第20話 灰燼に触れる。
二年ほど経って、メルサが妊娠した。
二人の仕事の関係もあり、タイミングが合わないこともあったが、そんなことどうでもいい。
なかなかできないことを気にしていたメルサも笑顔になった。
名前を決めようと、二人してはしゃいだのを覚えている。
でもさ、きっと最後に決めたはずの自分の子供の名前を、この俺は記憶していないんだ。
数カ月後、メルサの元気がなくなった。ウィリアムに聞いたら、妊娠中の女性は心が弱くなってしまうようだ。不安になってしまうのだろうと。
俺はできるかぎりメルサの側にいることにした。
一年前よりも伸びた赤い髪に触れると鬱陶しがられた。おかしい、前までは喜んでくれたのに。
しゅんとしていたら、逆に頭を撫でられた。
これでは立場が逆だ。
大きくなるお腹に感激する毎日だった。
触れるとしっかりとした反動が帰ってきて、メルサに痛くないのと聞くと、ちょっとって、少し困り顔で彼女は微笑んだ。
もう少しで子供が生まれる、そんなある日。
ヴェント村が襲撃された。
ヴェント村が属する領地を狙った、隣国の策略だと知ったのはずっと後の事だ。
もう名前も覚えちゃいない隣国は、その襲撃に神能者を使った。
その日、俺は亜竜の討伐に遠くへ出払っていた。
ウィリアムからの手紙で急いで戻った。不安で吐き気を感じたのを覚えている。
村は瓦礫の山となっていた。その一部の瓦礫が燻っている。
俺は、何も考えないように、生存者を探した。
死体をいくつも見てしまった。
最初にフォルニスの頭を見つけた。
ランティノヴァの遺体が転がっていた。
メルサは焼け焦げていた。辛うじて燃え残った一部の赤い髪と、膨らんだお腹で彼女だとわかった。
その時のことはよく思い出せない。
喉が張り裂けそうなほど傷んだのは思い出せる。
夢から覚めるために、ウィリアムを探した。
ウィリアムなら、この悪夢から目を覚まさせてくれると思った。
それで起きたら、メルサが横に居るのだ。おはようって言ってくれる。そうしたら、いの一番に愛していると伝えよう。
そう心に決めて、俺はウィリアムを探した。
ウィリアムはいた。
俺は駆け寄ってその右手を掴んだ。
左腕が吹き飛び、左目も焼け潰れた状態で、ウィリアムは意識を失っていた。
その姿を見て、もう夢は覚めないのだと、気づいてしまった。
叫んでいたと思う。喉が切れて血の味がしたから。でも何も聞こえはしなかった。
ふと、ウィリアムの体制が気になった。うつ伏せで不自然に体を丸めている。
それと同時に手当をしなければと思い至った。
ウィリアムを仰向けに寝かすと、その下には子供がいた。
ああ、その子がレーミアだ。
瓦礫の山から二人分の治療道具と毛布を探し出し、使えるものを二人の元へと運ぶ。
途中、焦げた死体を何十体と見た。見た瞬間に視線から外した。何も見たくはなかった。
ちゃんと見れば、村の誰なのかわかったのかもしれない。
耐えきれず嘔吐して、比較的清潔な包帯と毛布をだめにしてしまった。
手で一生懸命拭う様は、傍から見れば滑稽だったことだろう。
しばらくして諦めて、新しいものを瓦礫の山から引っ張り出した。
二人の元へ運び終わった時、俺の動きは止まってしまった。
二人の治療をしなければいけないのに。
これではだめだと、泣きながら。
緩慢な動作で体を動かした。
二人の服を脱がして傷口の確認をした。涙でよく見えず、目を乱暴に擦って目が痛くなった。
泣きながら包帯を巻いた。
ウィリアムの方は火傷が酷かった。それが不幸中の幸いとなり、失血死に至らなかったようだ。
レーミアは軽傷だった。少し頭のあたりが切れているだけだ。ウィリアムのおかげだろう。
二人の介抱をし終えてしばらくの間、俺は側で見守っているだけだった。
今更になって、後悔の念が押し寄せてきたからだ。
間に合わなかった。もっと早く着いていれば。いや、そもそも離れるべきでは。
もう一度あの笑顔を見たかった。
俺は最愛の人の元へと向かった。
その人はその場から動くことなく、俺を待っていてくれた。
顔の判別もつかない遺体の頬にそっと触れた、炭化した一部が崩れた。できるだけ拾った。無くしてはいけないものだから。
それらを握りしめて、空いた左手で、遺体のお腹にそっと触れた。
あぁだめだ。
「ごめん!……守れなくて! ごめんなさい!」
二人を抱きしめたかった。でも、そうしたら崩れてしまう。
抱きしめたいのに、抱きしめられない。子供のような癇癪を起こして俺は泣いた。
どれくらいそうしていただろう。
冷たい雪が、俺たち家族を包み込み始めていた。
このまま。
その意識は途中で現実へと浮上した。
ウィリアムとレーミアがいる。
寒い思いはさせたくない。
二人と一緒にはいられない。メルサにキスをして、はたと思い出して、来ていたコートを二人へとかけた。
この二人にだって、寒い思いはさせたくなかったから。
唇が炭で汚れたが、拭う気にはなれなかった。
乗ってきていた馬の背にレーミアとウィリアムを乗せて、俺は近くの村まで歩いた。
壊れた村。焼けた村。潰れた村。四度目に無事な村を見つけ、俺たちはそこにしばらく滞在することにした。
宿を借りて二人を運ぶと、ベッドの中でレーミアが目を覚ました。
「よかった。どこか痛いところはない?」
俺は努めてゆっくりした口調でそう尋ねた。
「おかあさんと、おとうさんは?」
部屋の周りをきょろきょろと見渡し始めた。そして頭が傷んだのだろう、レーミアは小さな手で額を押さえた。
俺はレーミアの頭を小さい手の上から包んだ。
「それは……お父さんの方は、わからない。……きっと無事だよ」
「えっ……?」
ずるい言い方をした。俺にはそう言うことしかできなかった。俺には、真摯に現実を伝える勇気がなかった。
「いや、いや。いや……いや! まま!」
レーミアが頭を強く抑えて蹲った。声は掠れ裏返っている。
「大丈夫だよ、大丈夫、大丈夫だ」何がだよ。どう大丈夫なんだ。
自分の声も掠れていた。
レーミアはおもむろにベッドから体を起こして駆け出した。
「どこいくの⁉︎」
もう四歳になる。走ることもできるだろう。
「まま!」
探しにいくつもりのようだ。
俺は目に涙を一杯に溜めながらレーミアを追いかけた。
「待って!」
すぐに追いついた。大人と子どもの足だ。
追いついて、レーミアを抱きしめた。レーミアはしばらく暴れていたが、やがて両腕で俺を抱きしめ返した。
レーミアも俺も二人で泣いた。
連続投稿2話目になります!
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