第30話 壁
出発する前に横目で見た雪だるまは、一週間前と変わらず。
「じゃあ行ってくるよ」
「気をつけるんだぞ」
「わかってる」
ヘンリクの忠告を流しながら、俺はグレースへと向き直った。
「今日はグレース王女殿下がいてくださるのか。頼もしい」
「茶化さない」
そう言ってグレースが口元を尖らせる。
塹壕部隊との交代の日だが、今日はいつもと違う。本来であれば、ジェロン連邦の攻勢は一箇所に集中していない。それは〈巨神の石〉に各個撃破されないための対策であるはず。
しかし、今日は違う。なぜかジェロンの軍隊が一箇所に集中しているとの連絡が届いた。
それならばグレースにも向かってもらえばいいというのが、軍の上層部が導き出した簡単な結論だ。
「まぁ怪しいよね。順調すぎるし、何より相手が悪手を打ってる。それに乗せられてる気がする」
「それなら……」
その言葉の続きを人差し指で制して俺は言う。
「それでも、きっと大丈夫だよ。レーミアのいうプロトタイプも、体が金属でできているのならグレースの敵ではないだろう。もし強力な神能者でも、千人以上も復生体がいる。負けはないよ。だから心配いらない」
「何もわかっていないのね。それだと復生体が死んでしまう場合があるってことでしょ。それがあなただったら?」
「……そういうことか」
どうやら見当違いだったらしい。心配されたのを状況に合わず嬉しく感じる。
この作戦により集められた兵はほとんどが復生体らしい。臣民による志願兵が少ないのは限りある命だからだろう。話が旨すぎると感じているのはお偉方も一緒か。
「頼むわよ。一緒に街を回る約束でしょ?」
「うん……」
大丈夫だよ、そう付け加えようとして、止めた。
「危なくなったら、グレースをおんぶしてここから逃げるよ」
冗談めかしてそう言った。グレースは笑うと思った。
実際にグレースは笑っていた。けれど少しだけ泣きそうな笑顔だった。
きっと、前の俺もこんなことを言ったのだろう。そして死んだのだ。
・
黎明の雪原。
復生体が集められた最前線には異様な光景が広がっていた。
ジェロン連邦の陣地には戦車が横一列に並べられ、まさに決戦といっても差し支えのない様相を冠している。対するルーンディア王国は、縦横無尽に掘られた塹壕の中には生身の人間がいるのみ。そのほとんどが同じ容姿をしており、奇妙という他ない。
あまりにも開きすぎた兵力の差。ひとつ条件を付け足すならば、同じ顔をしているルーンディアの兵隊は、千年ほど前に世界を震撼させた張本人であることくらいか。
決戦の合図はジェロン連邦軍による砲撃だった。
ビリーは一人、塹壕へと向かって走り出す。
戦車砲は牽制だ。ビリーが塹壕へと接近するまでに復生体を塹壕へと留まらせることを目的としている。復生体を銃で殺すことは難しい。機関銃でも、直撃しなければ命を奪うことは容易ではない。しかしそんな彼らでも、火砲ともなれば話は別だ。少しでも数を減らすことができれば御の字。
味方陣営から絶え間なく聞こえる、耳をつんざくような砲声に臆することなく、ビリーは走った。
やがてたどり着いた塹壕へと飛び込みながら、鉛筆程の銀の楔を辺りへとばら撒く。雪へ突き立ったそれらを確認した直後。ビリーを迎えたのは銃弾のスコールだった。
それは上からではなく、真横から。
塹壕に敵兵が突然飛び込んでくるというアクシデントに、ノータイムで復生体が反応したのだ。
想定内。そうビリーは心の中で呟く。
機械の体は、人を無力化するのに特化した弾丸ではびくともしない。人よりも大型の獣を仕留める大口径の銃弾であれば結果はわからなかったが。戦争は良くも悪くも最適化されている。持ち運びに不便な大口径の小銃と銃弾はここにはない。
そうして起動するのは電撃。
電撃は雪に突き立った銀の楔へと疾る。途中にいた復生体たちを巻き込んで。
銃弾のスコールが止んだ。
「おまえがプロトタイプか」
背筋を撫でられるような声音にビリーは驚愕と共に振り向いた。
楔の範囲外にいる一人の復生体。なぜか赤いドッグタグを首からぶら下げている。この場で復生体をまとめているのが彼なのだろうか。
しかし、ビリーの心中を支配していたのは策を見破られた焦りだった。
入り組んだ塹壕内、擬似的な一対一。
「違う、ビリーだ」
「ビリー……ね。まあいいや。さよなら」
〈赤いドッグタグ〉はそう言ってビリーに向かって発砲した。
先ほどとは比べ物にならない衝撃。ビリーは塹壕の雪の壁へと叩きつけられた。
焦りで視野が狭まっていた。あれは人に向けるような銃ではない。
対物ライフル。
人に向けるのには過ぎた威力を持つ超大口径のライフルだ。
「さっき、一瞬だけ右手から火花が出た。電気かな?……それにしてもすごい反動だな」
また衝撃。聴覚センサーが振り切れるほどの大音量。
「まだ壊れないのか。頑丈だ」
レーミアと潜入部隊が戻らなかった話は聞いた。最悪鹵獲されたとは思っていた。まさかここまで対応されているとは。
「……手合わせを思い出す。リベルは随分とやさしかったのだな」
つい漏れた独り言を聞いたのか、〈赤いドッグタグ〉は首を傾げる。
「奇遇だな、俺もリベルだよ」
砲声は鳴り止んでいない。
しかし、ビリーに向けられた対物ライフルの銃声は止んでいた。
それは弾切れからだった。
合計五発の超大口径の銃弾を受け、なお意識を手放さないのは、やはり科学の力。しかしきっと少しくらいは、己が意思の力もあるのだろうと、ビリーは確信していた。
『ハ、ハハ……』
心地よく笑ったつもりだったが、自分の口から出てきたのはざらついた電子音声だった。どやら、発声センサーも故障したようだ。
腕は弾け飛び、脚も距離を詰められないように破壊された。
ビリーは今、雪の壁に背中を預けるようにして倒れている。
きっとこれが、今の自分の限界なのだろう。
それでも。
『か……な…らず、そ、こ…へ』
辿り着く。最後に言おうとして、ビリーは声を失った。
もう話すこともできない。
だが、と心の中、独りほくそ笑む。
ルーンディアはビリーに対応していた。それはおそらくレーミアを鹵獲したから。それは適切なものであることに違いはない。
ただ一点を除いては。
切り札はビリーではない。
ビリーすらも、この戦場においては揺動だった。
そこで、ビリーの意識は途切れた。




