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2度目の婚約を、あなたと

作者: 藤水みゆ

 美しいだけの人間だった。

 豪奢な銀色の髪に、翡翠色の瞳。

 美の女神の使いと言われても、反論もなく納得してしまうほどに整った容姿。

 周囲は私の容姿を愛していて、そばを囲む誰もが、あなたはそこにいるだけでよい、と言った。あなたは何も考えなくてよい、と。

 けれど、そんなわけがなかったのだ。

 だって私は一国の王女で、城下には貧困に喘ぐ民がいて。私はそれを知っていながら、何もせずに、ただ、王女として生きていた。

 だからきっと、あれは私に相応しい終わりだったのだと思う。

 悪でしかなかった私たち王族を滅ぼす革命のとき。

 私が最期に見た顔は、両親が無理矢理婚約を結んだ、見目の整った正義の騎士などではなく。

 正義の皮を被った裏切り者であったのは、ーーーきっと、私の業の結果なのだ。


*     


 マリアベル・オーリンズ。アンセルス王国の伯爵家の娘として生を受けた私は、つい最近誕生日を迎え、16歳になった。

 薄い茶色の髪に、同じ色の瞳。整ってはいるが、これといって特徴がない故に、印象にも残りにくい顔立ち。

 黙って座っているだけで絶賛された前世とはほとんど違う容姿だけれど、私は前世よりも良いと思っている。なぜなら、人と気軽に話せるからだ。

 美貌とは一種の暴力であると、私は思う。あまりに美しいものを見ると、人は言葉を失い、行動を止めてしまうのだ。さらには、ある者はその美しさに忌避を覚えて身を離し、またある者はその美しさに渇望し心を狂わせる。


 私は前世でそのどちらもを経験しており、そのどちらにも碌でもない思い出がある。だから、今世の容姿のような、整っているけれど目立たない程度の容姿が一番良いと気に入っているのだ。人に過剰な好意も畏怖も抱かれないこの容姿が、生きていく上で一番ちょうどよいのだろうから、と。


 それなりの歴史と富を持つ伯爵家に生まれたことで身分も高く、優しい両親と可愛い弟、優秀な使用人に囲まれている今世は、外から見ても随分と幸福な分類であろう。

 私自身、この身上関係に文句はない。そう、身上関係に『は』ないのだ。


 では、何に文句があるのかといえば、ーーー端的に述べると、時代と国に対して、である。


 ここ、アンセルス王国は、11年前に革命が起こり、当時の国王、王妃及び王女という、いわゆる「前王家」と呼ばれる王族が滅んだ。私、マリアベルが5歳の頃の話である。


 マリアベルは、生まれた時から身体が非常に弱く、何度も何度も命の危機に陥っていたらしい。伯爵家という、貴族の中でもそれなりに裕福な家に生まれたおかげで、平均より随分と高いレベルの治療を受けていたはずなのに、だ。

 前王家が滅んだその日、マリアベルは過去最悪の状態であった。両親は娘の死を覚悟し、3歳年下の弟は泣きじゃくっていたらしい。とうとう心臓の動きも呼吸も止まり、医師がご臨終だ、と伝えようとしたその時、マリアベルの心臓がドクリと鼓動した。


 奇跡の復活に、屋敷中の者が歓喜に沸き、医師は過去に例がないと驚愕した。


 けれど、多分それは、奇跡の復活などではなかった。ある意味では、奇跡と呼んで相応しいものではあったとはいえ。

 きっと、その時、5歳までのマリアベルは確かに亡くなったのだと思う。そしてそれはちょうど、前王家の王女が亡くなった時間と同じであった。


 私がマリアベルになったのは、憑依なのか生まれ変わりなのか、それはよく分からない。そもそも、考えたところで正解が分かるものでもないはずだ。 だから、私はこれ以上のことは考えないようにしている。

