トラック07
思った通り、アルビノは私の申し出を断った。これもまず計算のうち。私は諦めが悪いことで有名だ。それはすなわち負けず嫌いだということ。そうでもなければこれほど学問の道に心酔してなどいないだろう。MITを主席で卒業して、その後、エール大学で医学博士も取った。工学系の博士、医学博士、その他薬理学と生物工学の論文はいくつか発表しそれなりの評価を受けていた。ただ、私はこの知的欲求の根源に、超常現象の解明をしてみたいという野望があり、ずっと内に秘めている。いずれにしろ探求こそが私の道だ。だからアルビノは私の出会った中で一番興味をそそる被検体なのだ。
ちょっとした有識者ならばこの軍の動きが怪しいことは勘付いている。私は今この世界で何が起こっているのか、それが知りたくてこの軍に入った。かつて世界大戦と呼ばれた戦争では、技術的進歩が目覚しく起こってきたが、今回の戦争ではそれが前回の比ではない。また、メディアの戦争に対する取り上げ方が異常で、明らかに民衆の意識を誘導している。女神たちのパイロットがいずれも世界的な著名人であることは、「選ばれた人間」という軍の説明に納得がいくようで、こうも現実と乖離しているとは。
さて、どうやってアルビノを説得しようか。彼女は先ほど男物のパンツを大事そうに抱えていた。状況からするとあれはドクターノムラのものだが、常識からするとそれはあり得ない。ドクターノムラはアルビノと「じゃれているだけ」と言っていた。アルビノも、ドクターノムラを医者ではないと言っていた。ここから導きだされる結論は。
二人は友達?
馬鹿ばかしい。あんな貴重な被検体を前に、研究心を燃やさない医者がこの世にいるだろうか? サイキックに関する糸口が発見できればノーベル賞など軽くとれてしまうというのに。それが目の前にある。アルビノだけじゃない。他の女神たちのパイロットもそうだ。みな私の貴重な被検体だ。
「おい、お前。ジョン、お前だ。とまれ」
アルビノだ。振り返ると、開発棟の長い廊下を二〇メートル向こうからテクテクと歩いてくる。あの小さな子どもがメビウスのパイロットだなんて誰が信じるだろうか。いや、しかしこの未知なる生物との戦争が始まってから一五年。メビウスはその開戦から参戦している女神だ。アルビノはどう見積もっても一〇歳前後。ここにも謎が一つ。どうなっている。
「やあ、アルビノ。どうしたんだい。考え直してくれたとか?」
あれほどきっぱりと断っておいて向こうから私に声をかけてくるとは。獲物からこちらに近づいてきた。
テクテクと歩くアルビノはやがて私に到達した。彼女の背丈は私の胸の高さほどだった。
「条件がある」
「条件? それ次第では私の申し出も受けてくれるということ?」
「ついて来い」
そう言われ、彼女の後を追うこと一五分。アルビノは背が低い為に私は相当速度を落として歩いたつもりだが、それでも彼女は早足で歩いている。開発棟を出て寄宿舎にたどり着く。そこから歩くこと一五分。アルビノの歩く速度の問題もあるが、この基地の敷地が広すぎることで移動に時間がかかってしまうのだ。
アルビノはドクターノムラの前とはまるで別人のようだった。見た目こそほんの子どものようだが、口調や態度は殆ど成人のそれだ。唐突な違和感を感じた。
「ここだ」といってアルビノが開けた扉の向こうには部屋中に敷き詰めたような縫いぐるみ。よくもまあこれだけ集めたものだと思わずにはいられない。そしてやはりアルビノは一〇歳前後の少女、だと思わせた。この時点では。
「ここは君の部屋?」
「そうだ」
「入っても?」
「でなければ連れてきたりはしない」
これだけある縫いぐるみを差し置いて、私はどこに座したものかと思案していた。アルビノは一角の縫いぐるみをごそっと持ち上げ、スペースを作る。その持ち上げた縫いぐるみは丁寧にベッドの上に並べて置かれた。
「じゃあ、失礼」と言って座ろうとすると、
「誰が座っていいと言った。お前など立っていろ。そう用件は長くない」
「随分とさっきから手厳しいね。ドクターノムラの前とじゃ大違いだ」
一〇歳前後の少女にこんな扱いをされて寛容でいられる私ではない。
「私は医者など大嫌いだからな。特にお前は嫌いな方だぞ」
それはどうも。とつい軽口で返したくなるのを堪える。あちらのペースに巻き込まれては元も子もない。どうにか彼女を説得しなくては。
「私は君に嫌われるようなことをした憶えはないけれど?」
これは本心だ。
「自分の胸によく手を当てて考えてみろ」
これまで彼女と交わした言葉はほんの少しだ。それも大した会話ではない。根拠もなく嫌っているとしか思えない。医者だからか?
