トラック01
「上空二百メートル。速度三百。メビウスが通過する。各員注意されたし。繰り返す…」
隊長からの急な通信が入る。
「いいか新人。絶対に顔を上げるな。視認したら一〇秒はフリーズするぞ」
「ラジャー」
それくらい分かってるさ。いちいちおせっかいな人だな。新人扱いもいい加減にしてほしい。そんな反抗心を持っていた自分が数分後、しっかりメビウスを視認してフリーズしていた。
気恥ずかしくもあったが、それも一瞬だった。
轟音と共にメビウスが通過していく。その瞬間目の端にキラキラと光るものを捉えた。まるで金粉が風に舞って、ひらひらと流れていくような。そしてその軌跡に虹のような光の輪が幾重にも重なって推進していく。
殆ど無意識に顔を向けていた。
黄金の女神が、オーロラの風を纏って駆け抜けていく。
なんだこれは。
あまりにも美しすぎる。
それ以外の表現が見当たらない。
完璧だ。あれ以上に美しいものはこの世にないんじゃないかと思ったくらいだ。ずっと見ていたい。ずっとずっと。そしてまた見たい。何度でも。何度でも。
時刻は夕暮れ時。西の空にほんのり赤みさす夕空と、東の空に駆ける女神の軌跡は対比的な構図を成し、一つの絵画を見ているような錯覚に陥る。この切り取った絵画の一編は自分の記憶に永遠に残って欲しい。あわよくばこの風景の一部として存在していたい。女神に誓おう。そう願いたい。
「すごい。綺麗だ」
思わずつぶやいていた。その瞬間通線のマイクがオンになっていることに気づき隊長の激しい罵声を浴びた。
「馬鹿野郎。何感想まで漏らしてんだ。見るなっつってどうしてお前はしっかりみてるんだよ。お前の耳は節穴か」
「まあまあ、隊長。新人なんだし、見るなって方が難しいでしょ。まだ戦闘区域に入ってないんだしさ、ちょっと位大目に見てあげなって。あーあと、節穴ってのは耳じゃなくて目に使うのが一般だよ。まあ耳も穴だけどさ」
これは副隊長のキール。柔和な人物。フォローはありがたいけれど、流石に自分が情けない。メビウスは視認すると一〇秒ほどフリーズ状態に陥る。これは軍としては基本中の基本。そんな基本を守れなかった自分の不甲斐なさを心底恨めしく思う。
「まあ新人君。そんなに落ち込むことはないのだよ。メビウスは皆最初にエンカウントしたら見てしまうのが普通の人間さ。鉄の意志でこれまで一度も肉眼で見ていない隊長が異常なくらいさ。メビウスはこの戦況で大忙しのトップ女神だろ? それでも偶然エンカウントできるのは幸運の証。だからさ新人君、後で今日のメビウスの感想を教えてくれたまえよ」
これは狙撃手のホワイト。アニメオタク。日本かぶれ。ロストレース崇拝。
「ホワイト、てめぇ後で覚えとけよ」
隊長のがなり声。彼女は声が低くハスキーだ。
「はいはい隊長、でもあれは一度見ておくべきですよ。きっとはまりますから」ホワイトは軽口を叩く。
「私も聞きたい。リヒト。後で聞かせて」
これはサナか。イライラ女。たぶん俺のこと嫌ってる。
「君たちその辺にして、任務に戻るよ。今日はタイタンの援護だったね。女神の中で最も攻撃的な戦闘スタイルだから、自機の損傷には十分に注意して行こうね」
「おいキールなんでお前が仕切ってんだ。隊長は俺だぞ」
隊長は男勝りというか、気性が荒い。そこら辺の男よりはよっぽど男っぽい。しかし、見た目が絶世の美女。スタイル抜群。隠れファンは少なくない。何故隠れなきゃいけないかって? それは本人に知れると血祭りだから。「そんな目で俺を見てんじゃねー」といってボコボコ。この隊に入って六ヶ月。そんな情けない男を少なくとも五人は見た。たぶんもっと多いのかもしれない。
