第1話 リベル・ダ・ヴェント 炭鉱にて少女と出逢う。
俺の名前はリベル。ヴェント村出身だ。
千年前、俺は神能者と呼ばれる超常の力を持つ者たちと戦い、その尽くを滅ぼした。
例えばそれは、炎の神能者だったり、水を操る神能者だったり、雷を生み出す神能者だったり、様々だったが、結論を言うと、俺は負けた。
金属を操る神能者の手によって。
今は、そいつが建国した国で労働をして暮らしている。
いつからだって?
ああ、ざっと千年になる。
いつものように自分と同じ顔と会話をして、いつものように石炭や鉄鋼石を掘るのにはいい加減飽きた。そんなことを思っていた昼下がり、何やら騒がしい足音を聞きつけた。
そちらに歩いて行くと、道のくぼみに一人の女の子がいた。
年齢は十歳に満たないだろう。肩まで切りそろえられたチャコールグレーの髪は乱れており、毛先は地面へと流れていた。
地面で顔と髪が汚れることも気にせずに背中を丸めて肩を震わせている。
ほんの一瞬関わることを躊躇う。
少女の衣装に高級感があったからだ。白い絹のドレスの裾はほつれ、破れてはいるが高価であることがひと目見てわかった。
ここは隷民たちが働く炭鉱所。そんな所に高級ドレスを纏った少女が独りきり。
ここは何も見なかったことにして、退散するとしようか。
俺は、自分の人情の無さに辟易しながらも、元来た道を引き返そうとして動きを止めた。
「うぅ……。おか……さん」
ちゃんと聞き取れないほどの消え入りそうな声は、たしかに誰かを呼んでいた。
蹲っていた少女から嗚咽が聞こえたのだ。
ここは隷民たちが働く炭鉱所。そんな所に高級ドレスを纏った少女が独りきり。
状況は全く同じでも、見て見ぬふりをできる心はどこかへと消えた。
嗚咽はそれきり聞こえてこない。一生懸命に息を殺しているのだろうか。
なぜそんなことを、なんて疑問に持つのは愚か者の極みだ。
隠れているのだ。少女は後ろに居る俺の気配を感じ取り、気づかれないように必死に自身の気配を絶とうとしている。
怖がらせないように、最新の注意を払って牛歩の如き速度で近づき一声。
「ねえ?」
刹那、少女の肩が跳ねた。
パニックになった少女が立ち上がろうとして転ぶところまでを見届けて、その背中にそっと触れた。
何を言うべきか。
「お嬢ちゃん、こんな所でどうしたの?」
直感で言葉を発した口を閉じる。変におどけた口調になってしまった。
失敗した。
少女は固まったまま、反応がない。たっぷり数十秒ほど待って、「怪我、大丈夫? 痛いでしょ?」そう、わかりやすいように単語を区切って伝える。
「……うん。いたい……」
「そっか……可哀想に」
「……うん」
「足、歩けるかな?」
「いたい……」か細く、今にも消えそうなほどに尻すぼみな声だった。
「じゃあ、おんぶしてあげる」
「!……うん、うん」少女は何度も頷く。
綺麗なまんまるの青い瞳に涙をいっぱいに貯めた少女は、それを手で擦る。
背中を向けると、少女の体重を感じた。あまりにも軽いから力むと振り落としてしまいそうで、丁寧に立ち上がる。
出口へと向かう。
「君、名前は?」
「……」少女は口を閉ざした。俺はきっと何かを間違えたのだろう。
そう思って、慌てて「言わなくてもいいよ」と付け加えるのと、少女の声が重なった。
「グレース……わかる?」
それはこの国の王女の名前だった。
知っているに決まっている。それをグレースは、わかる? と訊いて来た。
グレースが一人きりでこんな場所にいた理由はわからないが、身を隠していた理由には察しが付いた。
ここで怖い思いをしたのだろう。
先程の足音は、グレースを追っている者たちのもののようだ。
「知らないな。初めまして、グレース」
「!……はじめまして。あなたのおなまえは?」
「名前か……リベルだよ」
「はじめまして、リベル。なんでたすけてくれたの?」
「困っている人を助けるのが生き甲斐だからね」
「うそ……」
「嘘じゃないよ、本当だよ」
「隷民たちは、危ないことをたくさんしたってきいたよ」
「それは本当だよ。気になる?」
そうからかい気味に言うと、グレースが背中で居心地が悪そうに動く。
あまり刺激してしまうと、背中から落ちてしまいそうだ。
「グレースはなんでこんなところに来たの?」
「それは……」
大方、視察に付いてきたとかのなのだろう。もしくは公務の練習の一環か。
「秘密……」
たっぷりの間を置いて、グレースは恐る恐るといった風にそう口にした。
「秘密か。ならそれ以上は聞けないな。レディの秘密は訊かないのが紳士だ」
そう言ってひょうきんな態度を取ると、グレースが背中でわずかに体を震わせて笑った。
「あなたは隷民でしょ?」
「おお。指摘が鋭いな……。手加減した方がいいかもしれない」
「へへっ」
小気味の良い笑い声がすぐ後ろから聞こえた。
楽しい。復生体以外とまともに話した記憶はすでに遠く。時期なんて覚えちゃいない。
人は社会性動物だと識者は言う。俺もそれには同意だ。
研究なんてしなくても、千年も記憶を引き継げば嫌でもそれを実感した。
「……うん」グレースが控えめな笑顔を見せた。
「そろそろ出口だよ」
グレースを背負って出口へと再度歩き出す。
あと一つ角を曲がれば炭鉱の出入り口だ。俺とは別の声がいくつか聞こえてきた。遠くからでもわかる程の焦燥感、男たちの声だ。
不思議に思いつつもそのまま進んでいると、ふいにグレースに呼び止められる。
足を止めた。
「ここで降ろして」
「足は大丈夫なの?」
「だいじょうぶ」
はっきりと言うグレースから憂いの感情が読み取れた。
きっとこの先にグレースが心配する何かがある。
おおよそ見当はつく。王女が帰ってこないとなれば、ルーンディア王国としては一大事だ。
出入り口の声は、騎士とかそのあたりのものだろう。
グレースのことは心配だが、ここはこの子の優しさに甘えるか。
「わかった。気をつけて。一応ここにいるから」
「うん。さよなら」
グレースを丁寧に降ろす。
「ここを曲がって、真っ直ぐ進めば出入り口だから、そこまで頑張って」
そう言って手を軽く降ると、グレースも振り返してくれた。
笑顔を笑顔で見送って、ふと湧き上がる悪戯心。
十分離れたところで、
「素敵な女王様になってね!」
「え⁉」
グレースは立ち止まって振り返るが、すでに曲がり角に差し掛かっていた。
「おい! あれグレース様じゃないか?」
「お前達、早く行くぞ。グレース様ぁー!」
早く行ってあげな。
目線で促すと、グレースは納得がいかない様子で曲がり角へと姿を消した。
退屈だった日常が、今日だけは鮮やかなものになった。その充実感を遠くから響く声で実感した。
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