「私が医者だから?」
「そうだ」
「ドクターノムラも医者だ。さっきもこんな会話をしたはずだよ、アルビノ」
「二度も同じ会話をして気づかないなんて、お前はよっぽど頭が悪い」
ここまで言われて、私の我慢も限界に近かった。既に冷静でいられない自分がいる。
「条件って?」
相手から情報を引き出したいときに、自分からは切り出さない。その方が、相手に主導権を握らせ、より多くを引き出せるから、という自分の中のセオリーを崩してしまった。
「私はもうすぐ死ぬ。その前に知っておきたいことがある」
死ぬ?
「君が死ぬって?」
「そうだ」
熊の縫いぐるみを抱えてきっぱりと言い切ったアルビノ。真意が全く掴めない。
「なんでまた? まさか自殺しようなんて話じゃないだろ。そんな面倒ごとはごめんだよ」
もしくは今の戦況が悪化しているために、いつかは女神として墜ちるだろうということか。いや、メビウスは他の女神に比べても最強といっていいほど強い。それは各種メディアを見ていて嫌というほど知っている。
「勝手な決め付けで話をするとは愚かだな。エリートが聞いて呆れる。想像力が足りないんじゃないか?」
わざとこちらを怒らせるようなことを言っているのか。しかし、今は堪える。それが最善。
「悪かった。すまない。それでも君が死ぬっていうのはどういうことなんだい?」
こういう相手には下手にでること。
「まだこちらの求める条件は満たされていない。でもサービスで教えてあげよう。私はもうすぐ二〇歳になる」
二〇歳? 嘘だ。
「疑ったな。まあ、いい。私は強力な力を得た代わりに成長が止まった。お前ら医者はサイキックとかいってたか。そして、その力を酷使した結果、二〇歳が私の寿命だ。本来なら半年前に私は消滅しているが、メビウスに頼んでなんとか二〇まで生きられるようにしてもらった」
そんな。折角アルビノの能力について研究ができると思った矢先に、こんな事実にぶつかるとは。彼女の言葉を全面的に信じるならば、幼形成熟がサイキックと何らかの関連があるのだろうか。
「そうか、それは残念だ」
「残念、か。それはお前が私を研究できなくなるという意味での残念、だよな」
見透かされている。そう思わずにはいられない。まるで別人じゃないか。ドクターノムラの前で彼女はただの無垢な少女だった。今の彼女はまるで刺すよう目でこちらを睨みつけるヘビのようだ。
「君のいう条件ってのはなんなんだい。僕にその条件がクリアできる?」
急くように話を進めたくなる。私にしては珍しい。
「簡単さ…」
そういってアルビノは沈黙する。
ここは堪えるところ。今言葉を挟んではいけない。
「私の容姿について教えて欲しい」
容姿? 見た目ということか?
「いまいち分からないんだが、どういうことなのかな、アルビノ。君の見た目について教えればいいのか?」
「そう言ったつもりだが分からなかったか?」
ああ、といってうなずく自分。彼女を被検体として捕食しようとしていた自分との立場が全く逆転している。私は今彼女の手のひらの上。
「ふん。これもサービスだ。私は目が見えない代わりに耳がとてもよく聞こえる。音があれば物体に反響した音の位置情報から、私の周囲にある物の形状が把握ができる。耳がいいということと、三次元立体の認知能力が人の能力をはるかに凌駕している。これが私の能力だがいくつか欠点がある。平面に書かれた字や絵図、或いはモニターに映し出されたものは見えない。平面だからだ。立体的な形がないものは認識できない」
潜水艦のような能力。或いはイルカ。これはドクターノムラに聞いていたので知っている。
「それから『色』というものを私は知らない。この概念は未だにぴんとこないな」
見えていないからだろう。物体への反響音で環境情報を知覚するのならば、色覚は当然情報に含まれない。
「これが本題なんだが、私は私自身の形状を認識できない。自らの体から発している音と、私に反響した音が相殺されて自身の形状が把握できなくなると自分で解釈している」
なるほど。それで彼女は自分の容姿を私に聞いてきたというわけか。しかしそれならもっと以前に、私以外の誰かに聞いていても良さそうなものだが。
「理解できたか? この馬鹿医者」
酷い言われようだな、それにしても。
「馬鹿医者とは酷い。私はこれでも知識やその応用には自信があるのだけれどね」
「そんなことは知っている。だからお前に私の情報を託す」
私に? 何故?
