第43話 優しい神能
王都を外れて、西の方へ、車で2時間。
やっと着いたという内心を抑えて、俺はその家の呼び鈴を鳴らした。
暫くして扉の前の曇りガラスに人影が見えた。白い服だろうか。
覗き穴でも見ているのかもしれない。
「はい。どなたでしょうか?」
「わたしは——」
「ちょっと待って」
名乗ろうとするグレースの肩を軽くゆすって止める。
王女が名乗るな。絶対にややこしくなる。
話が早く済む可能性もあるのだろうが、目的の少女に負担をかけることはできるだけ避けたい。
「こんにちは! ちょっと神能についてお聞きしたいことがありまして!」
ぎょっとして俺とグレースが振り返るとクラウディアが大声でそんなことを叫んでいた。
「待てって! 話が早すぎる! 色々と! それはもっと会話を重ねてから訊くことだ」
「なんで? 話は早い方がいいじゃん」
気づけば扉の前の人影の姿が消えていた。
クラウディアの大きな声か、はたまた内容の方か。少なくともその場を離れてしまったようだ。
無理もない。あんなことを大声で突然言われたらびっくりしてしまう。
戻ってこない。
「だめかなぁ」
呟くと、クラウディアが小声でごめんと言ってきた。
でも何故か首を傾げて、おかしいな、今日ちょっと調子悪いかな? とかほざいている。
お前のその自信はどこから来ているのか。
頼むから年齢相応の落ち着きを見せて欲しい。
今度は扉の前に先ほどとは別の人影が立った。
先ほどの人影よりも体が大きく。先ほどの人影と同じく、全体的に白い。
「おい。急にどうしたんだよ? 姫さんまで……そこの女は?」
扉が開かれて家から出てきたのはヘンリクだった。
白いシャツを着ているから、白髪も相まって体の上の方が全体的に白い。
「こんにちは〜〜」
クラウディアの間延びした挨拶に軽い会釈をして、ヘンリクは言葉を続ける。
「……それで、何しに来たんだ?」
ヘンリクの目は冷たかった。
さり気なく扉を自分の体で隠している。万が一の為だろう。万が一とはなんなのか。
それは俺が妹に危害を加えることだ。ヘンリクとは友人だ。あの戦場で心を通わせられていると俺は自負している。だが、それ以前にヘンリクはこの国の臣民で、俺が過去に何をしていたのか知っている。
警戒されるのも仕方がない。
即座に門前払いされないのが救いだろう。
「正直に言う。この場所に住んでいるエイラ・ソンクさんに神能発現の疑いがある。調べさせて欲しい。もちろん危害は加えない。約束する」
言葉を区切るように、丁寧に伝える。
ヘンリクはそんな様子見て、話を聴いて、何かを考えるような仕草をした。
「まぁ、お前らが来るってことは、結構な噂になってんだろうな」
そう言って、もう一度何かを考えるように斜め上を見上げてから、「入れよ」と快活な表情で俺たちを家に招いた。
入ってみると、綺麗に整理されたリビングに通された。木目調のテーブル、そして暖炉がある。戦地ほどではないが、ここも夜は冷え込む。もっとも、最近薪を焚べた形跡はない。
「お兄ちゃん、大丈夫なの?」
白いワンピースを着た少女が、俺とヘンリクを交互に見ながら半べそをかいていた。
きっと最初に扉の前にいたのはこの子だろう。
そりゃ驚くよな。復生体が突然家に来たりしたらさ。
「大丈夫だって、こいつらは大丈夫だ。お前に酷いことなんてしない」
ちらりと俺を見ながらヘンリクが答えた。
大丈夫だよなと、最後の念押しをしてきたのだ。
俺はそれに深く頷いて答えた。
「始めまして、リベルです。ご存知かもしれませんが、ヴェント村出身です。復生体であるという少し変わった特徴がありますが、仲良くしていただけると助かります」
少し丁寧過ぎるだろうか。
いや、この国の人たちにとって、俺の存在はあまり良く思われていない。そう思っておいた方がいい。であるなら、これくらいの態度が正解だろう。
「えっと……エイラ・ソンクです。あ、よろしくお願いします」
エイラは雪のような、陰りのない長髪を揺らしながら頭を下げた。表面的だが最初はそれだけでいいだろう。少しずつ関係を築いていけばいいのだ。
「今日来たのは、エイラさんに危害を加えようとかそういうのじゃないんです。ただ、友人の妹さんに挨拶がしたかっただけで」
笑って本音を伝える。もちろん実利的な目的もあるが、そればかりではない。友人の妹に会って見たかったというのも本音の中で大きな割合を占めている。
それに見たところ心の優しそうな女の子だ。神能に目覚めたことが事実であれ、噂話であれ、今すぐにそれを明らかにしてどうこうしようとも思わない。
「なので、少しおしゃべりしたら、俺たちは帰ります。安心してください」
また来ればいいのだ。
