第35話 戦場へ 決戦
目指したのは、女王の部屋だった。
近衛兵に事情を話す。「わかりました」とそれだけ言って通してくれた。
「久しぶり」
ベッドに横たわる老婆にそう声をかける。
「お久しぶりです。ここにくるなんて、珍しいではありませんか」
眼を細める仕草は、俺に過ぎた年月を感じさせるのに十分なものだった。
「ああ、たしかに。それで、借りたいものがあるんだけど」
「ええ、いいですよ。何でしょう?」
「ヴァシリオスの剣を貸して欲しい。討たなければならないやつがいるからね」
「……わかりました。この国をお願いします。あぁ……一つ、伺っても?」
「どうぞ」
「昔、それこそ私が子供だった頃です。あなたは言ってくれました。君が女王になるべきだと。私は上手くやれたでしょうか?」
「君は立派だったよ」
「そうでしょうか……復生体排斥派を増長させ、今や貴族のほとんどがそちらの派閥です」
「それは仕方ないよ。千年も経てば、国は変わる。それこそいろんな形に」
「他ならぬあなたが言うのではあればそうなのでしょうね。それで、今度は誰を選んだのですか?」
「グレースだよ」
「そうですか。あの子はいい子です」
女王は深々と頷く。まるで何かを噛み締めるように。
「寝てたんでしょ? 体を休めな」
「ありがとうございます。そしてご武運を。ああ、それと、服も用意しなければいけませんね」
「これは失礼」
用意された衣装は、ルーンディアの軍服だった。生地の色は王国を象徴する鋼色。寒冷地でもなければ、これが正式な軍服なのだろう。ただ一つ違うのは腰に巻いたグレースの白い軍服の上着と、胸元に下げた赤い数枚のドッグタグ。
王城の展望台。風を感じながら受け取った剣を掲げる。
ものは試しと念じてみると、紫色の粒子が剣の周りを漂い、太陽の光を巨大な影が遮った。
「やっぱでかいなぁ」
それは〈鯨〉と呼ばれている。
ヴァシリオスとの戦いから千年間。
その巨体は空を漂い続けていた。
それ自体は音を出さない。しかし巨体が風を切るだけで、どれだけ遅くとも空気が鳴いた。
鯨と呼ばれているだけで、その姿は決してそのようには見えない。
後方にあるヒレのようなものが、辛うじて鯨のように見えるだけだ。
大量の銅で創られたそれは昔から存在したこともあり、銅特有の経年変化で色が青い。
全長九百メートル。
全方位に向けられた巨大過ぎる無数の大砲。
空を漂う巨船。
王国の武力の象徴のひとつである〈鯨〉は、己の身に乗り込んだ者を認めると、厳かに、その躰を震わせることなく方向転換を開始した。
この船の主人はすでにこの世にはいない。
今ではこの剣を持っている者が移動手段としてだけ使える代物だ。
「君に乗るのは初めてだけど、よろしく頼むよ」
鯨の鳴き声が聞こえた気がした。
時刻は夕方に差し掛かる頃合いだ。
「焦ってる……」
ものは試しと、正直な気持ちを口にした。
千年前、俺はメルサたちの元へ急いだ。
そして間に合わなかった。
今の状況はあの時と似ている。
俺の大切な人たちが危険な目に遭っていて、そこへ遠くから駆けつけている。
あの時だって間に合いさえすれば……。いや、やめとこう。大昔の話だ。でも、そうか。全盛期の俺を、その意思を、今の俺は殺しに行こうと思っているのだ。
まぁ自分のことなどどうでもいい。
大切な人のためならば、自分の意思など、欠片ほどの価値も感じない。
それでも、俺はメルサたちを愛した自分自身を、どうにかして救ってもやりたいのだ。
今夜完結します!




