを一緒に食べるのが良いんだ。朝の寝惚けた頭をしゃっきりとさせてくれる。
パンを齧りながら窓の外を見る、まさに今から広い中庭で騎士達が模擬訓練を始めたらしい。
そういえば、今日は近衛騎士の訓練披露の日だ。万が一の為に日々訓練をしていますよ、ということを王族や貴族にアピールする為に定期的に開催しているらしい。
あまりしっかりと見ている人は少ないが。
朝からうるさくなりそうだ。まぁ、朝だからやる意味があることなのかもしれない。しっかりやってます、という意味で。
だから今日の予定は午後からになりそうだ。
「マーガレットさん、今日の神能の訓練は午後からにしましょう。騎士達の訓練に被ってしまいました」
「承知いたしました。そういえば、廊下で近衛騎士の方々とすれ違いました。朝に訓練を行なっているんですね。覚えておきます」
「定期的にやってるみたいですね」
「リベル様は参加されないのですか?」
「まぁ、追い追い」
マーガレットが不思議がるのも無理はない。俺の王城での役職は、一応近衛騎士団の顧問という立場になっている。グレースが戦争の後で、俺を王城に呼ぶ際に就けてくれた役職だ。その役職を持って、ジェロンとの同盟締結の会議に参加することができている。
当然ながら、顧問という立場から近衛騎士団の面倒を見なくてはならない。しかし、今までそういった役回りを頼まれたことはない。であるならば、でしゃべる必要はない。彼ら彼女らには自分たちのやり方があるのだから。
「先ほど、騎士の方にリベル様のスケジュールを伺われたのですが……」
「そうなんですか?」
「はい。先月も教練の申請を出していたようで、えっと、メモを頂いていたんでした」
マーガレットから紙切れを受け取ると、俺は唖然とすると同時に納得した。
先月申請したとされる日時の全てがグレースと会っていた日付と一致する。
……グレース、これはダメだよ。
おそらく、グレースが俺と会う日と被った申請を独断で却下していたのだろう。
それが続き、たまたま今日まで近衛騎士団と関わることがなかったというわけだ。
「わかりました。近衛騎士団には俺から話しておきます。一言謝らなくてはいけないこともできましたので」
彼らからすると申請が一向に通らないのは不安にもなる。要らない心労をかけてしまった。
それに、自分たちの面倒は見ないのに、専属メイドの神能の訓練をするというのも不信感が募ることだろう。
「食べ終わったらちょっと中庭に出てきます。お昼には終わると思います」
「かしこまりました。午後からよろしくお願い致します」
軍服に着替えて中庭へ入る。
朝露が溜まった芝を踏み締めて進むと、こちらに気付いた騎士の一人がこちらに向かって敬礼してきた。それに気付いた他の近衛騎士達も、訓練の手を止めて俺に向かって敬礼を向ける。
なにもそこまでしなくてもいいのにな。
でも変に気を遣っても、彼らには逆に気を遣わせるかもしれない。
軽い手振りで礼を解くように命じる。
俺は、顔だけは知っている騎士団長の元へと歩いた。
「おはようございます。使用人の方に言伝を頼ませていただいたのは先ほどの話だと言うのに、お早いご対応、感謝致します」
騎士団長は焦茶色の長髪の女性だ。
一応は顔見知りである。
今の役職に就任するにあたり、短い紹介と面会があったのだ。
なんでも、女性での騎士団長就任は久しぶりらしく、有望な人材なのだと言う。
背が高く、すらっとしているが騎士鎧の上からでもボディラインがわかる。顔立ちも相まって男性人気を総なめしていそうだ。
「お待たせしていたようなので。すみません、申請してもらっていたのに、手違いで俺のところに来ていなくて」
他の騎士たちは訓練に集中しているようだし、彼女一人にならやり易い接し方で構わないだろう。
そう思ったのだが。
「なりません。リベル様は私より上の立場の人間です。そのような態度は部下に示しがつかなくなります。どうか堂々となさってください。私も他の騎士たちも、貴方様のことを尊敬しているのですから」
