息子の卒業文集には何が書かれているのか
「亮介、何を書いてるんだ?」
「……」
「おい、返事くらい」
「何だって良いだろ」
そう言うとテーブルに出していた用紙をまとめて自室に帰っていく息子。4月には中学生になるのだが、もうすでに反抗期というやつを迎えており、最近はまともに口を聞いてくれない。まあ男の子なんてこんなものだろうと諦めつつある。
「卒業文集を書いてるんだってよ。今週中に出さなきゃいけないみたい」
妻が食事を温め直したのを持ってきながら先程の息子への質問の答えを教えてくれる。
「卒業文集か……懐かしいな」
「卒業文集って言ったら将来の夢を書くのが定番よね。私は将来の夢、パン屋って書いた気がする。あなたは?」
「俺はなんだったか忘れた。夢なんか書かずに適当に当時の思い出を書いたんじゃないか?」
当時からひねくれてた俺は将来の夢は書かなかった気がする。どうせ小学生の頃の夢なんか叶わないんだから書く意味ないって思って適当に修学旅行の思い出を書いたような。
「それはそれで貴方らしいね」
そういう彼女も彼女らしかった。素直に将来の夢を書くところが俺と違って。彼女のそういう素直な所に惹かれたのだと思い出す。果たして俺たちの息子はどうなんだろう。
少し遅い夕飯を食べながらニュース番組の報道を見る。今世間を騒がせている加害者の卒業文集をキャスターが紹介している所だった。そのニュースを見て疑問に思う。こうやって時々出てくる加害者の卒業文集。将来の夢は警察官と書いた正義感強い人が何故こんな事件を起こしたのかとコメンテーターが言う。何故? 何故卒業文集と今を比べるのか。
もしその加害者が卒業したばかりの年齢ならばまだ分かる。しかしその加害者が20代だとか、30代だとかそれ以上の年齢の場合、小中学生の頃に書いた卒業文集を見て何が分かると言うのだろう。小中学生時代のまま大人になるわけではない。色々な経験をして大人になるわけで、その間に考えなんて変わっているに決まっているのに。
よく◯歳までに人格は形成されるとか聞くけど俺はそうは思わない。どういう人生を歩んできたか、その人生経験によって、考え方や人格だって変わってくると思う。
それはさておき何で卒業文集というものを書かせるのか。
そういうものだと決まっているから?
教師側からしたらそうなのかも知れない。わざわざなくす必要もない、そういう慣習だからというもので議論もされずに今日まで継続されているのかも知れない。
そんなこと言ったら教師をしている友人に怒られてしまうかも知れないが。教育者には彼らの想いがあるのかも知れない。
しかし将来の夢を書いてどうなる? 本当にその夢を叶えられるのなんか数%だ。プロ野球だとか、スポーツ選手には時々見かけるやつだ。俺が好きな選手も小学生の文集にプロで活躍するだとか、オリンピックでメダルを取ると書いて本当に取っていた選手を知っている。
そういう人にとっては、文章として書くことで思いを強めたり、自分の目標を明確化したりという点で文集は意味あるものだろう。
では俺みたいな一般人にとっては?
