第14話 メルサはリベルを愛している。
「ここにいれば大丈夫だから。ね?」
メルサは自分ができる限界まで優しい声音で目の前の男の子に声をかけた。
「うぅ……」
それでも男の子は目に腕を押し当てて泣いている。
無理もない。この子の両親は亜竜に食い殺されてしまったのだから。
メルサたちが来た時には、村は亜竜たちに襲われていた。村のそこかしこに食い荒らされた死体があった。
警戒しつつ村を見回っているときに、上半身が丸ごと無くなっている死体に縋りつくこの子を見つけた。
外は危ないからと、死体の側を離れないこの子を引き剥がすのは心が痛んだ。
亜竜の鋭い嗅覚を誤魔化すためのニオイ消しを自分と男の子に振りかけた。
今は家屋の中に入り、窓から外の様子を伺っている最中だ。
ランティノヴァとフォルニスはどうだろうか。
もし同じ状況だとしたら、自分よりも上手くやるだろう。少なくともメルサよりも子供の相手をすることは得意なはずだ。
正義感に駆られたのは失敗だった。せめて避難誘導だけでもと思ったが、すでに亜竜に襲われた後では意味がない。生き残った人たちを連れてヴェント村まで行くことに、目的はすでに変わっていた。
が、それも困難ことに変わりはない。
メルサたちも武器を持ってはいるし、それなりに成熟した弓の腕もある。しかし、亜竜を完封できるかというとそうではない。人の腕力で引ける程度の弓では、亜竜相手に対した威力にはならないのだ。討伐方法は至って単純、大勢で囲って矢や槍で攻撃することだ。
槍と弓はあっても人数がいないメルサたちではその正攻法も使えない。
自然と黒髪の友人の顔を思い浮かべる。
思い浮かべたそいつが勝手に微笑む。メルサはそれに腹が立った。
あいつの帰還を待つべきだった。今回ばかりはそう思わずにいられない。
はっとして、窓から見える遺体を、男の子から見えないように自分の体で遮る。
男の子は嗚咽を漏らしながら俯いていて、それに気づいた様子はない。
胸を撫で下ろした。
メルサは男の子に歩み寄ると、窓の方を見ないように俯かせたまま、抱きしめた。
両手で包み込んだ男の子の背中は震えていた。
掛ける言葉が見つからない。
だから、メルサが親を失った時、かつての神父様にかけてもらった言葉をそのまま言った。
「大丈夫よ、神様は見てる。その気持ちも必ず拾い上げて救ってくださるわ」
「……うん」
男の子が嗚咽混じりの返事をなんとか言った後も、メルサは抱きしめ続けた。
そうだ。神様はいる。人類すべてに平等で、あらゆる厄災から人々を助けてくれる。
だから、きっとこの子もいつか救われる。
ただ神様の仕事は多すぎるから、たまにその御手が触れる前に死んでしまう人もいる。
神様が救うその前に、時間稼ぎをすることが、メルサたちが自らに課した役割だ。
そんなメルサたちを、世間では傭兵とか冒険者とか、神の使いという意味を込めて——使徒と呼んでいた。
グルルー!と、地鳴りのような鳴き声が聞こえてきた。亜竜の鳴き声だ。鳴き声自体は随分と遠くからのはずなのに、屋内にまでその迫力が響いてくる。
この種の亜竜には習性がある。その一つに群れを形成するという点がある。しかし、この群れのボスの基準は力が強いことではない。その群れで一番警戒心が強い個体がボスになる。特殊な器官を使って周囲の獲物や外敵を探すことができるその種の中で、一際索敵能力に秀でた個体が群れを牽引する。
そして群れのボスは鳴き声を用いて群れに司令を送る。
今の鳴き声はきっとそれだろう。
グルル!とまた別の場所で亜竜が吠えた。しばらくして、窓から疾走する一頭の亜竜が見えた。
群れのボスは下位のモノに、なんと司令を飛ばしたのだろうか。
亜竜の生態に詳しいウィリアムならわかるかもしれないが、メルサでは簡単な思いつきしか浮かばなかった。
おそらく何かしら驚異となる存在が、村の外に現れたのだ。
しかし、亜竜の天敵となる存在は極端に少ない。それは別の亜竜であったり、まれに竜そのものであったりするが、どれもこの場合ではしっくりこない。
亜竜たちも馬鹿ではなく、どの種であっても人間とはかけ離れた索敵能力を誇る。
そんな亜竜が、亜竜の群れがいるこの村に近づくだろうか。
ボスに返答した鳴き声は一頭のみ。警戒心の高さが基準となる亜竜のボスの視点で見れば、近づいてくる驚異は一頭だろう。
メルサは思考を巡らせ、男の子に確認してから身をそっと離した。
男の子は泣き止んでいて、メルサに真っ直ぐな目を向けてくれた。
メルサはその瞳に、誇らしさを感じつつも申し訳ないと思った。