そう強く言われてしまった。
随分としっかりした人のようだ。
ここで自我を通すほど分別がつかないわけではない。そもそも、騎士団長の言っていることは正論だ。
「わかった。そのようにさせてもらうよ。ただ、あまり厳格な話し方ができないことだけは多めに見てくれると助かる」
「承知いたしました。出過ぎたことを言ってしまい申し訳ありせん」
そう言って頭を軽く下げる動作は、なるほど、騎士団長と言う立場に負けない優美なものだ。
「ところで、今から訓練を見るのは大丈夫かな?」
立場上は聞く必要などないのだろうが、急に上の人間が訓練を見ることを良く思う人間は少ないだろう。
「もちろんです。その時を心待ちにしておりました」
俺の心配をよそに騎士団長は自信を感じさせる瞳で頷いてくれた。
遅くなったが仕事を始めるとしようか。
「身体能力の面では特に言うことはないかな。皆、近衛騎士だけあってよく鍛えてる。だから俺から言うのは哲学的なところだ。心構えとも言うかもしれない」
「はい!」
目の前に並ぶ近衛騎士達の声が中庭に響き渡る。
今は一通りの訓練を見た俺が、彼らに向けて言葉を投げかける時間だ。
正直当たり触りのないことを言ってしまえば良いのだが、彼ら彼女らの真剣な眼差しがそれを良しとしなかった。
「構えを大事にしよう、とか、基礎を大事にしようとか、そんな当たり触りのないことを言うつもりはないよ。ここで君たちに質問だ。誰かを守るということは、自らの持つ何かが、害を成そうとしてくる対象を上回らなければならない。では、普遍的なものとして何が上回っていれば良いと思う?」
「剣技でしょうか?」
「それも正しい。近接戦闘において、ある程度の剣の技量に達した人間に勝てる生物はそういない。でも今回の答えはもう少し単純で良い」
「それならば、筋力でしょうか?」
そう答えたのは騎士団長だ。
「それも正しいけど、それらでどんな効果を齎せば良いかだね」
回答が出てこなくなった。騎士達はそれぞれが頭を悩ませているようだ。
潮時だろうか。あまり悩ませ過ぎてもよくない。
「答えの前に一つだけヒントだ。今世界にいるあらゆる生物は、それぞれの環境下において、ある優位性を持つものが最高次捕食者となっている」
ヒントとして分かり難いだろうか。
まぁ近衛騎士の教練は今回が初めてだ。少しずつ俺も成長すれば良い。
ややあって、騎士の一人が手を上げた。
「……やはり神能でしょうか?」
その騎士は自信がなさそうに回答した。
気持ちはわかる。もし俺からの答えがそれであったのなら、神能を持たない彼らにとっては身も蓋もない。神能は努力で目覚めることなどできない。どうしようもないということになる。
「神能は強力だ。だが、今から言う答えの前には並の神能者なら為す術もないだろうね」
「その答えとはなんですか?」
俺の用意した答えが自分の危惧するものと違ったことが嬉しかったのか。発言した騎士が活気を取り戻した。
俺はその様子に内心満足して、騎士の顔ぶれを見渡しながら答えを口にした。
「速さだ」
「速さですか?」
「そう。速さは普遍的な、他の圧倒する長所だよ」
「速さ、ですか?……でも人間はそれほど早く動くことができませんが……」
騎士団長が顎に手を当てながら異を唱えた。
「足の速さと言う点ではそうだね。でも人間ほど速い生き物はいないよ。人間の思考能力はあらゆる行動の最適解により近いものを瞬時に選べるし、二足歩行は大体の生物よりも視点が高くなるから、敵や獲物を見つけるのも速い。他にも色々あるけど、それらを複合した結果である、戦闘行為の短さは、準備という、物事における最速の行動を行う余暇を作り出すことができる」
「なるほど…」
「先ほどの回答にあった、剣技も筋力も、速さが威力に直結すると言ってもいい」
