第2話 戦場へ
グレースと炭鉱で出会ってから十年後。ルーンディア王国北東部第一戦線。
「……塹壕ほりほり」
「頭おかしくなったの?」
「そりゃおかしくもなるよ? 石炭と鉄鉱石の次は雪と土を掘ってるんだから……」
グレースに冷たい視線を向けられ、精神保護のためにそちらを極力見ないようにしながら俺はぼやいた。
「真面目にやらないと、いざって時に機能するものが作れないよ」
「結果同じなら問題ないって」
「ヒヤリハットって知ってる?」
「何それ若者言葉? 知らない」
この雪をグレースにかけたらどんな反応するだろう、なんて考えながら雪を所定の場所へと積んでいく。
「ひとつの重大な事故は、いくつもの軽微な事故と事故未遂が重なってできてるってことよ」
「へー」聞き流しながらテキトーに作業を進める。こんなお小言でも、話し相手がいないよりも幾らか増しだ。
「第一、ここに逃げ込むのはリベルたち復生体なんだから、文字通り自分のためでしょ?」
「いくらでも増えるし、記憶もちゃんと保存してれば複製できるんだし、そこまで気にすることでもないよ」
「それ、なんか気に食わない」
「そう?」
グレースが何に機嫌を悪くしているのか検討が付かない……わけではなかったが、それを気にしても仕方ないと目の前の雪に集中する。
「風が、寒すぎ!」
どこからが吹いてきた風が体を芯から冷やす。それに二人で悲鳴を上げている間に、塹壕を掘り終わった。
「日も暮れてきたし、宿舎に戻ろう。てか、今日ずっと作業見てたよね? 暇だった?」
「違う。休暇だっただけ」
「そっかー。なんか付き合わせたみたいで悪いなぁ」
「死なないようにね」
グレースはその言葉だけを残して、先ほどから傍で浮遊させていた金属製の大きなキューブに腰を落とす。
何度か身じろぎをして姿勢を安定させると、そのまま空へと飛んでいってしまった。
王族が持つ金属を操る神能〈巨神の石〉の能力だ。
小さくなる背中をなんとなく見送って、俺も隷民用の宿舎へと帰る。
なぜ炭鉱で働いていた俺が、最前線のこの基地にいるのかというと。
数年ほど前、王国の隣国であるジェロン連邦との関係が悪化した。
そしてよくわからない内に戦争が始まり、徴兵制が復活した。
すると、それに反対する臣民の声が大きくなり、どうせなら隷民を従軍させれば良いとなった。
で、現在である。
王国全体の流れとしてはこんなもので、世知辛さに涙が出そうになる。
隷民だからといって、千年間も国の一部として働いていたのにこの仕打ちだ。
それでもひとつだけ、良かったことを挙げるのであれば。
あの日助けた少女が無事に成長した姿を見られたことか。
完全に爺さんだな。歳は取りたくないものだ。
再会は一週間前、屠殺される家畜のように車に押し込められて、なんの説明もないままこの基地に連れてこられた。
グレースの方から宿舎の俺の部屋に来て声をかけてくれたのだ。そしてなぜだか泣いていた。その時、グレースは俺にあるものを手渡した。赤いドッグタグだ。今でも胸の中心に金属の重みを感じる。
グレースが泣いていた理由はすぐにわかった。元の俺は死んだのだ。
死因はわからない。死の直前に〈遺体〉に触れて記憶を複製することなど物理的に不可能なのだから。
そう伝えたときのグレースの微妙な表情は、あまり思い出したくない。
兵舎へと帰った俺は、自分と同じ顔に挨拶をする。そうすると、同じ声で挨拶が帰ってくる。
見飽きた顔と半ば義務の世間話をして、夕飯を食べる。
夜になり、そう時間が経たないうちに消灯されて仕方なく眠りにつく。
なんとも味がしない生活だ。
掛け布団が一枚で、とんでもなく薄い。おまけにマットレスも薄いから底冷えが酷い。
過酷すぎるよ。
がたがたと肩を震わせながら、眠れ眠れと念じ続けた。
外に、何か生き物の気配がする。人か野生動物かはわからない。
ざっざっと、雪を踏み鳴らす足音は軽く。音の主の体重が重くはないことがわかる。
窓枠しかない窓から何かが放り込まれた。
ばふっと音がして床に広がったのは、赤い毛布だった。
「おお!」俺の口から歓喜の声が漏れる。
ウィル! 神様はいるよ!
千年前、俺たちのときに手を差し伸べてくれなかったのは、たまたまだったんだ!
赤い毛布にくるまって寝た。
この極寒が毛布一枚でどうにかなるはずもなく、寒いことに変わりはない。
けど、なぜだか暖かい気持ちになった。
まあ寒いけどさ。
翌朝、凍った鼻水の不快さで目覚める。はたから見れば大変愉快なことだろう。
直後意味もなく笑いがこみ上げる。そんなナイスなデイのモーニング。
情緒のヤバさもいつも通りだ。
頭がおかしくもなるよね。だってこんなに寒いんだもの!
・
「今日は寒いだけじゃ済まなかったな……」
復生体の血で汚れた自らの頬を、軍服の袖で雑に拭った。
傍らには銃弾のせいで原型を失っている死体。弔いのために閉じてやる瞼もすでにない。そもそも首から上が丸ごと消え失せていた。
ここは、最前線の塹壕の中。雪と土を掘ってできた窪みの中になんとか体を収めて銃弾の雨を掻い潜っている。
周りにいる死体は全員が同じ顔だ。年齢にはバラつきがあるが。あらゆる年代の自分の死に顔を見ていると、慣れているという強がりを言うことはできなかった。
物思いに耽っている場合ではない。
今なお敵国の陣地から銃声がなり響いている。この塹壕に俺たちが潜んでいたことはすでにバレているのだ。
塹壕の中どこに敵の兵士が潜んでいるのかわかったならどうするか、砲撃を満足するまで打ちこんでから戦車で乗り込み、前線を押し上げる。それが定番だ。
つまり——
目の前の雪がいきなり爆ぜた。火薬の香りがして思わず瞑ってしまった目を開ける、目の前には土がむき出しになった。円形の窪み。
「危なかった‥‥」
砲撃が開始されたのだ
一か八か、塹壕を飛び出るか。普通の銃弾なら避けることもできなくはない。でもそれは、どこから撃たれるのかわかっていればの話だ。ここは戦場、四方八方から銃撃を浴びて当たらずに移動などできるはずがない。
生き残る方法を迷っている時間はない。
考えて。
ため息を吐いた。
そうして思い浮かべたのは、チャコールグレーの髪をもつ美しい少女の顔だった。思い浮かべたグレースの顔は泣いていた。
「ごめん」
一言謝って、いやいやと頭を振る。
諦めては駄目だ。死なないでと言われたのだから。
銃を持つ手に力を込めた。
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