自分に信頼を寄せてくれたこの子を守ることはメルサではできないのだ。ただの肉食獣ならいざしらず、亜竜と一人で戦って勝つことはおろか、この子を守り抜くこともできないだろう。
訓練を積んだメルサでもそうなのだから、なんの技術も持たない村人たちではさらに凄惨なことなる。
メルサたちがいち早くこの村に来たのは、その最悪な状況を回避するためだったが、それもすでに後の祭りだ。
メルサには、親を失った幼い子どもに見栄を張って、安心させてやることしかできない。
しかし、希望はある。
村から出る時にウィリアムにこの事を伝えておいたのだ。そしてそれは、きっとあの友人の耳にも入る。あの友人ならば来てくれる。
彼が竜の討伐で村を出ていった時期と計算して、ぎりぎり間に合うはずだ。
ならば、あのボスが察知したのは彼なのではないか。
そんな期待じみた予感をメルサは巡らせていた。
でも、ダメかもしれない。
ついさっき、ニオイ消しの効力がなくなった。人の体臭を誤魔化すための燻した花のような匂いがしなくなっていた。
この香りはメルサと男の子の生命線だった。
ここから逃げたとして、亜竜たちは追いかけてくるだろうか。
群れを太らせるにはより多くの食料が必要だ。見逃してくれると期待しない方が良い。
思えば、メルサたちは誘い込まれたのではないだろうか。
少しでも食料を増やすために、驚異ではないと判断してこの村へ入ることを許可されたのではないか。亜竜にそれほどの知能があるかはわからないが、群れのボスの察知能力であれば、メルサたちの接近に気づくことなど容易いだろう。
メルサは後ろで縛っていた長い髪を結び直した。
この子はわたしが守るのだ。
出会ったばかりの子供のために命をかけられることを誇らしく思った。
気づく。
即座に背中に掛けていた弓を取り、腰に付けた矢筒から矢を一本取り出して、いつもの動作で構え、扉の方へ矢先を向けた。
そこには大きな亜竜。扉の施錠など意に介さず、木製の扉を前足で雑に引き裂いて家の中へと顔を覗かせていた。唾液が木張りの床に垂れている。
目が合っている。じっと、こちらを凝視して様子を伺っている。
伺っているだけで、襲ってこないわけではないだろう。
ほら、丸太のように大きな尻尾が上がった。あれは攻撃を仕掛ける合図なのだと、ウィリアムに教えてもらった。
引き絞っていた弦を解放する。
矢は頭に命中し、亜竜が怯む。しかし、強靭な頭蓋骨で弾かれてしまいそれだけだ。
後ずさりした亜竜は轟く砲声のような鳴き声を空へと放った。
群れのボス以外が遠吠えをする場合には二つのパターンがある。一つ目はボスへの返事。二つ目は驚異の報告だ。
そしてこれは二つめ。来る。亜竜の群れが。
「離れないで!」
「……うん」後ろから男の子の不安そうな声が聞こえた。
すでに構えていた矢で、再び亜竜の頭部を捉える。ヒット。しかし、決定打にはならない。
メルサが放つ矢など、あの巨体と強靭な鱗からすれば驚かすことが精一杯だ。
この子を守るためにメルサが取れる方法は一つだ。助けが来るまでこの家の中に籠城するしかない。外に出ればどこに亜竜がいるかわからない以上、外に逃げることはできない。
現実的な線だと、ランティノヴァかフォルニスのどちらかが助けを呼んでくれていることを期待したいが。もしそれが無理なら——。
右手が何も掴むことができずに空を泳ぐ。矢がなかった。
入り口を取り囲む亜竜の数は三体になっていた。矢はすべて亜竜たちの頭に命中していて、突き刺さったままになっていたり、跳ね返されたりで地面に散らばっている。
窓から逃げるか。
だめだ。最初の一体が窓の外で待ち構えている。窓を開ければ矢を射って怯ませた隙に逃げられるかもしれないが、入り口の三体がその暇をくれない。
そしてすでに矢も尽きた。
今日は最悪な日だ。出回っている情報通りであったなら、今日は保険としてヴェント村へ避難させる手筈を整えるだけのはずだった。
ここまでの驚異がこの村に忍び寄っていたとは。
今のこの状況をどうしたらいい。
喉が渇く。緊張からか。いやそもそも長いこと水分を摂っていない。
問題は次の一瞬だ。
亜竜の一体が尾を高く上げた。全力で動くために尻尾を下げたときの反動を利用するのだ。
先ほどまでは、直前に矢を射ることで迎撃していたが——。
打開策がない。逃げることはできない。
しかし、受け止めて後ろの子供を守る強靭さもない。
もう——。
突然、亜竜の首と銀色の一閃が重なった。
その一閃を振るった青年が荒々しくメルサの前へと着地する。亜竜の首が、粘度のある体液の抵抗を残しながらズルリと落ちた。
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