5、
そのけたたましい音にミルティだけではなく、ルシウスまで動きを止め2人は扉にいる人物に視線を止める。
「お、お母様!」
「……」
蹴り開けられた扉から颯爽と入ってきたのはミルティの母だった。
ミルティと同じ栗色の長髪をたなびかせてはいるものの、キリリとした美人顔と高い身長はミルティと似ていない。顔はどちらかと言うとミルティ自身はわりと小柄で、顔は可愛い系の父似だと母を見るたびに感じていた。
そんな母の登場にミルティは若干の安堵感と驚きとで身動き出来ないでいると、母は知ってか知らずか気にする素振りを見せることなくツカツカとミルティの側に来た。そしてミルティの手をとり、再び入り口へ向かって歩きはじめたのだった。
「もう、ミルちゃんったら!約束の時間に遅れちゃうでしょ!いつまでもルウちゃんと遊んでないの」
そう言われ、ハッとする。
母にはこの部屋の極寒の温度や、ルシウスのあの凍てついた瞳が戯れていたように映っていたのだろうか?あんな凍り付きそうな視線を向けられ、この極寒の中にいたのに母は気づかないのだろうか?
「えっ!あ、いや、遊んでたわけじゃ――わっ!」
思わずでた否定の言葉むなしく最後まで聞いてもらえず、さらにグイっと引っ張られてしまった。そのことに慌てるミルティに母はお構いなしだ。ぐんぐん入り口に向かい、あと少しでドアを出ると言うところでルシウスがめったに出さない声で呼び止めてきた。
「義母さん!ちょっと待ってください!!一体どういうことですか!?」
「ん?なぁに、ルウちゃん。どうもこうもただミルちゃんが一人でパーティに行くだけよ?だからママ急いでいるんだけど?」
もうパーティ始まっちゃうのよと、ルシウスの問いに足を止めくるりと振り向き小首を傾げる姿は年を感じさせる事が無いくらい綺麗だ。
そんな母を見て父似も別に嫌ではないが、髪や瞳以外にも母にもう少し似たかったとミルティは場違いな事を考えて苦笑いをこぼしてしまう。
「義母さん!なぜミルティだけ?行くなら俺も――」
「だぁめ。ルウちゃんはお姉ちゃんと一緒に行きたいのかも知れないけど今日は駄目よ。ルウちゃんはお留守番よ」
「なっ!」
母は多分ルシウスが言いたかったであろう言葉をピシャリと遮った。
そして、うーんとうねり声をあげると一旦ミルティの手を離し今度はルシウスに近づいた。そしてフワリとルシウスの耳元に顔を寄せたのち、クスクスと笑いながらもうルシウスに振り向くことなく再びミルティの手をとり歩きだした。
部屋を出る際にチラリとミルティがルシウスを振り向けば、そこにはどこか悔しそうな表情で下唇を噛んでいるルシウスがたたずんでいた。
「お母様、ルシウスは一体どうしたの?」
母が何かをルシウスにささやいたように見え、一体ルシウスに何を囁いたのか気になり歩きながらも取られた手の先をじっと見つめれば楽しそうに母の声が弾む。
「んー?だぁいじょうぶっ!ルウちゃんはやる時はやる子よ。信じてあげて!」
「信じるって……」
一体何を?
「それより、ミルちゃんもちゃんと自分と向き合わないとよ!」
「え?いや……まったく意味がわからないんですが?」
全くもって母の言葉はわからない。
何を信じて、どこで何のために自分と向き合えばいいというのだろうか?
