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トラック06

 かつて日本という国があった。大量のバグに飲まれた国だ。最近その国がどうして滅んだのかという真実をインターネットに映像で流し込んだ人物がいる。おそらくは軍の関係者、或いは内通者と見られているが、公表はされていない。一度ネットの世界に流出してしまったものは、ちょっとやそっとでは隠すことができない。特に映像や音声の類は個々人が保管し、更に広めるという連鎖から膨大に伝播することがままある。そのために、軍もその映像を隠しきれず、民衆はいま軽いパニック状態に陥っていた。

 実をいうと私は日本で医者をしていたものの端くれだった。ほんとにただの端くれ者で、たいした研究もせず、診療ばかりに明け暮れる日々を送っていた。ふとしたきっかけから海外研修の話が舞い込み、忙殺される毎日から解き放たれたい想いで研修に出かけていった。その矢先に日本が壊滅した。妻と子一人も共に。

 軍医の話が来たのは、そんな私を見かねた研修先の機関が斡旋してくれたのだ。海外で普通の医療機関も紹介先にはあったが、私は敢えて軍医を選んだ。それがそもそもの間違いだった。こんな退廃した世界に身を投じるとは。

 軍医になってまもなくの頃、アルビノと出会った。丁度自分の子どもが五歳だったので、彼女と娘を重ねて見ていたことは正直に告白したい。何といったか。そう逆転移だ。精神医学での概念で、医者が患者に抱く私的な感情のことだ。そうは言っても、医者として自覚をもって彼女を診ていたのはホンの三年くらいだった。それから後はただ子どもとじゃれあって遊ぶような時間を過ごした。だから私が彼女にどんな感情を抱こうと、他人にとやかく言われても仕方がない。とっくに医者としての責任を放棄したのだから。

 私は軍に日本人というお情けで拾ってもらった身の上から、周囲のエリートたちからは相当に浮いていた。いや、今でも浮いている。その私がアルビノを独り占めのように抱え込んでいるのだから、風当たりは常に強かった。ただ不思議と他の女神のパイロットもなつくことがあり、その事実が私をこの軍に押しとどめてもいる。


 ここでいくつか衝撃的な事実を打ち明けておきたい。女神のパイロット達についてだ。アルビノをはじめ、彼ら彼女らはみな一様に深刻なレベルでの障害や難病を抱えている。医療や他人の助けなくしては自らの生命を維持できないようなレベルでの。それが、女神に乗ったことで、何らかの特殊能力、一般的にサイキックといわれるような、現代の科学では説明しきれない能力を持つことで生命維持をしている状態なのだ。

 これについて軍医の中では科学的な研究をしようという動きが強く、いくつかは明らかになっている事実がある。一つに、サイキックの発動は女神に乗っていることで発動しているが、全くの他人がその女神に乗っても能力の発動はしない。また、パイロットの抱える障害や病気の特性が、女神の戦闘スタイルに関係しており、すなわちパイロット本人のサイキックに通じるところがある。

 驚くべきことに、各国のエリートが集まってこれくらいの研究成果しかあげられていない。それくらいサイキックという分野は未開拓であるし、女神の存在自体が謎だらけなのである。


 ただ、私はこの軍の中でもう少しだけ女神について知っている。それはアルビノや他の女神パイロットが教えてくれたことなのだが、パイロット達は、女神となんらかの取引をして能力を借り受けているような状態なのだと。また、女神に乗っているときは、完全に女神と意識を共有しているとも。他にもいくつか知っている事実はあるが、私はこれを軍に報告してない。報告したところで「エビデンスはあるのか? そんなのどうやって論証する?」と頭がお堅い反応や、「子どもの戯言を信じろと?」と冷笑されたことが過去にあった。軍ではパイロットを完全に研究対象とみなし、大掛かりな機械から伸びたチューブをいくつも取り付けては、記録をとり続けている。かたや、TVで視聴率の高い女神の戦闘には、司令部から注文がついたりすることはよくあるこだ。アルビノはかつてこう言っていた。

