第18話 メルサはリベルを家に誘う。
手元の槍の穂先を見る。血脂に塗れ、刃先は曲がっていた。武器としてすでに機能はしていない。しかし今、交換する暇は無い。
問題はない。金属の塊というだけでも武器になる。そして、後ろにはフォルニスがいる。余計なことは考えずに槍で亜竜を穿つのに集中する。
十分経ったことを知ったのは、背後から突風を感じたからだった。
暗闇の中へ、白銀の尾が物凄い速さで向かっていく。それはぎりぎり目に終える速さで、暗闇に溶けた瞬間に俺の視界からは外れてしまった。
ノヴァだ。間に合った。
すでに握っていた剣は折れ曲がり、その刃は薄皮一枚切れないほど潰れていた。
切れなくなったことに気づいてからは、亜竜の頭蓋を割る鈍器として使っていた。武器には亜竜のわけのわからない体液がへばり付き、手袋越しでも触れたくないほどに汚い。
亜竜の絞め殺されるような断末魔が、そこかしこで聞こえる。ランティノヴァが猛威を奮っているようだ。彼女は獣化すると気分がとても高揚すると言っていた。おかげで、こっちに来る亜竜の数が減った。
幾度の打撃を繰り返して、痺れ、疲労した両腕をだらりと垂らして休める。
突然、空が光った。
光の柱が、亜竜たちへと降り注いでいる。昼間の日光を何十倍にも凝縮したかのような光線が、亜流たちを焼き払い、貫く。
俺は、俺たちはそれが何かを知っていた。この現象を起こした者のことも含めて。
光線が消え、もとの暗闇に戻る。光で眩んだ目で空を見上げた。
「おーい! 大丈夫ー?」
ウィリアムの声が上から聞こえた。思わず笑ってしまう。
結局助けられてしまった。
ウィリアムが言っていた。この世には特殊な能力を持つ者がいると。それはウィリアム自身のことも指す。仲間たちの誰よりも神秘的で、神と見紛う特殊な能力を持つ彼らを、誰かがこう表した。
——神能者と。
「大丈夫だよ!」
「そうか! よかった!」
「話しにくいから、降りてきてくれー」
大声を出したつもりだったが、自分の声は掠れていた。
「めずらしいじゃないか。祈祷は?」
「君が出発してから神に十分祈った、しばらくは大丈夫だよ」
ウィリアムは、神に祈ることで、それに応じた神能を賜わう。先程の光線もその結果だ。
しかし、その祈祷による神能の充填は長く、基本的に、ウィリアムはあの村から離れて使徒の仕事をすることはできない。
「メルサが群れの主の討伐に向かってる。空から見えた?」
「いや。夜目は聞かないからね。怪しいのは村の外、つまり森の中だろうけど……」
「むやみに光線を撃ったら、森が焼けるな」
「そういうこと、だからいつも通り頼むよ」
いつも通り、詰めはウィリアムではなく俺たちがやるのだ。
・
そこからそう時間をおかずに、メルサが任務完了を報告しに来た。
今は、はぐれ亜竜を処理しながらの帰り道だ。
すべてが終わったときだ。生き残った村の人達は申し訳無さそうにしていた。聞くと、お礼をしたくてもできないのが、残念でもどかしいのだと。
当たり前だ。村が崩壊したのだから。
家を失った人。家族を失った人。それぞれが大きなものを失った。
「気にしないでください」と俺が言うと、彼らは、一度散り散りになり、家の中に残っている僅かな食料、そして松明を袋に詰めて渡してくれた。
受け取れないと首を振る俺たちに、大丈夫ですからと、彼らは言った。
半ば強引に渡してきたのは村の若者だった。村の兵士に守られた娘夫婦だ。
その瞳は覚悟の火を灯していた。
喪失感、虚無感、悲しみ。いくつもの感情に邪魔されているのだろう。まだちいさな灯火。
しかし、いつの日にか。
そう思わせる瞳だった。
ヴェント村に来ますかと聞くと、村長がゆったりと首を振った。
伝書鳥を飛ばしたから、近くの駐在所から兵士が来てくれるそうだ。
亜竜に襲われる心配はほとんどない。奴らは自分たちが酷い目にあった土地には二度と近づかないからだ。
夜が明けたら犠牲者を弔うようだ。
手伝いをウィリアムが打診したが、これ以上迷惑はかけられませんと拒否された。
頑なだったが、それは村を復興するという覚悟の表れだろう。
今は、村人からもらった松明で夜の森を照らしながらの帰り道だ。
夜目が効くのがメルサとランティノヴァだけだから彼女たちが先導してくれている形だ。
なんかかっこいい。
ランティノヴァもメルサも、先程からかっこよく松明で周囲を照らしている。
口に出してもいいが、茶化すなと言われそうだからやめておいた。
「それにしても。神能っていつ見てもすごいな」
隣を歩くウィリアムに話かけると、彼は微笑んだ。
「それはそうだ。神様の力を借りているからね」
