第33話 久しぶりだね。
戦場から飛び立って数時間後。
王城の展望台へと降り立ったグレースは、一息つくことなく走り出した。
扉をくぐり、廊下を抜け、階段を降りる。それを繰り返し、目的地へ。
驚いた様子の侍女たちには目もくれず彼女は走った。
走らずに神能を使うことなど頭の片隅にもなかった。
そうして辿り着いた。扉を押し開け、中へと入る。
〈遺体の間〉と呼ばれるそこにあるのは、片腕で祈り続ける男の遺体だ。
名をウィリアム。リベル・ダ・ヴェントのかつての友。そして歴史上、ヴァシリオスと肩を並べるほどの神能者だ。
復生体は死んだ後、必ず彼の前で復活する。
グレースは足を止め、その時を待つ。復生体が再び生み出されるまでの時間は数時間。そろそろのはず。
一秒が無限に感じられる時間の中、今か今かとその時を待った。
「あなたは、なんでリベルをこの世界に縛りつけるの?」
グレースは、自分が遺体に向かって喋っていることに、最初気づかなかった。
自分で言葉の意味を咀嚼してみて思う。なんと的を射ない問いだろう。
そもそも、遺体がなければ、自分はリベルと出会うことすらできなかったのだ。
知らず俯いていた顔を前に向ける。
そこにいたのは、金色の髪をなびかせた青年だった。
え、と。声を漏らしたつもりだったが、その声は音ではなく脳へと直接響いた。
やあ。
青年はやけに気さくだ。
初めまして——じゃないな。こんにちは、グレースさん。
あなたは?
僕はウィリアム。知っての通りそこにある枯れた遺体さ。
ウィリアム……さん?
それでいいよ。
そう言いながらくすりと彼は笑った。
それでさっきの質問だけど。僕はリベルに幸せになって欲しいんだ。長く生きていれば、人が、場所が、リベルを天国へと連れていってくれるからね。
天国って、死後の世界にあるものじゃないの?
それは否定できないけど、今のこの世界にも、人それぞれの天国は必ずある。僕はそう思ってる。
言い切られてしまった。しかし、そうなのだろう。その人ごとにある幸せな居場所。それを天国だと言うのなら、間違いではないし、そうあってはならない。
なぜ、わたしの名前を知っているの?
前に……時間の感覚が殆どないから正確な時期は言えないけど。この辺をウロチョロしてた。
それは、リベルと出会った頃のグレースだろう。彼が死んでいないかが心配で、恐る恐るではありつつも、よくここに来ていた。
それでわたしに何を?
いや、なにも。気まぐれで話してみたかっただけさ。自由にやるといい。……そろそろかな。復活の時間を調節しておいたから。あ、上着を貸してあげるといいよ。
その言葉の意味を問おうとした。だがしかし、金髪の青年はすでに消えていた。
まるでその代わりかのように、遺体の傍に別の青年の姿が現れていた。
仰向けから目覚め、気だるそうに状態を起こした復生体。その姿を見て、ウィリアムの言葉の意味をグレースは理解した。
電撃の如き速度で復生体に駆け寄り、目の前にあるものから視線を一生懸命逸らしながら、着ていた上着を腰へと巻き始める。
慣れたと思ったんだけどなぁ。
「え、え、誰? 何?」
復生体は困惑しているらしい。正直、この復生体がリベルかどうかはわからない。
しかし話は上着を腰に巻いてから。まずそれから。
「ありがとう?」
巻き終えた時、復生体は困惑しながら礼を口にした。
その情けない表情を見て少し同情してしまう。それはそうだ。意味がわからないだろう。
グレース自身、なんて言って話始めるのか考えていなかった。
だからいつものように。
「覚えてる?」
そんなわけないのに、訊いてしまう。
「いや……」
よくわからないと、復生体は首を傾げた。
「……グレースよ」
これでわからなければ、彼はリベルではない、別の復生体だ。でも、ウィリアムとの会話が幻ではないのなら。きっと。
「……ああ、炭鉱で出会ったお姫様か。十年くらい前だよね?」
その言葉を聞いた時、グレースはリベルに飛びつきたくなった。
「うん!」
「おぉ……久しぶりだね」
リベルは所在なさ気に曖昧に笑った。当たり前だ。ならどうすればいいのだろう。そもそも前のリベルが言っていた説得とは、具体期に何をすればいいのか。やはり、言外に逃げろと伝えてきただけなのではないか。
それに……目的は突如現れた強力な復生体の討伐だ。つまり、戦って勝つこと。
戦う。誰が? リベルが、だ。説得が成功した場合、そうなってしまう。
そうすればまた死んでしまうかもしれない。
グレースは独りきりで炭鉱に取り残された時と同じ気持ちになった。必ずあるはずの出口がわからない。そもそも、正しい道などあるのかさえ疑わしく思ってくる。
——グレース?
「ごめんね。ちょっと考え事をしていて……」
「ん?」
「え?」
目の前のリベルに向かって返事をしたと思った。
声は別のところから。
リベルよりももっと近く。
わたしの服の中から。
懐に手を入れ、それを引っ張り出す。手にしたのはドッグタグの束だった。
———それを、目の間の俺に渡すんだ。
「どうして……これから声が聞こえるの?」
その声は音ではなく頭の中に直接響いた。
リベルが私の手を覗き込む。「何も聞こえないよ?」そう言って首を傾げ、リベルははたと口を閉ざした。顎先を摘み考えこんでいる。
「ねぇ……?」
小さな金属の板に話しかける。しばらく待っても返事は返ってこない。
もう何がなにやらわからない。
そう思っていた矢先、脳裏を掠めたのは先日のリベルの言葉。
フェロメリアは鉄の首輪から、彼の声が聞こえると言ってきたとリベルは言っていた。技量や実力に差はあれ、グレースとフェロメリアは同じ神能を持っている。
ならば、金属に宿った持ち主の記憶と対話ができるのではないだろうか。
ああ、それではだめ。
対話できるのはわたしだけ、リベルにこの声は聞こえない。
いや、でも。
次にグレースが思い出したのは、王族なら誰もが知る建国の成り立ちだ。リベルも言っていた。フェロメリアは、鉄の首輪の記憶を元にヴァシリオスを復活させた、と。
それと先ほどの声の内容を照らし合わせる。
「ねぇ。リベル?」
「……あぁ、なに?」
声をかけると、リベルは考え事を止め、グレースと視線を合わせてくれた。
グレースはしゃがみ込んだまま、リベルの首に手にしていたものをかけた。
金属が擦れる音。耳元で鳴ってしまって不快ではないだろうか。
「これをあげる。突然ごめんね」
リベルは何も言わない。
グレースは考えた。何か言った方がいいのではないか。
考えて、やめた。
これは、自己満足のためのおまじないだ。
これでリベルが記憶を取り戻してくれたら。
「また、話そうね」
グレースは微笑んだ。自分史上最高の笑顔だ。
「え、うん」
リベルの要領を得ない返事が可笑しくて。そして少しだけ虚しくなった。
「……それじゃあ」
最後にそれだけ言ってその場を後にする。
リベルが戦うことはない。誰かがやらなければならない辛いことは、自分がやる。リベルではなく、今度はわたしが。
説得の方は上手くいかなかったが、そっちの方の役目は果たさなくてはならない。




