第31話 リベル・ダ・ヴェント
対象は沈黙した。重要な部品が壊れたのだろう。
辺りに金属片や機械の腕が飛び散っていなければ、まるで本物の人間の死体のようだ。
終わってみれば呆気なかった。
千年前、神能者と戦い続けて思ったことを改めて感じる。
戦いそのものは一瞬で終わる。それは例えば、歴史の教科書で言えば一ページで事足りるように。
きっと彼——ビリーだったか。ビリーがここにいるのにも何か事情があるはずだ。戦う者は大なり小なりそこにいる理由がある。
機械とは思えないほどの執念を、俺はビリーから感じていた。
ビリーは最後に何を伝えようとしたのだろうか。
かならずそこへ。
その言葉の意味は、きっと俺では理解できない。
「まぁいいや」
「……夢なのか、現実なのか、未だにはっきりしないんだ」
自分でも驚くような速度で振り向いた。
「ヴェント村に着いて……メルサたちが死んでた。それで……ウィルを探して……気づいたら知らない国にいた」
青年は右手を掲げた。それは復生体の頭部だった。
「いつの間にか居たその場所で、年老いて死にかけの自分にあった。俺の事情や、俺しか知らない事をことごとく言い当てられたよ。そいつが言うんだ。……この先で俺の大切な人が助けを待ってるって。夢なのか現実なのかわからないけど、……たとえ夢でも、大切なみんなのことは守りたい」
抉れた塹壕の隙間から風が吹き、青年のフードが脱げる。
「邪魔しないでくれよ」
俺はこいつの全てを理解できる。できてしまう。言葉の端だけでも痛いほどに。
ジェロン連邦がいかなる手段を使ったのかはわからない。
けれども現れてしまった。この戦場に決して存在しない、してはいけない男。
千年前、全てを失った当時のリベル・ダ・ヴェントが。
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想いが人を強くする。リベル・ダ・ヴェントはそれを、物理的な意味で体現した存在だ。人ならざる膂力と頑丈さがそれを物語っている。
それでは、人を愛するほど強くなる化け物が、その愛する存在を失ってしまったら。
お分かりだろう。
手がつけられなくなる。
俺は仰向けの状態で、粉砕された対物ライフルを横へ投げ捨てた。
頭が痛む、しかし同時に軽い。これは経験上、来てはいけない頭痛だ。
吹き飛ばされた。
目前まで迫った拳を、対物ライフルで防いだ。完璧に、だ。長年の経験がそれを可能とした。
それでもこの様。
胸元を見て気付いた。出血している。金属の塊で防いでなお、威力を殺し切ることはできなかったようだ。気づいたせいでズキりと痛み始めた。
息が上手くできない。
遠くを見ると、リベル・ダ・ヴェントは復生体に襲いかかっていた。自軍の復生体が、遠目からでも驚愕の表情をしているのが見て取れた。けれども誰一人、逃げ出す者はいない。
復生体がリベル・ダ・ヴェントから逃げ出してしまったら、誰が彼を受けとめ、理解するというのか。
しかし、拳一つ受け止めてこれだ。
まず間違いなく、あいつを倒せる人間はいない。
ならば、グレースならどうか。
彼女ならば可能性はあるだろう。〈巨神の石〉は強力だ。
駄目だ。初代国王以外に負けるビジョンが浮かばない。
いつの間にか戦車の砲声が止んでいる。グレースが蹴散らしたのだろう。
すぐにここへグレースが来る。
この状況を打開する方法を考えなくてはならない。最低でもグレースに危険を知らせて……これは駄目だ。きっと彼女は逃げない。
「リベル!」
空から彼女の声がして、女神のように美しい少女が俺の前に降り立った。
もう時間がない。どうする。
流れ出た血が雪を染め始め、俺の胸元に触れたグレースの手袋も汚し始めた。
「ねぇ! しっかりして!」
声が震えているな、なんてどうでもいいことを思った。
どうすれば、この戦場から彼女を逃がすことができる。
「……ごめん。駄目みたいだ」
俺の声は驚くほど小さくて、グレースの張り詰めた呼吸音に半ばかき消された。
「……ダメって。……なんで? どうしてこうなるの? ただ一緒にいたいだけなのに、戦地でも炭鉱でもどこでだっていい! あなたと一緒にいたいだけなのに!」
グレースの涙を俺は初めて見た。
いや違うか。きっとこれまでも何回も見ているはずだ。俺が都合よく忘れているだけ。死んでも忘れていけないことなど、この世には山ほどあるというのに。
「そんなに泣いたら、目が凍っちゃうよ」
「うるさい!」
「ごめん」
余計なことを言ったことを素直に謝る。それが妙にしっくり来た。前も似たようなことがあった。きっとその前にも。
「……グレース、これを」
近づいて来た彼女の耳元でそう言い、全身の力を込めて胸元のドッグタグを差し出した。
「これが、何?」
「右のポケットにもある……、多分前の俺のだ。他のは……」
「他のドッグタグは全部わたしが持ってる。肌身離さず身につけてる」
「そうかよかった……それを持って、これから生まれる俺のもとへ行ってくれ。もしかしたら、この状況をどうにかできるかもしれない」
「持って行ってどうすればいいの?」
それは。だめだ思いつかない。頭が働かない。痛みは不思議と消え失せ、自分が上手く話せているのかもわからない。
「……俺を説得してくれ。多分、何も覚えていないけど……君が助けを求めたら……俺はきっと力になりたいと思うはずだ」
やっとのことで言ったのは、そんな意味不明な言葉だった。
「それって……」
頼む。これで納得してこの場から離れてくれ。リベル・ダ・ヴェントが君に気づく前に。
あいつは、あの時の俺は、神能者を心の底から憎んでいる。
全力で手に力を込め、ドッグタグをグレースの手で包み込む。
グレースは何度か迷うような素ぶりを見せ、その後静かに頷いた。
「……わかった」
よかった。他の復生体には悪いが、グレースにはこの場から去ってもらう。
ヘンリクはこの場にいない。大丈夫だ。
憂いはない。
少しだけ記憶を失うだけだ。
しばらくしたら、何も知らない俺がこの地へとやってくる。そうして、また二人と出会うのだ。驚くことになるだろう。もしかしたら俺はまた死んでしまうかもしれないけど、二人が傷つくよりずっといい。
いつかの俺も、きっとこんなふうに死んでいったのだろう。
「……元気でね——……」
他にも言葉を続けて、自分が声を発していないことに気づく。
目はもう見えない。
耳からの情報だけが俺の世界の全てとなった。ああ、それと、左手から伝わる温もり。
「——」
グレースが何かを言った気がする。
唸るような音が、遠くからこちらへとやって来ている。
エンジン音だろうか。
「おーい! 姫様! 心配だから来た!」
ヘンリク。お前……マジか……。
そこで俺の意識は途切れた。




