第46話 雇用
「え、今から?」
「彼と同じものをお願いします」
グレースは俺の隣に座り——クラウディアが気を利かせて席を空けた——さも当然というような態度で店主に注文をした。
あ、飲むんだ。
「成人……は大丈夫か。十八だし」
ルーンテッド王国の成人年齢は十五歳。グレースも酒が飲める年齢だ。
程なくしてグレースに酒が運ばれる。口を付けた直後、「うわっ……つよ」とグレースが呟く。
それまでの間、俺たちはなんとなく無言だった。
どことなく、そこはかとなく、グレースの様子にビビっていたのだ。
「それでさっきの話なんだけど……」
いつから出発するのかという問いは一旦置いておく、無言ということは肯定の意味だ。
元より、不確定な情報を早急に調べるように働きかきてくれた訳だ。是非もない。休暇は十分にもらっている。
そう頭を切り替えると、妙にすっきりとこの状況を飲み込めた。
なぜ無言なのかは怖いところだが。やっぱり怒ってるのかな。
「組織の名前は〈天の梯子〉……由来とかはわからないし、もしかしたら別の名前があるのかもしれない。けど一旦はこの呼称で呼ぶことになると思う」
「天の梯子か」
随分と大それた名だ。
神能という特異能力を勘違いした馬鹿な連中なのだろう。だが、クラウディアから聞いた目的とリーダーが持つという爆破の神能自体は、ただの愚者たちと吐き捨てることはできない。
「でも裏を取るのが随分早かったね?」
「調査なんて必要ないくらいでした。現在、ヨーロフは内戦中らしいです」
クラウディアの質問にグレースが肩を竦めて見せた。
「その相手が〈天の梯子〉ってこと?」
「実際には、クラウディアさんが言っていた組織がそれとはわかりません。でも主導者の神能が爆破の神能であることは確かです」
「なら同一と見るべきだな」
組織の存在を知ってからの展開が早すぎると思うが、どの歴史を紐解いても、表面化した物事の決着までは早い。
だからきっと、この問題も、そう遠くない内にけりが着く。それがどんな結末であれ。
「王国としては、ヨーロフ共和国の加勢をすることになると思う。少なくともお婆様……女王陛下は間違いなくそうお考えよ」
「それがいいだろうね。〈天の梯子〉の目的がクラウディアが言っていたものなら野放しにする手はない」
各国の都市を高威力、高射程の爆破を用いて脅迫して言うことを聞かせるなんて、国家存亡の危機だ。みすみす成就させるわけにはいかない。
「でもさ、こんなところでそんな話してもいいの?」
クラウディアの不思議そうな顔で気づく。そうだ。ここにはマーガレットがいた。
マーガレットはというと、虚空を眺めながらわざとらしく聞いていないふりをしている。気配を無にして、俺たちから認識されないように必死みたいだ。
グレースがマーガレットを視線の先に捉える。
「そういえばリベル、彼女は神能者だったの?」
「うん」
「何も聞いていませんっ」
マーガレットが実質的な自白をした。
だれも聞いてないことをわざわざ自分の口から言うなんて、墓穴を全力で掘るような真似をしなくても……。
「もう遅いですよ?」
そんなマーガレットにグレースはすごくあんまりなひと言を投げかけた。
可哀想だ。詰ませないであげてほしい。
「いえっ、私は何も聞いてはいませんので!」
「嘘ですよね? 目が泳いでいますよ。あと、あなたには王城に来てもらいます」
このまま行くと、マーガレットは王城へと拉致されてしまうらしい。
それはよくない。彼女には彼女の生活があるのだ。
はたから見ればおとぎ話の導入みたいだが。
権力者の横暴を許してしまっては、友が、——ウィリアムが草場の影で泣いてしまう。
そんなことを考えていたから、
「無理強いはよくないよ」
思わず庇ってしまった。
グレースと目が合った。
二の句が継げない。
俺は目の前のグラスを口元へと傾けた。
「美味しいな」
「よわっ」
クラウディアからの短い侮蔑を俺は甘んじて受ける。
俺には今それしかできない。
「もちろん。無理にというわけではありません。これは勧誘です。ちなみにわたしはこの国の王女のグレースと申します。以後お見知り置きを」
ちなみに、の後から思いっきり脅迫なんだなこれが。
グレースが王位継承権一位になったことはすでに市井に広まっている。そのような人物は、自己紹介すらも相手によっては脅迫になってしまうのだ。
「でも……」
「どうかお願いします。この国に力を貸して下さい」
「そんなっ……いけません!」