それよりも今はルシウスの動向が気になる。パーティから戻って来た頃にはきっとルシウスの機嫌は底辺に落ちているだろう。それに、いつぞや見たく今度は緑色の服が着れなくなるのではないかと思えば今から気が重くなるのは仕方がない事だろう。
なんたって彼は重度のシスコンで、今まで彼に逆らわなかったミルティの初めてに近い反旗だ。
怒っているであろうルシウスを思って小さなため息がこぼれる。
そんなことに気を足られていると、ポーイという軽快な効果音ともに体はふわりと宙を舞い馬車へ押し込まれてしまった。
「え?」
「ハイハイ、悩んでる暇はないわよ?とばすわよー!」
母もポーンとミルティのとなりに飛び乗ると馬車を走らせるよう御者にニコニコと合図を送る。その合図を受けると同時に馬車はガタゴトと進みだしたのが振動で伝わってきた。
「はい?」
わけがわからず目をぐるぐるさせていると、母は優しくミルティの両頬に手を添えニコニコと話しかけてきた。
「もう!ミルちゃんしっかりしてー。可愛いミルちゃんが台無しよ?それにミルちゃんが何に遠慮して何を悩んでるかは何となくわかるけど、一番は自分の気持ちに向かい合ってから自分が信じてしたいことをしなきゃ駄目よ?ルウちゃんの事は大丈夫。だってルウちゃんだもの」
「えっと、お母様?」
母が何を言いたいのかいまだにわからずミルティの頭は余計にこんがらがる。
けれど、今日のパーティにこうしてミルティ一人で出られるのは、母のおかげでもある。
あの日――。
ルシウスがロゼを連れてきたあの日あの後、あの足でミルティは母の執務室を訪れ、ルシウスに知られないように一人で社交界に出たいと母に泣きついたのだった。
詳しい理由は母に言わなかったのだけれど、母は何かを察してくれたようで急遽ルシウスに内密に今夜の社交界への準備を始めてくれたのだった。
そんな母の行動や考えは普段からミルティはさっぱりわからない。唯一、母の事でミルティがわかることはミルティやルシウスを大切に思ってくれているという事だ。そして多分であるけれども、つかず離れずの関係でありながら母は父の事もそれなりに大切に思っているという事もわかる。それは父にも言える事なのだけれども。
だから今回だってミルティだけでなくルシウスにとっても悪くなるような状況は作らないはずだ。
何か考えがあっての母の行動なのだろうがいまいち意図がつかめないのもこれまた事実であるが。
ミルティは母の意図を理解することをやめ、馬車の窓から見える流れる景色に視線を逸らした。
「家族にも色々な形があるのよ」
しばらく流れる景色にミルティが見入っていると、ぽつりと母がこぼすようにつぶやいた。
「お母様?」
母を見れば寂しそうな、困ったような、それでいていつもミルティを優しく抱き留めてくれる優しい微笑みでこちらを見ていた。
「私がジルと結婚させられたのは16の時だったわ。ジルが18ね」
何か苦い思いを思い出すように母は視線を下に向け言葉をつづけた。
「あの頃、私のうちは父が……あなたのおじい様が女に貢ぎこんで多額の借金をして蒸発しちゃってね。経済的にかなり困ってて。借金取りに日々の生活を脅かされながらもなんとか生をしのいでいたの」
今はもう存在しない母の実家がかなり荒んでいたのは知っている。多額の借金を支払うために身売り同然で父と政略結婚することになっていたことも。
(お母様?)
けれどもどうして今そんな話になるのだろうかとミルティが母を見つめても、その視線は交わることはない。
それでも母は言葉を止めない。
「そんな時ジルが、ロウリー家が私を買ってくれたの」
買ってくれた。
その一言にミルティは心が痛む。
「でもジルには感謝してるのよ?こんな厄介な私を押し付けられても、あの人は文句ひとつ言わないし私が今もあの人からいつか独立できるように協力もしてくれる。それに何よりもあなたという宝物まで私にくれた。……でもね、いくら感謝していても父のせいもあって私は男の人が心から信用できないの。男の人を心から愛する事が怖いのよ」
だけどね、ミルティとささやく母とミルティはようやく視線が合わさる。
そこには先ほどのような表情はなく、あるのはただただミルティをいつくしんでくれるいつもの優しい表情の優し眼差しだけだ。
「ミルティ、貴女は私と違う。ちゃんと人を心から信じ愛する事ができる子よ。ただ、貴女は少しだけジルに似て頑固だから、ちょっと変化を受け止めるのが苦手なのよ。だから、これはいい機会よ。あなたの幸せのためにも心の矢印がどこに向いているのか見つけてきなさい」
「……お母様」
「私とジルがそうであるのように家族の形なんてどうでもいいのよ。ただ心の矢印の向きだけは間違わないで幸せになりなさい。貴方の幸せが私とジルの願いよ」
そういい終わるとミルティは再びポーンと軽快な音と共に母によって馬車から放り投げられた。どうやら目の前の煌びやかな屋敷が今日の会場らしい。
「はいっ?」
「ってことで、ミルちゃん行ってらっしゃーい」
慌てて馬車を見れば、馬車は既に満面の笑みな母を乗せたまま早々に駆け出していた。
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