第44話 酒場の少女
「二人っきりだね?」
「おー」
これ以上は進めないというタクシーの運転手の言葉を受け入れ、クラウディアと夜道を歩く。
ふざけているクラウディアを適当にあしらい、目的はとある酒場。
貧民街の住民にはおよそ住所と言える場所がない。拠点やナワバリと言った表現が正しいのだろう。あるいは根城か。
そんな場所にこの国の王女を連れて行ける筈はなく。グレースには一足先に帰ってもらっていた。
おかげで、クラウディアがはしゃいでしまっている。そういえば、結構人見知りする性格だったっけ。
「ちょっとちょっと、つれないなぁ〜」
「はいはい。一応もうここ貧民街だから、周りに気を配ってて」
路地を曲がったあたりから急に景観が変わっていた。汚らしくなったと言ってもいい。ある程度整理されていたところから急に建物の外壁への落書きが多くなり、浮浪者が道の隅で寝ている。
「そこまで気にする必要はなでしょ? 君がいるし、もし神能者でも大丈夫」
「その神能者に負けたから炭鉱掘りなんてしてたんだよ。油断大敵」
「あれを一般的な神能者に当てはめるものでもないと思うけどね」
ふと横を見ると、クラウディアの帽子からはみ出た金髪が、ほぼ消えかけている街灯の光をきらきらと反射させていた。
「まぁ、マーガレット・レイシスがそこまでの人物だとは思っていないよ。でもリストの情報を見るに明らかに戦闘に特化している神能だ。気をつけるにこしたことはない」
「さすが神能者殺し」
「やめてくれ」
「ごめんごめん」
目的の酒場にはもう少しで着くだろうか。
気づけばクラウディアは静かになっていた。何か考えごとをしているのだろう。歩く足度が少しだけ遅くなっている。俺もそれに合わせて速度を落とした。
「ふと気になったんだけど」
「なに?」
「もしリベルが神能を発現するなら、どんな能力なのかなって」
「いきなりだね」
「リベルはわかる?」
その問いに俺は困ってしまった。
正直に言うのなら、ジェロンとの戦いの時にその答えを知っている。
でもそれは、あの時の俺の場合だ。千年前、多くのものを失ってしまった際の。
「……どうだろう? でももしそんな時があればきっと悲しいことが起こっているはずだから、あんまり考えたくはないな」
神能は、強い想いから発現する。行き場のない感情を、願いを、それらを叶える術を神様が与えてくれるのだ。
そして、多くの神能は悲劇から出現する。
エイラも、ヘンリクが無事に帰ってきたから、あの優しさのある神能で済んでいる。もし死んで居たなら、もし五体満足ではなかったのなら、全く別の方向に能力は開花していたはずだ。
「神能はね、不思議なんだけど、きっかけになった願いを叶えることはほとんどできないんだ」
「どうして?」
「人が失ったものの大きさを一番理解するのは、大切なものを失ってからだから。前に時を操る神能者がいたろ?」
「……あ〜、居たね」
「あいつも、病気の奥さんとずっと一緒に過ごしたかったっていう想いから神能を発現した。でもそれは叶わなかった。発現したのが、奥さんが亡くなった後だったから。神様は人智を超えた力を授けてくれるけど、願いそのものを叶えてくれるわけじゃない」
「あんまり、よくない話題だった?」
クラウディアが場を取りなすように歯に噛んだ。その笑顔が決して人を馬鹿にしているものではないと俺は知っている。
「いや? 俺からすると、クラウディアの方を気になるよ」
「ボク?」
「そう。クラウディアが神能を発現するなら、どんなものなんだろうな?」
千年以上生きるエルフがもし神能を発現するのなら、それはどんなものなのか。そして、どんな願いからなのか。
「そんな難しいこと考えたことないな〜」
「そっか」
本人がこの調子なら、きっとそんなことは起きるはずもない。
それはきっと幸福なことだ。
でも、クラウディアの顔に影が差した気がすることだけが、唯一気になった。
「ここじゃない?」
会話を打ち切るように、グレースは目の前の建物を指差した。
いつの間にか目的地に着いていたようだ。
