第27話 千年前の約束
抱き付かれる。腹に押し付けられた頭の後ろに手を回して撫でると、たしかに、人の頭ではないことが確認できる。頭髪と皮膚の中にあるのは、明らかに人間の頭蓋ではない。人の骨ではない、重厚な感触。
「今日も元気だね。よかった」
「うん。お兄さん、パパと同じ匂い」
「お髭フサフサって、言ってなかったっけ?」
「うん」
どういうことだろう。話を聞いた限りでは老人のはず。
思わず腕を鼻に近づけ匂いを嗅ぐ。変な匂いはしない。そのはず。
しかし確かめなければ。
「何してるの?」
己の脇の下を嗅ごうと腕を高く上げた姿勢のまま、俺は固まった。
振り向く。そこにいたのはグレースだ。この国の王女にして、金属を操る神能者。紛うことなき戦乙女。そんな人物が俺に向ける視線は冷ややかなものだった。胸の前で組まれた腕から警戒されているようにも感じる。
「……えっと」
「別に変な匂いはしないよ」
「そっか。よかった」
「そうだよ。おじいちゃん」
グレースが可愛げのある声で、可愛げのないセリフを投げかけてきた。
「それやめてくれよぉ」
俺の口からも信じられないくらい情けない声が漏れ、それを聞いて満足したのか、グレースはきゃっきゃっと笑った。
「よろしいよろしい」
グレースは自分が起こした一連のどたばたに満足いったらしく、うむうむと頷く。
「でもさ、ちゃんとわかるの? 俺、別にそこまで至近距離で嗅がれたことないでしょ?」
満足気にわざとらしく頷いていたグレースの動きが止まった。少し唇が震えているか。頬が少し赤くなったのは寒さのせいだろう。きっと暖かい所からここへやってきたのだ。
「……うるさい。そんなことどうでもいい。わかるの。臭くない」
「だよねー」
即折れした。また変なことを言ってガミガミ言われたくはない。
俺が再開したときと比べて、グレースは変わったように思う。なんというか、柔らかくなった。でもそれはきっと、俺が覚えていないせいだ。
前の俺と話すとき、彼女はきっとこんなふうに笑ったり、不機嫌になったりしていたのだろう。
最初は記憶のない俺に合わせて表情をコントロールしていただけで。
それを引き出せるようになったことに自画自賛したい。
「そろそろ……」
腹の方からそんな小さい声が聞こえてきて、俺は目の前の少女から手を離した。
「ごめんごめん。抱きつかれていたのを忘れていたよレーミア」
その少女の名を、今日はつっかえることなく言い切ることができたことに内心ほっとする。
俺の腹からゆっくりと離れた少女には驚くべき事実が隠されていた。
なんと脳以外は機械で出来ていたのだ。
レーミアが言うには、彼女は二号機で、その前に作られたプロトタイプがいるらしい。なんでもそちらの方は、体格が大人な分、より大きな電力を扱えるそうだ。
心に留めておかなくてはならないだろう。そう決意して、はや二月。
新兵器を鹵獲されたのにも関わらず、ジェロン連邦からはなんのアクションもない。
「そうだ。レーミアの体の調子は?」
「大丈夫。時々チェックしてる」
レーミアの体の大半が機械でできている。
その事実には驚いた。
しかし、良かった点が二つあった。
一つは万が一のときでも、グレースが操れるので拘束の必要がないこと。もうひとつは、調子が悪くなったときでもグレースがメンテナンスを行うことができるということだ。
懸念点があるとすれば、他の復生体にレーミアを見せられないことだ。それほどまでにこの少女の姿は俺の記憶に焼き付いている。すでに目にした数人には俺からそっとしておいてくれるように頼んである。自分と同じ顔の人間が、「わかった」と神妙に頷くのは、何度経験しても不思議な感覚があった。
レーミアと合うのはグレースの専用宿舎とその裏でだけ。炭鉱で千年間も働いていた身からしても狭い世界だ。
「ずっとこうってわけにもいかないよなぁ」
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
微かに口から漏れていた。掘り下げる話でもないと頭を振る。
「ねぇ、一ついい?」
「なに?」
訊きたいことがあるの、と前置きされる。グレースの表情は固い。
「小さなとき、炭鉱でおしゃべりしたでしょ? あの時さ、思ったんだよね」
「あの時の……」
グレースをおんぶしていた時の話か。
「そう……」
「ああ、そういえば」
「あの時私は不思議に思わなかったけど、リベルたちには自由を求める力があるでしょ? なんで隷民としてあんな危険な場所で働いているの?」