「軍の司令部はあれこれ僕に言うんだ。もっと時間をかけて戦え。追尾カメラをもっと意識しろ、とか。一番酷かったのは、僕の踊りがもっとよくなるように見ろ、って渡されたビデオさ」

 彼女は怒りを通り越して虚しい気分だったのではないか。

「だって僕、テレビは見れないんだよ。そんなことも分かってないのに…」


 スポーツ観戦と肩を並べるほどに、いやそれ以上に人々を熱狂させているのが女神の戦闘シーンだ。特にメビウスの戦闘は人気があり、いくつかのDVDも発売されている。今や軍とメディア、軍事企業は深刻な癒着状態にある。テレビの数字のためなら軍はなんだってやる。公表されているパイロット達はみな軍人という扱いになっており、その偽パイロットのギャランティはすべて軍に振り込まれている。それは今や莫大な資金源になっているし、偽パイロット達も本当は乗っていないのにある程度の給料を支給されることで満足している。

 本当のパイロット達は殆ど何も与えられていない。もちろん申告すれば大抵のものは与えられるが彼らは極端に刺激の少ない環境下にいる為に、自分たちが何を望んでいいのかも分からないような状態に陥っている。軍の奥に押しとどめ、自由な外出もなく、休暇もないものだから、旅行などはしたこともない。

 この軍はあまりに異常。狂っている。

 皮肉にもアルビノはテレビが見れないのだが、一度彼女が、

「メビウスにはテレビでは誰が乗っているの? どんな人?」と聞いてきたことがあった。正直に答えたものかと悩んでいたら、ダダをこねるものだから、

「とても美人で、スタイルもいい女の人。嘘っこの女神パイロット中でも一番人気があるんだよ」と私なりに正直に応えた。そのとき意外にもアルビノは笑った。すごくいい顔で「やった。良かった」と小声で言っていた。私はアルビノが、「本当は僕が乗っているのに」と怒り出すんじゃないかと思っていたのだが。この真意についてはよく分からない。今度アルビノに聞いてみようか。いや、止めておこう。彼女が嬉しかったのだからそれでいい。


 もう一つこの軍についての深刻な状態を書いておきたい。それは子女神に乗るパイロット達について。彼らはここ数年で慢性的な無気力状態やひどいものは鬱や、神経症を発症することも珍しくない。理由は戦闘で精神状態が極限まで擦り切れているにも関わらず、この戦争自体に終わりが見えないこと。いつ自分が死ぬとも分からない状況で、日々刻々と戦況は悪化している。同僚は死に、自分が生き残る。その事に何も感じられなくなる者も少なくない。

 子女神に乗るパイロットは殆どが民間の養成校を卒業するのだが、その門戸は狭く、頭脳および身体能力がずば抜けて高い、まさにエリート中のエリートなのである。養成校で彼らは大切に扱われる。人は資源であり、この戦況での重要なリソースなのだと。実質、子女神を養成するのにかかっている費用は一人当たり約一億円。その人材を軍は能力に合わせて二~三億円で個人契約する。子女神のパイロットはその契約金で卒業した後、養成校に校費を支払うのだ。一人当たり二~三億円の投資をして雇っているのだから、軍にとっても高い人件費であることは間違いなく、契約金の他にも、月給と毎日の食事は軍の管理下のもと完全支給している。その他住居もろもろも。

 だがしかし、軍はそのパイロットを使い捨てのように扱っている。容赦なく厳しい前戦に送り込む。大切に育てられ、満を侍して戦場に出てみたら、あまりにも厳しい現実。そこに終わりはない。パイロットの多くは二十代から三十代中盤までの若者だ。彼らは疲弊し、擦り切れるまで戦って、とうに心など折れてしまっている者がいる。パイロット達の性は乱れ、軍の管理できないところで賭博が横行している。ドラッグが入り込んでいないことがせめてもの救いだ。それも時間の問題だが。

 そもそも私の専門は、内科、心療内科、神経科とどちらかという人間の精神面からくる不調が身体面での不調になっているという分野での専門を得意とする。驚くべきことに、この軍にはきっちりとした精神科医の配置がない。このことは軍が如何に子女神のパイロットを軽視しているかを端的にあらわしている。