グレースは頭を下げた。
下げたのだ、この国の王族が貧民街の住民に頭を。
それは歴史の教科書に載るほどの出来事だろう。俺でさえ呆気に取られてしまう光景だった。
この国に身分の差があることは周知の事実だ。王国は千年前から強力な神能を持つ王族と、強大な権力を持つ貴族が支配してきた。
であればこそ、それすらもかなぐり捨てて目的を達成しようとするグレースの行いは、紛れもなく王の器の証明だ。
人間は一つでも他を圧倒する長所があると、それにかまけて他の手段が取れなくなるし、取ろうともしなくなるものだ。ちょうど多くの神能者がそうであったように。
だがグレースは違う。
ほんと、好きになってよかったよ。
「……私は下賤な人間です。貧民街で生まれて、今は娼館で働いています。自分の力で生きてきた誇りはありますが、綺麗な生き方だとは思いません。そんな私がお城で働くなんて、考えられないです……」
「わたしは、あなた達の会話をしばらくそばで聞いていました」
そうなんだ。全く気が付かなかった。
「リベルが楽しそうに話しているのを見て、あなたなら彼を任せられると思ったんです。……彼の元で、彼の為に働いてもらえないでしょうか?」
グレースはきっと、マーガレットに、マーガレットの憧れを突きつけたのだ。
この場合の憧れが俺自身というのがむず痒くなるが、最初の無理矢理な勧誘が嘘みたいな、上手で胸が熱くなるやり方だ。
マーガレットは俺を見た。何かを伺うように、尋ねるように。
「俺の想いは最初に言いましたよ」
そう言って微笑むとマーガレットは泣いてしまった。
きっと彼女にとってこの夜はとても印象深いものになっただろう。
そうだといいなと、俺は小さく呟いた。
「それで、今からヨーロフに行くんだっけ?」
「あ、あれは嘘」
酒場、もとい娼館を出た帰り道。
金属キューブに腰掛けながら確認すると、グレースは頭を降った。イタズラに成功した子供みたいなニヤけ顔だ。
「騙された」
そう言って笑うと、グレースの顔が俺の左頬に近づいてくる。
俺はもちろん避けなかった。
あ、でもこういうのを目撃するとうるさい奴がいるんだった。
目線の先にいる泥酔エルフは、グレースが用意した金属キューブに腹からしがみついている。
「ちべたいちべたい」とか言っているから、いい感じに頭がおかしくなっているようだ。
「でも勅令が出たのは本当。近々、ヨーロフ共和国に行くことになると思う。戦争を終わらせた復生体をみんな頼りたいのよ」
左隣にグレースが座った。
体をピッタリとくっ付けるような体勢だ。グレースなら、金属キューブを組み合わせてもう少し広い座席を作ることが可能だ。
だから、これはわざとなのだろう。
そう思うと少しだけどきどきした。
一応、右手で泥酔エルフが落ちないように背中側の衣服を掴んでおく。
「……あっ、あの、今日はありがとうございました!」
マーガレットだ。後ろにいたのか。そりゃそうだ。さっきまで話していたのだから。
ということは見られたのか。気まずい思いをさせてしまったかもしれない。
「こちらこそ。準備を終えたら、その金属キューブに合図を送って下さい。迎えにきます」
グレースが指差した小さな金属製の立方体を、マーガレットは大事そうに自らの目の前へと掲げた。
「はい!」
「それでは」
「おやすみなさい」
俺が言葉を言い終わった直後。ふわりと、音もなく金属キューブの座席が宙へと踊りだす。
高度はぐんぐんと上がり。
目の前に広がるは夜を照らす星々。
「勅令が出てすぐ、リベルの後を追いかけたのよ。なのに、娼館にいるなんてひどい」
グレースは首の力を抜くようにして俺の肩に自らの頭を置いた。
吐息が俺の鎖骨に微かに当たる。飛んでいるから向かい風の方が強いはずなのに、なぜだかはっきりとそれがわかった。
「悪かったよ、あと……」
右手に持った何かがびくりと震えた。
「そのメモ捨てるからな」
全く、油断も隙もない。
俺の次なる戦いの舞台はヨーロフ共和国。
そこには、龍がいる。昔討伐し尽くした亜竜ではない。そして、大昔にいた本物の龍でもない。
龍になれる神能者が実質的に支配する国。
人が大好きなその龍は、人の営みを愛し、いつの日か共和を国是とする国を作った。
どう転んでも一筋縄ではいかないだろう。
困難な状況に直面するはずだ。
だから、もう少しだけ、浸らせてほしい。
そんなことを考えていたからだろう、俺はグレースの唇に自分の唇を重ねてしまった。
グレースの反応は想像にお任せする。