「そうだね。復生体にはあの状況に抗える力はある」
「それならなんで、ルーンディアのために危険な仕事をするの? なんで戦うの? 理不尽だとは思わないの?」
「危険だからだよ。俺がやるのなら、それが一番いい」
レーミアの紫色の髪を撫でながら言った。作り物だとわかっていても、懐かしさに胸が張り裂けそうになる。
「もちろん、すべての復生体が同じ価値観ではないと思うけど。それが一番だよ」
「どうして?」
重ねて問われる。
「約束をした。ある少女とね」
それはルーンディア王国の建国の元となった出来事だった。
神能者狩りを続けていた俺は、ある貴族の少女と出会った。年齢は十代の半ばくらいだったか。その少女は奴隷用の鉄製の首輪を大事そうに握りしめていた。
金属を操る神能者がいる。その情報を元に俺たちが向かった領主の娘だった。
それは何? 俺たちは首輪を示して訊いた。
奴隷のもの。死んでしまった奴隷の。お友達だったの。
本来であれば、友人を奴隷とは言わない。けれども彼女には、そう言い表すことでしか、その友人を説明する術を持たなかったのだ。貴族と言えども、その世界は狭い。
お稽古や勉強が嫌なとき、話し相手になってくれていた相手。生まれてから彼はずっと奴隷だった。言葉がわからない彼に、貴族の少女は本を用いて言葉を教えた。仲良くなっていくうちに、不思議な感情が芽生えるようにもなった。そんな充実しつつも歪んだ生活の中、ついに彼は倒れてしまった。決して覚めることない夢へと。
その翌日だったそうだ。金属を操ることができるようになったのは。
そんなことを貴族の少女は俺たちに話した。虚しそうに、そして不思議そうに。
貴族の少女は、根本的な認識を間違っていた。彼女は貴族で、死んでしまった彼は奴隷だったのだ。その身分の差に純粋な子供の立場で疑問を持つことは難しい。最初からそうだったのだから。
俺たちはこの少女を、危険なら殺すつもりだった。
けれども復生体の口から出たのは、自分たちでさえも意外な言葉だった。
君なら、もしかしたらもう一度彼に会えるかもしれないよ。
慰めの言葉。なんの根拠もないもの。
彼女は金属の神能者だ。どうすることもできないだろう。しかし、彼女の話がどこか、ウィリアムと繋がったのだ。何よりも少女の中で芽生えたものを、大切に育てなければ行けないと思った。
神能の発現に、奴隷だった彼との出来事が関係していることは明白だった。きっとその時の言い表せない感情が、彼女を神能者にしたのだろう。だから今も、鉄製の首輪を握りしめているのだ。
ほんと? と貴族の少女は、顔を明るいものへと変えた。
そこから俺は、知りうる限り神能について教えた。今はまだ新しい価値観も一緒に。
たくさん殺してきたのだから、神能について知っているのは当然だ。訓練を積んでいく中で、神能が彼女の思う方向に発揮されればいい。同時に、次代を担う価値観が芽吹いたのなら、丁寧に成長させる。
フェロメリア、君はきっと素敵な大人になる。
俺がそう言うと、決まってフェロメリアは照れながら笑っていた。
実際にそうだろう。誰に言われるでもなく、身分の差という根深い問題に疑問を持てたのだから。
彼女の特徴的なグレーの髪が、光の加減で金色に見えるたびに、俺は思い出の中にいるウィリアムとその姿を重ねていたのかもしれない。
フェロメリアは最初、小さな金属片を空宙で踊らせることしかできなかった。
そんな彼女は金属なら自由に変形させ、大砲の如き速度で打ち出すこともできるようになった。
あるとき、突然涙ながらに俺の方に飛んできた。
「先生! きいて! 彼の声がっ! 声がきこえるの!」
その手にあったのは、奴隷用の首輪だった。手入れを怠らないからか、古い割に錆は少ない。
もう五年前なのか。
「声が聞こえる? どうしたんだ? いったい」
「この首輪から……声が聞こえるの、彼の声が」
「まさか……」
「嘘じゃないよ!」
フェロメリアは綺麗な女性に成長していた。それでも今は、涙で頬を濡らした、泣き笑いの引きつった笑みを浮かべている。
「美人さんが台無しだよ」俺は手近にあった布切れでフェロメリアの顔を拭った。
「ありがとう!」
出会った頃はこんな感情表現が豊かになるなんて思いもしなかった。
「はいはい」
「そうだ! そんなことどうでもいいんだよ! 聞いて!」
ゴリッとした音と痛み。鉄製の首輪を耳に押し付けられた。
「いてて。俺には何も聞こえないよ?」
