第11話 レーミア
「それが君の名前なの?」
「うん。パパがつけてくれた」
「パパ、おヒゲふさふさなの」
少女の声がわずかに弾んだ。この状況でも様子が変わったの見ると、よほど大切な人なのだろう。
偶然か。
レーミア。
少女の名乗った名前は、遠い昔に育てた、友の忘れ形見と同じ名だった。
「名前を聞かれたら、この名前をちゃんと言うんだぞって」
レーミアの言葉の意味を頭の中で反芻する。
そんなのまるで、その名前が、名称以外の意味を持つと理解しているみたいではないか。
わからない。
俺の頭の回転が鈍っているのか。
しかし、これだけはわかった。
俺は今、何かが大きく動きだす只中にいる。そんな強い予感がした。
ひとまず、いい名前だねと言おうとして、俺の口は動きを止めた。
格子状の窓からの月明かりが、室内をかすかに照らした。雲に隠れていた月が顔を出したのだ。光は室内全体を照らすのにはた到底足りず、この部屋の中の一人の元へと向かっていく。
俺の目の前の少女の元へと。
遠くで雲が動く度に、光の束は少女のつま先を、膝のあたりを撫でるように照らしていく。
そして最後に、少女の相貌を闇の中から暴き出す。
紫色の髪と同じ、紫紺の瞳が、俺を見つめている。口元は引き結ばれており、不安そうな顔だ。紫紺の瞳を縁取るのは、ややつり上がった目尻。
瓜二つだった。記憶にある、あの子の顔と。
千年も前、俺と共に生きた友人のひとり、しかし志半ばで亡くなってしまった彼女の娘。
暗いからそう思うのか、昼であれば、もう少し明るければ、本当は似ていないのか。
年ごろは一二、三歳くらいだろうか。その頃のあの子と、この少女はよく似ている。全く同じに見えるとも言っていい。
いつの間にか空いてしまっていた口を閉じた。
「気絶させて、どうするの?」
「兵士の人たちに任せて、わたしたちの国に連れて帰る」
「どうして?」
「その後はわからない」
あの子と同じ声。同じ髪。同じ顔。
聞いているのは自分なのに、俺自身が上の空だ。
そうだ。雪だるま。あの子と作ろうって約束して、ちょうど雪が降ったから——作ったのだったか。よく覚えていない。でも、あの子の目尻が下がり、笑っていた記憶がある。
きっと作ったのだろう。
この地ほど寒くはなかった。雪があまり振らない土地で、珍しくて。
昔のこと過ぎて、受け継いだ記憶も欠けてきている。
あの子はシチューが好きだった。
そういえば、あの子と一緒に燻製を作っていたとき、好きな人がいると告げられた。燻製用の薪を床にばらまいたのを覚えている。
あれ。
もう千年も前なのか。
あの子は、結婚して、それから——。
「どうしたの?」
急にグレースの声が聞こえた。少し驚いて、振り向く。
「ん?」
「急に黙ったから——え、どうしたの?」
「どうって?」
頬のあたりに不快な感触がして、拭うと水滴が手の甲に付いた。
まいったな。俺はほんとうに。
「いや、あー……」
あわてて取り繕うとして、上手く口が回らない。
ヘンリクが口を真一文字に結んで、ため息を吐いた。
「そんなに似てるのか?」
その声色はやさしい。
「うん。まぁ、歳を取ると、ほら、涙腺がゆるくなるんだ。懐かしくて」
「リベル」
綺麗で優しい声だと思う。そんな声で自分の名を呼ばれて、本格的に泣きそうになるのを堪える。
グレースも最初にあったときは小さな女の子だったのだ。
今はこんなに魅力的な女性に成長している。
変わらないのは俺だけだ。
そんなことを、今、急に不安に思ってしまった。その不安の中身を一つ一つ取り出して分析することは、きっと今の俺にはできない。
「なんでもないよ」
そう言ってから、レーミアへと向き直る。
背後にいる二人は何も言わなかった。何も言わないでいてくれた。
「いろいろ教えてくれてありがとね」
微笑む。
「うん」
レーミアは無表情で、やっと終わったとばかりに膝の上に頭をこてんと乗せた。
その仕草ですらも、記憶の中にいるあの子と重なった。
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