扉の前にいつ消えてもおかしくなさそうなランプが二つだけぶら下がっている。見窄らしいつくりだ。扉や破れた窓の隙間から光が漏れ、先ほどは聞こえなかった喧騒が聞こえてきている。営業はしているようだ。
「いるといいけどな」
ひどく軋む扉を開け中へと入る。
客の何人かがこちらを見たが、すぐに興味を失ったのか、連れとの会話を再開させる。
カウンターを見つけてクラウディアと座ると、適当な酒を主人に注文した。
「待ってればくるかな?」
聞き耳を立てているのか、クラウディアは帽子を僅かに浮き上がらせる。
「どうだろう? 一応外見の特徴は押さえてあるけど」
紫色の髪をした少女らしい。
直接の手がかりは、この酒場によくいることとその特徴だけ。あとは名前くらいのものだ。
今夜だけで本人に会えるとは思わないが、何かしらの手がかりは欲しい。
「兄ちゃん。随分な別嬪連れてるじゃねぇか?」
「ん?」
俺だろうか、声がこちらの方を向いていたからつい振り返ってしまった。
違ったら恥ずかしい。兄ちゃんなんて、若者みたいだ。いや、外見は若いけど。
「少し分けてくれよ?」
そこには小汚い男がいた。
確か、入った時俺たちをみていた集団の一人だろう。
よかった。兄ちゃんは俺だった。まぁ若いからね。
「えー、ありがとー。リベル、ボク綺麗だって?」
「よかったな」
「いいことしようぜ〜。そいつなんかほっといてよ」
顎髭を蓄えた小太りが前へと出てきた。
男は我慢の限界とでもいうように油ぎった手をクラウディアに手を伸ばしてきた。
「触れるな」
その手を払い退け、俺は男たちを睨みつけた。
一触即発の空気に店内は鎮まり返り、客や従業員が行方を見守っている。
「お客さーん、私にしときませんか?」
従業員らしき少女が男たちへとそんな提案をしているのを無視して俺は続けた。
「その汚い手で俺の友人に触れるな」
「てめぇ、ふざけるな! ぶっ殺してやる」
「お兄さんたち、ほんとにやめといた方がいいよ」
クラウディアは息巻く男たちに優しい声音を浴びせた。ついでにあくびも噛み殺している。
「その人、複製体のリベルだよ?」
「は?」
痩せこけた男が俺の顔を覗きこんだ。
40後半くらいだろうか。男たちの中で一番の年長者に見える。
「そんなこと出鱈目だ!」
「あ! 間違いねぇ! この顔ガキの時に見た復生体とまったく同じだ!」
髭面はそう言って殴りかかろうする豚男の肩を掴む。
「やめとけ、な? 邪魔して悪かったな」
そう言って下手くそな笑みを浮かべて髭面が男たちを下がらせる。
周りの人たちも一時はどうなるかと言った雰囲気から弛緩して、またがやがやと会話を楽しみ始めた。
「なんだったんだ……」
俺は物事の渦中にいながら、置いてけぼりを食らった気持ちだった。
頭を切り替え、従業員の少女に向き直る。
「ありがとうございます。助けようとしてくれて」
少女は困ったような笑みを浮かべた。
「いえ、その必要はなかったかもしれませんけどね。あ、これどうぞ」
そう言って、お盆の上にあった酒を、俺とクラウディアの目の前へと置いた。
「ありがとうございます。いただきます」
苦味のある酒に口をつけながら、俺は先ほどの少女の言葉を思い出す。
「ここは娼館も兼ねているんですか?」
「そうです。二階がそういうところをする場所で、女の子たちはみんな娼婦です。そうだ、お兄さんもどうですか?」
ずいっと、少女が俺に顔を近づけ目線を合わせてくる。
どうやら話題の方向を間違えたらしい。
「それはだめだよ。リベルはボクの体に釘付けだからね」
「おい」
クラウディアが自らの胸を揉みしだき、体をくねらせる。
「すみませんが、そう言った目的で来た訳ではないんです」
「そうですか、残念です。恋人さん、美人さんですもんね」
「本当に違います。友人です。さっきも言ったでしょう?」
「そうですか。復生体の方をお相手できるだんて、良い経験だと思ったのですが」
少女はそう言って一歩身を引いた。
圧迫感から解放されてか、心なしか息がし易くなる。
それなら、この話題ならどうだろう。
「そうだ。お姉さんのお名前を聞いてもいいですか?」
少女は、紫色の髪をしていた。




