第37話 灰燼を抱きしめたくて
グレースは舞い上がった雪を全身に被り、砲弾が当たった場所を見つめていた。
直撃。グレースの動体視力では断言できないが、おそらく避けられてはいなかっただろう。
この状況の種明かしは簡単だ。復生体と会敵する前、グレースはヘンリクと合流していたのだ。その際にヘンリクが思いついたのが今の作戦だった。
周りの残骸を神能で射出するための弾だと誤認させ、戦車に乗ったヘンリクをベストポジションへと運び、電撃で痺れさせ、戦車砲で撃ち抜く。
シンプルがゆえに見破り難い、必殺の一撃。
あと数秒もすれば、黒煙が晴れる。
グレースは無意識に数を数えていた。
四。
三。
二——。
「え……」
風が吹いて、霧散した黒煙の中に——。
爆散してなくてはいけない人間が、立っている。その事実が、グレースの頭を混乱させた。
当たっていない? いや、着弾時の爆風だけでも無事では済まない。
一体何を。
「なるほどね。さっきの残骸の嵐は、中に人間がいないと思わせるためか……危なかった」
どうして。
復生体の右手に目をやる。そこにあるのは、青白く煌めく何か。剣ではない。
あれは……電気。
それは、神能だった。灰燼と帰してしまった妻と子を——触れれば崩れてしまうその存在を、触れたいと願った彼に、神が与えた祝福。そして、本来であれば仲間と仲間の忘れ形見を助けるために心を押し殺し、発現しなかった力。
その能力は、全てのものに触れ、干渉することが出来るという単純なもの。
種明かしをするのであれば、グレースが発生させた電気を右手で掴み、向かってきた砲弾を大気ごと逸らしただけ。
感電中にそんなことができるのか、爆風にどうやって耐えたのかをあえて口にするのならば、愛ゆえに。
その答えにすぐに辿りつくことを求めるのは、動揺している彼らには酷だが。
生きると言うことは、苦しむこと、そして克服すること。
その繰り返しで、リベル・ダ・ヴェントは歴史に名を刻んだ。
「もう少しで、爆風も掴めそうだ」
復生体がこちらへと近づいてくる。脅威であるはずのその状況を、グレースは呆然と見守ることしかできないでいた。
「そんな……」
考えてみればわかることだ。ルーンディア王国の建国前、初代国王ヴァシリオスはリベル・ダ・ヴェントの進撃を止め、ウィリアムの遺体を管理するだけで、この世界で絶大な影響力を持つようになった。
なぜそれだけで、初代国王は英雄となれたのか。理由は単純明快。リベル・ダ・ヴェントが想像を絶する化け物だったからだろう。
グレースは反射的にこの場から離れようとして、ふらついて倒れた。
さっきの衝撃が骨まで響いている。
動けない。
機動力の要の金属キューブも近くにはない。
取りに行くには遠すぎる。
あ、わたし今逃げようとしたのか。
それに気づいた瞬間、言いようのない不快感と屈辱感で喉が震えた。
「……リベル」
でも、わたしが死んだら、彼との思い出が消えてしまう。
彼が復生されるたび、いつも思っていたことがある。
せめて自分だけは覚えていようと。それはヘンリクも同じだろう。
役目はある、覚悟もある。けれども、死にたくはない。
死んでしまったら、あなたがこの世界からいなくなってしまう。
あの復生体に、機動力を失った神能者が何秒保つか、想像するのは簡単だった。
せめて最後は、頭の中いっぱいに愛する人のことを思い浮かべよう。全ての労力をそれに費やそう。
グレースは目を瞑った。
「なんで俺の名前を知っているんだ?」
そんなこと知る由もない復生体は首を傾げる。
変なものでも見るかのようにグレースを眺め——そしてその目線は、上空へと向けられた。
目線の先にあるのは、自らの頭上、空高く舞う、巨大な青い船。
「……」
一向に殺される気配がない。恐る恐るグレースは目を開ける。
「君じゃなかったんだね。ここで一番強いのは」
雪に落ちるは巨大な影。空を見る。
〈鯨〉が泳いでいた。
「あれは……」
そんな呟きと同時。
何かが〈鯨〉から地上へと降ってくる。
地面に近づくにつれて、少しずつその存在の象が結ばれていく。
ルーンディアの鋼色の軍服を着た人物。腰に白い上着を巻いていて、それがはためき、すでに落ちようとしている夕日で煌めいていた。
そんなグレースの感想を置き去りにするように、青年が雪の大地へと着地する。
大きな音。舞う雪。
「リベル!」
金属を削り出したかのような粗野な剣。あれは、ヴァシルオスの剣だ。間違いない。助けにきてくれたのだ。
でも——。〈彼〉ではないのなら、何の意味もない。
「グレース、おまたせ」
そんな杞憂を、目の前の復生体がかき消す。
ああ。
よかった。本当に。ほんとうによかった。
「リベル!」
この瞬間、グレースは自分でも制御しきれない程の感動で体を震わせた。
そうして、声と心を震わせて愛する人の名を呼んだ。