 私が望むのは、マリアベルとしての生を、今度こそ命の限り生きられるようにしたい、ということ。

 そんな、簡単で難しいことを、ただただ望み続けている。



「お見合い、ですか?」

「ええ。もちろん、マリアベルが遠慮したいと言うならお断りするけれど」


 どうかしら、と首を傾げるお母様に、私は停止していた思考を回し始める。


 婚約の話が出たのはこれが初めてというわけではない。歴史は長く、財政状況も悪くない伯爵家の娘だ。黙っていても縁談は持ち込まれてくる。

 何度か申し込んできた家の子息と会ったこともあるけれど、……その全てを断ってきたから、今に至るまで婚約者がいない状態が続いている。

 両親は、ことごとく断る私に理由を問いただしたことは一度もなく、また、両親から婚約者候補を紹介されたこともない。

 だから、こうやって母から提案されたことは意外だった。とはいえ、理由を聞いたら、なるほどと思ったけれど。


「あんなに必死に頼まれたら、断り難くてね。せめてマリアベルに聞いて欲しいと、カトリーナに言われたのよ」


 困ったように笑って言われた言葉に、そうですか、と返す。


 カトリーナ。お母様がそう呼ぶのは、ヴェンツェル公爵夫人の名前である。

 夫人は侯爵家の出であり、母の生家と縁が深かったらしく、2人は幼少期から親しかったらしい。

 今でも度々お茶をする仲であり、ーーー今回の話は、そのお茶会でお願いされたようだ。


 それにしても、夫人も相当切羽詰まっているらしい。お母様にまで話を持ってくるということは、そういうことだろう。

 ヴェンツェル公爵家の御子息といえば、社交界でも有名な存在であり、もちろん私も知っている。

 別に、悪い意味で有名なわけではない。むしろ、良い噂ばかり聞くような人物だ。そんな人であればすぐに婚約者が出来そうなものだが、ーーー事実、婚約の申し出は大量にあったそうだーーー彼には婚約者がいない。

 その理由として囁かれているものは、大抵が信用ならないものであるけれど、1つ、もっともらしいものがある。私も、多分、これは本当だと思う。

 お見合いの最中、必ず彼は質問をするらしい。

 質問内容は毎回違うようだ。それでも、彼は毎回、見合い相手の令嬢に質問をする。そして、それに答えたところでお見合いは終了し、後日、お断りの手紙が送られてくるそうだ。


 そこまで考えたところで、お母様に目を向ける。

 ……彼の婚約者に自ら立候補した御令嬢さえ断られ続けているのだ。私が断られないはずがないだろう。


「お話しするだけでよければ、構いません」


 頷いたのは、断られると高を括っていたからか。

 母が困った顔をしていたからか。

 夫人から話があったことを意外に思ったからか。

 理由は分からない。

 分からない、けれど。

 最後の理由が答えだと、心が囁いた気がした。



 美しく整えられた庭園。

 爵位に相応しく立派な邸宅。

 案内の者に従うがまま歩く私の脳裏には、先ほどの光景が映し出される。


 お母様を通して挨拶くらいはしたことがあったけれど、私自身はあまり関わりのなかったカトリーナ公爵夫人。馬車を降りてすぐに手を取られ、今回の話を了承したことへの感謝と、息子が見合いを断っても変人の言うことだと思ってどうか気にしないでくれ、と言われた。


 お母様から話を聞いた時も思ったけれど、随分と夫人は気を揉んでいるようだ。私は勢いに飲まれるように頷くとともに夫人を少し気の毒に思ったが……同時に、記憶の中の夫人の姿とは全く異なる姿に、どうしても違和感を拭えなかった。


 けれど、それについてどうこう言うことはしない。あの時とは時が違い、お互いの立場も違う。だから、夫人の態度が違うのも当然であって、『マリアベル』としての私にとっては、いま目の前の夫人こそが、本物であるのだ。