「つまり、然るべき準備が大切なんだ。そして自らの行動の重きを戦いだけに限定しないこと。しっかり準備して、速く戦いを終わらせて、暇になる。そしたらまた準備に時間を当てられる。その繰り返しが守り続けることにつながる」
騎士達の表情は十人十色だ。納得する者いるし、そうでない者もいる。でも大体の反応から察するに、上々と言ってもいいだろう。
特に騎士団長からの視線は劇的だ。
「お飾りの近衛にそこまでの熱心なご指導、本当に頭が下がるなぁ」
振り向く、そこには銅色の髪を嫌味気に撫で付けた男がいた。
「お飾り? あまり良い意味で言ったわけではないよね?」
俺の言葉に男は鼻を鳴らした。
目つき、手振り、顔つきその全てが何処までも高慢で不遜な男だ。
「言葉通りの意味だ。近衛騎士など、先の戦争でも役に立たなかった」
「それは貴族や王族、つまり君たちを守る為だよ。リカード」
男はグレースと同じ王族だった。
半年ほど前に王城で暮らすようになってから何かと問題行動が目に付く。
グレースの兄であり、元王位継承順位2位。その過激な思想は貴族からの評判が良いと聞く。
「守る? 〈巨神の石〉を持つこの我々を守る? 復生体殿は可笑しなことを言うなぁ。復生体からこの世界を救った偉大な神能を持つこの我々を守るだって? 面白い、無能共のその殊勝な心がけには万雷の拍手を捧げよう!」
嘲笑と侮辱、人を蔑む言葉遣いをここまで器用にやってのけるのは尊敬に値する。
振り向けば近衛騎士立ちは一様に苦い顔をしていた。悔しそうに唇を噛み締める者も。
俺はリカードを睨んだ。敵意というよりも考えを改めて欲しいという意味を込めてだ。
「リカード。神能に慢心してはいけないよ」
「なるほど確かにそうだ。確かに慢心はいけない。だがしかし、だ。復生体殿。我ら王族が持つ〈|巨神の石《メナカナイト〉は世界最強の神能だ。歴史がその事実を証明している。何千何万もの復生体を撃滅し、〈歴史ある、ウィリアム〉を手中に収めることができたのは、この〈|巨神の石《メナカナイト〉だけだ! 私は事実を述べているだけに過ぎない。そこにいる無能共に無能と言い。歴史的観点から我らの持つ神能を評しているに過ぎない」
「まぁ、別に今はその考えでいいけど」
リカードの態度は気に入らないが自論を持つのは勝手だ。
俺も自分の考えを世界に押し付けた身。ここで感情任せに怒鳴りつけても根本的な業は自らに返ってくる。行動に移していないだけ、リカードの方がマシだ。
「でも、彼らには一度頭を下げろ」
「は?」
その瞬間、リカードの表情が強張り、額に青筋が浮き出た。
「君は、君達を守る為に日々努力している人達を侮辱した。頭を下げて謝罪しろ」
「意味がわからない。世界一偉大な神能を持つこの私が、そこの無能共に謝罪だと? 言っているだけで怖気が走る。こめかみが悲鳴を上げるっ!」
「リベル様! 私達の事は良いのです! どうかお気になさらないでください!」
「いや、良くないよ。それにさっき言ったじゃないか、準備が大切だって。君たちのやっている努力を笑われたんだ。俺は許せない」
団長の静止を切り捨てる。
だってあんなにも悔しそうにしていたじゃないか。
俺には近衛騎士の面倒を見る責任がある。
形だけとか表面上とか。そんなことはどうだっていい。
今この瞬間、俺は君たちを庇える立場にある。特別な人間なんてこの世にほとんどいないけど、その一瞬、その瞬間のあらゆる立場には、それぞれの特別な責任が伴うものだ。
「面白なぁ、復生体殿。ならば、そうだな……決闘だ」
「決闘?」
「そうだ。復生体殿ひとりと、私で、一体一の決闘だ。もし復生体殿が私に勝てたのなら、その謝罪を聞き入れよう。千年前の再来と行こうじゃないか!」
「わかった。いつ始める?」
「リベル様!」
団長の叫びに似た静止の声も、今は頭に入らない。
「無論。今からだ」
「いいよ」
こうして突如として決闘が始まることになった。
窓の方を見る。マーガレットが窓から身を乗り出してこちらの様子を伺っているのが視界に映った。