 少し話が飛ぶが、子女神の機体は一機…


「おい、ノムラ。アルビノが遊びに来てやったぞ。早く開けろ。一秒でドアを開けるんだ。さもなくば、ノムラにセクハラをされたと騒ぐぞ」

 アルビノだ。今日は少し遅かったか。いつもなら午後三時くらいには医務室に遊びに来るが、今日はもう四時半だ。続きは後日にしよう。今は私の小さなお友達と戯れる時間だ。

「分かった、分かった。直ぐに開けるから」

 先日のようなドロップキックが跳んでくるものと覚悟してドアを開けたが、期待は裏切られた。部屋に入るなり私にしがみつき、顔をうずめた。

「どうしたんだ? 何か嫌なことでもあったのか?」

 ううん、と首を振るアルビノ。一〇秒くらいそうしていた。そして私から離れると顔はクシャクシャで、私のYシャツは腹の辺りが鼻水でビシャビシャだった。

「どうしたんだ? 無理に話せとは言わないけど」

「何でもない。ノムラ、僕のこと心配してるのか?」

 アルビノはまだ少し涙声。今までこんなことはあまりなかったから少し戸惑った。彼女は私の前でも気丈に振舞っていることの方が多いのだ。そして軽口を叩き合ったり。

「ああ。心配しているよ」

「ロリコンだな。あはは。仕方ない。今日はおっぱい触ってもいいぞ」

 やっといつもの調子。

「なんでそうなるんだ。ロリコンでもなければ、アルビノのおっぱいも触らない。実は触って欲しいのか?」

 口元がニッと笑うアルビノ。楽しそうなときの彼女の癖。

「なんだ、やっと気づいたのかノムラ。遅いぞ」

「はいはい。でも触るようなおっぱい、ないじゃないか」

「誰かー、誰かー、ここに変態ロリコンじじいがいます。セクハラされました。助けてー。キャー。犯されるー」

 ものすごい大声だった。

「あー分かった、分かった。いいからもう止めてくれ」

 ガチャ。

 近くを通った女性事務員風の人物が部屋を覗き込む。

「どうかしましたか?」

 目を皿のようにしている。

「いえ、何でもありません。な、アルビノ?」

 といって私は右手でアルビノの口を押さえ、左手で頭を上下にコクコクと動かす。どう見ても怪しいおっさんが、幼女に悪戯をしている絵にしか見えない。女性は更に目を細め、どうしたものかと思案している。