「あの」
俺の言葉に被せるようにエイラは声を挙げた。
迷った素ぶりを見せ、また躊躇いがちに口を開く。
「神能に発現したのは本当なんです」
声は震えており、その一言が、エイラの中でどれだけの重みがあるのかがわかった。
勇気を振り絞って伝えてくれたのだ。
「そうなんですね」
考える。何を言うべきか。
ほんの一瞬言葉を切る、でもエイラが不安そうな顔になりかける程の時間。その中で、俺は自重気味に笑った。
何を言うべきかなんてわかっているだろう。。
「何か、困ったことはありませんか?」
まず一番最初に確認するのはこれであるべきだ。
今までの自分と変わってしまった人間に対して、これ以上の言葉があるだろうか。
どんな神能であるかもきっと重要だが、それ以上に本人を慮る姿勢も大切だと、俺は思う。
エイラはぽかんとした顔になり、そしてみるみるうちに相貌を崩した。目にいっぱいの涙を溜めている。
「困ったこと、ですか?……怖いです。とてもこわいです。これからどうなるんだろうって、どうすればいいんだろうって」
「大丈夫です。俺には神能についての知識があります。それに今までの生活が壊れることもありません。安全です。それにどうすればいいのかという問いですが、何もしなくていいんです」
俺の言葉は以外だったのかもしれない。
ヘンリクも驚いたような表情をしている。グレースは微笑んで様子を見守ってくれており、クラウディアはこわいくらい真剣な表情で俺を見ていた。
「何もしなくてもいいんですか?」
「そうです。秀でた部分を無理やり活かす必要はありません。例え神能者でも、それは同じです」
「そうですか……」
そう言ってエイラは安心したように文字通り胸を撫で下ろした。
「一応、どういった神能に目覚めたのか教えていただいてもいいですか? もちろん、今俺が言ったことを撤回することはありません」
リストの情報からある程度、神能の推測はある。
これはエイラのカウンセリングを兼ねた問いだ。
「それなら、見てもらった方が早いな」
そう言ったヘンリクは突然キッチンから取り出したナイフを自らの腕に当てた。
血が出ている。
いきなりの行動に驚くが、流れから察するに意味のある行動なのだろう。
「もう」
そう呟いたエイラがヘンリクへと駆け寄り、か細い手を傷ついた腕へと当てた。
傷口を、薄いヴェールのような緑の光が包む。
数秒程だろうか。その光は空気に溶けるように消え、光が覆った箇所は傷跡すらも無くなっていた。
「兄が従軍してから、ずっと不安でした。生きて帰れるかもわからないのに、兄は家族の言うことも聞かずに軍隊に行って……もし帰って来ることができても怪我をしているだろうって、そんなときに自分に何ができるだろうって考えて、ずっと考えていて、兄が帰ってきた日に、この神能に目覚めました」
治癒の神能。
従軍した兄を想うことで発現したこの神能は、エイラの心の清さ、優しさの証だ。
何も心配はいらない。俺がするべきことはエイラの気持ちを思いやって後のフォローするだけ。
俺はエイラと接してそう結論付けた。
「見せてくれてありがとうございます。とても優しい、素敵な神能ですね」
その賛辞がエイラに届いたのか。
それはエイラの表情が物語っていた。少しだけ、朱に染まった気がした。
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「今日はありがとう。突然押しかけて悪かったな」
「いや、しこりが取れた。悪くなかったよ。そうだ。また来てくれるか?」
「もちろん」
「よかった。な?」
ヘンリクは背後にいるエイラに声をかけた。
エイラの様子がおかしい。あの後おしゃべりをしてから急に挙動不審になったのだ。
「ああ、これは……まいったな」
ヘンリクは苦笑し、俺をみて「まぁ、色々と頼む」とそんな若干投げやりに言葉を続けた。
「喜んで。っと実はもう一件あるんだよな……」
「調査の方か? お前も大変だな」
「まぁここ最近ずっとやることなかったしね。きりきり働くよ」
昼はとうに過ぎている。目的の場所に着くのは夜になるだろうか?
「次は、今みたいに行かないかもしれないな」
「なんにせよ。お前なら大丈夫だろ」
ヘンリクの信頼が少し照れくさくて、表情に出ないようにするのに苦労した。
グレースが手配してくれた車に乗り込み、向かう先。
そこはルーンディアの闇。
貧民街。
その中には国籍が無いか、そうでなくても住民の大半は不十分な国籍であると聞く。
目的の人物はそこで暮らす一人の少女。
名を、マーガレット・レイシス。
夜が来る。色と酒を孕んだ夜が。
そんなことをまだ煌々と照りつける太陽を見て思った。




