第38話 おはよう。
向かい合った時、復生体は俺を値踏みするように眺めていた。
「俺にそっくりな奴をたくさん殺したけど……お前は、少し違うな」
「そうか? それは嬉しいね」
「ああ、違う。他の連中は、恐ろしいくらい弱かった。愛するものがないんだろうな」
「それは同意だ。人の強さは愛で決まる」
リベル・ダ・ヴェントは満足そうに鼻を鳴らす。
「なぜだろう。君とは気が合いそうだ。それこそ会話も必要ないくらいに」
そうだろう。お前は俺なのだから。それならばわかるはずだ。話し合いで解決しないことがあることも。これから起こる戦いの本質も。
「……ああ。本当にそう思うよ」
仕掛けたのは俺から。
歴戦の末に身につけた完璧な動作で振り上げた剣を、間合いを詰め切るのと同じタイミングで、復生体の肩目掛けて振り下ろす。
この一連の動作をほぼ無意識にやってのけることで相手との呼吸をずらす、言わば技術的な不意打ち。
復生体はこれに反応した。発光する剣を掲げて金属の剣を受け止めると、電気の剣特有の反発力を生かし、適確な動きで俺の首目掛けて振り下ろす。
それを避けて間合いを詰めるのと、グレースの叫び声が聞こえたのはほぼ同時。
「気をつけて! その復生体は神能が使える!」
わかるよ。大方、自らの手では触れられないものを、人を、触れたいと願ったのだろう。触れれば最後、形が崩れてしまう儚いものを触れようとしたのだろう。
電気の剣はその心象の証明だ。
俺も昔、同じことを思ったよ。
そして今、グレースを、ヘンリクを、大切な人たちを失いたくないと思っている。
この戦いは、神能の戦いだとか、経験からくる技の戦いとか、ましてや身体能力の戦いなどではない。これは、自らの愛を証明する戦いだ。
俺にとっても、こいつにとっても。
「お前のそれ……不思議な剣だ。雷を通さないのか?」
「俺が知る中で最も優秀な剣だからな。喜べ、お前を討つために借りてきた」
「死んだら返せないだろ?」
「かもな」
相打ちでも、ここで仕留める。
「グレース! ここからできるだけ離れろ! ヘンリクもいるんだろう? できたら回収してやってくれ」
振り返らずに叫んだ。背後から、グレースが躊躇うような気配がした。
一瞬の間の後、上擦った声の返事が届いた。
「了解!」
グレースがそう叫んで、ゆっくりだが彼女の気配が遠くなった。体を痛めているのだろう。
「あの女、少しメルサに似てるか?」
「気のせいだよ」
「まあいいや。そもそもお前がメルサを知っているはずがないからな」
斬り合い。殴り合う。その一つ一つがお互いの体を掠めるごとに皮膚は抉れ、筋肉と骨が、そして内臓が悲鳴を上げる。
呼吸はとうに穏やかさを忘れ、汗が身体中から吹き出していた。
気づけば日が落ちていた。
膠着状態を破ったのは俺ではなかった。
復生体が素早く、懐から取り出した手榴弾のピンを抜く。それを自分の頭の辺りまでゆっくりとした動作で軽く放った。
発光した瞬間、それを空いた左手でキャッチ。
バラバラと、金属片が復生体の手か溢れる。
「成功」
「器用だな。神能に目覚めたばかりだろう」
「わかるのか? 爆発を掴んだ」
「その爆発はお前も喰らうぞ? 自爆か? それとも、そんなに接近されたくないのか」
「それは違うな。この程度の爆発では俺の体には傷一つつかない」
「俺もそうだよ」
「もう一つ訂正する。これは接近されたくないからだとか、この場から逃げるためでもない。掴めるということは、投げることができるということだ」
復生体の視線が俺の背後へと動く。
背筋が凍る。
復生体が遠くへと〈爆発〉を投げる。
「こっちを見ずに走ってる。気づいていないぞ。気づいているのはお前だけだ」
手榴弾であれば、金属であれば、グレースは気が付くし対応もできるかもしれない。しかし〈爆発〉そのものではそうはいかない。
一秒にも満たない刹那の時間。
思考をかなぐり捨てて俺は叫んだ。
「グレース! 避けろ!」
復生体から視線を外して——。
まずい。
背後から、あまりにも冷たい。自分と同じ声が聞こえた。
「——油断したな」
直後。強烈な痺れ。体が無理やり引き伸ばされる感覚。手に力が入らなくなる。
電撃の剣が俺の腹を突き刺していた。
「お前の技は、俺の技を凌駕している。それを身につけてなお、それが命取りになることを知らないわけではないだろう?」
こいつは、俺の視線を一瞬外すためだけに、起爆途中の手榴弾を掴むという暴挙に出たのか。
そうか。
嬉しいよ。さっきお前は夢かもしないと言っていた。もし夢ならば覚めるのを待てばいいだけ。そうせずに死力を尽くすのは、きっとあの約束からだろう。
俺はメルサに言ったのだ。今でも気恥ずかしくて頬が赤らむセリフを。
たとえ君が悪夢を見ても、俺が助けに行くよ。
青臭くってしょうがない。
その約束を守ることはできなかったけれど。
こいつはそれを守ろうとしているのだ。
遠くに走るグレースが雪に体を伏せている。
よかった。当たっていない。
君が生きているだけで俺はまだ戦える。
目の前に拳が迫って来ていた。