「新人。世話焼かせるな。メビウスの魅了はもう解けただろ。さっさといくぞ」
メビウスの魅了、とは一〇秒間のフリーズのことだ。メビウス=メディウサといったら何となくヘビの連想で繋がるだろうか。見たものを石に変える女神。まあ石と言っても十秒間のフリーズなのだけれど。その威力、身をもって知ると絶大だった。
「すいませんでした」
「なんだやけに素直じゃねーか。やっと反抗期も終わりか?」
隊長は事あるごと自分に「反抗期さっさと終わらせろ」と言うのが口癖だ。というのも自分が隊長に対して口答えしているから。そのことは自分でもよく分かっている。でもどうしても隊長の前では素直になれない。
「南南西、距離四〇キロメートル。時速一六〇キロメートルで二〇分の航行。タイタンの戦闘区域に入ります」機械音声のようなサナの通信が入る。サナは情報と衛生要員。戦闘要員ではない。
「僕とサトウ隊長は飛行仕様だから一六〇は問題ないけど、キール副隊長と、リヒトは急な換装で速度出るのかい? 一二〇航行位で行った方がよくないないかい?」
ホワイトの通信。彼の機は、高高度空撃仕様の狙撃「子女神」。飛行性能と上空狙撃に特化している。
「僕のほうは問題ない。もともとマリン仕様だから、海上を走れば速度一六〇は余裕さ」副隊長の柔らかい声。彼は実質この隊の指揮系統を担当しているといっていい。
「おれは微妙っすね。出して一五〇。一六〇だと機体が不安定になってひっくり返るかも」
自信のなさ、ではなくて正直な機体性能。地上接近戦仕様の子女神に無理くり飛行換装しているために速度は期待できない。そもそも装備が重過ぎるし、重心設計が飛行用に設定されていない。むしろ一五〇といったのは自分の強がりだった。
「ダメだ。一三〇航行でいく。利人。見栄を張るな。いいな」
「いや、でも、一五〇でいけます。バランス訓練は特S余裕でしたから」
「だから、それだ。反抗期を何とかしろ。ここは軍だぞ。命を張ってるんだ。無駄にリスクを上げるな。お前は一五〇航行で敵とエンカウントして戦えるのか?」
ぐうの根もでない。そうか。そういうことか。機体性能と自分の能力をフルに活用しての一五〇航行という見積もりは甘かった。もしその航行中に敵にエンカウントしたら、逆噴射で推進を落とし戦闘態勢に入るまでに五秒以上の隙ができる。それから重火器の装備を装填して戦闘態勢に入るまでに総じて約一〇秒。死んでるな。
「わかりました。一三〇航行で」
そう自分が言うと隊は速やかに移動を始める。
実を言うと敵とのエンカウントで、現状一三〇での航行状態から速やかな臨戦態勢に入るまで五秒はかかる。いや、六~七秒はかかるかもしれない。それは十分に敵からの攻撃を受けてしまう間合いができるのだ。その数秒はコンピュータ計算からも割り出されていた。ホワイトのいう時速一二〇航行が本当はベスト。三~四秒で臨戦態勢がとれる。しかし隊長のいう一三〇航行は、彼女が俺をカバーできるという慈悲なのだ。それも計算に入れての一三〇。
だからこういうところが気に入らないんだ。子ども扱いして。それに、本当に自分が無知なのが最も許せない。あーーーー。くそ。
「まもなく二〇キロ圏内に入ります。各員は戦闘に備えてください」サナのいろんな意味で乾いた無線。
全体通信から切りかえ、サナにのみアクセス。
「一番近い敵何キロ?」
棘々しく言ったつもりだ。サナはそんなことお構いもせず返す。
「止めなさい。あなたの安っぽい思考はこちらに筒ぬけよ」
「でも」
「でも、じゃない。これは戦争です!!」
こんな荒っぽい声も出すのかこいつ。驚いた。
「無駄に死ぬような奴は大嫌い」