「この人変態なんです。私のおっぱい触ろうとするんです」

 右手を強引に引き剥がしたアルビノは叫ぶ。

 ダメ押しだった。

「いやー」


 女性は叫ぶ。初老の男性が通りかかり、部屋の中を覗き込む。医局長だ。助かった。軍医の中でも、私とアルビノの少ない理解者だ。

「どうしたんだね」

 医局長は言う。

「このおじさん変なんです」

「そうです、私が変なおじさ、って違う違う。医局長、ちょっと誤解がありまして」

 アルビノは腹を抱えて笑っている。

「今日も楽しそうだね。あまり騒ぎ過ぎないように」

 医局長はそう言ってから、女性事務員に事情を説明し、部屋を出て行った。危なかった。


「アルビノ。勘弁してくれよ。大変なことになるとこだったじゃないか」

「あはは。あれ好き。変なおじさんのやつ。もっかいやって。もっかい」

 渋々変なおじさんをする。昔日本のコメディアンがやっていたギャグだ。アルビノのお気に入り。

「あー面白い」

 彼女が笑うためだったら何だってするさ。私はそのためにここにいるようなものだ。

「ちっとも面白くない。なあ、アルビノ。さっき泣いていただろ? なんかあったのか? サービスしたんだから教えてくれよ」

 彼女は急に笑いを止めて落ちこんだ表情になる。私の前では特に素直だと誰かが言っていた。アルビノは感情に関しては私の前であけすけがない。

「別に泣いてなんかないよぅ」

「じゃあ、この鼻水は?」

 Yシャツのびっしょりに濡れた部分を指差す。

「知らない。変態ロリコンじじいの汗じゃないの?」

 やれやれ、と言って私はアルビノを膝の上に座らせる。こうすると彼女のご機嫌がいい。

「今日はバグを産むバグがいたんだ。いっぱい産んで、いっぱいになったんだよ、ノムラ」

「いっぱい?」

「いっぱい。上も下も、右も左も。向こうが見えないくらいいっぱいになった。いっぱい産まれたんだよ」

「大変だったのか、倒すの?」

 ううん、と首を振るアルビノ。

「産まれたんだ」

 アルビノはそういって振り返り、私の顔を覗き込む。といっても彼女は実際には見ていないのだけれど。

「そうか。産まれたのか」

「僕にもお父さんと、お母さんがいたのかな?」

 アルビノは五歳で女神に乗り、それ以前の具体的な記憶がないと言う。

「会いたいのかい?」

 …

「いいや。僕にはノムラがいるから」

「そうだね、アルビノには野村がいるよ」


 ジリリリ。ジリリリ。


 内線電話だ。

「わるい、アルビノ」

 彼女はむう、とむくれて、足をバタバタやる。

「はい、野村。ああ。私の答えはイエスだ。今アルビノと開発棟の医務室にいる。彼女の答えを聞かなくては、最終的には答えられない。これから来れるか? ああ、分かった。待っている」

 ジョンだった。私自身は彼にアルビノを診させることに反対はしない。ただ、アルビノ自身がなんというか。これまでにこういったケースはままあったのだ。決まって軍医や研究者がアルビノに近づくと彼女は激しく拒否をしてきた。たぶん今回もそうだろう。

「ねえ、誰? 誰?」

「この前ジョンって若いお医者さんがいただろ? 彼がアルビノにお話があるって」

「僕はあいつに話なんかないよ。ねえ、それより、遊ぼうよ。三河屋のサブちゃんと、サザエさんの禁断の愛ごっこは?」

 サザエさん?

「どこでそんな古いアニメのことを知ったんだ?」

「知らないのノムラ? 衛星放送のアニメ名作劇場。僕あれ、毎週聞いてるよ。面白いよサザエさんって」

 そうして僕らは禁断の愛ごっこをしてジョンを待っていた。


「ジョンです」

「ああ入ってくれ」

 どういういきさつだったのか、思い出すのも憚られるが、私はアルビノにパンツを剥ぎ取られたところだった。ズボンのみを着用し終えたところにジョンがやってきた。ジョンはいろいろな意味での禁断の愛ごっこを怪しく思ったりはしないかと内心ひやひやしていたが、それは杞憂だった。

「お疲れ様です。やあ、アルビノ」

 彼は相変わらずの下手な作り笑いだ。

「話って何、ジョン?」

 アルビノは男物のパンツを大事そうに抱えている。ジョンは本当にこの状況を疑問に思わないのだろうか。それとも既に思っていても、恐ろしくて聞けないのか。おそらく後者だろう。

「ドクターノムラの様に、私も君と話しがしたい。医者として。どうかなアルビノ?」

 それは私の様にパンツを剥ぎ取られてもいい、ということではない。もちろん。ジョンは医者として彼女を診察し、その体に起こっている何かを調べたいのだ。

「嫌だね。第一、ノムラは僕の医者なんかじゃない」

 アルビノの認識は正しい。私は彼女にとって医者であろうとしていない。

「ドクターノムラは立派な医者だよ。そうじゃないなら何なんだい?」

「変態ロリコンじじいだ」

「いや、それはちが…ぐふ」

 否定しようとしたら脇腹に肘打ちが入った。

「ロリコンは何も言うな」

 アルビノに任せよう。彼女は頑固だから、一度自分で決めたことを曲げたことがない。ジョンもきっと断られる。

「わかったよ、アルビノ。でも僕は諦めないから。少し考えといてくれよ」

「ふん」

 そういってアルビノはそっぽを向く。ジョンは私に一礼して部屋を出て行った。

「僕も行かなきゃ。お腹がペコペコなんだ。おっぱいはまた今度だノムラ」

 そういって私のパンツを振り回しながらアルビノは出て行った。

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