「祈るんだっけ?」
「そうだよ」
ウィリアムはさも当たり前のように言い切る。
俺はそれに苦笑した。
どこの世界に祈っただけで、あんな芸当ができる人間がいるのだ。
前にも同じ質問をして、同じように返されたことがある。なんども繰り返している様式美のようなやりとりだ。
わけがわからないというのが、率直な感想だ。
納得できるように、理解できるように考えれば、ウィリアムはそういう特異体質なのだろう。
長年一緒にいるが、ウィリアムのことはよくわからない。
笑うし、大したことないようなことにでも涙を見せるが、底が知れないのだ。
それでも、大好きな友人の一人。
それがわかればいい。
「まあいいか。ウィリアムがわけわかんないのは今に始まったことじゃないしな」
「いや、それはきみもだろう?」
笑って言うと、ウィリアムが真顔になった。
「どういうこと?」
「君もその馬鹿げた身体能力について聞くと、みんなが大好きだから、なんて言うじゃないか」
真顔だったのに、ウィリアムは途中から笑っていた。
いたずらで微妙な雰囲気にしようとして自滅したようだ。
「それはわかりやすいだろ」
「いやーどうだろうね?」
ウィリアムが曖昧な返事をして雑談は一度終わった。
俺は足を少し早めて、メルサの隣へと向かった。
「メルサ、今大丈夫?」
「何? 暇なの? 大丈夫だけど」
松明の光に照らされてメルサの顔が浮かび上がる。口を引き結んでいてどこか不機嫌そうだ。
そんな態度を見ても、俺は構わず話題を広げる。
いつものことだ。
「よく亜竜のボスを仕留められたね」
「たまたまよ。ウィリアムの光線で見えたの。一瞬でも居場所がわかれば矢で一発よ」
メルサは得意な様子だ。
「すごいな」
本当にすごい。
尊敬の念が湧き上がってくるのを感じる。
そうだ。俺の友達はすごいんだ。
そんな彼らの仲間でいられるのがとても誇らしい。
笑顔を見せると、メルサは一瞬深刻そうな顔を見せた。
見間違いだろうか。暗いから。
「今はわたしの話をしてるの」
「うん? どうしたの」
勘違いではなかったようだ。どうしたのだろうか。
「今、皆はすごいなぁって顔してた」
「そうかな? てか、そんなのわかるの?」
そんな顔してただろうか。ていうかどんな顔だ。
「やっぱりそうなんじゃん」
「えー」
どうやらカマをかけられたらしい。
しかし理解できない。
メルサがなぜこんなことを言ったのか。
今更か。メルサはここ数年、俺に対しておかしなことを言ってくることが多い。
「もう……」
メルサの溜息がやけに耳に残る。
何も言わなくなったのを見て、話は終わりかとそそくさとウィリアムの所へと戻ろうとした時だ。
「ねぇ」
「なんでしょう?」
思わず丁寧に返答してしまった。
「帰ったら、うち来てよ」
振り向きながら聞いたのはそんな言葉だった。俺に聞かせるためというよりも、独り言のようなものだった。
メルサにしては元気がない。そんな口調だ。
見れば足も止まっていた。メルサが先頭だから、自然俺たちの足も止まる。
メルサはキビキビとしている。悪く言えばせっかちだ。こういったことにはなかなかならない。
暗い森だ。偶に動物の鳴き声がするが、後ろのフォルニスまで、きっとメルサの声は聞こえていただろう。そこまで距離も離れていないし。
だけど、皆何も言わずに動きを止めていた。普通なら、どうかしたのか? と聞くべきところだ。
何かを待っているのだ。
そう。メルサの次の言葉を。
そう思って俺はメルサを視界の中心に捉え直した。手を伸ばせは触れる距離だ。
違う。俺は勘違いをしている。
そう気づいたのは、メルサがこちらを見つめていたからだ。そもそも、メルサは言葉を発してから、ずっと俺の方を見ていた。なぜ意識の外に追いやってしまったのか。
待っているのだ。俺の返答を、メルサ含めて俺以外の全員が。
見ると、フォルニスは兜の面をいつの間にか上げていて、ウィリアムは神妙そうな表情の後ニマニマと奇妙な笑みを浮かべている。
再び向き直る。
松明に照らされるメルサの顔は真剣そのもので、でも不安そうでもあった。
あぁ、これは。
俺は馬鹿ではないと思っていた。でも、きっとメルサからしてみれば大馬鹿者だったに違いない。きっと他の皆からもそうだ。
メルサの瞳が潤んできた。
まずい。そう思ったときには言っていた。
「わかった……」
短い返答だった。そっけなかったかもしれない。
顔を見ればわかる。メルサは勇気を出していた。
次回の更新は8/8の午後22時5分頃を予定しています!
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