「先生は神能者じゃないでしょ? だから聞こえないの!」
聞いてって言ったじゃないか。そんな言葉を飲み込んで俺はヘラヘラと笑う。
「まあ、それもそうだね」
「それでね、もうすぐ彼に会える気がするの」
その言葉を俺は受け流すことができなかった。神能者は力に目覚めたとき、どうしてかその力の使い方がわかるという。そして、何が可能で何が不可能なのかもあるとき明確になる。
俺は彼女の瞳を覗き込む。ひと目見てわかった。
そうなのだと。
「そうか……」
「うん! 楽しみ!」
「フェロメリア、今から大切な話をしていいかな?」
「いいよ?」フェロメリアは俺の様子を伺うような素振りで頭を縦に振った。
「今でも、気持ちは変わらない?」
「変わってないよ。わたしは、彼のような人たちが、少しでも幸せに向かえるような居場所を作りたい」
具体性の欠片もない。抽象的過ぎる、子供っぽい夢。
けれど俺は笑わない。
「それじゃあ、教えることはなにもないね。……最後に最終試験をしよう。その試験に合格できたら、それを使って夢を叶えるといい。全面的に協力する」
「試験って? 使うって? 協力ってなに?」
「いいかい。フェロメリアの夢を叶えるためには、強さがいる。それには想いの強さだけでは足りない。フェロメリアの障害となるものを跳ね除けるだけの力が必要なんだ」
「……それは、わかる」
曖昧な動き、それでもフェロメリアは頷いた。本当に賢い娘だ。
「それは、暴力的な強さだったり、威厳だったり、尊敬だったり様々だけど、それがないと大きなものを変えることはできない」
「うん」
「最終試験の内容は……俺たち復生体に勝利すること。勝利条件は〈ウィリアムの遺体〉の回収だ」
「……待ってよ、先生……」
フェロメリアの声が明らかに萎む。
「俺たちも本気でやる。復生体を退けることもできないなら、次代を切り開くことはできないからね。でも、俺たちを退けることができたのなら、フェロメリアは次代の英雄として、大切な強さを手に入れられる」
意図せず手にした悪名。
復生体の撃破は、きっと世界に称賛され、尊敬される。
「彼に遭うことができたら、その事を彼にも教えて上げて、君に彼の声が聞こえるなら、きっと君の声も彼に届いてる。協力してくれるはずだよ」
「……先生?」
フェロメリアのその一言は、ついさっきまでと全くと言っていいほど違っていた。いくら揺らごうとも、それに負けないようにと、俺はこの五年間で教えてきたのだ。
「なんだい?」
俺は生徒の成長を慈しむように、最大限の優しさを込めて返事をする。
「わたしは……この首輪が意味する歪んだ価値観が、あの時までわからなかった。人では決して引きちぎれない、鉄の首輪。文明にとって不可欠だけど、ときに金属は、人を酷く縛って押さえつけてしまう。それに抗うために、私は金属を操る神能者になったんだと思う」
「……ああ。そうだね……」
「先生、また逢えるよね?」
「うん」
次逢う時が決戦のときであることは、おそらくフェロメリアにもわかってる。
きっと訊いたのは、その次。
「言っただろう。最終試験を乗り越えることができたら、俺たちは君に協力する。そのためにはもう一度逢わないとね」
「わかった」
フェロメリアは泣いていた。本来はっきりとした双眸は歪み、感情の証が頬を伝った。
俺はどうだろう。覚えていない。
しばらくして俺たちは顔を上げた。
「そうだ。彼に名前を付けてあげないとね」
フェロメリアに、俺は笑って提案する。
「そうだね。奴隷だった頃には名前なんてなかったからさ。わたしも、彼、としか呼んだことないや」
二人して、頭を捻る。
「……なら、ヴァシリオスってのはどうかな?」
それは、〈王〉を意味する名前だった。
名付けるのなら、このくらい思い切った名前がいいだろう。
奴隷だったのだ。その正反対の地位の名前を付けるくらいがいい。
俺が〈解放〉という意味の名を、ウィリアムからもらったように。
「いいね! それにするよ! ……うん。彼も喜んでる」
フェロメリアは首輪に耳を澄ませ、最後にそう呟いた。
あまりにも暖かな、決戦の約束。
フェロメリアはその後、生涯ヴァシリウスに嵌められていた首輪の記憶と、新発見された金属をもとに、彼をこの世界に顕現させた。
その戦いの結果は、復生体の敗北であり、ルーンディア王国建国の幕開けでもあった。
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