1. プロローグ 始まりは婚約破棄の手紙と共に
「ユミル……大丈夫?」
ユミルと呼ばれた茶色の長髪の女性。その母親が心配そうに娘に視線を送る。
「ぁ……お母さん。うん……大丈夫」
そう、無理矢理の笑みを向けるユミル。今年で十九歳になる、村一番の美人と謳われている彼女の顔は、暗い。
「ユミル……無理しなくてもいいのよ? 皆分かっているから……」
「うん……」
そう、力なく返事すると再び視線を下に向けるユミル。
(お母さん、ごめん……)
そう心中で詫び……しかしどうにも笑顔を取り繕えない自分に嫌気が差す。
向けた視線の先――手に握られた二通の手紙。
それは幼馴染にして婚約者――否、婚約者だったアルバスと、自分達が住んでいるプロスペリタース国から齎された手紙だった。
「アルバス……」
泣き虫で、だけども人一倍正義感は強かった彼。いじめっ子相手に向かって行き、返り討ちに幾度も遭った。なのに、決して逃げようとはしなかった幼馴染。
力がいると一念発起し、槍術を習い、村一番の武芸の使い手となった。
そう……王都の武術大会に腕試しにいき、そこで腕を見込まれて徴兵され邪竜討伐に選抜されるくらいに。
『必ず、帰ってくる』
そう、手紙に書いてくれた。
「アルバス……」
しかし……帰ってきたのは彼ではなかった。代わりとして返って来たのは、またしても彼からの手紙。
『婚約を破棄させて欲しい』
そう、綴られた内容に……ユミルは目の前が真っ暗になった。
(どうして?)
『すまない。本当にごめん』
そう、最後に謝罪の言葉が添えられていた。
(仕方ない、んだろう……)
邪竜討伐で功績を立てた彼は、国から〝聖騎士〟の称号を賜った。貴族としての地位も得るだろう。そうなればこんな田舎ではなく、華やかな王都で優雅に暮らせる。ならば、こんな田舎娘との婚約より、煌びやかな王都に居を構えた方が遥かに幸せだろう。
そう、頭では理解できる。
しかし……心が、追いつかない。
(帰って来ると思ってたのに)
「アルバス……」
もう届かない、帰って来てくれない想い人の名を呟くと、ユミルの瞳から大粒の涙が溢れた。
ただ、婚約破棄されただけではない。それだけでも、胸が抉られるのに、もう一つの手紙と噂が止めを刺しに来る。
『ユミル=ポートレム殿。貴殿を邪竜討伐祝賀会に招待したい。ついては下記の日程に間に合うよう馬車を用意する為準備されたし』
はふ、と息を吐く。
(勝手に婚約破棄した挙句、王都の祝賀会に招待……一体どうしたいの?)
ユミルには、アルバスが何を考えているかが分からなかった。
しかし、この国――プロスペリタース国からの手紙とあれば拒否権等あるはずもない。ユミルはその招待状に書かれた迎えの馬車に乗る以外に選択肢など残されてはいなかった。
(田舎者の君と聖騎士になった自分とでは、もう立場が違う……とか言われるのかしら?)
暗い考え。自分でもよくないとは分かっている。しかし……それを裏付けるかのような噂がまことしやかに囁かれている。
(この国の王女にして〝聖女〟……サクラ様との婚約……)
曰く、幾度もの死線を乗り越えた〝聖女〟サクラ様と〝聖騎士〟アルバスとが結ばれ、互いに想いを確かめい、婚約するのだという噂。最初聞いた時噂だと軽く一蹴した。しかし――こうして手紙で婚約を破棄されたのを鑑みると……現実味を帯びて来る。
(私は、大人しく身を引くべきなの?)
