8話
仙波村には神隠し伝説以外にも古くからの言い伝えが1つあった。
第一の日、波は行く先を定めん。
第二の日、宿願を願う者、境界を猖獗で満たす。
第三の日、地は恵で浸食される。
第四の日、警鐘者、森の鐘を鎮める。
第五の日、楔を穿ち、厄災は放たれん。
残したものは誰なのか、なんの目的で残したのか。今では誰もそれを知らない。
たった一人を除いて。少女は夕焼けに焦がされる自らの影をみて酔いしれる。鈴虫の輪唱に感化され森に歌を奏でる。その歌に歌詞はない。決まった旋律もない。涙が少女の頬を伝わり地に落ちる。少女は揺れ動く自分の感情に戸惑いを覚える。目の前に広大に広がる森という地獄。後ろには人の栄える村という名の楽園。
「私は、どっちなんだろう」
少女の境界性は揺らぐ。天秤には等しい重さが備わっている。一つ思えば、天秤は傾く。一つ思えば、世界は変えられる。一つ思えば、思いは、願いは届くかもしれない。始まってしまったものはもう止められない。止める手段も方法などないのだ。答えが欲しい。正解が欲しい。正義が欲しい。そうすれば、もう苦しむ必要は無くなる。そうすれば、楽になる。
「明日は、晴れるかな」
8月11日、午後8時10分。吉峰青葉たち3人は祖母の家に帰宅し、広間での家族会議に並んでいた。
「残ったんは誰がおる?」
祖母が今までに聞いたことのない口調で話を切り出す。
「身内で残ったのは孝介、青葉、関平、それとあいつだ。」
叔父の蔵品俊三が返事をする。
孝介というのは源孝介、今日の夕方に到着した俺の従弟だった。
この家にいる家族で中で一番の年長者であり、吉峰青葉の苦手とする人物だった。
「あいつか…」祖母は立ち上がり、勢いよく障子を開き中にいる人物へと怒鳴った。
「この一大事に、まさかお前が残るとはねぇ…守!?」
「何故だい!?おかしいよねぇ!?」
謎の返しを放ったのは岳田守、この村の近辺にある職場で働いている男だった。
祖母が家に住まわせている居候でもある。
「俊三、他に残ったのは?」
俊三はたったこれだけかと思うように溜息をつく。
「これで全員だ」
「ならいい。あんた達に話さないといけないことがあるね。」一同は祖母の言葉に頷く。
「お前たちはこの村に伝わる神隠しを知っているかい?」
知らないと答えたのは関平だけだった。他の全員が知っているのを見ると、それなりに有名な話だったようだ。
「これは森の怒りだろうね。」
祖母はお茶を一口加え、コップをテーブルに置く。
「と、言いたいところだけど。これはいたずらだよ。」
「いたずらっていうのはどういう事だ?」
「簡単な話だよ。神隠しに出てくる神様は本当にいて、森の力も本物だった。でもそれは何百年も前の話だ。そんな力をもっていても、あっても現代でそんなものは許容されない。神様は信じられてこそ力を持つとも言われる。今はそういう信仰心というのは弱まり続けておる。この村の神も同様に人に忘れられた神さ。だが今そんな神様の力なんてものを持ってしまい、与えられても器がそれに耐えられん。」
「ガス抜きが必要ってこと?」
「そういうこと。お前たちがどこまで伝説の事を知っとるかは知らんけど、この現象を引き起こした犯人は攫われた神の子孫じゃろうな。その子のガス抜きの為に私たちが選ばれ、巻き込まれたのさ。終われば私たちは解放されるだろうね。はた迷惑な子どもだよ、全く。」
「子どもなの?」
「神様の力っていうモノは成長と共に失われていく。多分大きくなっていたとしても青くらいだと思うよ。一番警戒しなくてはならんのはその力で何をしでかすか。子どもの発想は侮れんからね。普段通りの生活が送れるのかすら分からん。」
「ちょっと聞きたいんですけど、それって森の怒りがどう関係してくるんですか?」
夏華が不思議そうに、祖母に質問する。それは全員が気になるところだった。
「神の力というのは純粋な表現でなくてね。神は過去に森を封印した際に森の力を自身の身体に流しこむ仕組みを作り、森が力を振るう事を良しとしなかった。だから今これを引き起こしている子は神と森の両方の力を蓄え続けてこさされたということになる。」
「その話を聞くと本当にとんでもない話なんだって分かるよ。でも解放っていうのはどういう事なんだ?」
「文字通りだよ。ここは神の力を持った子が作り出した世界だ。終われば私たちは元居た村に戻れるよ。」
こんな状況に置かれては情報を持っている祖母に頼るしかないと全員は思うしかなかった。
「じゃあ俺たちはその子どものいたずれに耐え続ければいいってことだよね。」
俺は思った事を口にした。
俺は夏華との夏休みをこんな形で邪魔をしてくる子どもに対して怒りの感情を覚えていた。
俺はその時、自分の見たくもない心を見た気がした。
「…まぁ、そういうことになるね」祖母はコップの中に入ったお茶を眺めながらそう言った。
「話は大体わかった。俺は適当に過ごしてるよ、何か用事が出来たら読んでくれ。」
孝介は立ち上がり、丸まった猫背を祖母に向け廊下へ出ていく障子を開ける。
「まもちゃん、たばこ吸うか?一本やるよ」
「ああ、じゃあ貰おうかな」
守は部屋から出てくるとスマートフォンを右手に立ち上がり、孝介についていった。
「いいのか、母ちゃん?」
俊三は2人の協調性のない行動を気にしていた。
「好きにさせときな。いきなりこうなったんだ。あの子も戸惑っているんだろうさ。」
俺はあの2人が広間から出ていったことで少し安堵していた。
「青、お前たちはどうする?」
俺は状況にまだ頭がついてきていなかった。
返答できない悔しさをかみしめながら、俺は夏華に判断を仰いでしまった。
「どうする?」
「私は研究を続けるよ。青、蓮手伝って。伝説を追いかけていけば何かまだ出てくるかもしれない。」
「俺は構わないよ。どうせ旅で道草食ってたんだ。こんなの普通なら体験できないしな」
「わかった。あんたたちはあとで私の部屋に来な、残った資料の断片があるかもしれない場所を教える。」
その後、いつもより遅い夕飯が始まった。
いつもより少なく、珍しい人たちとの愉快で少し奇怪なものだったそれは、不思議と楽しかった。
夏華は普通にバランスよくおかずをを選びとる。連は守に騙されて一口酒を飲まされ、酔ってしまった。
祖母の横で孝介はそれを笑っている。
俺は肉ばかりを選んで食べていたら、祖母に注意を受け怒られる。
叔父の俊三は黙って黙々と食事を続ける。中々こういうのはどうしてか、とても記憶に残ってしまう。
夕飯とその片づけを終えると酔った蓮を寝室の布団の上に転がし、俺と夏華は祖母の部屋へと向かった。
部屋に入ると祖母は地図を広げ赤い丸を3か所に示していた
「この地図に示した場所に何があるかわかるかい?」
祖母は部屋の隅に置いてあった曾祖母との写真を寂し気に見つめてそういった。