 ーーーそう考えているうちにも、どうやら目的地に着いたらしい。

 案内してくれた侍従から声をかけられ、私は足を止める。少し離れたところで誰かが立ち上がる音が聞こえて、同時に小さく震え始めた自分の手に、内心苦笑した。


「レイラス・ヴェンツェルだ。今日はわざわざ足を運んでいただき、感謝する」


 耳触りの良い低音。あの頃よりも低くなった声に、時の経過を感じる。


「マリアベル・オーリンズと申します。本日は、お招きいただきありがとうございます」


 身に染み付いた礼をとる。もっとも、彼の前でこうするのは初めてだけれど。


「どうか顔を上げて欲しい。……今日はよろしく頼む」


 彼の言葉に、ゆっくりと顔を上げる。かけられた言葉と、目の前に立つ彼の姿に、私は揺らぎそうになる心を無理やり押さえつけた。

 浮かべた笑みが、発した声が、どうかいつもどおりでありますように、と願う。


「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」


 そこにいた男のことを、かつての私は婚約者と呼んだ。



 彼とのお見合いは、特に変わったところもなく、順調に進んでいった。

 趣味や興味のあること、普段の生活など、当たり障りのない会話を重ねていく。


 剣の鍛錬は趣味のようなものであること。

 他国の武器に興味があること。

 近衛騎士として、王宮にいることが多いこと。


 初めて知る内容に頷く裏で、お見合い相手にさえ話すような、そんな内容でさえ知らなかった過去の自分に、あの時の私たちは文字通り「表面上の関係」だったのだろうと実感する。


 物語のような、心を通わせ合って結んだ婚約でなければ、そもそも、独裁者であった父から命じられて結んだ関係である。きっとお互いに、知らないことだらけだったのだろう。知ろうとしなかったのか、知りたくなかったのか、今となってはもう、それさえ分からないけれど。


 一旦話が落ち着いたのを感じ取って、お互いに喉を潤す。丁寧に淹れられたお茶の香りに、小さく息を吐く。

 ゆっくりと茶器を元に戻したところで、彼が「よければ」と声をかけてきた。

 顔を上げると、碧色の瞳とぶつかる。


「1つ、聞いてもいいだろうか」


 きたか、と思った。

 彼がお見合い相手に必ずするという質問。

 一体何が聞かれるのか、と思わず身構えて待つと、


「王族は、特別だと思うか?」

「……はい?」


 急に何を言い出すんだこの人は、と思った。咄嗟に意味を捉えかねて、目を瞬かせる。

 けれど、私が何かを答える前に「ああ、というより正確に言うと、」と前置きして、問いを変えた。


「王侯貴族は、特別だと思うか?」


 ……いや、あまり変わってないような。

 そう思いつつも、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳に、どうやら今回は言い直さないようだと理解する。


 それなら、……さてどう答えようか、と考える。

 答えを考えるにあたって、まず、彼はこの質問に対して一体どんな答えを求めているのだろうか、という疑問が生じる。いや、というよりそもそも、どんな意図で問いかけているのだろうか。それが分からないと、答えるにも答えられないのだけれど。


「……答える前に、私の方からもご質問を。この問いは、近衛騎士団長としての問いでしょうか。それとも、レイラス様ご自身の問いでしょうか?」

「俺個人の問いだ。あなたが何を答えたとしても、誰かに伝えることはしないし、俺以外の人に伝わることはない。だから忌憚のない意見が欲しいと思う」


 すぐに返ってきた言葉に、少し考える。

 誰に伝えることもない、個人的な問い、か。確かに、彼が質問した内容が令嬢たちから出回ることはあれど、その答えは令嬢自身が口にしたもの以外は出回ってない。


 ならば、率直な意見を言ってもいいかもしれない。こんな機会などもうないのであろうし、そうすれば、こうして一対一で話すことも二度とないのかもしれないのだから。


「特別だと思いますよ」


 するりと出た答えに、彼は表情を変えないままに口を開く。


「なぜ?」

「なぜ、と問われましても……」


 宙に一瞬視線を向けて、すぐに元の位置に戻す。


「数が最も多い平民を普通だとみなすならば、王侯貴族は特別でしょう。数も富も責任も、平民とは比べようもありません」

「数と富は分かるが、責任とは何を指している?領民を守るということか?」


 問いが続くことは予想していたため、今度は間を置くことなく続ける。


「ええ、そうです。私たち王侯貴族は、自らの民を守らねばなりません。民を生かし、地を活かしていかなければなりません。それが領主の責任、つまり、私たちの責任となります。見たこともない者にさえ、いいえ、むしろ見たことのない者のために一生を費やす存在、それが王侯貴族でありましょう?