かろうじて動いた左腕で復生体の拳を防ぐ。
自分の体の内側で何かが砕け弾ける音と感覚。人の体からはあり得ないはずのエネルギーが一瞬で足の裏を抜けて、俺の後ろの雪を後方へと吹き飛ばした。
俺は膨大なエネルギーに抗いながら右手の剣に全身の力を込めた。
振りかぶる予備動作を必要としない、高速の突き。
復生体がその切先に合わせるのは自分の手のひら。
その手のひらに触れるか触れないかの瞬間、切先に弾力が返ってくる。
まさか、空気を掴んで——。
「俺の勝ちだ!」
復生体はそう宣言して電気の剣を俺の肩へと振り下ろす。
「いや、俺の勝ちだ」
復生体の腕はヴァシリオスの剣によって弾かれ、俺の手のひらに内臓を貫いた不快な感触がした。
「……」
復生体が無言で血を吐き、己の胸元を見る。
深々と突き刺さって背中まで抜けたヴァシリオスの剣から血が伝い、真っ白な雪を赤く染めた。
武器の差だった。同じくらいに強い想いと実力ならば、それが勝敗を決する。
「いや! まだだ!」
復生体の闘志は、腹を剣で刺し貫かれた程度では死なない。
自らの両腕で剣の柄を握っている俺の両腕を掴み、渾身の力で握り潰してくる。
想定外の負荷を受けた両腕から、肉と骨が潰れた鈍い音が聞こえた。痛みは一瞬で消えた。神経すらも握り潰されたのだ。
復生体はすかさず俺の首へと手をやる。
「お前はここで仕留める!」
腕にかけたほどの握力はない。しかし、両腕を潰されているおかげで抵抗ができない。
潰された両腕が、胸元に突き刺したままの剣から離れ、だらしなく垂れ下がった。
なんてやつだ。
それなら俺もと、渾身の力を両腕に込める。痛みが消えるほどの負傷をしている。本来ならぴくりとも動かない。しかし両腕は俺の意思に答えてくれた。
「なっ!」
そんなに驚くなよ。
抱きしめただけだ。
驚愕からか、復生体は俺の首を絞める手を緩めた。
「最後に、おしゃべりをしようぜ」
「おしゃべり、この状況で何を言って……⁉」
「そうだ。お前の夢が、覚める前にさ」
「夢……だと?」
「そうに決まってるだろ? 夢じゃなかったら、全く知らない場所で目が覚めて、自分とまったく同じ顔の人間と戦ってるなんて、おかしいじゃないか? そろそろ、起きる時間だ」
「しかし、この痛み、疲労感は本物だ!」
「いやに現実的な夢なんだな。……そうだ。起きたらメルサにおはようのキスをするんだろう? そろそろ子供の名前も決めないとな。候補はなんだっけ?」
首を絞められたまま平然と話す俺に、訝しげな目をリベル・ダ・ヴェントは向け、やがて観念したように、口を動かし始めた。
「男の子ならリィロ。女の子ならメリィ。それは俺しか知らない情報だ。本当にこれは夢なんだな……」
「そう言ってるだろ?」
復生体の声は安心からか、それとも死が近いからか。か細いものへと変わった。
「まったく、嫌な夢だったよ。仕事から急いで戻ったら、ヴェント村が、なくなっていたんだ。みんな……メルサが焼け死んでいて、ウイリアムを探していたら、突然知らない場所にいてさ」
「災難だったな。でも安心しろ。これは夢だから。目が覚めたらメルサの笑顔が見られるよ」
「ああ、本当によかった。あの笑顔が大好きなんだ」
口元に血を垂らしながら、復生体はうつろな瞳でそう言った。
「それじゃあ、ひと足先に……おはよう。リベル」
返事は返ってこなかった。
復生体の力が抜けて倒れ込んでくる。
俺は必死にリベルの体を受け止めた。それでも堪えきれなくて膝を付いてしまった。
抱きしめている両腕にもう一度、出来るだけ力を込めた。
込めたけれど、俺の両腕は力及ばず、復生体は雪の上へと前のめりに倒れ込んだ。
俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
「リベル!」
グレースが空から身を投げ出すようにして雪の上へと着地した。
びっくりして思わず咳き込んでしまう。口の中に血の味が広がった。内臓が傷ついているのだ。
「よかった。勝ったんだね……」
グレースが泣きそうな顔で笑う。
そこで初めて気づいた。どこも痛くはなかった。感覚もない。
そうか。けっこう攻撃を喰らっていたっけ。
それを不思議に思いながら、それでもどこかで自分の行く末を理解しながら、朦朧とした頭と目で彼女を探した。
「リベル! 死なないで!」
声がでなかった。
抱きしめて欲しかった。抱きしめたかった。
思いが伝わったのか。グレースは俺を、一生懸命に抱きしめてくれた。
グレースが浅い呼吸をして嗚咽を漏らした。
しかし、しばらくして呼吸を落ち着かせ、覚悟のある瞳で俺を見つめる。
「ねぇ……。わたしたくさん我慢したよ? 何度もリベルを見送ったの。だから、思い出したら、約束、ちゃんと守ってよね?」
ああ。
わかってるよ。
街でデートをしよう。
そうだ。思い出したら、グレースと一緒に街を回るんだ。
そうやって、覚めない夢の続きを生きていくんだ。
グレース大好きだよ。愛してる。
最後に見えたのは、瞳を涙でいっぱいにして無理に微笑むグレースの顔だった。