俺も小さい頃は夢があった。色々変わって行ったが、弁護士いうものに憧れた時代がある。しかしその夢も現実ではないと諦めた。高校の時に本気で考えたのだが、自分には無理だと分かったのだ。勉強がどうとかではない。頭脳がどうのは置いておいて、物理的に無理だと思ったのだ。
俺の家は決して裕福ではない普通の一般家庭だった。弁護士になるにはその当時は大学を出た後にロースクールに通わなければならなかった。大学も奨学金を借りる予定だったのに、さらにその上の学校に進むなんて考えられなかった俺は、親に相談することもなくその夢は諦めた。
その選択に別に後悔はしていない。人生なんてそんなものだと思うから。夢を叶える人間なんてほんの一握りだ。むしろ結婚して子供も居て、仕事も程ほどに出来ている今の生活は気に入っている。
しかしそう思うとやっぱり将来の夢を書かなくて良かったと思ってしまうのだ。どうせ叶わないものを書いても仕方ない。そんなの虚しくなるだけだ。もし将来の夢を書いて、それを自分が読み返しても同じように思っていただろう。こんなこと書いて実際にはなれないのに恥ずかしいなと。
そんなことを思ってから数日後、夕飯の後にニュース番組を見ていると亮介が隣に座ってくる。
「卒業文集……何書けば良いと思う」
「そんなの好きに書けば良いと思うぞ」
「みんなは将来の夢を書くって言ってるんだけど、恥ずかしくないかな?」
「……お前が書きたいならそれでも別に良いんじゃないか?」
「分かった」
そう言うと自分の部屋に戻っていく。
焦った。そんな質問が来ると思って答えを用意していなかった。
俺らの子供らしいな。素直でいて、それでいて捻くれている。素直に将来の夢について書きたいけど、捻くれているから一旦立ち止まってしまう。
自分なら絶対に書かないのに、つい書いてみればと言ってしまった。おそらくあいつはそう言ってもらいたかったのだと思うけど、半分は自分の為にそう答えた。あいつが何になりたいのか直接聞いてもどうせ答えてくれないから、卒業文集に書いてくれるならあいつの夢を見てみたいと思ったのだ。
それから暫く経った3月9日、亮介は卒業した。卒業式は母親しか入れなかったが、あとから写真を見て少し泣きそうになった。あんなに小さかった息子が随分大きくなったなと。
そしてその日の夜に晩酌をしていると、妻が卒業文集を持ってやってきた。
「見てあの子の文集。将来の夢だって」
そう言って妻が開いた息子のページには、「弁護士になって困ってる人を助けたい」という夢が書かれていた。
「やっぱりあの子はあなたの息子ね」
そういう妻の発言に首を傾ける。俺が弁護士になりたかったなど言ったことあったか。
俺の不思議そうな顔を見て妻が笑って教えてくれる。
「いつか酔っ払った時に話してたよ。弁護士になりたかったけどロースクールに通う余裕がないから諦めたって。それで結局法学部を卒業した後スーパーに就職したんだって。あの子も今のところ弁護士になりたいって言ってるけど、どうする?」
「そんなのもちろん応援するさ。そうだろう?」
「うん。頑張らないとね」
「あぁ、もちろん。お前も協力してくれるだろう?」
もし将来夢が変わったり、別の仕事についたりしても構わない。今の夢が弁護士なら、俺はその夢を応援出来るように頑張るだけだ。……晩酌の酒を2日に1回に減らそうかとか。学資保険を確認しなきゃいけないなとかそういうことから始めよう。今度の昇進試験もちゃんと頑張らないとな。
急にお金を増やすことは出来ないけど、将来彼がその道を選べるように今から少しずつ蓄えることなら出来る。全額は無理かも知らないが、その選択を選べるくらいには。
もし俺も卒業文集に自分の夢を書いていたら親父もどうにかしてくれてたのかな。ふとそんなことを考えてしまう。親になって初めて分かる息子を思うこんな気持ち。あいつの為ならいくらでも応援してやる。
卒業文集はもしかしたらそんな親の為なのかも知れないな。子供の成長を感じる、子供の未来を応援するそんな親たちへの贈り物。今度教師をやっている友人に会ったら言ってやらなきゃな“卒業文集って良いな”って。
◇
「ねぇ、あなたは将来の夢なんて変わるだろうって思ってるでしょ?」
「あぁ。別にその時はその新しい夢を応援すれば良いと思ってるぞ?」
「私は案外そのまま弁護士目指し続けると思うな」
「そうか?」
「うん。だって亮介は私に似てるもん」
「……いや、別にお前だけに似てる訳じゃないだろ?」
俺的には2人に似てると思ってる。
「分かってないなぁ〜。見た目はあなたそっくりだけど、中身はどちらかと言うと私よ? だって一途だもの」
「どういうことだよ」
「亮介彼女出来たんだって。卒業式で告白して」
「彼女!? 聞いてないぞ! まだ小学生だ! 早くないか!?」
「それがさぁ、何年片思いしてたと思う?」
「衝撃が大きくてそこまで考えられない」
「答えは……なんと6年! 一年生の時に一目惚れして、そのままずっと好きだったらしいよ! ね? 私似でしょ?」
「……。それは……」
そう言われてなんて答えて良いか分からない。そう言う妻はニコニコしながらこっちを見ている。
あの頃の話はやめてくれ。照れ臭くて仕方ない。
「高校生の時に一目惚れして、ずっと大地くんのことを想ってた私にそっくりでしょ?」
「……かもな。でも忘れてないか? 俺だってお前に無理やり約束させられた後、3年も待ってたんだからな」
「ふふ。だから亮介は夢も一途に追い続けると思うの。楽しみだね」
「ああ」