 けれど、平民は違います。平民には、そんな責任はない。

 たとえ見知った隣家の家族が飢えて死んだとしても、たとえ彼らが飢えていることを知っていたとしても、たとえ全て知りながら見殺しにしたとしても。『お前のせいだ』と罪に問われることはありません。

 私たち貴族がそれをすれば無責任だと糾弾され、平民の彼らがそれをすれば『仕方のないこと』と赦されるのでしょう。私たちは、顔を見たことすらないのに。


 そんな隣の家族1つ守れない、守らない存在から、何千、何万もの民を守れと要求される。

 彼らは言います、『貴族ならできるだろう』と。『お前たちがやれ』と。平然とした顔で、当然のことのように言い放ってくる。


 ですが、おかしいとは思いませんか?どうして、自分たちができるわけがないと言うそれを、貴族なら当然にできると思うのでしょう。

 おかしいと思いませんか?繁栄している時は良くて称賛を口にするだけで、あとは享受するだけなのに、衰退していく時は役立たずだと、お前のせいだと、私たちを滅ぼすために武器を手にして行動する。どうして、支えようとはしてくれないのでしょう。

 おかしいとは思いませんか?貴族だからと、全てを兼ね備えているのが当然だと言うのですよ。お前たちは自分たちを人間だと思っていない、とはよく言ったものです。自分たちとは違う生き物だから、と全てを求めてくる彼らを、同じ立場の生き物だと思えるわけがない。それの何が間違いだと言うのでしょう?

 ……私たちを同じ生き物にさせないのは、自分たちのくせに」


 最後まで言い切って、にこりと微笑む。

 淡々とした声の調子とは反するような内容に、彼がどう思ったのかは分からない。けれど、誰もが賞賛する美しい碧は私を真っ直ぐ見つめたままで、そこに軽蔑の色は見当たらなかった。