「ドクターノムラはアルビノについてよく知っているのだろう?」
アルビノは口角を上げてニッと笑った。獲物を前にして絞めた、といわんばかりのヘビのように。
「ノムラが知っているのは私という人間だ。ジョン、お前に託すのは私という情報だ。お前に託す。ノムラよりもお前なら上手く使えるはずだ」
つまり進んで自ら被検体になり、研究されると。願ったり叶ったり。
「分かった。君の容姿について教えよう」
「絶対に嘘をつくな。お前の生体音声が少しでも今までとぶれたら、私はお前を殺すぞ」
射抜かれるような殺意を感じだ。おそらくアルビノは脅しで殺すとは言っていない。本当にそれができるのだ。何らかの能力を使って。
「嘘はつかない。約束しよう」
「頼む」
熊の縫いぐるみを抱えたままのアルビノは、軽くペコリと頭を下げる。アルビノはこれまで自分の容姿を聞くことが出来なかったのだと思う。聞く人がいなかった? いや、他に理由があるはずだ。
「アルビノ、君は一〇歳位の子どもに見える。後ろ髪は長くて腰くらいまである。前髪は眉の上で綺麗に揃っている。眉は薄くてよく見えないけれど、目は大きくぱっりちしている。目の焦点は常に遠くを見ているように合っていない。鼻は小さいけれど、しゅっと通った小鼻だ。唇は薄くて小さい。服装は…、これは流石に自分でも分かるか。全体的な印象で言うと、幾分主観的な意見になるが君は可愛らしい女の子という感じ。以上だ」
コクコクとうなづきながら聞いているアルビノ。
「色は? 私はどんな色をしているのだ?」
おいおい。そんなことも知らないのか?
誰も彼女に教えなかったのか?
「一ついいか?」
確かめなくては。
「なんだ、言えないのか?」
「違う。そうじゃない。アルビノ、君は目が見えないという他にも障害というか病気を持っているはずだ。それについて誰か君に教えてくれたものはいないのか?」
「いや、誰も。私は今現在、目が見えないという事以外に病気なんて持っていないはずだ」
…
「あ、そうだ。私は日光に当たるとすぐに火傷をしてしまうほど肌が弱い。それはノムラから聞いた。でもそれ以外に問題はないから心配するなって言われたな。それのことか?」
信じられない。彼女は何も知らないじゃないか。何故ドクターノムラも彼女に言っていないのだ。
「アルビノ、その肌が弱いというのは君の病気の特徴の一つに過ぎない。私は医者だから君に本当のことを言うが、君は先天性白皮症と呼ばれる状態だ」
状態といったのは、白皮症が病気ではなく、ただの状態であり、個性であるという擁護団体の見解。私自身は、白皮症は立派な遺伝子欠損の病気だと思っている。
「白皮症? それが私の日光に弱い原因なのか?」
「ああ、そうだ。白皮症は、体内のメラニンといわれる物質を合成するタンパク質が機能しなくなる病気だ。メラニンは人間の肌を守り、色をつける物質なんだ。それがアルビノ、君にはない。つまり君は雪のように冷たい真っ白なんだ。肌も、髪も。ただ瞳だけは暖かい赤だ」
アルビノは目が見えない。それ故に色と体感覚の「冷たい」や、「暖かい」という別の感覚と抱き合わせることでイメージを助ける。視覚障害での色の認識の仕方だ。
「お前、わざと色と温感を結びつけて言ったな。エリートアピールか? だが、お前を選んで、私の耳に狂いはなかった」
それを言うなら、「目に狂いはなかった」だ。でもそれは言えないな。アルビノは目が見えないのだ。だから聞いている。ものすごく興味をそそる。もっと知りたいぞアルビノ。
「そうか…、私は白いのか。だったら私は冷たい人間のように見えるのか?」
アルビノはいやに自分の見た目を気にする。ここに何かあるはず。
「いや、すまない。アルビノ、君は白いけれども冷たいようには見えない。それよりも、これも私の主観だが、君は不思議というか、そう神秘的な印象を受けた。それにとても美しいと…」