そう、自分に問いかけるユミル。ぐるぐると思考と目の前の視界が回る。
否。最初から自分に選択肢は無い。向こうから別れを切り出している以上自分が縋りついたところでどうしようもない。
自分は……自分は……。
(私は……アルバスに、捨てられたんだ)
絶望が心を蝕んだ。
◇ ◇ ◇
「よしっと……」
王都までの迎えの馬車が来る前日の夜、ユミルは自室でバックに荷物を詰め込んでいた。
(着替え、紙にペン、路銀に保存食に水筒に、後念のための調理器具に……)
荷物の中を確かめ、一通り要りそうなものが全て用意出来たのを確認する。
「うん、用意万端」
そう言って一息吐き……最後に机の上に置いておいた小さな箱に目を向ける。
「………………一応、持っていこうか」
そっとその箱を手に取り、中を開ければ――そこには簡素な銀の指環。指環の内側に彫られているのは、自分とアルバスの名前。
(アルバス……)
婚約指輪――なのだと思う。少なくとも自分はそう解釈していた。王都での武術大会に参加し、そのまま徴兵されて邪竜討伐に出かけるとの連絡を受けた後、ひょっこり村までやってきたアルバスがこれを私にくれたのだ。
『必ず、生き残ってみせる』
張りつめ、どこか追い詰められた表情のアルバス。彼からそれを貰い受け、以来指環を身に着け教会でずっと祈り続けて来た。来る日も来る日も、彼の無事を信じて。
だけど。
(返すとか? 或いは売るとか……捨てるとか……)
掌に収まる小さな小箱。たったそれだけの、ちっぽけな存在。アルバスだって覚えているかどうか怪しい品。なのにそんなちっぽけな品をどうするかで悩む自分。
周りからは滑稽だと嗤われるだろうか?
(捨てた男のプレゼント一つに振り回される女……とか)
小さな村だ。同情してくれる人もいればクスクスと嗤う人もいる。アルバスの家族は、母親独りだけだったが……アルバスが徴兵されている間に亡くなり今はもう一人も残っていない。なので彼の家族と話す必要がないのがせめてもの救いだが……。
(結婚してくれる人……か。私もアルバスと同じ十九歳だけど……村じゃもうそんな人いそうにないし……余所の村の人に嫁ぐならいけるかな。いや……せっかく王都に行くんだし、もしかしたら割のいい住み込みのお仕事とかもあるかも。ならいっそ王都に引っ越すのも視野に入れて……)
婚約破棄という現実から、漠然とした将来についての不安が込み上げてくる。アルバスと婚約している間は、ただ彼の無事を信じ祈り続けていればよかった。しかし婚約破棄されたことで自身の将来は変わった。否変わってしまった。
(ずっと……待っていたんだけどな)
『待っていてくれ』。そう言って戦に出かけた彼。その言葉を信じて、ずっと待っていたのに。
(時間は人を変えるのね……)
そっとアルバスから渡された指環の入った小箱を閉じ、荷物の中に入れる。
(会って――何を話したらいいのかな?)
嘆息するユミル。そうして夜は更けていった。
そして――運命の朝を迎える。
◇ ◇ ◇
コンコンと家の扉をノックする音が響く。
「はーい」
来たか、と気合を入れ直して扉の前に立って深呼吸するユミル。朝食も早めに終え荷物の準備も前日にしておいた。後は王都に向かうのみとなった今日。迎えが来たのだなと家の扉を気合を入れて開ける、と。
「ぇ………………」
ドクリと、その人物を見て胸が高鳴る。
絹糸のような金の髪。全てを見通すような蒼の瞳。極めつけはまるで絵本に出て来る王子様の様に整った顔立ちの美青年。
「失礼致します。ユミル=ユミル=ポートレム様でお間違いないでしょうか?」
「ぁ……はい、そう……です……」
(すごい……カッコいい人……)
確認の言葉も何処か他人事の様に返事してしまう。
「私は今回ユミル様をお送りさせて頂く御者のレイっ……と申します。以降宜しくお願い致します」
(都会って……こんなカッコいい人がいるんだ)
顔を紅くして見惚れてしまう。こんなカッコいい人が御者なんて仕事をしているだなんて……と明後日の考えをしてしまう。
「あ……は、はい。よ、宜しくお願い致します」
ユミルがペコリと頭を下げれば、
「はい。宜しくお願いします」
ニッコリと〝レイ〟と名乗った青年は笑みを浮かべた。
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