 しばらくの間彼は私を見つめた後、


「……あなたは、平民が嫌いか?」


 嫌い、か。嫌い、きらい、キライ。どうだろうか。人からそう問われたことは初めてだが、どうかと問われれば、それは。


「嫌いですね」


 そうか、と頷こうとする彼を遮って続ける。


「けれど、守ります。守り抜いてみせます。なぜなら、私は貴族なのですから」


 どの口が、と前世の私を知る人からは言われるのだろう。だが、それも当然だ。かつて王族だった私たちの行動は、むしろ真逆のものばかりであったのだから。


「ーーーあなたにお願いがある」

「はい」


 ねえ、かつて婚約者だったあなた。

 国中の人間から、正義の騎士と言われるあなた。

 賢王の片腕と呼ばれるあなた。

 あなたはきっと、私の考えなんて理解できなーーー


「俺と婚約してくれないか」

「…………え?」


 耳がおかしくなったのだろうか。今、とてつもなく変な言葉が聞こえたのだけれど。


「今、何とおっしゃいました?」

「俺と婚約してくれないか」


 やっぱり同じ言葉が聞こえる。

 一応、耳がおかしくなったわけではなさそうだ。

 いや、まあ、こんな急におかしくなるわけないのは分かっていた。ただ、あまりに意味不明過ぎたことで、脳が受け付けたくないと言っていたのだ。


「……お疲れですか?」

「急になんだ」


 怪訝そうに言われ、それもそうかと聞き方を変える。


「……頭大丈夫ですか?」

「割と失礼だな」


 ごもっともな返答である。

 もっと他に何か別の言い方はないだろうかと考えて、


「……頭おかしいんじゃありません?」

「遠慮をなくせとは言ってないが?」


 この人ってこんなに打てば返るような人だっただろうか。内心首を傾げるが、いくら記憶を探ったところで、どうせ大した思い出があるわけでもない。

 なぜなら、彼の性格を語れるほど、私は彼と過ごしたことなどないのだから。無意味なことはやめておこう、と探るのを止める。


 けれど、隠そうともしていなかった訝しげな視線に、彼も気づいたのだろう。逡巡するように視線を一度彷徨わせてから、再び絡め直す。


「俺は、君と婚約したい。……それでは納得してもらえないか?」


 正直、納得するはずがない。

 むしろ違和感しかない。

 当たり前に断るような話である。

 ーーーけれど。


 心に浮かぶのは、過去の自分たちの姿。

 重ならない視線。交わされない言葉。

 義務的に合わさる手。浮かばない表情。

 国王である父が命じた。

 ただそれだけの、空虚な関係。


「もし君が婚約を解消したいと思ったのならば、いつだって聞き入れよう。もちろん、その場合も君に悪評が立たないように努める。君も俺のせいにするといい。……ああ、それと、これは言わなければならないな。知っているかもしれないが、ーーー俺には過去、婚約者がいた」

「ええ、存じております」


 目の前にいる女が、かつてその婚約者だった女だ。語られるまでもなく知っている。

 とはいえ、そんな事情を彼が知っているはずもなく、そうであれば彼のこの態度は紳士と呼ぶべきものなのだろう。

 もっとも、彼にかつて婚約者がいて、それが前王家の愚かな女だったことなど、この国に住む誰もが知っていることではあるけれど。


 ーーーただ、少し意外だったのは、語る彼の表情に、嫌悪の色が1つも見られなかったことだろうか。

 恨まれていると思っていた。正義の騎士として国中から賞賛される彼にとって、人生唯一の汚点だと称される存在だと思っていた。

 いや、違う。きっと、それはそうなのだろうと思う。

 しかし、今、彼の目の前にいる私は、マリアベル・オーリンズという別の女だ。母親同士が友人であり、彼に1つも害を与えたことのない人間である。私の中身がどうであろうと、外観上は間違いなくそうであった。

 だから、ただ単に、彼は、そんな人間を前に憎悪を吐き出すような人ではなく、加えて11年という時間は、それができるくらいの時間だったという話なだけかもしれない。


「……私の答えが、理由でしょうか」


 彼が私を選ぶと言ったのは、先ほどの質問に理由があるのだろう。私の答えの何が彼の琴線に触れたのか分からない。あれは、平民にも寄り添い、絶大な人気を誇る彼とは相容れないような言葉の羅列だったはずなのに。


「正直、あなたの言葉の全てを、俺は肯定することができない」

「ええ」

「だが。だがそれでも、嫌いだと言う存在を守り抜くと言えるその心を、俺は知りたいし、知るべきだと思う。できれば、すぐ近くで、同じ目線で」


 おそらく、心の内を全て語ったわけではないだろう。全てというにはあまりに欠けている。

 ……だけど。うん、そうね。


「あなたはそれでよろしいのですか?婚約解消の際は、あなたに不利益が及ぶ可能性の方が高く思えますけれど。それだと、随分と私に好都合な条件ではありませんか?」


 小さく首を傾げて問う。それに対し、彼は間を置かずに肯定する。


「構わない」


 かつての私は、人に害悪を振り撒くだけの人間だった。滅ぼされたのを当然だったと理解する今でさえ、未だに恨み言を吐くような人間である。

 そんな愚かでしかない人間から、正義の象徴のような人間に与えられるものがあるとは思えない。だが、それは私が見つけられないだけで、彼は何かを見つけているのかもしれない。

 もしもそうであるならば。私が彼に何かを与えられるというのならば、私は。


「では、申し出を受けます」

「……ありがとう。これからよろしく頼む、マリアベル嬢」

「こちらこそよろしくお願いいたします。……レイラス様」


 ーーー拝啓、かつて婚約者だったあなたへ。

 初めて名前を呼ばれたと、気づけた私は愚かでしょうか。



この話は、元々長編として書いていたものを短編にした話です。

お読みいただきありがとうございました。

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