私が印象でものを言うのは何年ぶりか。直感に頼らない、論理の科学者ジョセフ・D・フィメール。ここに崩れたり。アルビノの前では無力だった。
「そうか。そうか。私は醜くはないのだな。美しいは醜いの対義語だ。そうか。ジョン、お前は嘘をついていないな。声帯がややいつもより高音に寄ったが、それは緊張している人間に特徴的なものだった。嘘は言っていない。感謝する」
アルビノは一筋、涙した。
「醜い?」
思わず口に出た。これも私としては珍しいこと。これまでの私は思考を必ず推敲して反芻して言葉に発する。
「サービスだ。いや、もう条件は満たされたな」
アルビノは手の甲で涙を拭うと気丈に言う。
「私はこれまで自分が醜い容姿を持っていると思っていた。だから誰にも聞けなかった。私の独りよがりだったのだな」
自身を醜いと思い込み、自分の姿を認識できない。それはどれだけ周囲と距離をとってきたのかが想像はつく。そしてドクターノムラにだけ心を開いた理由も。あの男は見た目で人を判断したりしない。話しているとそれが分かる。こちらの芯を見ているような、そういう態度がにじみ出ている。
「何故だ。何故醜いと思ったんだ。もう一度言うが、君は醜くなどなく、美しい」
美しいなんて人に言ったことはない。これまで抱いた女の誰にもだ。それくらいアルビノ、君は魅力的だ。それは容姿に関しても、そして被検体としても。
アルビノは首にかけていたチェーンを引き出して私に見せる。そこには金属製の無機質な楕円形のプレートがぶら下がっていた。Albinoと彫刻されていた。
「このことはノムラには言っていないんだ。黙っていて欲しい。私はこれをずっと身に着けている。ずっとだ。もの心ついてからな。私はこのプレートを身につけて孤児院の前に捨てられていた。その孤児院で育った。決して愛されていなかった。誰からも。孤児院の職員も私を避けていたと思う」
そうか。それでアルビノという名前か。だったらそれは彼女の名前ではない。白皮症をもつ個体への総称。それが『アルビノ』だ。遺伝的な色素欠損をもつ生物の個体は総じて『アルビノ』と呼ばれる。それがプレートに刻まれ、彼女の親は捨てた。白い彼女を。
彼女を初めて見たとき、その名前を聞いてその親の神経を疑った。その謎が解けた。その親は単に彼女の特徴を刻んだプレートと共に捨てただけだった。或は親でない何者かが彼女を識別するために便宜上そうしたプレートを付けてたのかもしれない。
「愛されていなかった。誰からも。なぜそう思ったんだ?」
いくら事務的な孤児院であっても彼女、つまりアルビノを無下にしたりはしないはずだ。彼女はとても人を惹き付ける。愛されていてもおかしくはない。
「私は女神に乗る前、目も見えなかったし、耳も聞こえなかったんだ。それ故に声も出せなかった。だからその当時私は触覚がすべてだった。私は人に抱かれるのが唯一の安らぎだった。それが孤児院では全くなかった。持っている記憶は痛みと強引な食事の投げ込み」
孤児院は粗暴に彼女を扱って、機械的に食事を与えていた。ただ、彼女の「人に抱かれるのが好きだった」は彼女が抱かれる記憶を良しとしていたからだ。少なくともアルビノの親は彼女を優しく抱いたはずだ。
「そうか」言葉に詰まるふりをする。
それより、耳が聞こえなかった?
声が出なかった?
今のアルビノは聞こえているし、喋っている。ここから導き出される答えはなんだ。
「そう邪推するな。お前に私の情報すべてを託すと言っただろう。私は女神に乗って音を貰ったんだ」
今日はここまで、といってアルビノは部屋を出るように指示をしてきた。食堂に誘われたが、断った。やっと開放される。この重圧から。平静をよそっていたが、彼女と会話をしている最中はずっと喉もとに牙を突きつけられているような圧迫感があった。背中はじっとりと脂汗をかいている。
それでも私は何度も彼女の部屋に足を運ぶつもりだ。きっとアルビノを解き明かしてみせる。