通信は向こうから切れた。
それ以降一〇分くらいだろうか、通信は入らなかった。
左端に夕日を見ながら暗くなる海を見ている。海は俯瞰すると黒い。どこまでも。ここに墜ちるのだろうか。そういう危険は常に隣あわせだ。生死が常に隣あわせ。左端の夕日は綺麗だった。さっき見た金色の女神には敵わないけれど、全然敵わないけれど、それなりに綺麗だった。自分が最期に見る夕日には丁度いいくらいだ。
タイタンが見えた。見えたとたん黒い影に覆われ、数秒後には離れたと思った影がくっつく。その繰り返しだった。タイタンは女神の中でも随一の攻撃力を誇っている。それはメビウスを除いての数値なのだけど。それでも苦戦しているのは明らかだった。
子女神の援護が少ない。駆けつけたのは自分たちの小隊が三つ目だった。既に子女神は何機も落ちている。
でもあのタイタンが怯むのは明らかにおかしい。
そうか。地の利か。麗しきタイタンは海上でもがいていた。距離が近づくにつれそれは明らかになる。足で巻き上げた水が上空に舞って彼女を包み込む。夕日に照らされた墜ちゆく女神。土の巨人。
その刹那、隊長はタイタンに突っ込んでいった。
え?
周囲の影が飛び散る。その影こそが敵だ。
むちゃくちゃだ、あの人。
隊長の子女神は大量のバグを殴りつけていた。それにあわせて配置に付いた各員が攻撃を始めた。
見事だったのはホワイト。上空千メートルからの正確無比な狙撃で影をあっという間に消していく。そして副隊長キールは水中に潜ったと思ったら急に水柱を上げて敵を一毛打尽。隊長は戦線で影を見る間に殴り倒している。さながら不良に囲まれた正義の味方。
あー。カッコよすぎるだろ。自分もその輪に入り戦闘に参戦。飛行換装のため大掛かりな重火器は少ない。陳腐な電子ブレードを振りかざす。それでも気に入らない敵は片っ端から蹴散らす。
虫。虫。虫。
敵は気色悪い虫。
トンボ? 蛾? 蝶? 何だって同じさ。
虫は嫌いだ。
大嫌いなんだ。
切る。切って、切って、切りまくる。
もうパニック。
小さい頃から虫は嫌いでしょうがなかった。嫌悪の対象だ。ペットショップにカブトムシが置いてあったのには愕然とした。あんなもの誰が買うのか。気色悪い。油も塗っていないのに妙にテカテカと光って。
死ね。
死ね。
昆虫は皆滅びろ。
「利人。もういい。離脱するぞ。十分だ。タイタンは海岸に着地した。聞いているのか。暴走するな。畜生」
聞こえていたのか、いないのか。それは隊長からの無線だった。
気づくとタイタンは盛大な咆哮を上げて、沿岸の砂を固まりにして放つ。大型の敵に命中してそれらは霧散する。最後はやっぱりタイタンが決めてくれた。女神強し。土の女神は砂地でこそ本領が発揮できる。講義では女神の攻撃方法はサイキックという精神的物理干渉の一種なのだと。
隊長に抱えられ、戦線から一キロほどの距離にいた。もちろん子女神のまま。急に羞恥心がでる。
「お、降ろしてください」
「馬鹿野郎。あれだけ盛大に暴れやがって。意識を失うまで剣を振るうな。上官として頭が痛すぎるぞお前」
返す言葉はない。でも、
「サトウ隊長みたいに敵に切り込めたらって」
苦し紛れのいい訳にもなっていない。
「お前戦闘中の記憶がないってのは本当なのか? 俺以上に敵をぶった切って活路を開いたのはお前だぞ。憶えてないのか?」
「はあ」
「ぷっ。面白すぎるわ。あー気にいらねー」
そういって放り投げられた。もちろん意識は十分に戻っていたから海上でホバリングして、モニター越しに隊長を睨む。
「お二人さん。そろそろ帰還しますよ」
副隊長の間延びした声が無線から入ってきた。